コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/287

提供:Wikisource
このページは校正済みです

思さるゝなるべし。「遊などもせず、昔聞きし物の音なども聞かで、久しうなりにけるかな」との給はするに、

 「わたつ海にしなえうらぶれひるのこの足たゝざりし年は經にけり」と聞え給へば、いとあはれに心はづかしう思されて、

 「宮ばしらめぐりあひける時しあれば別れし春のうらみのこすな」。いとなまめかしき御有樣なり。院の御ために、御八講行はるべき事まづ急がせ給ふ。春宮を見奉り給ふにこよなくおよすげさせ給ひて珍しうおぼし悅び給へるを限なく哀と見奉り給ふ。御ざえもこよなくまさらせ給ひて世を保ち給はむにはゞかりあるまじくかしこう見えさせ給ふ。入道の宮にも御心少ししづめて御對面のほどにも哀なる事どもあらむかし。誠やかの明石にはかへる波につけて御文つかはす。引きかくしてこまやかに書き給ふめり。

波のよるよるいかに、

 「歎きつゝあかしの浦に朝ぎりのたつやと人をおもひやるかな」。かのそちのむすめの五節、あいなく人知れぬ物思ひさめぬる心地して、まくなぎつくらせてさし置かせけり。

 「須磨のうらに心をよせし船人のやがてくたせるそでを見せばや」。手などこよなくまさりにけりと見おほせ給ひてつかはす。

 「かへりてはかごとやせまし寄せたりし名殘に袖のひがたかりしを」。飽かずをかしと思しゝ名殘なれば驚かされ給ひていとゞ思し出づれど、この頃はさやうの御ふるまひ更につゝみ給ふめり。花散里などにも唯御せうそこばかりにて覺束なくなかなかうらめしげなり