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Page:Kokubun taikan 01.pdf/238

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わたり、心ぼそげに見ゆるにも住み離れたらむいはほの中おぼしやらる。西面にはかうしもわたり給はずやとうちくしておぼしけるに、あはれ添へたる月影のなまめかしうしめやかなるにうちふるまひ給へるにほひ似るものなくていと忍びやかに入り給へば、少しゐざり出でゝやがて月を見ておはす。又こゝに御物語のほどに明方近うなりにけり。「短夜のほどや。かばかりのたいめんも又はえしもやと思ふこそ事なしにて過ぐしつる年比もくやしう、來しかた行くさきの例になりぬべき身にて何となく心のとまる世なくこそありけれ」と過ぎにし方の事どものたまひて、鳥もしばしばなけばよにつゝみて急ぎ出で給ふ。例の月の入りはつる程よそへられてあはれなり。女君の濃き御ぞにうつりてげにぬるゝがほなれば、

 「月かげのやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬひかりを」。いみじとおぼいたるが心苦しければかつは慰め聞え給ふ。

 「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ。思へばはかなしや。たゞ知らぬ淚のみこそ心をくらすものなれ」などの給ひて明暮のほどに出で給ひぬ。萬の事どもしたゝめさせ給ふ。親しう仕うまつり世になびかぬかぎりの人々、殿の事とり行ふべき上下定め置かせ給ふ。御供に隨ひ聞ゆるかぎりはまたえり出で給へり。かの山里の御すみかの具はえさらずとり使ひ給ふべきものども殊更によそひもなくことそぎて、又さるべきふみどもぶんじふなど入れたる箱、さてはきん一つぞもたせ給ふ。所せき御調度花やかなる御よそ