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Page:Kokubun taikan 01.pdf/17

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のづから漏り見奉る。母みやす所はかげだに覺え給はぬを「いとよう似給へり」とないしのすけの聞えけるを若き御心地にいと哀と思ひ聞え給ひて、常に參らまほしうなづさひ見奉らばやとおぼえ給ふ。うへも限なきおほん思ひどちにて「なうとみ給ひそ。怪しくよそへ聞えつべき心地なむする。なめしと覺さでらうたうし給へ。つらつきまみなどはいとよう似たりしゆゑ通ひて見え給ふも似げなからずなむ」など聞え吿げ給へればをさなごゝちにもはかなき花紅葉につけても志を見え奉りこよなう心よせ聞え給へれば、弘徽殿の女御、又この宮とも御中そばそばしきゆゑうちそへて素よりのにくさも立ち出でゝ物しとおぼしたり。世に類なしと見奉り給ひ名高うおはする宮のおほんかたちにも猶にほはしさは譬へむ方なく美くしげなるを、世の人「ひかるきみ」と聞ゆ。藤壺ならび給ひて御おぼえもとりどりなれば「かゞやく日の宮」と聞ゆ。この君のおほん童姿いとかへまうく覺せど十二にて御元服し給ふ。ゐたちおぼしいとなみて限ある事に事を添へさせ給ふ。ひとゝせの春宮の御元服南殿にてありし儀式のよそほしかりし御ひゞきにおとさせ給はず、所々の饗などくらづかさ穀倉院などおほやけごとに仕う奉れる、おそろかなる事もぞと取りわき仰事ありて淸らを盡して仕うまつれり。おはします殿のひんがしの廂東向にいし立てゝくわんざの御座、ひきいれのおとゞの御座こぜんにあり。申の時にぞ源氏參り給ふ。みづらゆひ給へるつらつき顏のにほひさまかへ給はむこと惜しげなり。大藏卿くら人仕うまつる。いと淸らなる御ぐしをそぐ程心苦しげなるを、うへはみやす所の見ましかばとおぼし出づるに堪へ難きを心强く念じ