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Page:Kokubun taikan 01.pdf/324

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うへしもの人々、われもわれも參らむと爭ひ出づる人もあり。心ばへなどはたうもれいたきまでよくおはする御有樣に心やすくならひて殊なる事なきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありてうちつけの心みえに參り歸る。君はいにしへにもまさりたる御いきほひの程にて物の思ひやりもまして添ひ給ひにければ、こまやかにおぼしおきてたるににほひ出でゝ宮の內やうやう人め見え、木草の葉もたゞすごくあはれに見えなされしを、やりみづかき拂ひ前栽のもとだちも凉しうしなしなどして、殊なるおぼえなきしもげいしのことに仕へまほしきは、かくみこゝろとゞめておぼさるゝことなめりと見とりて御氣色給はりつゝ追しようし仕うまつる。二年ばかりこのふる宮に詠め給ひてひんがしの院といふ所になむ後には渡し奉り給ひける。たいめんし給ふことなどはいと難けれども、近きしめのほどにて大方にも渡り給ふにさし覗きなどし給ひつゝいとあなづらはしげにももてなし聞え給はず。かの大貳の北の方のぼりて驚き思へるさま、侍從が嬉しきものゝ今しばしまち聞えざりける心淺さを恥しう思へる程などを、今少し問はず語もせまほしけれど、いと頭痛ううるさくものうければ今又も序あらむ折に思ひ出でゝなむ聞ゆべきとぞ。


關屋

伊豫の介といひしは故院かくれさせ給ひてまたの年常陸になりて下りしかば、かの箒木も