コンテンツにスキップ

Page:Gunshoruiju18.djvu/605

提供:Wikisource
このページは校正済みです

さてもかやうのあだごとども書付侍事。かたはらいたく憚なきにしもあらず。然はあれども。此源氏物語の歌双帋の奧にことはりを一筆のせてとのぞみあるに任て筆をとり侍るつゐでに。都よりうつりかはりし身のありさま。寢覺のなぐさめぐさとも成ぬるをおぼえずしるし侍なるベし。いまは彼志にはあらず。丙丁童子に傳へ侍るべし。應永廿とせあまり五の年秋七月十八日これを書事しかなり。

 かく計なくさめ草の種よりはいかてさくらんもの思ひの花

イ 洛淸巖山科正徹卅八歲

 敷嶋をつたへてひさしかれ千代のしら菊松のよろつ代

  右なくさめ草扶桑拾葉集書寫依無類本不能挍合


伊勢紀行

權大僧都堯孝


永享五の年彌生中の七日。大神宮御參詣の事侍り。明らけき日のおほむ神。御たびのよそほひに光をそへ。のどかなる風のみや。御道すがらのちりひぢをはらはせおはしますにや。御進發の日より淸くうらゝか也。

 長閑なる御代にも高き神風は君か光りに立やそふらん

河原過侍りて。

 みそきして朝立袖にかけてけりかつ白河の浪のゆふして

逢坂こえ侍るに。去年の秋富士御覽の御ともに侍し事も思ひ出られて。

 此春も又こそむすへあふ坂や去年みし秋の關の淸水を

 惠ある代にあふ坂はみにこえて嬉き關のゆきゝ也けり

うち出のはまを。

 朝ほらけ日も打出の濱風に霞をこゆる春のさゝ波

松もとのあたりにて。

 名に立る千世の松もと待かひもありふる影に靡くとそみる

勢田のはし渡り侍るとて。