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霜の花

提供:Wikisource


霜の花

――精神病棟日誌


東條耿一


士官候補生


 精神病棟の裏は一面の竹林になっている。日暮にはこの竹林に何百羽という雀が群がり集うて、さながら一揆でも始めたような騒ぎ様を呈す。

 士官候補生殿はこの光景を眺めるのが何より好きであった。日暮れにはきまって松葉杖を突き、非常口の扉に凭れるようにして佇んでいられる。片足を痛めているので、その足は折畳式のように屈めて片方の大腿部に吸い付け、上半身を稍乗出すように、首をさしのべて佇っている姿は、まるで汀に佇む鶴のようである。しかし、それにしては何と顔色の悪い、尾羽打ち枯らした鶴であろう。頭には殆ど一本の毛髪も見られず、潰瘍しきった顔の皮膚はところどころ糸で結んだように引ッ攣れている。そのうえ恐しく白いのである。その白さも只の白さではなく、何となく不気味な、蒼白を超えた一種異様な白さなのである。その白色の中に、陥落した鼻孔と、たるんだ唇、大きなどんよりとした二つの眼がそれぞれの位置を占めている。手足が不自由なので動作もひどく鈍い。たいてい特別室に閉じ籠ったきりで明り窓から凝っと空を見ている。明り窓からは竹の葉のそよぐ様や、移り行く雲の片影ぐらいしか見えないのだが、候補生殿は殆ど身動きもせず、それらの小部分の光景に見惚れておられる。彼が特別室の外へ出るのは、日暮れになって雀の立騒ぐ様を眺める時だけで、その時はコトンコトンと松葉杖の音をさせながら、幽霊のような姿を非常口へ運んで行く。幽霊のようなと私は云ったが、まったく候補生殿の姿は輪廓ママがおぼろげで、特別室の入口に、それも真夜中に、しょんぼり佇んでいる彼の姿を、厠へ立ちながら何気なく眼にした時など、真実亡霊のように思われてぞーんと寒気立つことがある。

 候補生殿は殆ど口をきくこともなく、終日、むっつりと押し黙っていられるが、時にどうかすると、気を付けぇーという凄じい号令が特別室の中から聞えて来ることがある。続いて、

 長上ノ命令ハ其事ノ如何ヲ問ハズ直チニコレニ服従シ抗抵干犯ノ所為アルべカラザル事。

と、軍人読法を一ケ条ずつはきはきした口調で読み上げる。それが済むと、何かぼそぼそと相手の者に説明しているような声が聞えて来る。私も最初のうちは候補生殿の室に誰か他室の者でも来ているのだろうかと思って覗きに行ったが、彼の他には誰も居ないのだ。候補生殿只一人、便所の入口に不動の姿勢を取り、あれこれと説諭し、命令していられるのである。松葉杖を放り出し、足の悪い彼がおごそかに佇ちつくしている姿は、滑楮というよりもむしろ憐れである。

 私はある時こんな場面を見た。それは私が附添夫になってまだ間もない頃の事で、その日は特にぎらぎらと眩らむほどの暑い日であった。ふと、昼寝から醒めてみると、というより本当は醒まされたのであるが、どっし、どっしと歩調を整えた足音が長い廊下を行ったり来たりしている。その足音は隣室の前から非常口の方に遠のき、再び響きを立ててこちらに帰って来るのだ。誰もがぐんなりと疲れて声も立て得ないこの日中に、一体何であろうと思って、私はそっと立って行って廊下を覗いて見た。そして、瞬間、云い様もない佗しい気持にさせられた。それは蔵さんという白痴の小男が、汗をだらだら流しながら、箒を銃替りに担い軍靴ならぬ厚ぼったい繃帯の足をどしんと板の間へぶちつける様にして歩いているのだ。しかも繃帯には血が滲んで、それが一足毎に赤黒い汚点を廊下へ印して行くのだ。それだけならまだしも、非常口の所には肌ぬぎになった候補生殿が、いかめしく直立して監視していられる。それも松葉杖を指揮刀がわりに構えて、今や調練のさ中といった恰好なのである。私が呆気に取られて見ていると、やがてのことに、候補生殿は、全隊止まれぇー、と大喝して持っていた松葉杖を振った。とたんにこちらに向って進軍して来た蔵さんは、候補生殿の前にピッタリ止まって挙手の礼をした。候補生殿はおもむろに礼を返して、而して真面目な面持で、御苦労であったと声を落して云った。

 私は彼が死ぬまで、彼が本当に士官候補生なのかどうかはもちろん知る由もなかったが、同僚の話では、軍隊から直接この病院に送られて来たのだという。癩院生活二十年というから、現在の彼の病状から見ると、病勢の進行はまあ普通であったと云えよう。入院して二年目あたりから幾分精神に異状を来し始めたらしいという。その頃の事情は審らかではないが、一時は相当錯乱の程度も激しかったようで、特別室に放り込まれると、その夜、いきなり、電球に飛付いて笠を叩き割り、その破片で左腕の動脈を切断してしまったという。手当の早かったのと治療の宜しきを得て、どうやら生命は取止めたが、爾来、体の調子がはかばかしくなく、あまつさえ病の方も癒えぬままに、精神病棟の候補生殿で暮して来たのであるという。動脈をどうして切る気になったのか?と気の鎮まった時に医者が訊ねると、動脈を切れという上官の命令があったからだと彼は答えた。その時上官はお前の面前に居たのか?と重ねて訊ねると、いや無電が掛って来たのだと答えたそうである。彼の動脈切断後、特別室の電燈は高い天井板にじかに点されるようになった。

 ある日。候補生殿の食事を運んで行くと、附添さん、と彼は哀れげな声で私を呼んだ。同僚の附添夫の一人が急性結節で急に寝込んだので、候補生殿の世話は臨時に私が受持っていた。彼の招くままに私は候補生殿の傍らに跼んで何の用かと訊ねた。彼はひどく悲しげな面持で暫く私の顔を凝視めていたが、実は私は気狂いでも何でもないと言い出した。

「私は気なんぞ狂ってはいない。みんなが寄ってたかって私を気狂い扱いにして、こんな所へ放り込んでしまったのだ。それを思うと私は腹が立ってならぬ。私は立派な帝国の軍人なのだ。歩兵士官なのだ。だのに先生 (医者) 始め患者めまで、立派な軍人に対して侮辱を与えるのだ。私はもうこんなところにはいられない。郷里へ帰るのだ。郷里には母が居る。私が帰れば母は喜んで私の世話をしてくれる。――あれが私の母です。そしてこちらが私の若い頃のものです。どちらも二十年前に撮ったものです……。」

 そこで候補生殿は傍らの古びた蜜柑箱を伏せて台となし、その上に飾ってある二葉の写真を示した。それは何時も只一つの彼の荷物、古風な信玄袋と共に同じ場所に飾ってあるものであった。私は別に興味もおぼえなかったので、まだしみじみとその写真を見たことはなかった。母というのは五十近い上品な感じの婦人で、何かの鉢の木を傍らにして撮っている。それに隣り合って並んでいる一葉は、恐らく士官学校卒業の時、記念に撮ったものでもあろうか、候補生の軍服を着用し、軍刀を握っている姿はなかなか凜然としている。しかし、眉の濃い苦みばしった男振りは、今の彼の何処を探しても見当らない。私は癩者の変貌の激しさに愕ろくよりも、現在の彼と写真の主とが同一人であるとは何としても受取り得なかった。私はしみじみと候補生殿の姿を眺めていた。

 そこで、実は、あなたにお願いがあるのです。と彼は相変らず悲しげな調子で私に云った。

「私は明日にも郷里へ帰ろうと思います。で、あなた私を連れて行って下さいませんか? 荷車とあなたを借り受ける交渉は私がします。あなたさえ承知してくれたら、只今から院長に直接会って掛合います。お願いです。廃兵の私を哀れと思ってどうぞ郷里へ送り届けて下さい。この通りお願いします……。」

 彼は涙を流しながら、私の前に両手をつかえて頼むのである。その様子はまんざらの狂人とも思えぬほど、虔しく、物静かな態度である。私はどう答えてよいやら返答に困って、ただ凝っと聞いていた。私が黙っているので、彼は益々熱心に連れて行ってくれと云ってきかなかった。

「で、あなたの郷里というのは何処ですか。」

 愈々返答に窮したので私は仕方なくそう訊ねてみた。すると、彼は急に瞳を輝かせて欣しそうに涙を拭きながら答えた。

「山梨です。」

「山梨?」と鸚鵡返しに云ったまま私は暫し啞然としていた。充分彼の心情は掬すべきであったけれど、山梨までこの男を荷車に乗せて曳いて行く。そう思っただけで私は何か慄ッと寒気立つのをおぼえ、とにかく私一人の考えでは答えられぬからと云って、尚おママも取縋ってくる彼を払い除けるようにして、ひとまず候補生殿の室を引上げてきた。早速、同僚達を召集してこの話をすると、彼等はくす笑いながら、君はまだいい所があるよ、あれは奴のおはこなんだよ、と云って一笑に附してしまった。

 私もそれで思わずほっとしたが、候補生殿の様子が余り真剣だったので、この儘素知らぬふりですごすのは何となく悪い様な気がした。恐らく彼は私にした様に涙を流しながらどの附添夫にも頼み込んだのであろう。そして誰からも相手にされなかったのであろう。偶々新米の私を見て、何度目からの熱誠溢れる郷里行の懇願を始めたのであったろう。そして私からも他の附添同様色よい返事を聞かれなかったわけなのだ。しかし、彼は新しい附添夫の来る毎に、切々たる荷車行の心情を変ることなく吐露するに違いない。何故なら、それは彼の最も哀れな病の一部であるから。

 その後、候補生殿は二度と私に物を云わなかった。

 その年の冬。ある寒気の厳しい真夜に、彼は特別室の畳に腹匍ったまま眠った様に死んでいた。彼の只一つの荷物、色褪せた信玄袋には汚れた繃帯が半ば腐りかけてぎっしり詰っていた。そして、それらの中にくるまって、彼の唯一の身許証明書、軍隊手帖がでてきた。それには「軍法第二十六條ニ依リ兵役免除云々」の文字があり、明らかに陸軍歩兵士官候補生と記されてあった。

 因みに彼が特別室に入っていたのは、本人の意志に依るものであった。彼くらいの病状では、当病棟は普通静養室を用いている。


真理屋さん


 真理屋さんはあるくれがた多勢の舎の者に送られて賑やかな精神病棟入りをした。私が彼を受持つことになっていたので、取敢えず玄関まで迎えに出た。そして、成程、これは真埋屋に違いないと思わず微苦笑させられた。布団や荷物を抱えた舎の者の背後に、院支給の棒縞の単衣を着た背のひょろ長い男が、どす黒い手足を振りまわしてからから笑っている。しかも、その顔には、半紙大の厚紙一ぱいに墨痕も鮮やか「真理」と書きなぐった四角な面を附けているのだ。それには普通のお面のように目、鼻、口などがちゃんとくりぬいてある。御当人はその真理の面を越後獅子かなんぞのように面白お可笑く振っているのだ。彼は寝る間もそれを附けて離さないのだという。

「私の別荘はどちらですかねえ……」と彼はひどく間のびた調子で云いながら、長い廊下をひょこと私の背ろに従いて来る。

「君の別荘はそら此処だよ。」

 と私がろ号特別室の扉を開いて招じ入れると、彼は如何にも嬉しそうにぴょこんと一つ私に頭を下げてから室内に飛込み、そうしてきょろきょろと四辺を眺めまわしている。

「いやあ、これはいい別荘だ。豊臣秀吉だってこんないい別荘には住んでいなかった。いやあ、これは素晴しい。附添さん、どうも有難うございます。有難うございます。」

 さも嬉しそうに小躍りして手を打ち叩き、けらけらと笑いやまない。「真理」の面を附けているので、彼がどんな容貌の男なのか判らない。

 同室者の話では、発狂前は非常におとなしい内気な男で、作業は構内清掃に従事していた。体も小まめによく動き、部屋の雑事、拭き掃除から食器磨きに至るまで殆ど一人で担当していた。それに親切で病人の面倒もよかったので、舎中の者から尊敬されていたという。読書が好きで、仕事の傍ら寸暇も惜しむようにして勉強していた。殊に哲学書を耽読し、発狂前の二三ヶ月は文字通り寝食を忘れて勉学瞑想した。ために一時は健康を害ねたほどであった。同室者達が見かねて、そんなに夢中になって勉強しては体に障るからと注意したが、癩者の生命は短かママい。その短かい間に永遠の真理を発見せねばならんので、私はとても無理せずにはいられない、と答えて相変らず哲学書に耽溺していた。すると、ある夜のこと、ああ真理は去った……といとも悲しげに呟きながら、ふらふらと戸外へ出て行くので、何か間違いがあってはと部屋のものが案じてそっと後を尾けて行った。彼は沈思黙考、躁踉として林の中を逍遙していたが、やがて帯を解いて首をくくろうとした。尾けて来た男は喫驚して押し留め、無理矢理彼を連れ帰ったので幸いその場は事無きを得た。しかし、それ以来彼の頭脳は変調を来し、真理真理と大声に喚き叫びながらけらけらと笑いこける。今まで戯談一つ云えなかったものが、油紙に火の付いたようべらべらと喋り立てる。飯を喰うにも真理と云い、虫一匹見ても真理だと叫んで喜ぶ。果ては厠の壁といわず、室の戸障子、または自分の持物から同室の者の衣類に至るまで真理、大真理と書きなぐるようになり、自分では胸と背に太文字で真理と大書した着物を着していた。そのうちに到頭真理の面までつくってしまった。真理の探求者は、斯くしてついに憐れな真理 (心理) 病患者になってしまったのである。彼を特別室に収容したのは静養室が満員のためであった。

 翌朝、彼が当箱を借りに来たので、どうするのかと私は訊いてみた。当箱をどうするとは自分ながらお可笑な質問であるが、相手が相手だけにそう訊ねてみたのだ。すると、彼は面の中で笑いながら手紙を書くのですと答えた。

「手紙? 君、自分で書けるのか。」

「え、書けますよ。」

「何処へ出すのだ。郷里かい? 僕が書いてやろうか。」

「いいですよ、附添さんに書いて貰っては申訳がないです。それに親書ですからね。私、カントの所へ出すのです。」

「え? カント。」私は思わずびっくりして訊ね返した。

「いけませんかね。それともショウペンファママエルにしましょうか……」

 そう云って四角な面を私に真面に向けて例のけらけら笑いをするのである。こいつ気の毒に大分よく狂っているなと私は少々憐れに思った。彼は昨日からずっと面を取らないのだ。同室者の言もあるので、私は昨夜試みに夜中に起きて、覗き窓からそっと彼の寝姿を覗いて見た。彼は室の中央に、荒木綿の布団を跳ねのけ、全身変色した不気味な体を投出すようにして睡ていたが、しかし、真理の面はしっかと顔に附けていた。その寝姿は何のことはない、首無しの変死人のような恰好に見えた。しかし、この面も、食事の時には取るのだろうと私は密かに思っていた。が、今朝になって、朝食中の彼を見たが、以前として彼の面には真理の文字が輝いているのだ。彼は面を附けたまま、くりぬいた口の中に食物を放り込んでいるのである。これには流石に私も呆れて、しばし啞然と見惚れていた。

 暫くして、彼は封筒を貼るのだからと云って糊を貰いに来た。さてはカント宛の手紙が書上ったんだなと思い、二時間ほどしてから、私は彼の室に行ってみた。そして、扉を開くなり、私は思わず眼を瞠り、ほうと嘆声を洩らさずにはいられなかった。室内の羽目板一面に、それは恰も碁盤の目のように整然と「真理」の文字が貼られてあるのだ。それは塵紙にひとつひとつ丹念に書いたものである。御当人は室の真ん中に端坐してそれらの文字に眺め入っていたが、私を見ると、よく来てくれました、さあお這入り下さいと頻りに招じ入れるのである。

「カントへの手紙はどうしたね?」と訊ねると、

「はははは……手紙ですか。止めました。お手紙するより、直接、カントさんに会ってお話した方がいいようですよ。」

 そう云って彼は嬉しそうに書き連ねた真理の文字に見入るのであった。

 その日は午後から院長の廻診があった。彼の室には真理の文字が更に何十枚か殖えていた。支給された塵紙全部をそれに充ててしまったのである。院長が大勢の医者や看護婦を従えて来た時にも、彼は手足を墨で真黒に染めながら、頻りに真理の浄書に余念もなかった。

「M・K……どんな男だったかね。」

 院長は彼の姿を見てから私に尋ねた。私はまだ顔を見ていない旨を答えた。どんな男なのか名前だけでは測りがたかった。それで愈々彼の真理の面を剝ぐことになった。が、いざ私が近づいて面に手を掛けようとすると、彼は急に獣のような奇声を上げ、怖しい力でそれを拒んだ。再度私が同じ行動を繰返すと、彼は片隅に蹲ってきいきいと悲鳴を上げるのである。いい、いい、と云って院長は私を制し、

「どうだ、真理を発見したかな……。」

 と彼の方へ明るく笑いかけた。すると、彼はくるりと向き直ってぺこんと頭を下げ、憑かれたように叫び出した。

「真理ですか。真理と云いますと……あっ、そうですか、真理、真理、いやあ、真理ほど良いものはありませんね。」

 そうして昂然と胸を張り、面を揺すって何時までも笑うのであった。


 あるくれがたのことである。

 私は北側の非常口に腰を下ろして、夕食後の憩いを撮ママりながら出鳕目の歌など口吟んでいた。――この非常口は、士官候補生殿が生前よく竹藪の雀を眺めていたところである。今も雀達が潮騒のような羽音を撒いて藪一ぱいに群がっている。

 私は暫らくいい気持で歌っていた。と、突然、ろ号特別室の扉がばたんと慌しく開いて、

「あッ、似ている、似ている、あの人だッ」

 と頓狂な声が泳ぐようにこちらへ近づいて来た。まったく不意打ちだったので、私は思わずぎょっとして腰を浮かせた。

「あッ、あッ、似ている、似ている、やっぱりそうだ。……」

 真理の面を不気味にぬっと突き出して、私の顔をしげしげと眺めるのである。

「何が似ているんだ。びっくりするじゃないか。」私は漸く落着を取戻して叱るように云った。

「似ているんですよ。あなたはベートママヴェンに似ているんです。いや、ベートヴェンだ。ね、お願いです、お願いです、ベートヴェンになって下さい。ベートヴェンだとおっしゃって下さい……。」

 彼は私のまえに跪ずき、両手を合せて、伏し拝む真似をする。私が黙っていると、彼はおろおろ声で頻りに嘆願するのである。

「じゃあ、私がベートヴェンになればいいのかい?」

 私はついお可笑しくなって笑い出しながらそう訊いてみた。

「ええ、そうです、そうです。あなたはベートヴェンです。間違いなくそうなんです。それで、私が、ベートヴェンさんと呼びましたら、どうぞ『ハイ』と返事をして下さい。お願いします。どうぞこの願いを聞き届けて下さい。」

 彼は熱心にそう云って頭をぺこぺこと下げるのである。そんな御用ならいと容易いことなので私は直ぐ承諾した。すると、彼は、あッあッと叫んで手を打ち、飛上って、恐ろしく喜ぶのである。

「有難い、有難い。ベートヴェンさんが私の願いを聞入れて下さった。ああ嬉しい……」

 大仰な歓喜の身ぶりを示し、そうして、ベートヴェンさんと改めて私を呼んだ。私は到頭楽聖にされたのかと苦笑しながら、ハイと元気よく答えてやった。

「あッ、返事をしてくれましたね。ああ、こりゃ堪らん。ベートヴェンさんは返事をしてくれた……。」

 彼は私の手を取らんばかりにして、再度私の顔をまじまじと凝視めるのである。軒看板のような目前の真理の面を眺めながら、私は、不図、寒々しいものを身内におぼえた。

 不思議なことに、その翌日から、彼は真理の面を附けなかった。取去るのをあれほど嫌って、執拗に長い間掛け続けていた面を、どうして急に彼がかなぐりすてるようになったのか、私は理解に苦しんだ。彼の顔はその肉体と同様、潰瘍し切ったどす黒い色を呈していた。眉毛も頭髪も殆ど脱落していて、私の一向見知らぬ男であった。


 これもある白昼の事件である。

 その日は特に暑さがきびしかった。じっとしていてもだらだらと汗が流れやまない。

 私は廊下に出て昼食の塩魚を焼いていた。焼きながら窓越しに裏庭の風景を慢然と眺めていた。たださえママ暑いところへ炭火の熱気に煽られて、胸といわず背中といわず汗が淋漓と小止みもなく流れた。と、その時、まったく不意に、背後から音もなく私に組付いて来た者がある。私はびっくりして思わずわッと叫びを上げ、不意を衝かれてたじたじと後ろに踉めいた。途端に、そのまま折重って堂と倒れた。そして、仰向けになった私の体の下で真理屋の彼がゲラゲラ笑っているのだ。私はカッと怒りが湧いた。

「バカッ、離せ、何をするんだ。」

 しかし、彼は下敷になったまま両手を私の腹に廻し、しっかと抱き付いていて離さない。彼も裸なので、汗みどろの肌同志がぬらりぬらりと粘着して気分の悪いこと一通りではない。漸く彼の手足を振りほどいた時には、魚は真黒に焦げていた。

「バカッ君はどうしてこんな真似をするんだ。」

 私は体の汗を拭いながら彼をきめつけた。すると、彼はにやにやしながら、私の前に葡萄色した頭を突き出した。

「ベートヴェンさん、さあ私を擲って下さい。蹴りつけて下さい。あなたにそうして戴けますと、私は本当に嬉しいのです。さあ思いきり擲って下さい。あなたは私の恋人です。私の大好きなベートヴェンさん……。」

 私は苦々しく顔を顰めたまま黙って部屋へ這入ってしまった。この男ばかりはどうも本気になって怒れない。張合がないのである、私が擲るぞと睨みつけても、彼は笑いながら頭を突き出し、どうぞ存分に擲って下さいという。お前みたいな奴は監禁してしまって、一歩も外へ出さないぞと大きな鍵を出してじゃらじゃらさせて見せても、彼は頭をぺこぺこ下げながら光栄ですと答え、自分から特別室の扉を閉ざしてママなしく待っている仕末なのだ。ある時、本当に監禁してしまうと、彼は室内を小踊りして廻り、ベートヴェンさん、私の好きなベートヴェンさんと呼び立てていっそううるさい。

 彼が私に対して、斯のような抱きつくていの素振りを示したのはこれが始ママめてではない。何かにつけてそれとなく私の体に触れてみたいらしいのである。始めのうちは私もそれに気付かなかったが、彼の不作法な、一種の変態性慾者的行為が度重なるにつれ、それは彼が故意にしているのであることを私は知った。一度こんな事があった。ある朝、私がまだよく睡っているうちに彼がこっそり入って来た。そして、いきなり、私の被っていた掛布団を足許からばっと取除けた。そうしてその布団をそのまま抱え込んで、寝巻一つで愕いて飛起た私の姿を見て絶間もなく笑いこけるのである。私も流石に腹を立てて、お前みたいな奴は水風呂へ叩き込んでやると怒鳴りつけて彼の手首を捉えた。勿論、脅しの積りだった。が彼は悄気返るどころか有難うございます有難うございますと礼を述べ、いそいそと自分から先に立って湯殿へ行くのである。これには私も呆れ果てて、腹を立てた自分がお可笑しくもあるやら面映ゆくもあった。その時、彼は同僚の附添夫の一人に私についてこんなことを云ったそうである。

「あの人は女じゃないですか。体のつくりや動作はどう見ても女ですよ。私はあの人がめっぽう好きなんです。あの人になら殺されても惜しくはありません。ああ、私のベートヴェンさん……。」

 彼は私に対して次第に特別な科や性癖を示すようになった。彼は他の附添夫の云う事は一切聞き入れなかった。しかし、それがひとたび私の唇から出た言葉であると、彼は欣んでどのような事でも聞分けた。二ケ月もすると、彼は明けても暮れても最早や私なしではすごせないほどの、執拗な、奇好な愛情を現し始めた。私の側に附纏ったきり金輪際離れようとしないのである。配給所へ行くにも、売店へも、彼はまるで私の腰巾着のように尾いて来る。はては厠へ行くにも後を慕い、用が済むまで扉の外で待っている。

 やがて、彼は保管金の通帖から在金全部を私の所に持って来た。どうぞお願いですから自由に使って下さいというのである。他の事とは違い、金の事であるから、そればかりはならぬと私は固く突っばねた。すると、彼はそれでは棄てて了うと云ってきかない。押問答してみたが無駄である。私は困って同僚とも相談し、彼の金はひとまず主任のTさんに預って貰うことにして、この話は一段落ついた。が、この金の問題があってからは、彼はこん度は色々な品物を買込んで来て私の所に持って来る。菓子、果物、飲料水、タバコ等々である。私はこれらも同様きびしく叱って取上げなかった。すると彼は忽ち悲観してそれらの品を全部下水壕に棄ててしまった。ついには私の居ない隙を狙って、机の上とか戸棚の隅にこっそり置いて行く。それを彼は毎日のように繰返す。いくら叱ってみても効果がなかった。私は再度同僚と相談して、売店の店員に彼が来ても一切物を売らぬように頼み込んだ。斯うして彼のプレゼント癖は一時中止のやむなきに至った。

 しかし、彼は三度、私へのプレゼントを考えついた。そして、直ちにそれを実行に移した。しかし、このプレゼントは些か時日を要し、私は彼から彼の誠心こめた? プレゼントを手にするまで少しもそれに気付かなかった。売店で相手にされなくなってから、彼は編物を始めたのである。終日、特別室に閉じ籠ったきりで、彼は器用な手つきでせっせと編棒を動かしていた。編物は発狂前にもやっていたらしい。売店から客扱いにされない彼が、どうして夥しい毛糸類を持っているのか始め私は不審に思ったが、それは発狂前に買い込んで置いたのと、郷里から送って寄越した物とであることが判明した。

 薄暗い室に黙念とあぐらを組み、明り窓から差し込んで来る光に真向って編物に余念もない彼の姿を、私は毎日のように眼にした。真理真理と叫ぶこともなくなった。真理の面を取除けて以来、彼は真理という語をついぞ口にしたことはなかった。口癖のような真理の二字は、べートヴェンという私への愛称に替えられたのである。

 やがて彼の編物は、見事なスエターとなって完成した。そして、彼は早速それを私に着てくれと懇願し始めた。私は始ママめて彼が何故編物に専念しだしたのか、その真意を納得することができた。私はとにかく預って置くと云ってスエターを受取った。しかし、彼の編物は更に続けられた。スエターは二枚となり三枚となった。その中の一枚には苦心してベートヴェンという文字まで編み込んだ。

 彼はしだいに衰弱して来た。三度の食事も欠ける日が多くなった。それでも彼は編棒を離さなかった。私は彼に対して、云い様もない寂寥と憐憫、恐怖の情の募るのをおぼえた。何もかも私に責任があり、何もかも私の所為のように思われだした。しかし、幸いなことに毛糸が尽きた。編み果してしまったのである。私は思わずほっとしたが、彼はひどく弱り切って口をきくこともなくなった。特別室の羽目に凭れて、明り窓からぼんやりと空を眺めている日が多くなった。煙突事件が起きたのはそれから間もなくである。


 窓にさしのぞく蜂屋柿が艷やかな色を見せている。百舌の声がきんきん泌みる。今朝もまた真白な霜であろうか。狂人を相手に他愛もなく暮している間に早やそのような季節になったのである。不図、時の素早い推移に愕ろきながら、起床前の数分をその日も私はうつらうつらしていた。起床時間は既に来ている。僅々数分にすぎない床の中のひと時は、しかし、附添夫に取ってはなかなか味わいの深いものである。

 起きよう起きようと努力していた時である。慌しく走って来る下駄の音が直ぐ窓下に近づいて、突然、窓硝子を激しく叩き出した。

「おい、上野さん、大変だ、真理屋さんが………」

「え? 大変だ? 首でもくくったのかい。」

 外の叫び声に私はひどく泡を喰って飛起ると窓を開いた。Nという収容病室の附添夫が慌しげに佇っている。

「どうしたんです? 大変だって。」

「真理屋さんが煙突のてっぺんに上っているんだ、あれ、あれ……」

 そう云って彼は機関場の方を指さして見せるのである。建並んでいる病棟の彼方、濛々と黒煙を噴上げている三十メートルの大煙突の頂上には、成程、人間らしい黒い影が枝上の猿のように留っている。真理屋め何時の間にあんな離れ業を始めたのか。それにしても人違いではあるまいか、そう思って私は一応彼の室を覗きに行った。寝床はそのままになっているが、彼の姿は見えない、直ちに附添全部を動員して棟内を探したが何処にも見当らない。何時出て行ったのか誰も知らぬという。恐らくまだ皆の寝静っている間に出て行ったものであろう。してみると煙突男はやはり彼に違いない。それッというので私は同僚と一緒に機関場に駈け付けた。

 しかし、私達が行った時には早や煙突の周囲は真黒な人垣であった。院長も多勢の事務員を従えて出動していた。私ははげしい苛責をおぼえた。病人の逸走を知らぬというのは明らかに附添夫の越度である。ましてこのような騒ぎを引起すまで知らぬというのは職務怠慢も甚だしい。

 煙突の真下には消防手に依って一面に救助網が張られていた。医者は聴診器を持って駈け付けるし、看護婦は応急手当用の諸材料を運んで来る。火事場のような物々しい騒ぎ様である。

「おーい、早く下りて来いようー。」

「やあーい、真理屋ァ 危いからトットと下りて来いようー。」

「院長殿が心配しておられるぞう。お前一人のためにこんなに騒いでいるのが判らないのかアー。」

「こらあッ、落ちたら死んじまうぞうー。」

 大勢の者がかわるがわる煙突を仰いで叫んだ。しかし、彼はなかなか下りて来そうにもなかった。片手きりで梯子にぶら下がってみたり、今にも飛下りそうな恰好に手足をさっと離したりする。そして、何事か叫んではげらげらと笑っている。

「誰か早く下ろしてやって下さい。あれあれ、危い、早く、早く、早く下ろしてやって下さい……」

 女医の一人が聴診器を振りまわしながらおろおろ声で叫んでいる。

 その時、消防手の一人が猿のように素早く梯子に飛付いてするすると上り始めた。観衆は一斉に鳴をひそめてその男を眺めていた。煙突のてっペんでも小手を翳して同じように上って来る男を眺めている風である。恰度、半ば頃まで上って行った時である。突然、頂上から真理屋さんの声が落ちて来た。

「やあーい、上って来ると、飛下りてしまうぞう――」

 だが、消防手は構わずに上って行った。と、頂上の彼はいきなり煙突の内側へ飛込む身振りを示した。

「あつママ! 危い。」

 観衆は一斉に叫んだ。

「おーい、上っちゃ駄目だ、下りて来い、下りて来いよう。」

 上ってゆく消防手を押し留める声が続いて起った。この騒ぎが始まってから機関場は運転を停止していたので、煙はピッタリ止んでいた。消防手はすごと下りて来た。煙突の上では、再度彼が危険な離れ業を演じてはげらげら笑っている。こん度は同僚のKと主任のTさんが上り出したが、前と同様、半ば頃に達すると、彼は忽ち口内めがけて飛下りる気勢を示すのである。院長が真下に佇った。そして、危いから下りて来いと叫んだが、それすら何の効果もなかった。彼は相も変らず人々の無能を嘲笑するかのように、朝日を浴びて笑っている。

 ついに手の施しようがなくなった。といって、彼が自発的に下りて来るまで放任して置くことは危険であった。まして衰弱している体を持ちながら、何時までもあんな高層物の上に留っていられよう筈がない。ひと度梯子を握っている手が辷ったらその時はどうなるであろうか。尚おママまた、彼自身何時どんな気になって口内に飛下りぬとも限らぬ。

 その時、だしぬけに同僚のKが私を見て叫んだ。

「あっ、そうだそうだ。君がいい、君ママいい、君が行けば奴は間違いなく下りて来る。そうだった、忘れていた……」

 彼はそう云って狂気のように人垣を分け、私を煙突の真下に引っ張って行って据えた。観衆はワアッとどよめいて一斉に私を見た。人がやって駄目なら、私がやったとて同じことにきまっている。そう思ったが、もともと私が彼の附添夫であってみればともかく 一応はやってみる責務があった。

 真下に佇って仰ぐ煙突は物凄く巨大に見える。その遙か彼方、青空を背に彼は真黒い塊りになって蠢めいている。上る前に私はまず彼に向って叫んでみた。

「おーい、お坊っちゃあーん。 (私は何時も彼をそう呼んでいたのである) 僕だようー、僕が判るかあ、ベ—トヴェンだよう、どうしてお前は煙突へなんぞ上ったんだア、みんなが心配しているから早く下りて来いようー。」

 そうして私は腰の手拭をはずして頻りに振った。煙突の上では私の様子をじっと凝視めているふうであった。が、暫くして意外にも嬉しそうな声が落ちて来た。

「あ、あ、ベートヴェンさんですかア、ベートヴェンさん、判りますよう。判りますよう。」

 彼も私の手拭に答えて頻りに手を振っている。観衆はわあっと声援を送って寄越す。私は再度両手で輪をつくって口に当ててありたけの声を絞り出して叫んだ。

「お坊ちゃあーん、君が下りて来ないと、僕が困っちゃうんだ、頼むから下りてくれないかア、それとも迎えに行こうかあア……」

「いいえ、モッタイない、下りますよ。下りますよう。ベートヴェンさん、今直ぐ下りますよ。あなたに御心配かけては罰が当ります。危いから上って来ないで下さいよう……」

 意想外に素直な調子でそう答えながら、早や彼は梯子を下り始めていた。観衆はわあッわあッと喜びの声を放った。消防手達は万一の場合に備えて網を強く張り直して待構えた。上って来れば飛下りると云って示威運動をしていた彼が、私のたった一言にあんなにも素直に下りて来るのだ。彼の姿を眺めながら、私は無性に涙が湧いた。彼に対する強い愛情の涙なのだ、私は幾度か視野を煙らせながらしっかと彼の姿を追っていた。

 彼は梯子をつたって徐々に下りて来る。そして半ば頃まで下りて来た時である。あッという叫びが観衆の間に起った。瞬間、彼の体は一包みの風呂敷のように落ちて来た。長い間、煙突の頂上に寒気に晒されていた彼の肉体は、硬直して痙擊を起したのであったろう。彼の体は網の上に拾われて幸い事なきを得た。

出典

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  1. 大岡信責任編集『ハンセン病文学全集 第6巻 詩 一』p.481、皓星社、2003年、4-7744-0395-4

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