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らしく見給ふに、惱しさもまぎれはてぬ。聖うごきもえせねどとかくして護身參らせ給ふ。かれたる聲のいといたうすきひがめるも哀れにぐうつきて陀羅尼讀みたり。御迎の人々參りて怠り給へるよろこび聞え、內よりも御使あり。僧都世に見えぬさまの御くだもの何くれと谷のそこまで堀り出でいとなみ聞え給ふ。「今年ばかりの誓ひ深う侍りて御送にもえ參り侍るまじき事なかなかにも思ひ給へらるべきかな」など聞えて、おほみきまゐり給ふ。「山水に心とまり侍りぬれど內よりおぼつかながらせ給へるもかしこければなむ。今この花の折すぐさず參りこむ。
宮人に行きてかたらむ山櫻風よりさきに來ても見るべく」との給ふ御もてなしこわづかひさへ目もあやなるに、
「優曇華の花まち得たるこゝちして深山櫻にめこそ移らね」と聞え給へば、ほゝゑみて「時ありて一度開くなるは難かなるものを」との給ふ。ひじり御かはらけたまはりて、
「奧山の松のとぼそをまれにあけてまだ見ぬ花のかほを見るかな」とうち泣きて見奉る。聖御まもりにとこたてまつる。見給ひて僧都、さうとく太子の百濟より得給へりける金剛子のずゞの玉のさうぞくしたる、やがてその國より入れたる筥の唐めいたるを透きたる袋に入れて五葉の枝につけて、紺瑠璃の壺どもに御藥ども入れて藤櫻などにつけて、所につけたる御贈物どもさゝげ奉り給ふ。君は聖よりはじめ讀經しつる法師の布施まうけの物どもさまざまに取りに遣したりければ、そのわたりの山がつまでさるべき物ども賜ひ御ずきやう