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Page:Kokubun taikan 01.pdf/25

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家のうちのあるじとすべき人一人を思ひめぐらすに、たらはで惡しかるべき大事どもなむかたがたおほかる。とあればかゝりあふさきるさにてなのめにさてもありぬべき人の少きを、すきずきしき心のすさびにて人の有樣をあまた見合せむの好みならねど、偏に思ひ定むべきよるべとすばかりに、同じくば我がちからいりをし直しひき繕ふべき所なく、心にかなふやうもやと撰りそめつる人の定まり難きなるべし。必ずしも我が思ふにかなはねど、見そめつる契ばかりを捨て難く思ひとまる人は物まめやかなりと見え、さてたもたるゝ女の爲も心にくゝ推し量らるゝなり。されど何か世の有樣を見給へ集むるまゝに、心に及ばずいとゆかしき事もなしや。君たちの上なき御えらびには、ましていかばかりの人かはたぐひ給はむ。所せく思ひ給へぬだにかたちきたなげなく若やかなる程の己がじゝは塵も附かじと身をもてなし、文を書けどおほどかにことえりをし墨つきほのかに心もとなく思はせつゝ、又さやかにも見てしがなとすべなく待たせ、わづかなる聲聞くばかり言ひよれど、息の下にひき入れことずくななるがいとよくもて隱すなりけり。なよびかに女しと見ればあまりなさけにひき籠められて、とりなせばあだめく。これを初の難とすべし。事が中になのめなるまじき人の後見の方は物のあはれ知りすぐし、はかなきついでの情あり、をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに、又まめまめしきすぢを立てゝ、耳はさみがちにびさうなき家とうじの偏にうちとけたる後見ばかりをして朝夕のいでいりにつけても公私の人のたゝずまひ善き惡しき事の目にも耳にもとまる有樣を疎き人にわざとうちまねばむやは。