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Page:Bunmeigenryusosho1.djvu/51

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客屋へ至りて、ターヘルアナトミアとカスバリエスアナトミアといふ身體內景圖說の書二本を取り出し來り、望人あらばゆづるべしといふ者ありとて持歸り、翁に見せたり、もとより一字もよむ事はならざれども、臟腑骨節これまで見聞する所とは大に異にして、これ必ず實驗して圖說したるものと知り、何となく甚だ懇望に思へり、且つ吾家も從來阿蘭陀流の外科を唱ふる身なれば、せめて書筐の中にもそなへ置たきものと思へり、然れども其頃は家甚だ窶々しくして、これを求るに力及びがたかりしにより、我藩の太夫岡新左衞門といへる人のもとに持行き、しかの次第なれば、此蘭書求め度と吿たり、然れどもカの足らざるは是非なしと語りしかば、新左衞門聞き、それは求め置て用立つものか、用立つものならば、價は上より下し置るべき樣取計ふべしといへり、其時翁、それは必ずかふといふ目當迚はなけれども、是非ともに用立つものにして、御目に掛くべしと答へり、傍に小倉左衞門〈後靑野と改む、〉といふ男居たりしが、それは何卒調へ遣さるべし、杉田氏は是を空くする人にはあらずと助言したり、依之いと心易く、願も望の如く調ひ得たり、是れ翁の蘭書手に入りし始めなり、

○扨每々平賀源內などに出會し、時に語り合しは、逐々見聞する所和蘭實測究理の事共は、驚入りし事ばかり、若し直に彼國書を和解し見るならば、格別の利益を得る事は必せり、されども是まで其所に志を發する人のなきは口惜き事なり、何とぞ此道を開くの道はあるまじきや、迚も江戶抔にては及ぬ事なり、長崎の通詞に託して讀み分けさせ度事なり、一書にても其業成らば大なる國益とも成るべしと、只其及びがたきを嘆息せしは每度の事なりき、然れども空しくこれを慨嘆するのみにてありぬ、

○然るに此節不思議に、彼國解剖の書手に入りし事なれば、先其圖を實物に照し見たきと思ひしに、實に此學開くべきの時至りけるにや、此春其書の手に入りしは、不思議とも妙とも云んか、抑々頃は三月三日の夜と覺えたり、時の町奉行曲淵甲斐守殿の家士得能萬兵衞といふ男より、手紙もて知らせ越せしは、明日手醫師何某といへる者、千住骨ケ原にて腑分いたせるよしなり、御望あらば彼方へ罷り越れよかしと、