MIVILUDES2005年度報告書
翻訳責任 日仏文化協会 フランス政府公文書原文 http://www.ladocumentationfrancaise.fr/var/storage/rapports-publics/064000333.pdf
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MIVILUDES(セクト的逸脱行為各省庁間警戒対策本部)あるいはMILS(各省庁間セクト対策本部)[1]のどんな報告書も、未成年者のフォローアップに関する報告を免れることはない。しかし今年度、この点をさらに強化することが決まった。それにはさまざまな理由がある。
国家による警戒の必要性
最初の理由は、セクト的逸脱行為に対する警戒と対策に関して国家が行っている活動を正当化するためである。子供がセクト主義の影響下にある両親の支配下にあるとき、国家でなければ誰が子供を保護できるだろうか。子供が性的虐待を受けたり、虐待されたり、飢えさせられたりしているとき、司法でなければ誰が子供を救うことができるだろうか。また、子供が、知的に、身体的に、あるいは感情的に欠陥のある教育を受けているとき、その子供が自由な市民となりえることをどうして期待できるだろうか。さらに、どうすれば子供の自律性を守ることができるだろうか。その学習能力、そして子供であることの喜びを守ることができるだろうか。
ターゲットとなる子供
各省間対策本部が子供の置かれている状況に関心を寄せている第2の理由は、子供たちがしばしばセクト集団のターゲットとなっていることである。
子供はごく幼いときに、さらには、普遍的白色同胞団(F.B.U)が実践しているように、誕生前にさえ操られてしまいうる。この集団は、輪廻の全サイクルを貫いて続いて行く<大家族>の思想に価値を置く。「もしも不屈でありたいと思うなら、普遍的白色同胞団という不滅の頑強な要塞の外に出てはなりません」と、アイヴァノフ師は語っていた。子供たちは、胎児の精力とカルマを最適化してくれる、師という第二の父を持つ。このように師によって引き受けられることで、子供たちは医者や監獄なしに十全に人間となる。セクト集団においては常にそうであるように、未来は完璧だ。この精神の電気メッキ加工術は、「父母教育のための全国協会」(ANEP)によって推奨されている。幼児の誕生を監視している集団は他にもある。創価学会では、信者は信者同士で結婚する。これは、「広宣流布のために夫婦となる」と呼ばれている。それが意味しているのは、家庭の基本単位を、教義を流布させるための仲介とするということである。実際には、共同の祈りの実践(一日1時間から3時間)を除けば、夫婦が一緒に過ごす時間はほとんどない。子供は両親の関心の中心にはない。なぜなら、祈りの時間と集会のせいで、大人たちにはほとんど時間が残されていないからだ。子供から不平を口にされたときは、次のように言いきかせるよう命じられている。「君のお母さんは毎日他人たちのために。そして社会のために働いているのです。〔…〕子供たち、君たちのお母さんは君たちを愛しています。だからこそ、お母さんは毎日さまざまな活動をしているのです[2]」。
- 両親への愛着は否定的で利己的な態度となる。
活動団体の創設者である池田にとって[3]、「理想は子供が私たちの組織を深く愛するように育てることです。このような精神を持てば、子供はすばらしく成長するでしょう」。創価学会は若者たちの集団をいくつも作った。なぜなら、「若者には未来を作る力があるからです。当然ながら、このような能力の根源的な源泉は私たちの信仰と神秘的な法そのもののなかにあります。〔…〕若いときに自らの身体と精神を鍛えない者は、多くの場合、人生の最後に自らの決意や理想が破壊されるのを目の当たりにすることでしょう。結局、あらゆる領域において彼の人生が失敗となってしまうことも少なくはないのです。〔…〕私が心から願い、祈っていることは、あなたたちが人生を慈しみ、「御本尊」に対する強い信仰を持ち、信仰の道と「広宣流布」の道から決して外れないということです[4]」。
[1] MIVILUDES〔セクト的逸脱行為各省庁間警戒対策本部〕の前身である、1998年10月から2002年11月まで存在した各省間セクト対策本部(MILS)。
[2] 池田大作『第三の千年』、1999年。
[3] 同上
[4] 池田会長の若者指導要綱、『デイリー・ガイダンス』第3号。
教祖としての全知によって、幼児の食養生のために魔法のレシピを発明する者たちもいる。ロン・ハバードの才能の数々はすでに良く知られている。彼はまた幼児期の専門化でもある。彼は授乳や母乳と同じ成分のミルクを拒絶し、生後2日目から3歳までプロテインの「サプリ」を奨励する。哺乳瓶に入れられるのは大麦湯、低温殺菌で処理した牛乳、そしてシュガーシロップである[1]。
「サハジャヨガ」集団の創始者であるシュリマタジの発言もまた教化的である。「誰でも子供を作ることはできます。犬だって子供を作ることができます。〔…〕それゆえ子供を作ることは特別なことではないのです。あなた方がしなければならないのは、あなた方には子供がいて、子供に対して責任があるということ、そしてただあなたの子供だけでなく、サハジャヨガ行者の「すべての」子供とたちにも同様に責任があるということを確認することです。〔…〕反対に、「私の子供たち」と言ったところで、何の役にも立ちません。そのせいであなた方は「完全に」束縛されてしまうでしょう。〔…〕初めにあなたたちは家族を放棄し、子供を放棄し、全てを放棄して、この極致に辿り着いたのです。今や、あなたたちはそこに立ち返るのです。〔…〕私たちにわかっていることは、私たちの関係や社会的身分は完全に放棄されなければならないということです[2]」。「最初の5年間は、全ての親たちが子供に対して極めて厳格でなければなりません。〔…〕もし子供があなたたちと馴れ馴れしくしようとするようなことがあったり、無礼で言うことを聞かないようなことがあったりしたら、誰かほかのサハジャヨガ行者にあずけてしまいなさい[3]」。「その場合、子供を別の女性にあずけてしまいなさい。そうすれば別の女性が子供の世話をすることになります。そして子供はあなたたちのものではなく、みんなのものとなるのです[4]」。「あなたたちは、子供が単なる預かりものとして、子供を託された者として、自分たちの使命を果たさなければなりません。しかし、あなたたちは子供に愛着を抱いてはなりません。それは私の仕事です。子供は私に任せなければなりません。〔…〕子供たちはあなたたちのものではなく、私のものなのです[5]」。こうした発言から、なぜ幼児を両親から遠く離れたところにあるサハジャヨガのアシュラムに行かせなければならないのかがおそらく理解されるだろう。ベルギーでは一人の祖母が告訴した。彼女の二人の孫がサハジャヨガの学校に入れられてしまったのだ。5歳の少年はチェコに行かされ、7歳の少女はインドのダラムサラの学校に行かされた。原告の弁護士は「子供たちが危険な状況に置かれていることと、就学の義務が守られていないこと[6]」を告発している。パリ周辺では、2004年に、1年半前からフランスに住んでいるスイス人夫婦の4歳の女の子が、3ヶ月の滞在のためにチェコに送られた。当初は、イタリアにあるアシュラムに行くはずだったのだが、イタリア当局は許可しなかった。彼女が就学していたインターナショナル・スクールの校長が、イタリア検事正に通報したのだ。ナントでは、4歳の女の子が2003年にローマへ旅立った。母親は当時出産休暇中の教師で、インドのサハジャヨガのアシュラムで出会ったインド人男性と結婚していた。少女は1月半後にフランスに戻ってきたが、彼女がインドに旅立つことは変わらず計画中である。こうした事態は、フランスを離れ、国際協定に調印していない国へと向かう子供たちという問題を引き起こすのである。
明らかに、子供はセクトの指導者たちの関心の中心にある。子供はセクト集団の未来であり、その発展を潜在的に支えるものだ。子供は影響されやすく、無防備であるがゆえに、型にはめ込むことが可能だと考えられている。容易く子供を搾取することも可能だろう。「君たちを幸福な奴隷にしてあげよう」とロン・ハバードは述べている。
[1] 「健康な幼児」、L・ロン・ハバード『聴衆』第6号。 [2] 1984年6月22日、ロンドンにて。 [3] 1984年ハウンズロウにて。 [4] 1986年ウィーンにて。 [5] 1984年5月6日、メニエール=アン=ブレ城にて。 [6] 『ル・ソワール』紙、2005年1月4日。
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