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序
この書は雜誌「思想」第九十二號および第九十三號(昭和五年一月號および二月號)所󠄃載の論文に修補を加へたものである。
生きた哲學は現實を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」といふ現象のあることを知つてゐる。然らばこの現象は如何なる構造󠄃をもつてゐるか。「いき」とは畢竟󠄂わが民族に獨特な「生き」かたの一つではあるまいか。現實を有りの儘に把握することが、また、味得さるべき體驗を論理的に言表することが、この書の追󠄃ふ課題である。
この書は雜誌「思想」第九十二號および第九十三號(昭和五年一月號および二月號)所󠄃載の論文に修補を加へたものである。
生きた哲學は現實を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」といふ現象のあることを知つてゐる。然らばこの現象は如何なる構造󠄃をもつてゐるか。「いき」とは畢竟󠄂わが民族に獨特な「生き」かたの一つではあるまいか。現實を有りの儘に把握することが、また、味得さるべき體驗を論理的に言表することが、この書の追󠄃ふ課題である。