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Page:Kokubun taikan 01.pdf/281

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香殿の女御の御腹に、男御子生れ給へる、二つになり給へばいといはけなし。春宮にこそは讓り聞え給はめ、おほやけの御後見をし世をまつりごつべき人をおぼしめぐらすに、この源氏のかく沈み給ふ事いとあたらしう、あるまじきことなれば、遂に后の御いさめをも背きて許されぬべき定め出できぬ。去年よりきさきも御ものゝけに惱み給ひさまざまのものゝさとししきりさわがしきを、いみじき御つゝしみどもをし給ふしるしにや、よろしうおはしましける。御目のなやみさへ此頃重くならせ給ひて、物心細く思されければ、七月二十よ日の程に又重ねて京へ歸り給ふべき宣旨下る。つひの事と思ひしかど、世の常なきにつけてもいかになりはつべきにかと歎き給ふを、かうにはかなれば嬉しきにつけても、又この浦を今はと思ひ離れむ事をおぼし歎くに、入道さるべき事と思ひながらうち聞くより胸ふたがりて覺ゆれど、思ひのごと榮え給はゞこそは我が思のかなふにはあらめなど思ひなほす。その頃はよがれなく語らひ給ふ。みなつきばかりより心苦しき氣色ありて惱みけり。かく別れ給ふべき程なればあやにくなるにやありけむ、ありしよりも哀に思して怪しう物思ふべき身にもありけるかなと思し亂る。女は更にもいはず思ひしづみたり。いとことわりや。思の外に悲しき道に出で立ち給ひしかど遂には行きめぐりきなむとかつはおぼし慰めき。この度は嬉しき方の御出立の又やはかへり見るべきと思すに哀なり。侍ふ人々もほどほどにつけては喜び思ふ。京よりも御迎に人々參り心地よげなるを、あるじの入道淚にくれて月も立ちぬ。程さへ哀なる空の氣色に、なぞや心づから今も昔もすゞろなる事にて身をはふらかすら