Page:樺太アイヌ叢話.pdf/60

提供:Wikisource
このページは検証済みです

臺守衞隊長外二人が來て免狀の有無を尋問した。早速團長東山梅尾氏の免狀より順に調べ終へて、夫れで宜しいから目的の地に到着せよと。同時に、カルサーコフの長官に本旅行券を提出し、更に長官の署印を求めらるべし、と親切に敎へて吳れたので皆も異人で有るが仲々物が判つてゐる、と感心した者もゐた。


二一、リヤトマリ、ナイチヤ(利屋泊と內砂)

 リヤトマリ及ナイチヤには往昔アイヌが住んで居た所で有る。此リヤトマリの地名を解すれば越年の澗と云ふ(入江)と云ふ意味、往昔のアイヌは冬期此處に越年し夏期は內沙に(ナイチヤの意味)即ち川邊の村にて漁するので有る。併して此處のアイヌも北海道に移住したので有る。此ナイチヤの有力者には領有後知來(西海岸)の元總代にて故苗澤久平氏で有る。

 露領當時は此附近に、北海道小樽の巨商にて岡田氏が漁業を經營して居た。

スヽヤ(鈴谷)

 スヽヤの解(スヽは柳)昔此所は柳の密林で有る處から命名したので有る。又此處の沖には冬期鰈いが澤山棲息してゐた。昔此處の土人は冬期氷に穴を穿ち(ヤス)魚を突く具を以て氷穴に集來するを見て之を