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釉料いうれう他邦に類なく、天晴あつぱれ名誉の品なるを、惜しや画工に気慨なく、とんいつの精神なく、今日の成行なりゆきくちをしの思ひ、我れも多年の胸中にありし。不思議に心のがつするもおのづからの時機なるべし。づし給ふな」

と熱心に力を添ふれば、籟三感涙にまぶたぬれて、

「何分にも」

と生れて始ママめてのことば。辰雄そのは聞かず言はさず、「こと一切此処こゝにに此処に」と胸を打ちけり。

 かず隔だつることいくママ、三田の工事のかしましきとともだう画工の耳そばだつること沸き来たりぬ。如来寺によらいじ門前くさふかきところうづもれものゝ慷慨かうがい先生せんせい、三ねん無かず飛ばずのりやう、現はさんとする風説うわさ、立つや我れより高き人、くじきたきがこのともがらの常、いんやうに批評たくましくすれど、後ろだて確かなる身の、かへりては心可笑をかしく、静かにがきの筆を下ろしぬ、生地きぢもとよりちん寿官じゆくわんが精製の細璺陶さいふんたうらみは籟三かねての好み、三尺の細口ほそぐちにして、台付だいつき龍耳りうじ花瓶くわびんつひ百花ひやくくわこれより乱れ咲いて、さんたる金色きんしよくみるは幾月いくつきのち。心らいに先づすれば、人物景色けいしよく眼前に浮かんで、我しらず莞爾くわんじと笑む籟三。「王侯にんなんの物かは」、じん遠く身を離れて、凌風りやうふううんの仙に入る心地、覚えず明けぬ暮れぬ。


第六回


 恩に感じ行ひに服して、我れは神ともたつとぶ人の、彼れより心にかきはず、つれらるゝ事勿体もつたいなくうれしく、篠原といふ名知らず聞かずの最初そも、身にしみし一漸々やうに形づくりて、れゆく月日の深きほど、れんの胸、やみになりぬ。お蝶あくまで優しき姿、はぎ下露したつゆもろげに見えて、立てし心は現はさねど、思ひ込まばみづの中も、よしや命は仮の世と定めて、二つの道は踏まぬ気象、「我身せんの教へもなきに、君様きみさま世上に敬まはるゝお身。なるまじき願ひ」と我れをかりて、さていよ捨てがたく、染みし思ひのこれを友に、我身一生一人ひとりずみと、あはれの観念さすがにるぐは、折ふし耳にする世の評判。よしと言はれてよろこぶは格別、「何某なにがししやく最愛の娘、是非の人に」と申込みのうはさ、聞く胸なにかとゞろいて、おぼろ兄に問へば、「大丈夫」と笑つて退けられぬ。

 されど流石さすがに気になりてや、そのつぎのはれし時、籟三その事いひ出して、「まことか」と問へば、

虚言うそではなし。旧大名の幾万石とか、聞くばかりも耳うるさく、断り言ひしも五か六度。いまだに仲人なかうど殿どのむだ足に参らるゝ事可笑をかし」

とばかり、辰雄こゝろとゞめぬ様子。

「それは何故なにゆゑのお断り、君もまだ年若としわかの、これより独身にもゐられまじ。望み好みのあるは知らず、大方おほかたならばめられたがよからんに」

と、籟三こゝろあつて言へば、

「我れ独身にて終らんとも思はねど、華族のむこになる願ひなく、姫君様女房にようばうにしたくなし。かうはな茶の湯に規則どほりのようとゝのひて、お役目の学問少々ばかり、なんになる物でなし。世路せろ