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漁の頭(親方)林氏は、佐々木平次郞氏より六助氏が仕込を受けたる鱒の鹽造に用ゆる食鹽が何百俵と納入し有る大倉庫の有つた、其倉庫の內の食鹽の中に隱したので有る。

 其內かの四棟の土人の內一人が頓智を利かし此際彼等露人を欺きて此處を退却せしむるにしかず、と恐る彼の隊長に向ひて曰、貴隊には此處で、ドン打つのも宜しいが此沖に碇舶して居る本船には大砲の備へ有り。若し沖より、發砲せらるゝ時には、貴公等も我々も迷惑するならん。何卒早く御立退きなされる方得策ならんと申し出た、隊長は暫し考へた樣で有つた。さらば本隊を退却すべし。と夫れより晝食して折りしも土人等が食用鱒を、(サツペと稱する鱒の裂て乾燥したる物)乾燥中であつたが、夫れを要求したから、少し彼等に與へたので有る。

 兎に角東海岸の土人は大抵、露語に精通の者が多い、今度の彼れ等露人を退却せしめた土人は元シヤンチヤアイヌ(落合の土人)で明治三十三年の頃、此の小田寒に轉居したので有る。

 彼は其翌日(本事件の急報に依り)落合より一大隊轟大尉の部隊に通譯として、著者の弟山邊淸之助と二人が同隊に隨行して、久春內方面に敵を追擊したので有る。然して話が後に戾るが彼の、露兵隊が此處を退去するや逃げた土人の婦女子は家に歸り坪澤六助氏の倉庫に隱れ居たる林氏も一命を助か