ひさに經てわか後の世をとへよ松跡忍ふへき人もなき身そ
とよめるによりて。此松ヲバ西行ガ松ト申也ト申スヲキヽテ。
契り置て西へ行ける跡にきてわれもおはりをまつの下風
寬元二年〈甲辰〉正月之比。當寺ノ童舞裝束被㆑調事幷會ノ日發願文事。同六月十五日夜、多度郡田所入道〈號㆓堀池入道隨佛㆒。〉夢想ニ云。御誕生所ノ石壇南邊ニ大ナル蓮花生タリ。莖ノ長六尺許。大衆合許。初ハ含テ漸開。其色其香美甚妙也。諸人集會シテ拜㆓‐見之㆒。隨佛作㆓奇特之想㆒。問云。是何ナル蓮花ゾ如㆑是大ニ妙ナル。人答曰。是ハ高野上人御房蓮花云々。合掌膽得シテ夢覺了。同八月之頃、淡路國ナル人ノ許ヘ修行者ノ便ニ文ツカハス狀ニ。此離山三年ニナリ。在國兩歲ニナル事。本山戀慕。羇旅艱難。定同心歟。抑其淡路嶋ハ。高野ノ大門マデチカ〴〵トミエ侍レバ。其國ニテモ南山ハサハ〳〵ト見侍ラム。浦山敷コトトテ。
君はなほみてやなくさむはなれぬるたかのの山の峯の白雲
サテモ又此居所ハ大師御誕生ノ座跡ナレバ。御建立ノ伽藍于㆑今少々現存。就中大師御眞筆ノ御影常ニ拜見。是愁之中ノ喜ナル由申テ。
よに出てゝみつからとむる影よりそ入にし月の形をも見る
以上兩首の返し。淡路。
高野山みねの白雲跡たえてむなしき空に雨そこほるゝ
入月もひかりや共にならふらむみつからとめし影にうつりて
寬元三年十月廿一日。出雲國配學圓房阿閣梨法性延自ザリ。已死門之命誓以㆓廿一日㆒爲㆓開眼之期㆒。是大師引接炳然興。同十二月十八日。自㆓本山㆒吿㆓‐遣之㆒。聞㆑之周章悶亂。悲泣哀慟。彼阿闍梨者自㆓少年㆒同學也。交如㆓芝蘭㆒。眤同㆓膠漆㆒。加㆑之受㆓傳法灌頂於先師法眼和上位㆒。旣爲㆓祕密血脉一門㆒。顯密因緣旁以深。離別哀傷豈以淺乎。仍自㆓同十九日㆒始㆓‐行阿彌陀護摩㆒五十ヶ日。泣資㆓彼菩提㆒。其後自行㆓念誦等㆒之