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まりなさけなからむ」とてそぎはてゝ「ちひろ」と祝ひ聞え給ふを、少納言哀にかたじけなしと見奉る。
「はかりなきちひろの底のみるぶさの生ひゆく末はわれのみぞ見む」と聞え給へば、
「千尋ともいかでか知らむさだめなくみちひる潮ののどけからぬに」とものに書きつけて坐するさま、らうらうしきものから若うをかしきをめでたしとおぼす。今日も所もなく立ちこみにけり。うま塲のおとゞのほどに立て煩ひて、「上達部の車ども多くて物騷しげなるわたりかな」と休らひ給ふに、よろしきをんな車のいたう乘りこぼれたるより扇をさし出でゝ人を招き寄せて「こゝにやは立たせ給はぬ。所さり聞えむ」と聞えたり。いかなるすき者ならむとおぼされて、所もげによきわたりなれば引き寄せさせ給ひて「いかでか得給へる所ぞとねたさになむ」とのたまへば、よしある扇のつまを折りて、
「はかなしや人のかざせるあふひゆゑ神のしるしのけふを待ちける。しめのうちには」とある手をおぼし出づれば、かの源內侍のすけなりけり。あさましうふり難くも今めくかなと憎さにはしたなう、
「かざしける心ぞあだにおもほゆる八十氏人になべてあふひを」。女はづかしと思ひ聞えたり。
「くやしくもかざしけるかな名のみして人賴めなる草葉ばかりを」と聞ゆ。人とあひ乘りてすだれをだに上げ給はぬを心やましう思ふ人多かり。一日の御ありさまの麗はしかりし