Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/799

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ものは、ひとり此國のみ也、

アンゲルア、〈アンゲリヤともいふ、イタリヤの語には、エンゲルタイラといひ、ヲヽランド人は、インゲラントといふ、漢には、ハアスチヤハラツヤアとも、または、アヌニイリヤアとも譯す、むかし我國にてインガラテイラとも、またゲレホロタンともいひ、俗にはイギリスといひしは、すなはちこれなり、〉ヱウロパ西北の海中に二大島あり、此國、幷にスコツテヤ、一島の地にわかれたつ、〈アンゲルアは、其南にあり〉其一島は、イベリニヤの國也、此國海中にあるによりて、其俗舟を操る事を善くして、また善く水戰に習へり、ヲヽランド人、海外に通ずる事を得しも、初、此國人、をしへみちびきしによりて、つゐに海路に熟せし也、此方諸國の賈舶、其水戰を善する事を、あひ畏れて、此國人を、號して、海賊とす、其君大に辱惡みて、國人みだりに外洋に出る事をゆるさず、また此國、もとより天主を尊信して、其敎を奉ず、近世に至て、其君、正妃を廢して、寵妾をたつ、天主の敎、もと他犯を以て大戒とす、此方敎化の主、其破戒の故によりて、此國と絕つ、其敎を奉ずる諸國も、またこれとたつ、ヲヽランド人を絕しも、また此時の事也といふ、

按ずるに、本朝慶長の五年、此國始てヲヽランド人と共に、我國に通ず、十八年の秋、はじめて貢聘す、明年にまた來れり、其後來る事未詳、延寶元年五月、我國漂流の人を送り來る、七月に至て、其國に歸れり、

慶長十八年癸丑八月四日、インカラテイラ國使來る其書蕃字、通事譯し云、おふぶりたんや國、ふらんす國、ゑらんだ國、三國の帝王に十一年以來なり候云々、其名の所に、大ぶりたんや國の王、居城はおしめしきせめし帝王れいきく、又譯云、いがらたいら、又は、げれぶろたんとも申候、いづれも國は一つ名は二つ有之、卽いぎりすへの返書つかはさると云々、九月一日の事也、〈校者云此の文は原書中卷の首に付紙となりてありしを今書込みてこゝに入れたり〉

スコツチヤ、〈ヲヽランドの語に、スコツトランドといひ、またシコツテアともいふ、漢に譯して、スーコツイヤアといふ、〉エウロパ西北海中にあり、アンゲルアと共に一島の地にわかれたつ、其國アンゲルアの北にあり、

イべリニヤ、〈ヲヽランドの語に、イヽルランドといふ、〉エウロパ西北海中にありて、アンゲルア、スコツテヤ等の國に相逼近し、

グルウンランデヤ、〈漢譯前に見えたり〉、此國の極南は、ヱウロパ