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ぬ。また人も出で來ねば歸るも情なけれど明け行く空もはしたなくて殿へおはしぬ。をかしかりつる人の名殘戀しく獨ゑみしつゝ臥し給へり。日高う大とのごもりおきて、文やりたまふに書くべき言の葉も例ならねば筆うち置きつゝすさび居給へり。をかしき繪などをやり給ふ。かしこには今日しも宮わたり給へり。年比よりもこよなう荒れまさり廣う物ふりたる所のいとゞ人少なに寂しければ、見渡し給ひて「かゝる所にはいかでか暫しもをさなき人のすぐし給はむ。猶かしこに渡し奉りてむ。何の所せき程にもあらず。めのとはざうしなどしてさぶらひなむ。君は若き人々などあれば諸共に遊びていとよう物し給ひなむ」などの給ふ。近う呼び寄せ奉り給へるにかの御うつりかのいみじうえんにしみかへり給へれば、をかしの御にほひや、御ぞはいとなえてと、心ぐるしげにおぼいたり。「年比もあつしくさだすぎ給へる人にそひ給へるより時々かしこに渡りて見ならし給へなどものせしを怪しう疎みたまひて人も心おくめりしを、かゝる折にしも物し給はむも心苦しう」などの給へば「何かは心ぼそくとも暫しはかくておはしましなむ。少し物の心おもほし知りなむに渡らせ給はむこそよくは侍るべけれ」と聞ゆ。夜晝戀ひ聞え給ふにはかなき物も聞しめさずとてげにいといたう面やせ給へれど、いとあてに美くしくなかなか見え給ふ。「何かさしもおもほす。今は世になき人の御事はかひなし。おのれあれば」など語らひ聞え給ひて、暮るれば歸らせ給ふを、いと心細しと思ひて泣い給へば、宮もうちなきたまひて「いとかう思ひな入り給ひそ。今日明日わたし奉らむ」など返す返すこしらへおきて出で給ひぬ。名殘も慰め難う泣き居給へり。