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土曜日


麓 花冷

 久しぶりに奥田がひょっこりやって来た時女医の渥美は十人余りの患者にレントゲンをかけてしまって、ほっとした気持でアンペアメー夕—の前に据えた椅子に腰を下ろしたまま、今日来た患者のカルテをもう一度ゆっくり見直したり、補足したりして居たところだったが、ものも云わずのっそり這入って来た奥田を一目見るなり、不吉な予感にはっとして眼を外らした。長い頭髪をぼさと乱し、首をがっくり垂れて突っ立っている彼の様子を正視するに耐えなかったからである。そして渥美は、外らした眼をカルテの「既往症」の欄へ空しく据えながら、(これは何か余程重大なことが起ったのだな) と思った。沢山の患者の中にはつまらないことでこんな様子をして見せて、偶々職員の同情を買おうとする者がないでもない。けれども彼がそんな芝居を打つような人間でないことを渥美はよく知っていた。

 奥田隆吉といえばこの療養所内でも屈指の努力家で、所内の政治方面にも文学方面にも三十足らずの若さで、その強い意志と才能とは相当に信望されていた。そして――所詮総てのものの生命とは苦闘の連鎖である。人間は生命をかけて闘うところに真の歓喜を得るのだ。――というのが彼の持論であり、そしてまた――癩病になった悲運をいつまでも歎いているのは愚の骨頂だ。まして今尚自殺を考えて藻搔き続けるなど