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Page:Kokubun taikan 01.pdf/236

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車のかたもなくさびしきに世は憂きものなりけりとおぼし知らる。臺はんなどもかたへはちりばみて疊所々ひきかへしたり。見るほどだにかゝり、まして如何に荒れゆかむとおぼす。西の對に渡り給へればみかうしも參らでながめ明かし給ひければ簀子などに若きわらはべ所々に臥して今ぞ起きさわぐ。とのゐ姿どもをかしうて出で入るを見給ふにも心ぼそう、年月へばかゝる人々もえしもありはてゞや行きちらむなど、さしもあるまじき事さへ御目のみとまりけり。「よべはしかじかして夜更けにしかばなむ。例の思はずなるさまにや覺しなしつる。かくて侍る程だに御めかれずと思ふをかく世を離るゝきはには心苦しきことのおのづから多かりけるを、ひたやごもりにてやは。常なき世に人にもなさけなきものと心おかれはてむもいとほしうてなむ」と聞え給へば「かゝる世を見るより外に思はずなることは、何事にか」とばかりの給ひて、いみじとおぼし入りたるさま人より異なるを、ことわりぞかし、父みこはいとおろかにてもとよりおぼしつきにけるに、まして世の聞えを煩はしがりて音づれ聞え給はず。御とらぶひにだに渡り給はぬを人の見るらむ事も耻しくなかなか知られ奉らでやみなましを、繼母の北の方などの世に俄なりしさいはひのあわたゞしさ、あなゆゝしや。思ふ人々かたがたにつけて別れ給ふ人かなとのたまひけるを、さる便ありて漏り聞き給ふにもいみじう心苦しければこれよりも絕えて音づれ聞え給はず、又たのもしき人もなくげにぞあはれなる御有樣なる。「猶世に免され難うて年月を經ばいはほの中にも迎へ奉らむ。只今は人ぎゝのいとつきなかるべきなり。おほやけにかしこまり聞ゆる人は明なる