Page:Hadaiusu(Kirishitan shiryō).pdf/21

提供:Wikisource
このページは検証済みです

なり。蓋し問に答處あり、答に問處あること常の法なり。智者之を笑こと勿れ。又左には問にかゝはらず、平生のことを書して夜話となすものなり。

或云、其以てする所を視、其由ふ所を觀、其安ずる所を察すれば、人焉ぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや〈一本ヤノ下トノ字アリ〉。孔子宣ふと聞く。然れば提宇子の伴天連、平生の受用如何かある。答て云く、惣じて寺と云ば何れも寺法なくて叶はず。寺法と云へば惡きこともなき物にてそろへば〈他ノ一本ソロヘバヲ候ヘドモニ作ル〉、提宇子の寺にも朝夕の勤行あつて、朝の勤をばシイサと云て經を讀む。又ヲスチヤとて、小麥の粉にて南蠻煎餅の如くなるものに、要文を唱ふれば、ゼスキリシトの眞肉となると云。又ぶ〈一本ブヲ葡ニ作ル〉萄の酒を銀盞につぎ、同く文を唱ふれば、ゼズキリシト〈他ノ一本トノ下ノノ字アリ〉眞血となると云て、彼煎餅を食ひ、而して右の酒を呑むつとめの候。小麥のせんべいがゼズキリシトの肉となり、蔔〈一本蔔ヲ葡ニ作ル〉萄の酒が血にへんずると云こと、人の信用に足ざること、又有難き行ひとも見〈一本見ノ下ズノ字アリ〉候。さて慢心は諸惡の根元、謙るは諸善の礎なれば、謙るを本とせよと人には勸むれども、性得の國の習ひか、彼等が高慢には天魔も及ぶべからず。此高まん故に、他の門派の伴天連と威勢爭ひにて喧嘩口論にをよぶこと、世俗もそこのけにて、見苦しきこと御推量の外と思召せ。餘りのことに天川にては確執にをよぶ。此七〈一本七ノ下八ノ字アリ〉箇年以前のこととやらん傳承る。バレンチイノカルワリヨと云ふ伴天連の總司、棒ちぎりを橫たへ、先をかけて他寺え押寄る上、イルマン同宿、我