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Page:Kokubun taikan 01.pdf/376

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 「なべて世のあはればかりをとふからに誓ひしことゝ神やいさめむ」とあれば「あなこゝろう、その世の罪は皆科戶の風にたぐへてき」との給ふ。あいぎやうもこよなし。「みそぎを神はいかゞ侍りけむ」などはかなき事を聞ゆるもまめやかにいと傍いたし。世づかぬ御有樣は年月にそへても物深くのみひき入り給ひてえ聞え給はぬを見奉りなやめり。「すきずきしきやうになりぬるを」など淺はかならずうち歎きて立ち給ふに「齡のつもりにはおもなくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを今ぞとだに聞えさすべくやはもてなし給ひける」とて出で給ふ名殘所せきまで例の聞えあへり。大方の空もをかしき程に木の葉の音なひにつけても過ぎにしものゝ哀とり返しつゝその折々をかしくもあはれにも深く見え給ひし御心ばへなども思ひ出で聞えさす。心やましくて立ち出で給ひぬるはまして寢覺がちにおぼし績けゝる。疾く御格子まゐらせ給ひて朝霧をながめ枯れたる花どもの中に朝顏のこれかれにはひまつはれてあるかなきかに咲きて匂も殊にかはれるを折らせ給ひて奉れ給ふ。「けざやかなりし御もてなしに人わろき心地し侍りて、うしろでもいとゞいかゞ御覽じけむとねたく。されど、

  見しをりの露忘られぬあさがほの花のさかりは過ぎやしぬらむ。年頃のつもりも哀とばかりはさりともおぼし知るらむとなむ。かつは」など聞え給へり。おとなび給へる御文の心ばへに、おほつかなからむも見知らぬやうにやとおぼし、人々も御硯とりまかなひて聞ゆれば、