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Page:Kokubun taikan 01.pdf/142

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見えつれ。舞のさま手づかひなむ家の子はことなる。この世に名を得たる舞の師のをのこどもゝ實にいとかしこけれど、こゝしうなまめいたるすぢをえなむ見せぬ。試の日かく盡しつれば紅葉の影やさうざうしくと思へど見せ奉らむの心にて用意せさせつる」など聞え給ふ。つとめて中將の君「いかに御覽じけむ。世に知らぬみだり心地ながらこそ。

  物思ふに立ちまふべくもあらぬ身の袖うちふりしこゝろしりきや。あなかしこ」とある御かへり、目もあやなりし御さまかたちに見給ひ忍ばれずやありけむ、

 「から人の袖ふることは遠けれど立ゐにつけてあはれとは見き。大方には」とあるを、限なうめづらしうかやうの方さへたどたどしからずひとのみかどまでおもほしやれる御后言葉のかねてもとほゝゑまれて、持經のやうに廣げて見居給へり。

行幸にはみこたちなど世に殘る人なく仕うまつり給へり。春宮もおはします。例の樂の船ども漕ぎ廻りて唐土高麗とつくしたる舞どもくさおほかり。樂の聲つゞみの音世をひゞかす。一日の源氏の御夕影ゆゝしうおぼされて、みず經など所々にせさせ給ふをことわりとあはれがり聞ゆるに、春宮の女御はあながちなりと憎み聞え給ふ。かいしろなど、殿上人ぢげも心殊なりと世の人に思はれたるいうそくの限り整へさせ給へり。宰相二人、左衞門督、右衞門督、左右の樂の事を行ふ。舞の師どもなど世になべてならぬをとりつゝ、おのおの籠り居てなむ習ひける。こだかき紅葉のかげに四十人のかいしろ、いひしらず吹き立てたる物のねどもにあひたる松風まことのみ山おろしと聞えて、吹きまよひいろいろに散りかふ木の葉の中より、靑海波の輝き出で