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其の他冠婚葬祭特に伊集院に限るものなし。
死亡
- 一、葬式當日、外の日に悔み訪問には日盛りを選ふ人今もあり。
- 二、葬儀當日の仕事は一切馬場中(郷中)衆等に頼み喪主及其の家族等は差し控へて關係せず。
- 三、忌明廻、二人連れ立ちて廻禮せしもの次第に端書禮状に變る
- 四、昔はすべて土葬なりしもの追々火葬もあり。
- 五、墓石は大抵一周忌迄に建つれと舊閏年に墓を建つるを忌む風あり。
三、社交儀禮
一、言葉使ひ
言葉は其の人の魂の表現なれば最も注意すべきものなり。世の進むに從ひ、營捷を尊ふご雖粗略にして心の敬みを缺くは忌むべし。
二、容儀服装
粗野蠻風固より好まざるところ、現下の如き經済的非常時趣味嗜好の過度時代に於ては動もすれば外見に把はれ易し。
男子の帯を後に結ぶのは薩藩の美風特色なり。帯をぐるぐる巻きにせず。結ぶの風は仕事の結末を確固にする習慣養成に必要にて特に男子の後に結ぶは何時にても切腹の用意を示すものと思ふ時無限の意味を含むと知るべし。
- 袴
- 男子の袴は禮装にてマチある馬乗袴が正式なれと近來袴流行するに至れり。
- 夏羽織
- 昔はすべて簡素を旨としたれば夏羽織など多く見えざりしかと近來一般に流行するに至れり。
- 紋付
- 家紋を重んずるは武家制度の産物なれど今は一般に禮装上深き意義あるものとして用ゐられる。
- 洋服
- 交通機關の發達と其の他社會の變遷に伴ひ、男女共に洋服を用ふるもの次第に多くなれり。今日の過度時代に於て心すべきは國民的自覚の上に立てる儀禮と矛盾せざるべきこと。
徳重踊
- 徳重大大鼓踊りと稱す。
- 朝鮮征伐の際義弘公士氣を鼓舞し威勢を示されたるものなりと云ふ。
- 徑身長位の大大鼓四十八挺、鐘四十八挺を打ち鳴らしつゝ跳躍施廻す。殊に孟宗竹の大矢旗を背負ひ踊る様如何にも人間業とも思はれざる剛力を敵人に示すに充分なりしならん。
- 昔は待の踊りしもの後年、徳重村人に限り譲り與へ、義弘公の祭典に奉納せしものなりと云ふ。