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Page:Inpukyo 1912.djvu/12

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萬物の人を盜むに因りて之を制し、天地の萬物を盜むに因りて之を制す。即ち自然の道に從つて以て自然を制す。三盜旣に其處を得。人、天地と相並んで以て參なるべきなり。故に古語に曰はく、食ふに其の時を失はざれば體內百骸皆其理を得。動くに其機を以てすれば天地自然の理に從ふて何事も成就せざることしと。

人知其神而神。不神而所以神

神にして神なるは外に見はれ、昭々として明かなる所にして淺見者流の能く觀察し得る所。神らずして神なるは一見明からざる所に於て却て深遠の理ある者にして達人を須て始めて能く洞見し得る所り。微妙の理豈俗眼の瞥見を容れんや。