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 また、ハンセン病と診断されることは、絶対隔離絶滅政策の対象として位置付けられることであり、憲法一四条一項にいう「社会的身分」に当たるというべきであるから、ハンセン病と診断されたことによって隔離政策の対象とすることは、憲法一四条一項にも違反している。

 さらに、強制収容されるに当たって、事前の告知、弁解、防御の機会が全く与えられない点は、適正手続を保障した憲法三一条に違反する。

  (ロ) 優生政策

 断種・堕胎による優生政策は、憲法一三条の幸福追求権に含まれる子供を産み育てる権利を侵害するものであるところ、この権利の侵害は、どのような目的のものであっても許されない。

 なお、断種、堕胎を行うに当たり、患者から同意を得ていたとしても、絶対隔離絶滅政策の中で患者は同意せざるを得ない立場に置かれていたのであるから、実質的にはすべて強制されていたものと理解すべきであって、違法性がないとはいえない。

 また、右優生政策は、優生手術を受けた者の権利を侵害しただけではなく、すべての入所者を子供を産み育てることをあきらめざるを得ない立場に置いたという点で、すべての入所者に対する侵害行為というべきである。

  (ハ) 患者作業

 患者作業は、絶対隔離絶滅政策に組み込まれたものであり、すべての入所者は、その身体的条件により不可能でない限り、患者作業をせざるを得ない立場に置かれた。これは、憲法一八条が禁止するところの「意に反する苦役」ないし「奴隸的拘束」と評価すべきものであり、いかなる目的の下でも正当化される余地はない。

  (ニ) 恐怖宣伝

 無らい県運動は、ハンセン病に対する徹底的な恐怖宣伝となった。また、実際の収容に当たっても、専用列車による患者の輸送、伝染予防目的としては全く無意味な住居の消毒などによって、国民に対してハンセン病の伝染力を誇大に印象付けた。この方法は、戦後の第二次無らい県運動でも採用された。

 このようにして、ハンセン病及びハンセン病患者への嫌悪感をあおることは、公衆衛生目的を大きく逸脱するものであり、原告らすべてのハンセン病患者あるいは元患者の幸福追求権を侵害する違憲・違法な行為と評価されるべきである。

  2 昭和二八年以降の違憲性・違法性

 以下に述べるとおり日本でも昭和二六年段階でスルフォン剤の治療効果が確認されていたこと、占領終了後、入手できるようになった国際的知見などに照らせば、昭和二八年以降の絶対隔離絶滅政策の違憲性・違法性はさらに顕著であるというべきである。

 ㈠ プロミンなどスルフォン剤の治療効果

 日本では、昭和二二年に初めてプロミンの治療効果がらい学会において発表され、昭和二六年の第二四回日本らい学会では、プロミンの治療効果が正式に確認された。このプロミンの登場によって、ハンセン病は治る病気になり、患者の人権を侵害してまで隔離する必要性がないことが一層明らかになった以上、ハンセン病政策は、当然変更されるべきであった。にもかかわらず、被告は、絶対隔離絶滅政策を継続したばかりか、スルフォン剤を療養所に独占することによって、これを強化することに利用したのである。

 したがって、昭和二八年以降の政策の違法性は極めて高いというべきである。

 ㈡ 国際的な知見について

 国際的には、スルフォン剤登場以前から、その患者自身の人権と伝染予防の必要性を衡量して公衆衛生政策を進めるというのが一貫して認められてきた考え方であった。また、ハンセン病に関しても、あくまでも公衆衛生的観点から政策が立案されるべきであり、公衆の恐怖や偏見に基づいて政策が行われてはならないとされてきた。

 この考え方は、スルフォン剤の登場によって、隔離中心の予防対策から治療中心の予防対策への転換をもたらす。これを極めて象徴的に示しているのが、昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会報告である。この報告書は、「らい管理に関して政策を決定するのは、あくまで公衆の保健衛生の立場からであって、決して公衆の恐怖とか偏見から行われるのであってはならない」という原則を確認した上、「現代のらい治療は、患者の伝染性を効果的に減少せしめ、患者を非伝染性に変えてしまう。それ故にこのらい治療というものは、らい管理に現在最も有力な適した武器として好んで利用されているのである。治療は、初期の患者に行なったときに一層効果的である。このことはらい管理にあたって心に銘記しておくべきことである。」としている。

 このように、昭和二八年までの国際的知見、特にWHO第一回らい専門委員会報告に照らせば、日本のハンセン病政策が違憲・違法なものであったことは明らかである。

 ㈢ 結核予防対策との比較

 ハンセン病は、感染力、昭和二八年当時の蔓延状況、予後、治療法、予防法等、あらゆる観点からみて、結核よりも厳重な隔離を必要とする感染症ではなかった。しかしながら、昭和二六年に改正された結核予防法には、新法六条三項のような直接強制の規定はなく、入所命令の際には期間を定めることになっていた上、在宅の患者への指導及び外来治療の費用の援助が制度化されていたのであり、我が国においては、ハンセン病が結核よりもはるかに厳重な隔離政策の対象とされてきたのである。このことからも、我が国のハンセン病政策が、過剰な人権侵害をもたらすものであったことが明らかである。

  3 平成八年までの違憲性・違法性

 日本のハンセン病政策は、昭和二八年時点で既に極めて顕著な違憲性・違法性を帯びていたというべきであるが、同年以降も、この絶対隔離絶滅政策に対して、見直しを迫る国際会議の決議やWHOの報告は数多くなされており、これに従わない合理的な理由は一切見いだせない。にもかかわらず、絶対隔離絶滅政策は、平成八年の新法廃止まで変更されることなく継続されたのであり、この点が違憲・違法であることはいうまでもない。

 五 厚生大臣の故意・過失

 1 戦前における内務省の認識

 ㈠ 国際的な知見に関する認識

 内務省は、戦前から既に、ハンセン病の伝染力が微弱であり、無差別に終生隔離をすることが望ましくないことを認識していた。

 このことは、土肥慶蔵教授が出席した明治三〇年の第一回国際らい会議において、「らい菌の伝染力は極めて微弱であることが報告されていること (なお、第一回国際らい会議の決議は、帝国議会でも引用されて審議されている。)、光田健輔が出席した大正一二年の第三回国際らい会議において、日本のようにハンセン病の蔓延が甚だしくない国では、隔離の方法は、住所内分離をすれば済むことを示唆するのみで、施設を用いた強制隔離は一切推薦されておらず、しかも、住居内分離もなるべく承諾の上で実行するように推薦していること、昭和五年の国際連盟らい委員会では、「治療なくして、信頼しうる予防体系は存在しない」として、治療による予防という考え方を示した上で、隔離については伝染性の患者に限られることを明言し、「伝染性疾患の隔離は、らい予防の唯一無二の方法とみなすことはできない。」としていること、また、右委員会の報告に基づいて作成された「らい予防の原則」でも、隔離は極めて限定的になされるべきであり、感染性がある時期に限られるべきであるとされていることなどから、明らかである。

 ㈡ 我が国における知見

 右のような国際的な知見に対して、日本の医学的な知見が全くかけ離れていたわけではない。

 例えば、大正一二年一一月に行われたらい学会懇談会において、太田正雄医師が、「健康な人、栄養の善い人には仲々うつらない。」と発言したのに対し、内務省衛生局の高野六郎は、「隔離だけでは不可ぬという先ほどからの太田氏のご意見、或は将来のらい予防政策を変更しなければならないときが来るかもしれない」と述べている。

 また、医学博士青木大勇は、昭和五年の「癩の予防撲滅法に関する改善意見㈠」において、「伝染の難易・病毒の多少を顧慮せず、科学的研究の上に立脚しないで所謂一網打尽的に、苟も癩と診断せられたものは、すべてこれを強制的に隔離し而もこれを監禁本位に取り締まると云うことは全く時代後れの隔離法と云わなくてはならないのであって、悪く云えば非科学的とけなさねばならぬ」と論じている。

 また、昭和七年、九州療養所 (現菊池恵楓園) の河村正之は、第五回日本癩学会における講演で、「櫻根博士の実験によれば二五年間も再発せざりし例もあり、療養所内に於いても一〇年位病勢の停止せるは珍らしくない様である。斯く長年月に亘りて何等伝染の危険無きものを療養所内にとどめ置くは極めて無意義にして、我国の全患者の三分の一を収容し得るに過ぎざる現状としては不経済なることと云うべし」と論じている。

 また、昭和九年、北部保養院 (現松丘保養園) 院長中條資俊は、「癩伝染の径路について」において、「癩の伝染力が弱いことは医者のみならず世人も認めているところであると思われ、そのために未だに遺伝病と誤解しているものもある」、「家と家とが隣り合う程度では伝染が起こらない」、「癩の隔離は伝染力の微弱なるに鑑み厳格に失せざる様施設すべきである」と論じている。

 さらに、昭和一四年、東京大学伝染病研究所の日戸修一は、「癩と遺伝」において、「例えば生長した人間の大部分は、癩といかに密接に接近しやうと大概は未感染に終る。例へば癩療養所に於ける医師、看護婦は未だ曾て癩に罹患したことはなかったし、癩の家族或は夫婦についても癩に結婚後感染したと思はるやうな例は実に稀である。」と論じている。

 これに対し、ハンセン病の伝染の危険性を論じたものは、ほとんどが乳幼児に対する家庭内感染についてのものである。

 このように、我が国においても、医学の専門家の間では、ハンセン病の伝染性が微弱さママであり、絶対隔離絶滅政策が不要であることは、十分認識されていた。

 ㈢ 以上のとおりであって、戦前においても、内務省衛生局及び厚生省は、ハンセン病の伝染力が微弱であり、日本におけるような厳重な隔離政策に医学的な根拠がないことを十分に認識していたというべきである。

 2 昭和二二年から昭和二八年までにおける厚生大臣の故意・過失

 厚生大臣は、憲法が施行された昭和二二年の時点において、従来の政策が憲法に適合的なものであるか否かを検討しなければならず、憲法に適合しない絶対隔離絶滅政策を変更すべきであった。このころ、厚生省において、既にプロミン、プロミゾールといったスルフォン剤の治療効果が認識されていたことからすれば、このことは一層明らかである。

 ところが、厚生省は、前述のとおり戦前の絶対隔離絶滅政策を戦後においても継続したのである。

 したがって、厚生大臣は、絶対隔離絶滅政策が違憲・違法な政策であることを十分認識しながら、これを継続して遂行したのであり、故意に原告らハンセン病患者の人権を侵害したというべきである。

 3 昭和二八年時点における厚生大臣の故意・過失

 ㈠ スルフォン剤の効果の認識

 厚生省において、昭和二三年一一月の時点において、プロミン及びプロミゾールの治療効果は認識されていた。また、昭和二六年の日本らい学会においてプロミンの治療効果が正式に確認されたが、このことが厚生省にとって認識可能であったことはい