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たげなりしはやとまづおぼし出づ。いかなるにつけても御心の暇なく年月を經ても苦しげなり。猶かうやうに見しあたりのなさけは過ぐし給はぬにしもなかなかあまたの人の物思ひぐさなり。さてかのほいの所はおぼしやりつるもしるく、人めなくしづかにておはする有樣を見給ふもいとあはれなり。まづ女御の御方にて昔の御物語など聞え給ふに夜更けにけり。二十日の月さし出づる程に、いとゞ木高きかげどもこぐらう見えわたりて、近き橘のかをりなつかしく匂ひて女御の御けはひねびにたれどあくまで用意ありあてにらうたげなり。すぐれて花やかなる御おぼえこそなかりしかどむつまじうなつかしきにはおぼしたりしものをなど思ひ出で聞え給ふにつけても、昔の事かきつらねおぼされてうちなき給ふ。郭公ありつる垣根のにや同じ聲にうちなく。慕ひきにけるよとおぼさるゝほども艷なりかし。「いかに知りてか」など忍びやかにうち誦じ給ふ。
「橘の香をなつかしみほとゝぎすはなちる里をたづねてぞとふ。いにしへの忘れがたきなぐさめにはまづ參り侍りぬべかりけり。こよなうこそ紛るゝ事も數そふ事も侍りけれ。大方の世に隨ふものなれば昔語もかきくづすべき人少うなり行くを、ましていかにつれづれも紛るゝことなくおぼさるらむ」と聞え給ふに、いとさらなる世なれど物をいとあはれとおぼしつゞけたる御氣色の淺からぬも人の御さまからにや。多く哀ぞ添ひにける。
「人めなく荒れたる宿はたちばなの花こそのきのつまとなりけれ」とばかりのたまへるも、さはいへど人にはいと異なりけりとおぼしくらべらる。西面にはわざとなく忍びやかに