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制の極盛、殖産産業の躍進と共に、新なる社會問題、思想問題の發生につれて、縣政の様相亦一變せざるを得なかつた。 この状態は昭和の聖代に及び、社會各般の機構漸く進化し、地方自治の運營に於ても、世界的不況の試練を超えて一段の充實改善が要求せられたのである。既にして昭和六年滿洲事變を契機として、國運の進展は東亞新秩序の建設に向つて新なる段階を劃すべき時期に際會し、縣民の自覺はこの輝かしき國家的要請の下に振起しつゝあるのである。 明治五年初めて明治天皇の聖駕を奉迎した本縣に於ては、次いで神代三山陵御治定なり、又皇太子殿下の行啓を始め奉り、皇族宮諸殿下の御成屢次に及んだ。

 然るに今期に入るや、昭和二年及び六年に相次いで聖上陛下の行幸を辱くし、更に昭和十年三たび大纛を薩隅の天地に迎へ奉つた。之に依り縣民等しく聖恩に光被し、愈皇室の御稜威を仰ぐに至つたことは固より、更に彝訓を體揚して時運に處するの覺悟を新にし、縣政一新の聲は澎湃として上下に揚つたのである。即ち縣政第三期を大正元年に起して昭和十年に及び、大演習御統監並に地方行幸を紀念し奉る所以またこゝに存するのである。

(掲載写真省略、大元帥陛下<昭和十年一月十日隼人野外統監部ニ進マセ給ふ>)