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Page:Kokubun taikan 01.pdf/200

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折知り顏なるを、さして思ふことなきだに聞きすぐし難げなるに、ましてわりなき御心惑ひどもになかなかこともゆかぬにや。

 「大かたの秋のわかれもかなしきに鳴くねなそへそ野邊の松蟲」。悔しきこと多かれどかひなければ明け行く空もはしたなくて出で給ふ道の程いと露けし。女もえ心强からず名殘あはれにて眺め給ふ。ほの見奉り給へる月影のおほんかたち猶とまれるにほひなど、若き人々は身にしめて過ちもしつべくめで聞ゆ。いかばかりの道にてか斯るおほん有樣を見棄てゝは別れ聞えむとあいなく淚ぐみあへり。御文常よりも細やかなるはおぼし靡くばかりなれど又うちかへし定めかね給ふべきことならねばいとかひなし。男はさしもおぼさぬことをだになさけのためには能くいひ續け給ふべかめれば、ましておしなべてのつらには思ひ聞え給はざりし御中のかくて背き給ひなむとするを、口惜しうもいとほしうもおぼし惱むべし。旅のおほんさう束よりはじめ人々のまで何くれの御調度など嚴めしう珍しきさまにてとぶらひ聞え給へど何ともおぼされず。あはあはしう心憂き名をのみ流して淺ましき身の有樣を今始めたらむやうに程近くなるまゝに起きふし嘆き給ふ。齋宮は若きおほん心にふぢやうなりつる御出立のかく定まり行くを嬉しとのみおぼしたり。世の人はれいなきことゝもどきもあはれにも樣々に聞ゆべし。何事も人にもどきあつかはれぬきはゝやすげなり、なかなか世にぬけ出でぬる人の御あたりは所せき事多くなむ。十六日桂川にておほんはらへし給ふ。常の儀式にまさりてちやうぶ送使などさらぬ上達部もやんごとなくおぼえあるをえ