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Page:Gunshoruiju27.djvu/147

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之イ。捉髮吐哺之誡。古賢之所重也。家中所物。各必先割十分之一以宛功德。沒後之事。豫爲格制慥令勤行。若不此事之時。妻子從僕多招事累。或乞乞人。或失失之物。非一家之害ノミニ。必招諸人謗。仍所得之物必以割置。始葬料于諸七追福之備。但淸貧之人。此事尤難。然ドモ用意スルト用意差別

以前雜事書記如右。予十分未其一端。然而常蒙先公之敎。又訪古賢。今粗知事要。依萬一之勤才智。已登崇班。爲吾後之者。熟此由。縱非トモ法必用意可公私之事


右九條殿遺誡以平戶侯珍藏本書寫以拾芥抄所載及百花庵宗固所挍本幷僧白玄梓行本挍合畢

澁柿

明惠上人傳

承久三年の大亂の時。栂尾の山中に京方の衆多く隱置たるよし聞えければ。秋田城助義景。此山に打入てさがしけり。狼藉のあまり。如何思ひけん。大將軍泰時朝臣の前にて沙汰有べしとて。上人をとらへ奉て先に追立て六波羅へ參けり。折節泰時朝臣。物沙汰して侍に座せられたり。軍勢堂上堂下に充滿せり。義景上人を先に立て。彼前へ至て事のよしを申。泰時朝臣先年六波羅に住せらるゝ時。此上人の御とくをイ聞及給しかば。先仰天して驚畏て。席を去て上にすへ奉る。此躰をみて義景あやまり仕出しけるにやと興醒たる躰也。さて上人宣ひけるは。高山寺に落人多く隱置たりといふ御沙汰の候なる。それはさぞ候らん。其故