年を重ね給ひし事なれども、漸くゾン〈日〉、マーン〈月〉、ステルレ〈星〉、へーメル〈天〉、アールド〈地〉、メンス〈人〉、ダラーカ〈龍〉、テヰゲル〈虎〉、ブロイムボーム〈梅〉、バムブース〈竹〉、と云ふ位の名より、彼二十五字を書習ひ給へる事のみなり、然れども是ぞ江戶にて、阿蘭陀事學び初めし濫觴なりき、
○扨翁が友、豐前中津侯の醫官前野良澤といへるものあり、此人幼にして孤となり、其伯父淀侯の醫師宮田全澤といふ人に養れて成り立ちし男なり、此全澤博學の人なりしが、天性奇人にて、萬事其好む所常人に異なりしにより、其良澤を敎育せし所も又非常なりしとなり、其敎に、人といふ者は世に廢れんと思ふ藝能は、學置て末々までも絕へざる樣にし、當時人のすてはてゝせぬ事になりしをば、これを爲して世の爲に、後に其事の殘る樣にすべしと敎へられしよし、如何樣其敎に違はず、此良澤といへる男も、天然の奇士にてありしなり、專ら醫業を勵み、東洞の流信じて其業を勤め、遊藝にても世にすたりし
○然れども、其頃は常人の漫りに橫文字を取扱ふ事は遠慮せし事なり、すでに其頃本草家と呼れり後藤梨春といへる男、和蘭事の見聞せしを書集め、紅毛談という假名書の小册を著し開板せしに、其內に彼二十五文字を彫り入しを、何方よりか咎を受け、絕板となりたることもありしとぞ、
○また其のち、山形侯の醫師安富寄碩といふ者、麴町に住いたり、此男長崎に遊學し、彼地にて二十五文字を習ひ、且つ其文字にて、いろは四十七文字を綴り合