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かしきを、まして祭の頃は大かたの空の景色心ちよげなるに前齋院はつれづれと眺め給ふ。おまへなる桂の下風懷しきにつけても若き人々は思ひ出づる事どもあるを、大殿より御禊の日はいかにのどかにおぼさるらむととぶらひ聞えさせ給へり。「今日は、
かけきやは川瀨の波もたちかへり君がみそぎのふぢのやつれを」。紫の紙たてぶみすくよかに藤の花につけ給へり。折のあはれなれば御かへりあり。
「ふぢ衣きしは昨日と思ふまに今日はみそぎの瀨にかはる世を。はかなく」とばかりあるを例の御目とゞめ給ひて見おはす。御ぶくなほしの程などにも、せんじのもとに所せきまでおぼしやれる事どもあるを院は見苦しきことにおもほしのたまへどをかしやかに氣色ばめる御文などのあらばこそとかくも聞えかへさめ、年比もおほやけざまの折々の御とぶらひなどは聞えならはし給ひていとまめやかなればいかゞは聞えも紛はすべからむともて煩ふべし。女五の宮の御方にもかやうに折過ぐさず聞え給へば「いと哀にこの君の昨日今日のちごと思ひしをかくおとなびてとぶらひ給ふこと、かたちのいとも淸らなるにそへて心さへこそ人にはことにおひ出で給へれ」と譽め聞え給ふを若き人々は笑ひ聞ゆ。こなたにもたいめし給ふ折は、「このおとゞのかくねんごろに聞え給ふめるをなにか、今始めたる御志にもあらず、故宮もすぢことになり給ひてえ見奉り給はぬ歎をし給ひては思ひ立ちしことをあながちにもてはなれ給ひし事などのたまひ出でつゝ、悔しげにこそおぼしたりし折々ありしか。されど故大殿の姬君物せらし限は三の宮の思ひ給はむことのいとほしさにとかくこと