Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/803

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接して、兵革の事もまた絕ず、ベンガラ、サラアタ、インドスタント等、其屬國也、コストゴルモンテールといふは、其海港の名、番舶輻湊の地也といふ、〈ベンガラ、下に見えたり、サラアタ、漢譯いまだ詳ならず、或人錫蘭山卽此也といふ、心得られず、インドスタント、漢には應土私當イヌドスウタアン、また印度斯當インドスウタアンと譯す、コストゴルモンテールは、コストとは、こゝに海邊といふがごとし、以下は地名也といふ、漢譯未詳、〉

按ずるに、其說に、天下の宗とする所の敎法三つ、キリステヤン〈ヱイズスが法、我俗キリシタンといふ、此也、〉ヘイデン、〈またこれをゼンテイラとも稱すといふ也、〉マアゴメタン、これ也、そのマアゴメタンは、モゴルの敎にして、アフリカ地方、トルカもまた其敎を尊信すといふ、おもふに、これ漢に回回の敎といふもの、或は是也、〈或人說に、回回すなはちモウルといふ、心得られず、萬國坤輿圖を按ずるに、莫臥兒モヲル回回ウイ、其地相去る事遠くして、阿蘭陀鏤板の圖には、回回といふもの、つまびらかならず、〉

ベンガラ、〈ヲヽランドの語は、ベンカーラといふ、漢に榜曷剌バヌカラとも、旁曷臘バンカラとも、榜曷剌バヌカランとも、譯せり、〉古の東印度の地也、其地、各色布帛藥物等を出すといふ、〈卽今ヲヽランド人齊來りて賣る所の布帛に、此國の名に係れる物あり、これ其產する所、〉

インデヤ、〈漢に譯して、應帝亞イヌテイヤアといふ、〉西印度の地也、〈按ずるに、古の印度といふものは、五天竺の總名なり、今いふ所のインデヤは、古にありて、西天竺の地方なり、〉ゴアは其西海の地に在て、番舶輻湊の所也、ポルトガル人、其地に據りて、互市の事を管す、〈ゴア、漢に臥亞ヲヤアと譯す、我俗にゴワといふもの、卽此〉マルバル、チヤウル、サントメイ、皆是こゝに屬する折の地名にて、其俗モゴルに似たりといふ、〈マルバル、またはマラバアルともいふ、ゴアの南にあり、チヤウル、サントメイ等の地、各色布帛を出す、卽今、布帛の類、その地名に係れるものあり、はじめ、これらの所より來れるによれる也、チヤウル、サントメイ、漢譯いまだ詳ならず、〉

按ずるに、はじめ、ポルトガル人、ゴアの地に據りて、つゐに廣東海港の地を借りて、其人をわかち置て、海舶の事を管せしむ、本朝慶長元和の間、或は西域國總兵巡海務事と稱し、或は西域國奉行天川港知府事と稱じて、歲々に朝貢せし五和ゴワ天川アマカワの人といひしは、卽是ポルトガル人のこれらの地にありしものども也、〈五和は、卽ゴア也、天川は、卽阿媽港アマアカウ、番語マカヲといふもの、廣東の海口にある地名なり、〉

セイラン〈またセイロンとも、サイロンともいふ、漢に譯して錫狼島スイツランタウとも、錫蘭國とも、翠藍嶼ツイランヨとも、齊狼ツイランともいふもの、卽此也、〉インデヤ南海の中にあり、海に近き山麓に、佛足の跡猶存す、或は佛涅槃の地これ也といふ、其俗モゴルに同じくして、其地、眞珠、寶石、肉桂、檳榔、椰子等を產すといふ、