附属池田小事件判決

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建造物侵入、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、傷害、暴行、器物損壊被告事件 大阪地方裁判所平成一三年(わ)第五〇〇六号、第五二四五号 平成15年8月28日刑事第二部判決

       判   決

職業 無職 A 昭和三八年一一月二三日生  上記の者に対する建造物侵入、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、傷害、暴行、器物損壊被告事件について、当裁判所は、検察官都甲雅俊並びに弁護人戸谷茂樹(主任)、同大槻和夫及び同横山耕平(いずれも国選)各出席の上審理し、次のとおり判決する。


       主   文

被告人を死刑に処する。 押収してある出刃包丁一丁(平成一四年押第二号の二)及び文化包丁一丁(同号の三)を没収する。


       理   由

(罪となるべき事実)  被告人は、 第一(平成一三年九月一四日付け起訴状記載の公訴事実第一)  大阪府池田市緑丘(番地省略)の大阪教育大学教育学部附属池田小学校に侵入して多数の子どもたちを殺害しようと企て、平成一三年六月八日午前一〇時過ぎころ、出刃包丁一丁(刃体の長さ約一五・八センチメートル。平成一四年押第二号の二)及び文化包丁一丁(刃体の長さ約一七・一センチメートル。同押号の三)を隠し持ち、無施錠の同校自動車専用門から、同校校長Bが管理する同校敷地内に侵入した上、いずれも殺意をもって、 一 同日午前一〇時一〇分過ぎころ、同校南校舎一階二年南組教室において、 (1)C子(平成五年一二月六日生。当時七歳)の腹部及び右後頸部等を上記出刃包丁で突き刺し、あるいは切りつけるなどし、よって、そのころ、同校において、同児を右後頸部刺創及び右上腹部刺創に基づく右鎖骨下動脈及び右総腸骨静脈切破による失血により死亡させて殺害し、 (2)D子(平成五年五月一日生。当時八歳)の上胸右側等を上記出刃包丁で突き刺すなどし、よって、そのころ、同校において、同児を上胸右側刺創に基づく右鎖骨下動静脈切断及び右肺刺創による失血により死亡させて殺害し、 (3)E子(平成六年三月一日生。当時七歳)の背部等を上記出刃包丁で突き刺し、あるいは切りつけるなどし、よって、そのころ、同校において、同児を背部刺創に基づく左肺・心刺創による失血により死亡させて殺害し、 (4)F子(平成六年一月五日生。当時七歳)の背部を上記出刃包丁で突き刺し、よって、同日午前一〇時四八分ころから同日午前一〇時五二分ころまでの間に、同校から大阪府池田市天神(番地省略)巽病院に向けて救急搬送中の救急車内において、同児を背部刺創に基づく胸部大動脈切断及び下大静脈切断による失血により死亡させて殺害し、 (5)G子(平成六年一月二八日生。当時七歳)の左側胸部を上記出刃包丁で突き刺し、よって、同日午後零時二五分ころ、兵庫県川西市中央町(番地省略)協立病院において、同児を左側胸部刺創に基づく心臓刺創による失血により死亡させて殺害し、 二 同日午前一〇時一五分ころ、同校南校舎一階二年西組教室において、 (1)H子(平成五年一〇月四日生。当時七歳)の右背部を上記出刃包丁で突き刺し、よって、そのころ、同校において、同児を右背部刺創に基づく右肺動脈刺創による失血により死亡させて殺害し、 (2)I子(平成五年七月二七日生。当時七歳)の背部及び腹部等を上記出刃包丁で突き刺し、あるいは切りつけるなどし、よって、同日午前一〇時四三分ころから同日午前一〇時五八分ころまでの間に、同校から大阪府吹田市山田丘(番地省略)大阪大学医学部附属病院救命救急センターに向けて救急搬送中の救急車内において、同児を背部刺創及び腹部刺創に基づく肝臓刺創及び右腎刺創による失血により死亡させて殺害し、 (3)J子(当時七歳)の背部を上記出刃包丁で切りつけたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一八日間の通院加療を要する背部切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (4)K(当時七歳)の背部を上記出刃包丁で突き刺したが、同児がその場から逃げ出したため、同児に三五日間の入通院加療を要する背胸部刺創、右血気胸(開放性)、第四・五胸椎椎弓開放性骨折及び出血性ショックの傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (5)L子(当時七歳)の右側胸部を上記出刃包丁で切りつけるなどしたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一三日間の入通院加療を要する右側胸部切創(二か所)の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (6)M子(当時七歳)の左肩等を上記出刃包丁で切りつけるなどしたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一一日間の通院加療を要する左頸部挫創、左肩部挫創及び左手関節部切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (7)N(当時七歳)の左側腹部を上記出刃包丁で突き刺したが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一五日間の入院加療を要する胸腰背部刺切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (8)O(当時七歳)の腰背部を上記出刃包丁で切りつけたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一二日間の通院加療を要する背部切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 三 同日午前一〇時一五分過ぎころ、同校南校舎一階二年東組教室及びその付近において、

(1)P子(当時七歳)の右側胸部を上記出刃包丁で切りつけたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に七日間の通院加療を要する右側胸部切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (2)Q子(当時八歳)の右腹部を上記出刃包丁で突き刺したが、同児がその場から逃げ出したため、同児に三〇日間の入通院加療を要する腹部刺創、外傷性胃穿孔及び肝損傷の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (3)R子(当時八歳)の右側胸部等を上記出刃包丁で突き刺すなどしたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一九日間の入通院加療を要する背胸部刺創、右側胸部刺創、胸腔内出血(右)、腹腔内出血及び右横隔膜損傷の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (4)S子(当時七歳)の背部を上記出刃包丁で突き刺したが、同児がその場から逃げ出したため、同児に四〇日間の入通院加療を要する肝損傷、背部刺傷、右血気胸及び右肋骨骨折の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 四 同日午前一〇時一五分過ぎころ、同校南校舎一階二年東組教室南側テラスにおいて、被告人を取り押さえようとした同校教諭T(当時二八歳)の背部等を上記出刃包丁で突き刺すなどしたが、同人に抵抗されたため、同人に六九日間の入通院加療を要する右胸部刺創、右第一〇・一一肋骨損傷、右肺損傷、右横隔膜損傷、肝損傷、右腎損傷、左手掌切創及び左肩刺創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 五 同日午前一〇時二〇分ころ、同校南校舎一階一年南組教室において、 (1)U(平成六年七月一三日生。当時六歳)の右胸部を上記出刃包丁で突き刺し、よって、そのころ、同校において、同児を右胸部刺創に基づく胸大動脈、右肺動・静脈切破による失血により死亡させて殺害し、 (2)V(当時六歳)の上腹部を上記出刃包丁で突き刺すなどしたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に四三日間の入通院加療を要する右側腹部刺創、右側腹部刺創、外傷性胃穿孔、肝損傷、胆のう穿孔、総胆管穿孔の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (3)W(当時七歳)の左背部を上記出刃包丁で切りつけたが、同児がその場から逃げ出したため、同児に一二日間の通院加療を要する左背部切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (3)X子(当時六歳)の背部等を上記出刃包丁で突き刺し、あるいは切りつけるなどしたが、同校教諭Yらに取り押さえられたため、同児に一四日間の入通院加療を要する背胸部刺創、左肩・右上肢切創、左血気胸及び第六胸椎横突起骨折の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 (5)被告人を取り押さえるべくその背後から被告人の手を押さえるなどした上記Y教諭(当時二七歳)の頭部を上記出刃包丁で切りつけるなどしたが、同校副校長兼教頭Zにその出刃包丁を取上げられたため、X教諭に一一日間の通院加療を要する頭蓋骨骨膜に達する頭部挫創及び一部動脈性出血の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、 もって、八名の子どもを殺害するとともに、一三名の子ども及び二名の教諭に対しても加害行為に及んだが殺害の目的を遂げなかった 第二(平成一三年九月一四日付け起訴状記載の公訴事実第二)  業務その他正当な理由による場合でないのに、平成一三年六月八日午前一〇時過ぎころ、上記小学校敷地内において、上記出刃包丁一丁及び文化包丁一丁を携帯し、引き続き、そのころから同日午前一〇時二〇分ころまでの間、同所において、このうち上記出刃包丁一丁を携帯した 第三(平成一三年九月二五日付け起訴状記載の公訴事実第一)  平成一二年一〇月一四日午後五時四五分ころ、タクシーを運転して大阪市北区大淀中(番地省略)ARホテル大阪の正面玄関まで乗客を運送した際、同ホテルドアマンA1(当時二八歳)から一方通行路を逆走したことを注意されて立腹し、そのころ、同所において、同タクシーから降車した上、同人に対し、いきなりその顔面に頭突きをし、その顔面を手拳で数回殴打するなどの暴行を加え、よって、同人に約一か月間の通院加療を要する顔面挫傷、鼻骨亀裂骨折及び頭部挫傷等の傷害を負わせた 第四(平成一三年九月二五日付け起訴状記載の公訴事実第二)  ダンプトラックを運転中、B1(当時二一歳)運転の自動車が自車の走行を妨害したとして立腹し、平成一三年二月一日午後三時四〇分ころ、兵庫県川西市多田院字楠根(番地省略)福田寺前路上において、B1運転車を停車させ、同人に対し、その頭髪をつかんで車内から引きずり出した上、その腹部を数回足蹴りにするなどの暴行を加えた 第五(平成一三年九月二五日付け起訴状記載の公訴事実第三)  平成一三年五月八日夜半から翌九日早朝にかけての間、次表記載のとおり、前後四回にわたり、大阪府池田市新町(番地省略)株式会社Bf駐車場ほか三か所において、駐車中の株式会社Bfほか二名所有の軽四輪貨物自動車等五台のタイヤ合計一三本をアイスピックで突き刺してパンクさせ、もって、それぞれ、他人の器物を損壊したものである。

表1 (証拠の標目)(省略) (責任能力に関する判断) (注)以下の説明においては認定に供した証拠を一々挙示することはしないが、以下の認定判断は、前掲各証拠(省略)によるものである。 第一 弁護人らの主張及びこれに対する当裁判所の判断の結論 一 弁護人らの主張の要旨  弁護人らは、判示第一及び第二の殺人、殺人未遂等の犯行(以下、これらを「附属池田小学校事件」という。また、本項においては「本件」または「本件犯行」ということがある。)の当時、被告人は心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと主張する。 二 当裁判所の判断の結論  附属池田小学校事件は、小学校に侵入した被告人が、隠し持っていた出刃包丁で、低学年のいたいけな子どもたちにまさに手当たり次第に襲いかかり、子ども八名を殺害するとともに、子ども一三名及び教諭二名をも負傷させたという、我が国の犯罪史上例をみない凶悪重大事件である。このように小学校で幼い子どもたちを次々と殺傷するなどということ自体、常人には思いつくことすら困難な所業であり、しかも、関係証拠によれば、被告人は、社会一般に対する恨みはともかく、殺傷した子どもたちやその保護者はもとより、附属池田小学校の教職員等の関係者に対しても特に恨みがあったわけでもないというのであるから、本件が常軌を逸した極めて異常な犯行であることは誰の目にも明らかであるといわなければならない。したがって、そのような点に着目し、また、後述の被告人の精神科受診歴をも考えあわせるとき、被告人がなんらかの精神疾患の影響等によって十分な責任能力を有していなかったのではないかとの疑問を生じるのは、それ自体は一応もっともなことである。  しかし、一年有半にわたる審理の結果、当裁判所は、本件は、被告人の自己中心的で他人の痛みを顧みない著しく偏った人格傾向の発露であり、そこには精神疾患の影響はなく、本件犯行当時被告人は刑事責任を問うのに十分な責任能力を備えていたとの判断に至った。 そこで、以下、その理由を説明する。 第二 犯行状況等の客観面から窺われる被告人の精神状態について 一 本件犯行に至る経緯等  本件犯行に至る経緯等は、以下のとおりと認められる。  すなわち、被告人は、平成九年末ころ、妊娠中の妻(三番目の妻)から突然離婚話をきりだされ、同女が自宅を出るとともに被告人に無断で堕胎したことにショックを受け、そのことを深く恨むようになったが、他方では同女との復縁を強く望み、執拗に同女の身辺につきまとうようになった。平成一〇年六月には、清算金二〇〇万円を受け取って離婚調停が成立したが、それでも同女に対する愛憎の入り交じった執着心は変わらず、被告人は、その後も、同女に対する傷害事件を起こしたり、同女の婚姻中の浮気を疑って興信所に高い報酬金を支払って素行調査を依頼するなどしていたところ、平成一一年一二月、同女との復縁を果たすか、さもなくば同女から慰謝料名目で多額の金を取ろうと目論み、離婚無効確認の訴えを起こした。被告人は、この訴え提起に先立つ同年三月ころ、勤務先の小学校で傷害(薬物混入)事件を起こし、起訴こそ免れたものの、分限免職処分を受けて公務員の職を失い、その後いくつかの職に就いたが、傷害、暴行事件(判示第三、第四)を起こすなどしてどれも長続きせず、平成一三年二月ころからは無職となり、消費者金融に借金をしていたこともあって、生活を立て直すために三番目の妻から慰謝料を得ることに強い期待をいだくようになった。しかし、訴訟は思うように進まず、被告人は、焦燥感を募らせ、気にくわない近隣住民の自動車をパンクさせる嫌がらせをして(判示第五)憂さ晴らしをするなどしていた。同年五月下旬ころには、三番目の妻から慰謝料を得られる見込みの薄いことがわかり、被告人は、経済的にも精神的にも行き詰まりを感じ、同女の殺害を考えたが、うまくいかないだろうと思い直し、また、自殺を試みもしたがこれも果たさなかった。被告人は、埓もないことをあれこれと考えながら日々うっ屈した思いを強め、次第に食欲も衰え睡眠も満足にとれない状態に陥り、かねて嫌っていて音信も途絶えていた父親に電話をし、窮状を訴えたが相手にされず、いよいよどうにもならないという気持ちを強めて自暴自棄となり、以前から空想していた大量殺人を実行して自分と同じ苦しみを多くの人間に味わわせてやろうなどと考え始めた。そして、本件犯行前日の同年六月七日、幼い子どもであれば抵抗されずに大勢を殺害できるなどと考え、かつて入学を希望して叶わなかった附属池田小学校の子どもたちを無差別に大勢殺害しようと決意するに至った。その後、被告人は、自車のカーナビゲーションに電話番号を入力すれば目的地への経路を自動的に案内してくれると考えて、番号案内で附属池田小学校の電話番号を調べた上、犯行当日、自宅付近の刃物店で「頑丈な包丁」として本件出刃包丁を購入し、自車のカーナビゲーションに電話番号を入力して行き先を同校に設定し、その指示に従いながら同校に赴いた。被告人は、附属池田小学校自動車専用門付近に自車を駐車し、前示出刃包丁及び判示文化包丁等の入った袋を携えて同校の敷地内へ立ち入った。その後、被告人は、教諭とすれ違った際に、被告人を在校生の保護者と誤解した同教諭から会釈されたが、来訪者を装ってさらに敷地内部へと歩き、南校舎のテラス付近において、一階の教室内の様子を窓越しに窺い、子どもたちしかいなかった二年南組教室に押し入り、その後、次々に本件凶行に及んだ。 二 犯行に至る経緯及び犯行状況等から窺われる被告人の事理弁識・行動制御能力についての検討 (1)前認定のとおり、被告人は、附属池田小学校に乱入して子どもたちを無差別に大勢殺害しようと決意した後、同校の電話番号を番号案内で調べた上、翌朝、ひとりでも多くの子どもたちを殺害できるようにと刃物店でわざわざ「頑丈な包丁」として本件出刃包丁を買い求め、書きとめておいた電話番号をカーナビゲーションに入力して行き先を設定し、その指示に従い自車を運転して同校まで赴き、その敷地内に侵入して間もなく同校教諭とすれ違った際も疑われるような行動をとらずに学校敷地奥深くまで侵入し、また、教諭がいないため犯行が阻止されるおそれの少ない教室を手始めとして凶行に及んでいるのである。また、被告人は、自宅を出発するにあたり、かねて種々不快に思っていた家主に復讐をするため自宅アパートに放火しようと考え、他方、附属池田小学校に赴く途中で交通事故を起こすなどして殺害計画を実行できなかった場合に放火罪だけで処罰されることは避けようと、煙草の火の不始末を装うため、布団の上に火のついた煙草を置いて自宅を出た、というのである。  これら一連の行動に照らすと、被告人が、当時、本件犯行前夜思い描いた大量殺人計画を容易に遂行するため、その目的にかなった行動をとっていたこと、すなわち、自己の設定した目的に即応する合理的合目的的行動をとる能力を有していたことが明らかであるとともに、ただひとつの目的にのみ意識が集中して他のすべてが眼中からなくなるようなこともなく、並行して種々の事柄に考えをめぐらすことができたことも明らかである。そして、このことは、被告人に通常人とかわらぬ事理弁識・行動制御能力があったことを推知させる有力な根拠のひとつとなるものというべきである。  確かに,犯行が周到な計画のもとで合目的的に敢行されたものであっても、そもそもその犯行に駆り立てた根本原因が妄想等の精神症状にあるのであれば、その計画性等が直ちに責任能力の存在を推認させる事情とはなり得ないことは、弁護人ら指摘のとおりである。  しかし、後述のとおり、被告人がなんらかの妄想等に支配されて本件犯行を決意したものでないことは明らかであって、そうである以上、上記のような本件犯行前の合理的合目的的行動等は、やはり被告人の事理弁識・行動制御能力の存在を推知させる有力な事情となるものというべきである。 (2)そして、その後の犯行態様を見ると、被告人は、二丁携帯していた包丁のうち「頑丈な包丁」として買い求めた方の包丁を用いて本件凶行に及んでおり、しかも、被害にあった子どもたち、とりわけ死亡した子どもたちの受傷はいずれも身体の枢要部位に集中していて、多くは一撃で致命傷を与えており、複数回の攻撃を加えた場合でも、その回数は最大でも五回程度で、致命傷を与えた攻撃はやはり一回と認められるのであるから、被告人と子どもたちとの身長差も考えれば、被告人は、闇雲に包丁を振り回したのではなく、極めて意図的に子どもたちの身体の枢要部位を狙って攻撃を加えていることが明らかである。  このような本件犯行の方法態様は、できる限り多くの子どもたちを殺害しようという被告人の目論見には極めてかなった方法態様であると認められ、被告人がこのような方法をとり得たということは、とりもなおさず、ここでも、被告人が、自己の設定した目的の実現のため合理的合目的的行動をとる能力を有していたことを示すものであって、この点も、被告人の事理弁識・行動制御能力の存在を推知させる有力な事情となるものというべきである。 (3)このように、本件犯行直前及び犯行当時の状況に照らし、その当時、被告人に事理弁識・行動制御能力の存したことが強く推認されるところ、本件が殺人という著しく人倫に反する自然犯の典型たる犯行を中核とするものであること、被告人は、社会倫理規範を自己の行動規準とする姿勢に欠けた人物ではあるものの、社会倫理規範の存在それ自体の認識理解に欠けるところがあるとは認められないこと等に徴すると、被告人に存したと窺われる上記事理弁識能力は、単にものごとの一般的な是非ないし当否の弁識能力にとどまるものではなく、本件行為の違法性の弁識をもなし得る能力であったことは明らかというべきである(以下、「事理弁識(能力)」という語をこの意味において用いる。)。 三 捜査段階における被告人の供述から窺われる被告人の事理弁識・行動制御能力についての検討 (1)本件犯行直後、被告人は、教諭らに取り押さえられて現行犯人として逮捕されたが、逮捕直後、「死刑になりたかったので本件殺害等の犯行に及んだ」「薬を一〇錠ほど飲んだ」「包丁を持ち出して近くにいた人間を片っ端から切りつけた」「犯行場所は池田駅前であったと思う」などと、あたかも薬物や精神障害の影響で本件犯行をおこない、しかも四囲の状況をよく認識していなかったかのような供述をしたが、その後間もなく、これを翻し、本件犯行状況等について客観的状況や他の証拠と合致する供述を始めるとともに、逮捕直後には精神障害を装っていたことを認め、そのように振る舞った理由として、「以前薬物混入事件を起こして検挙された際に、薬物の影響下での犯行との主張が受け入れられて措置入院となり、結局起訴を免れたことを思い出し、薬物乱用や精神病のふりをすれば刑事責任を免れることができるかもしれないと思った」などと供述している。  このような捜査当初における供述経緯は、被告人が、附属池田小学校事件を敢行した直後の時期において、既に、処罰を免れようとの意図を有していたこと、すなわち、本件犯行の当罰性(違法性)とその重大さを十分に認識していたことを示すものであるとともに、被告人が、その意図にかなった行動をする能力を有していたことをも示すものである。要するに、被告人は、本件犯行直後、目的とする犯行を遂げた上で処罰も免れるという、狡猾な、しかし、保身のためには極めて合理的な判断に沿った、合目的的行動をとっていたものと認められる。この点もまた、被告人の事理弁識・行動制御能力の存在を推知させる有力な事情となるものというべきである。 (2)また、被告人は、公判廷では犯行状況等について詳細な供述を拒む態度をとっているが、捜査段階においては、犯行動機を含め本件犯行状況やそれに至る経緯等について、被告人でなければ知り得ない事情についてまで具体的な供述をしているところ、この供述によれば、被告人の犯行時の意識は清明で、見当識になんの障害もなく、少なくとも捜査段階においては記憶もよく保持されていたものと認められる。もっとも、犯行態様それ自体に関する供述は細部についていささか具体性に欠ける点も見受けられるが、犯行時の被告人は極度の興奮状態にあったものと推認できるのみならず、ごく短時間のうちに、被告人にとっては誰ともわからない二〇名を超える子どもたちや教諭に危害を加えているのであるから、個々の加害行為について事細かに記憶していなかったとしても、それを不自然ということはできず、少なくとも、犯行の詳細部分を供述できないことのゆえをもって被告人の責任能力に疑問が生じることなどあり得ないというべきである。 四 小括  以上のとおり、犯行そのものやその前後の状況、犯行後の供述状況、供述内容等の客観的外形的側面をみた限りでは、附属池田小学校事件当時の被告人の事理弁識・行動制御能力に疑問をいだかせるべき事情は特に見当たらず、むしろ、これらによる限りは、被告人は十分な事理弁識・行動制御能力を備えた上で本件犯行に臨んだものと推認されるというべきである。 第三 被告人の精神疾患罹患の有無等についての検討 一 本件犯行動機についての検討 (1)本件犯行動機について、被告人は、捜査公判を通じほぼ一貫した供述をしているところ、その内容は、要するに、三番目の妻に対する恨みが社会全体に対する恨みに転化し、後悔の連続であった自分の苦しい思いを多くの人々にわからせてやろう、事件を起こす以上ありふれた事件ではなく、大量殺人をやろう、小学生なら逃げ足も遅く大勢を殺せるだろう、どうせやるなら名門の小学校を襲った方が大きな事件となって社会の反響が大きい、それがひいては父親や三番目の妻に対する復讐にもなる、などと考えて本件犯行を決意したというものであるが、本件全証拠を精査しても、この他に被告人が附属池田小学校の子どもたちを殺害しようと決意するに至る直接の動機と目すべきものは見当たらず、また、被告人が犯行を決意するまでの過程において、妄想や幻覚・幻聴等の病的体験に支配されたと考えるべき事情も窺われない。したがって、この被告人の供述するところが本件犯行動機であると認めるのが相当である。 (2)ところで、被告人は、苦境に陥るたびに他人に責任転嫁して他罰的かつ粗暴な言動でうっ憤を晴らすなどしていたものであるところ、本件犯行当時も、経済的にも社会的にも行き詰まって、被告人にとっては耐え難い苦境に陥り、憤懣を募らせていたと認められるのであるから、憤懣のはけ口を三番目の妻からひろく社会一般に求め、前述のとおりの被告人独自の論理により、本件犯行を企図するに至ったという動機形成過程は、余人においてはともかく、被告人に関する限り、その生活史から窺える責任転嫁・他罰的な思考傾向や粗暴な行動傾向の延長上にあるものというべく、その人格からまったく逸脱した了解不可能の思考・行動であるなどとは到底認められないというべきである。このようにみてくると、本件は、被告人の平素の人格の発露と認めることができ、ひいては、本件犯行動機も被告人の責任能力に疑問を生じさせるに足るものではないとの結論も一応は導き出すことができるように思われる。 (3)しかし、もともと三番目の妻を恨みに思いその殺害を企図していたものが、最終的に同女とはもとより被告人自身とさえ無関係の不特定多数の幼い子どもたちを殺害対象に選ぶに至ったというそのような犯行動機が、常人には思いもつかない理不尽かつはなはだ突飛なものであることは論をまたず、前述のような動機ないし動機形成過程を経て本件のような凶悪重大かつ残虐な犯罪を決意すること自体が、はたまた、そのような凶行の決意が被告人の日頃の思考傾向や行動傾向の延長上にあると認められること自体が、被告人になんらかの精神疾患があったのではないかという疑問を生じさせる面があることもまた否定できない。  すなわち、前述のとおり、本件犯行動機ないし動機形成過程が被告人の生活史とその思考傾向や行動傾向の延長上にあるものとして了解可能であっても、そのような思考や行動の傾向それ自体が病的要因によって形成されたものであると認められる場合には、ひいては、本件犯行動機も病的要因によって形成されたものとの評価を受ける可能性もあるのである。  このように、犯行動機ないし動機形成過程の非尋常性をどう理解すべきかという問題は、被告人の人格傾向等の理解と密接に関連する。そこで、以下、まず被告人の性格等も含めた精神状況全般につき検討し、その検討を踏まえた上で改めて犯行動機につき再検討することとする。 二 被告人の人格・性格・行動の傾向や精神科受診歴等  被告人の生活史に関わった者らや被告人自身の供述、さらには、被告人を診察した医師や本件捜査公判段階における鑑定医らの証言等の関係証拠を総合すれば、被告人の人格・性格・行動の傾向及び精神科受診歴等は、以下のとおりであると認められる。 (1)被告人の人格・性格・行動の傾向等(なお、ここで問題としている事柄の性質上、以下の認定については、被告人と関わった者を特定できるような具体的事実関係の摘示は避けざるを得ない。)  被告人は、幼少のころから落ち着きがなく、注意力に欠け、無鉄砲で抑制を欠く行動に出ることが多く、同世代の子どもらからも孤立しがちで、小中学校時代には、同級生に対するいじめや動物虐待、女性に対する性的逸脱行動等の問題行動が見られた。長じて、些細なことで不愉快な気分を募らせ、他人に対し攻撃的になって短絡的・衝動的に粗暴行為に出る傾向がますます強まり、職場や近隣でトラブルを起こして転職や引越しを余儀なくされることもあった。また、金銭に対する強い執着を見せるほか、強姦事件で服役した経験もありながら、性交渉のみを目的として女性との出会いを求め、知り合った女性と手段を選ばずに手当たり次第に性交渉をもつなどの性に対する執着や、気に入った女性とはなかば無理矢理に結婚するなど結婚生活に対する執着も見せた。被害意識や僻み根性が異様に強く、極端なまでに自己中心的で独善的であり、自分の非をまったく認めることができず、なにかにつけて他に責任を転嫁し、他罰的かつ攻撃的であって、とりわけ、苦境に陥ったり欲求不満状況になると、その原因が自分にあるのではなどと省みることなく、他罰的になって、およそ他人には理解できない独善的な論理をもって他者に責任を転嫁し、八つ当たり的に他者を攻撃することがしばしばあった。しかし、他方、強い者に対しては反抗的あるいは挑発的行動に出ることはなく、また、婚姻関係が破綻したり、公務員の職を失ったりするなど、被告人自身が望む生活の枠組みが崩れると、近しい者らになりふり構わず哀願し謝罪し助けを求めるなど、極端なほどに弱く脆い面をさらけ出すこともあった。 (2)被告人の精神科受診歴等  被告人は、昭和五六年ころ(一七歳時)に自ら精神科を受診したのを最初に、本件犯行前までの間、断続的に、自ら求めて、あるいは刑事事件を起こして捜査機関による簡易鑑定や措置入院の要否判断のための鑑定として、精神科医の診察や治療を受けており、精神分裂病(現在では「統合失調症」と呼称が変更されているが、本判決では当時の診断名に従う。)ないしその疑いとの診断をなされたこともある。昭和五九年一一月に強姦事件を起こし、検挙を免れるため精神病を装って入院したが、入院生活に耐えられず、病院から逃走しようとして屋上から飛び降り、大けがをしたこともあった。平成一一年三月、当時の勤務先の小学校で薬物を混入した茶を教員らに飲ませる傷害事件を起こし、精神分裂病との診断を受け、同年四月に措置入院となった。この入院先の病院ではその後も任意に受診し続け、本件犯行直前の平成一三年五月二三日にも被告人の希望で入院したが、このときは翌日退院した。  被告人の医師らに対する訴えはほぼ一貫しており、過去の出来事や不愉快な思いが頭から離れず、あのときこうしておけば良かったなどといつまでも繰り返し考えてしまう、人の視線や物音が気になる、何か気になることがあると徹底的に調べなければ気が済まない、他人のちょっとした所作が非常に不愉快に感じる、等の内容で、これらにより被告人自身がつらい思いをしているというのである。 三 本件捜査公判段階における精神鑑定について (1)先述の本件犯行動機の非尋常性や、生活史から認められる人格・性格・行動傾向の極端なまでの偏り、精神科受診歴等は、一般論としていえば、いずれも、精神疾患の存在を疑わせ、ひいては被告人の犯行当時の責任能力に疑いをいだかせる一資料となる可能性のあるものであるが、これらの点も含め、被告人の精神状態については、本件捜査公判段階において二回にわたり実施された精神鑑定によって詳細な検討がなされている。 (2)樫葉鑑定の概要  捜査段階に施行された樫葉明医師による精神鑑定結果の概要は、以下のとおりである(以下、同医師作成の鑑定書及び同医師の証言を「樫葉鑑定」と総称する。)。  すなわち、同鑑定は、被告人が精神分裂病に罹患したことはないとし、「被告人は、青年期までは非社会型行為障害者であったと推定され、成人後は、妄想性人格障害、非社会性人格障害及び情緒不安定性人格障害(衝動型)を呈しているところ、社会との間に持続的な葛藤状況を生じ、人格因的色彩の濃厚な神経症症状(強迫、抑うつ、焦燥など)も呈してきたが、生活のすべての面で行き詰まった本件犯行の直前ころ、一時的に抑うつ気分が表面化したものの、本件犯行数日前には上記のような複合的人格障害が凝縮し、他罰的かつ攻撃的心性が支配的となった。なお、被告人の中脳には良性の神経膠腫が存するが、この病変は精神機能に影響を与えていない」というのである。 (3)林・岡江鑑定の概要  公判段階に施行された林拓二、岡江晃両医師共同による精神鑑定結果の概要は、以下のとおりである(以下、両鑑定人作成の鑑定書及び両名の証言を「林・岡江鑑定」と総称する。)。  すなわち、同鑑定も、被告人の精神分裂病罹患を否定し、「被告人には、いずれにも分類できない特異な心理的発達障害があったと考えられ、この延長線上に青年期以降の人格がある。被告人には、人格障害があり、その核心は、他者に対して冷淡、残忍、冷酷な情性欠如である。空想癖や虚言癖があり、共感性がなく、自己中心性、攻撃性、衝動性が顕著であるが、一方で、穿鑿癖、猜疑心、視線や音への過敏さ、権力への強い憧れと劣等感などの人格あるいは性格の傾向もあわせ持っている。また、穿鑿癖・強迫思考、猜疑心、視線や音への過敏さ等を基盤として、一過性の妄想反応としての注察妄想と被害妄想、持続性の妄想反応としての嫉妬妄想が認められる。反応性うつ状態、反応性躁状態を呈したこともある。本件犯行当時、被告人には、穿鑿癖・強迫思考等を基盤にした妄想反応である嫉妬妄想が存在していたが、一過性の妄想反応としての注察妄想と被害妄想はいずれも認められない。また、本件犯行当時の被告人の精神状態は、なんらの意識障害もなく、精神病性の精神症状もまったくなかった。被告人を悩ましていた穿鑿癖・強迫思考、視線や音への過敏さ、嫉妬妄想は、本件犯行へ直接的な影響を与えてはいない。被告人を本件犯行に踏み切らせた決定的なものは、情性欠如であり、著しい自己中心性、攻撃性、衝動性である。なお、被告人の中脳左外側部には低悪性度の星細胞腫の可能性が最も高い病変が認められるが、この病変による人格あるいは精神症状への影響は考えられない。また、前頭葉機能になんらかの障害がある可能性を示唆する所見はあるものの、その所見そのものが疾患特異的ではなく、脳に粗大な器質性あるいは機能的損傷がみつかったわけではなく、被告人の精神症状と前頭葉機能のなんらかの障害とを結びつけるには問題点が多すぎる」というのである。 (4)両鑑定の信用性についての検討 ア 樫葉医師、林鑑定人、岡江鑑定人は、いずれも臨床経験豊富で研究歴も長い精神医学の専門家であり、樫葉医師、岡江鑑定人はこれまで多数の精神鑑定をおこなった実績もある。そして、もとよりこれら三名の医師の誠実性や公平性に疑いを容れるべき事情はまったくなく、両鑑定は、いずれも同人らの特別の学識経験に基づいて施行されたものであり、 しかも、それぞれ多数回にわたる問診をおこなうなど、特に入念な鑑定を実施したことが認められ、とりわけ、林・岡江鑑定人は、両鑑定人の間ではもとより専門的知見を有する鑑定補助者とも議論を重ねながら前記鑑定結果に至ったというのであるところ、両鑑定がその判断の前提とした事実関係は当裁判所の認定するところと合致しており、大部にわたる両鑑定書と証言を仔細に検討しても、その鑑定手法、判断過程、用いられた判断基準に、破綻しあるいは不合理ないし非論理的であるなどと考えるべき点は皆無である。これらの点に鑑みるとき、一般的にみて、両鑑定の信用性に疑いを差し挟むべき事情はまったく認められないというべきである。 イ そして、両鑑定は、判断に迷ったことを率直に認めている点も含め、被告人の長年の行動等の背後にある被告人の人格の特質を的確に剔抉分析したものとして、まことに説得力に富むものであるところ、被告人が極めて特異な人格を有するとの判断及び本件犯行当時被告人が精神分裂病等の精神疾患に罹患していなかったとの結論において、両鑑定は一致しているのである。もとより、細部においては両者の間に若干の相違はあるものの、それは、両鑑定の分析視点の違いに由来するものであって、判断の結論内容においては両者の間に実質的な相違は認められず、もとより相互に矛盾抵触するところはなく、むしろ相互にその信用性を支え合い高め合っていると認められるのである。 ウ ところで、被告人は、精神科受診当時、精神分裂病を疑わせる精神症状を呈したことや、精神分裂病(あるいはその疑い)との診断を受けたことがあり、この点は両鑑定の判断とは一見抵触する事実ではある。しかし、もともと精神医学上の診断は、患者を長期間にわたって観察してはじめて的確な診断を下しうるものであるところ、被告人がかつて受けた簡易鑑定や措置入院診察等の多くはごく短時間のうちになされたものであるから、被告人が当時呈した症状等に照らして精神分裂病との診断を下したとしても無理からぬ面があったにしても、そのようにしてなされた精神分裂病罹患との診断が動かし難い確実なものであるということはできない。現に、犯行直前まで被告人を診察していた医師は、当初は精神分裂病と診断していたが、二年以上にわたり継続的に被告人を診察した結果、本件とは別事件での病状照会に対し、本件直前の平成一三年五月三一日には妄想性人格障害であると回答するに至っているのである。これに加え、被告人の訴えた幻聴等の精神症状が実際には存しなかったと後に判明したものもあること、被告人はそれぞれの場面で精神分裂病との診断を受けることの利害得失を考えた上でその判断に応じて精神症状の有無の訴えを使い分けていると考えられること、あるいは、診断をした医師が保険請求の関係であえて精神分裂病との診断名をつけたりしたと認めているものもあること、そもそも診断自体が「疑い」という暫定的なものもあったことなどをあわせ考えると、被告人がかつて精神分裂病(ないしその疑い)との診断を受けたことがあるからといって、被告人が精神分裂病に罹患したことはなかったとする両鑑定結果の信用性が減殺されることはないというべきである。 エ 弁護人は、両鑑定が、被告人は一時反応性うつ状態を呈したこともあったが、本件犯行当時にはその状態から脱していたと結論づけている点につき、前提事実の認定に誤りがあるなどと主張する。しかし、被告人が本件前しばらくの間うつ状態にあったことは否定し得ないとは認められるものの、少なくとも、本件犯行を決意した後の被告人は、犯行遂行に向けて準備を整えることに集中し、活動的となってうつ状態を脱していたものと認められ、これと結論において同旨の両鑑定の事実認識に誤りはなく、したがってまた、この点に関する両鑑定の判断に誤りがあるとは認められない。 (5)両鑑定の信用性についての結論  結局、両鑑定が、被告人は、人格の偏りは極めて大きいものの、精神疾患に罹患しておらず、本件犯行当時精神病性の精神症状を呈していなかったとする、その結論の信用性は高いと認めるべきものである。なお、両鑑定によれば、被告人の中脳に病変が認められるものの、この病変は精神症状とは関係ないとの結論は一致しており、また、林・岡江鑑定によれば、前頭葉機能になんらかの障害の存する可能性が窺われるものの、これも、その所見は軽微で疾患特異的なものではなく、脳に粗大な器質性、機能的損傷は発見されないというのであって、結局、被告人には、心理的発達障害の素因となるべき脳の器質的機能異常が存する可能性のありうることは格別、精神症状の原因となるものと断ずべき脳の器質的障害は存しないと認めるべきである。 四 人格・性格の傾向等についての検討  前認定のとおり信用すべき樫葉鑑定及び林・岡江鑑定等の関係証拠によれば、被告人は、 妄想性、非社会性及び情緒不安定性(衝動型)の複合的人格障害者ないしは他者に対して冷淡、残忍、冷酷な情性欠如を中核とする人格障害者であって、しかも、他罰性、自己中心性、攻撃性、衝動性が顕著で、その人格障害の程度(人格の偏りの程度)は非常に大きいと認められるところであるが、その人格障害は、仮に被告人の脳に心理的発達障害の素因となるべき器質的機能異常が存したとしても、それ自体を精神疾患とはいい難く、また、被告人が精神分裂病等の精神疾患に罹患していないことも認められるのであるから、このような人格の偏りがなんらかの疾患を原因とするものではないことも明らかである。そうすると、被告人に認められる人格傾向の著しい偏りそれ自体は、責任能力に直ちに影響を及ぼすものではないといわなければならない。なお、林・岡江鑑定は、「本件犯行当時、被告人の是非善悪を弁識する能力およびその能力に従って行動を制御する能力は、相当に低下していたと判断する。なぜならば、是非善悪を弁識する能力は十分に保たれていたが、しかし弁識に従って行為する能力は、主に情性欠如故に、相当に低下していたからである」とするが、同鑑定自体、その低下の程度は著しいものではないというのであるから、同鑑定を高く信用することと、被告人の人格傾向の偏りが責任能力に影響を及ぼすものではないと認めることとは、なんら矛盾抵触するものではない。 五 犯行動機についての再検討  以上の検討を前提に、翻って、もともと離婚した三番目の妻を恨みに思いその殺害を企図していたものが、最終的には同女とはもとより被告人自身とすら無関係の不特定多数の子どもたちを殺害対象に選ぶに至った被告人の犯行動機ないし動機形成過程について再度検討するに、当時被告人が妄想等の異常体験に支配されあるいはその影響によってそのような犯行動機を形成したものでないことは、前記両鑑定のみならず捜査公判段階を通じほぼ一貫した被告人自身の供述によっても明らかであるところ,被告人は、その当時、そのプライドを支える唯一のよりどころともいうべき公務員の職を失い、強く望んでいた三番目の妻との復縁はもとより、同女から金銭を得ることすらかなわぬことが次第に明らかとなり、仕事も長続きせず、経済的にも社会的にも行き詰まりを感じ、嫌っていた父親にまで泣きついたがすげなくあしらわれ、何もかも自分の思惑どおりにならないなどと憤懣を募らせ、そもそも公務員の職を失ったのも三番目の妻のせいであるなどと筋違いの怒りをたぎらせて同女の殺害を企図したが、確実に殺害できる自信がなかったために、その怒りの矛先をこれまで自分に不愉快な思いをさせ続けてきたとして社会一般に向け、以前から空想していた無差別大量殺人を実行して自分と同じ苦しみを多くの人に味わわせたいなどと考えるようになり、あれこれ殺害計画を考えた挙げ句、小学生であればたやすく大勢を殺害できるなどと思い至り、被告人の目から見た社会の象徴ともいえるエリートの子弟が集い、自らもかつて入学を希望したが叶わなかった附属池田小学校の子どもたちに狙いを定めたというのであって、そのような、常人にはおよそ理不尽で突飛としか考えようのない動機ないしその形成過程も、前認定の被告人の人格傾向を前提とし、また、被告人自身が公判廷で述べている被告人なりの独自の論理(これ自体が被告人の人格傾向の所産である。)をも前提とすれば、やはり、先にも検討したとおり、被告人の人格の延長上にあるものと位置づけることができ、極端な人格の偏りのある情性欠如者たる被告人がそのような動機から本件犯行を決意しこれを実行したとしても、それが被告人の本来の人格からすらも逸脱したまったく了解不可能なものであるなどとは到底認められず、結局、本件凶行は、被告人の本来の人格の所産というべく、精神分裂病等の精神疾患がもたらしたものではないと認めるべきものである。常人にとっては異常としか考えようのない本件犯行動機も、被告人に限っては、その刑事責任能力の存在に疑いをいだかせるに足るものとは認められないというべきである。 第四 結論  これまで検討したとおり、犯行状況、犯行前後の状況、被告人の供述状況等は、被告人が十分な事理弁識・行動制御能力を備えていたことを示すものであり、さらには、捜査公判両段階における二つの鑑定は、被告人が精神分裂病等の精神疾患に罹患していないことを明らかにするものであって、さらにこの鑑定結果を踏まえた上で、被告人の人格の偏りや動機の非尋常性を検討しても、被告人に十分な責任能力があったことにはいささかの疑念も生じない。   結局のところ、本件は、自己中心的で他人を顧みることのできない著しく偏った人格の持ち主である被告人が、そのような人格傾向の発露として行った犯行であると認められるのであり、本件犯行当時、被告人が、刑事責任を問うのに十分な責任能力を備えていたことには疑問の余地がなく、弁護人らの主張は採用できない。 (法令の適用)  被告人の判示第一の所為のうち、建造物侵入の点は刑法一三〇条前段に、各殺人の点(第一の一の(1)(2)(3)(4)(5)、二の(1)(2)、五の(1))は被害者ごとにいずれも同法一九九条に、各殺人未遂の点(第一の二の(3)(4)(5)(6)(7)(8)、三の(1)(2)(3)(4)、四、五の(2)(3)(4)(5))は被害者ごとにいずれも同法二〇三条、一九九条に、判示第二の所為は包括して銃砲刀剣類所持等取締法三二条四号、二二条に、判示第三の所為は刑法二〇四条に、判示第四の所為は同法二〇八条に、判示第五の番号1ないし4の各所為はいずれも同法二六一条にそれぞれ該当するが、判示第一の建造物侵入と各殺人、各殺人未遂との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により、結局以上を一罪として刑及び犯情の最も重い殺人罪の刑で処断し(なお、各殺人は、そのいずれもが等しく犯情は極めて重く、建造物侵入及び各殺人未遂との間において刑及び犯情が重いことは格別、各殺人の間に軽重の差があるとは認め難い。したがって、刑法一〇条によって各殺人のうちいずれが最も重いかを決することはできないから、判示第一は一罪として殺人罪〔判示各殺人のうちいずれであるかを特定することなく〕の法定刑によって処断するほかはない。)、判示第一の罪について所定刑中死刑を、判示第二、第三、第四、第五の番号1ないし4の各罪について各所定刑中いずれも懲役刑をそれぞれ選択するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第一の罪につき死刑に処すべき場合であるから、同法四六条一項本文により他の刑を科さず、被告人を死刑に処し、主文第二項記載の出刃包丁一丁は判示第一の各殺人及び各殺人未遂の用に供した物、同記載の文化包丁一丁はそれらの用に供しようとした物で、かつ、いずれも判示第二の銃砲刀剣類所持等取締法違反の犯罪行為を組成した物でもあり、いずれも被告人以外の者に属しないから、刑法一九条一項一号、二号、二項本文を適用してこれらを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。 (量刑理由) 一 本件は、被告人が、大勢の子どもたちを無差別に殺害する目的で大阪教育大学教育学部附属池田小学校に侵入の上、所携の包丁二丁のうちの出刃包丁を用いて子どもたちに襲いかかり、子ども八名を殺害するとともに、子ども一三名と教諭二名をも負傷させた、建造物侵入、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、及び、これに先立つ傷害一件、暴行一件、器物損壊四件の事案である。 二 附属池田小学校事件は、多くの子どもたちが集い学んでいる時間帯の小学校において、刃体の長い鋭利な出刃包丁を用い、幼い子どもたちの小さな体の胸や背中などを狙ってまさに手当たり次第に突き刺すなどし、八名の子どものなにものにも代え難い尊い生命を奪い、止めに入った教諭も含め一五名を負傷させるという我が国犯罪史上例をみない、空前の、そして願わくは絶後の、凶悪重大事犯である。この一点において既に、このような未曾有の残虐非道な凶行に及んだ被告人の刑事責任がこの上なく重いことは、贅言を費やすまでもなく極めて明らかといわなければならない。 (1)子どもたち八名の死亡というその事実は余りにも重大で悲惨である。殺害された子どもたちは、みな、平穏で愛情に満ち溢れた家庭に育ち、将来の夢をあれこれと思い描き、自ら希望して附属池田小学校に入学を果たし、始まったばかりの人生を謳歌しようとしたその矢先に、理不尽極まりない暴力によって、一瞬のうちに、短すぎる生を絶たれてしまったのである。その無念さに思いを致すとき、深い哀惜の念を禁じ得ない。  慈しまれ保護され成長を見守られるべき幼い子どもたちが、あろうことか最も安全な場所のひとつと思われていた学舎において、まさに悪夢のような被害に遭ってしまったのである。通学の往復路が危険に満ちたものであることは、誰しも思うことであり、この子どもたちも、そして、その両親も十分に注意をしていたであろう。しかし、ひとたび学校に入ってしまえば、そこは子どもたちが細心の注意をもって守られているはずの場所であり、まさか凶器を携えた者が平然と教室内に侵入し子どもたちに凶刃を振るうなどとは、およそ想像すらできず、学校生活を始めたばかりの子どもたちに、そのような危険を察知し回避することを期待できるはずもない。突如として教室内に押し入ってきた被告人に襲いかかられ、ある子どもはほとんど身動きもできずに絶命し、ある子どもは瀕死の状態で少しでも被告人から遠ざかろうとしてついに息絶え、またある子どもはかろうじて救急車で応急手当を受けたがその甲斐もなく亡くなったのである。年端もいかないこの子どもたちが受けた痛み、苦しみ、恐怖はいかばかりであったか。それを思うとき、誰しも自らの身をもさいなまれる思いを禁じ得ないところである。 (2)幸いにも生命までは奪われずに済んだ一三名の子どもたちや二名の教諭も、それぞれに傷害を負わされたもので、その肉体的・精神的苦痛もはなはだ大きい。  負傷した者も含め、教室に居合わせた子どもたちは、目の前で次々と同級生が無差別に殺傷され、大人であっても目を覆いたくなるようなまさに地獄絵図ともいうべき凄惨な状況を目の当たりにし、必死に逃げて何とか危難を免れようとしたものであるが、その子どもたちの受けた恐怖感もまた言語に絶するというべきである。のみならず、附属池田小学校に在籍するすべての子どもたちが、自分たちの学舎での惨事に深刻な衝撃を受けていることは明らかである。 (3)この子どもたちがこのような被害に遭うべき理由は何もない。被告人は、八名の子どもたちの生命を奪い、一三名の子どもたちと二名の教諭の心と体を傷つけ、附属池田小学校のすべての子どもと関係者の心にも深い傷を与えたのである。その責任は限りなく重いといわなければならない。 三 亡くなった子どもたちの遺族は、深い愛情をもって大切に慈しみ育ててきた我が子を突如として理不尽にも奪われてしまったのである。事件発生の報に接し、子どもの無事を祈りつつ自宅や職場等から学校や病院に駆けつけ、小さな身体に凶行の傷跡が残された我が子の変わり果てた姿との対面を余儀なくされた、その悲しみ、その苦しみ、そしてその怒りは、深く、重く、余人の安易な想像を許すものではない。  遺族らの、年月が経とうとも決して癒されることのないその心情は、公判廷において切々と語られ、あるいは当裁判所に提出されたその意見に、そして、供述調書や遺族作成の書面に、その一端を窺うことができる。ある遺族は事件当日子どもの体調が思わしくないように感じられたのに登校させてしまったと、またある遺族は家族の病気が子どもにもうつっていれば学校を欠席して殺害されることもなかったと、さらにある遺族は事件前夜子どもに傷んだものを食べさせて体調不良となって学校を欠席していれば殺害されることもなかったなどと、本来憎むべきは被告人とその理不尽な蛮行であるはずなのに、やりきれない思いから、現実にはあり得ないようなことにまで考えをめぐらせては自らをも責め続けているのである。また、ある遺族は犯行現場にのこされた血痕を辿って我が子の苦しみを思い、またある遺族は自宅に引きこもりがちとなって我が子の苦痛を共感するため自らの身体を包丁で傷つけようとまでし、さらにある遺族は子どもの遺骨を肌身離さず持ち歩いているというのである。また、ある遺族は、我が子を殺した憎むべき被告人に対する本件公判の帰趨を見届けたいと思いつつも、被告人と同じ空間にいることに耐えられず、法廷に入ることができないでいるというのである。  これら遺族の心情は、その言葉として語られたところに接するだけでも、聞く人をして深い悲しみと本件犯行に対する怒りをかきたてずにはおかないが、遺族の心情は、決して言葉で語られたところに尽きるものではなく、それをはるかに超える深く重いものがあると推察される。これら遺族の心情に思いを致すとき、まことに痛ましくも哀れというほかなく、その心情を慰めるにはいかなる言葉も無力であることを痛感せざるを得ない。  そして、このような悲痛な思いは、亡くなった子どもたちの遺族のみならず、傷つけられた子どもたちや教諭らの家族においてもまったく変わるところがないのである。  このような事態をもたらした被告人の責任が余りにも重大であることは、改めていうまでもない。亡くなった子どもたちの遺族をはじめ、殺人未遂の被害者、その家族、学校関係者らが、皆一様に被告人に対する極刑を強く望んでいるのは、余りにも当然のことといわなければならない。 四 附属池田小学校事件が、同校関係者のみならず、同世代の子どもたち、その親、教育関係者、社会全体に及ぼした衝撃や影響も極めて大きい。安全であるべき学校での凶行に、社会は震撼し、極めて大きな衝撃を受け、学校の安全確保や犯罪防止一般について根本的な見直しが迫られたのである。社会全般に与えた影響の大きさには文字どおりはかりしれないものがある。 五 このように、附属池田小学校事件は、なによりもその結果の重大性において、そしてまた、多くの人々に与えた苦しみ、悲しみ、衝撃の大きさにおいて、既に被告人の刑事責任は極めて重大であって、たとえ被告人のために有利なまたは斟酌すべきいかなる事情があろうとも、その刑事責任が大幅に減殺されるようなことはあり得ないというべきであるが、本件全証拠を精査し、また被告人の公判段階における供述等を仔細に検討しても、そもそも、被告人に有利なまたは斟酌すべき事情など一片たりとも見出せないといわなければならない。 (11)自分とはまったく無関係のしかも幼い子どもたちを無差別に殺傷したその犯行動機や動機形成過程に酌量の余地があるなどということはにわかに考え難いところ、要するに、被告人は、被告人自身の生活態度の当然の帰結ともいうべき経済的社会的行き詰まりに理不尽な憤懣を募らせ、いささかも反省自戒することなく、その責任をすべて社会に転嫁し、自分の思いどおりに事が運ばないことの八つ当たりとして本件に及んだものであり、どのように考えても、酌量すべき点など毫も存しないというほかない。 (2)愛する我が子を失った悲しみ、苦しみ、憤りは、およそいかなる措置をもっても癒されることなどあり得ず、そのことは、幸いにして命を取り留めた被害者らの苦痛と怒りについてもまた同様であるところ、そもそも被告人は、遺族ら被害者に対し何ら慰藉の措置を講じてもいないし、講じようとさえしていない。のみならず、被告人は、その遺族らが見まもる公判廷においてすら、犯行に至った責任を他者に転嫁して自らの犯行を正当化する供述に終始し、あるいは拘置所での生活に対する不平不満をもらし、せめてわが子の最期の様子をほかならぬ犯人たる被告人自身の口から聞きたいという遺族らの切なる願いにも真面目に応えようとせず、あろうことか遺族らの証言や意見陳述に対する不快の念まで口にし、一年有半にわたる本件審理の過程において、ひとことの謝罪の言葉すら発していないのである。  被告人は、公判段階においては責任能力の点も含め本件犯行自体を争う姿勢は見せておらず、第一回公判期日においては「生命をもって償いたい」などと述べ、また、本件記録をつぶさに検討すれば、再現検証の際に被告人が亡くなった子どもたちのために合掌したという記載もあり、捜査段階において弁護人に宛てた手紙の中にも申し訳ないことをしたと述懐している記載もあるなど、被告人なりに反省の態度を示したと善解し得なくもない場面もあるが、上記のような公判廷での供述や態度に徴すれば、これらもまた被告人の本心からの反省ないし謝罪であるなどとは到底考えられず、また、被告人は、捜査段階においてもまた公判廷においても死刑を甘受するかのような言辞を弄しているが、これとても、自己の所業に対する慚愧の念に発したものでないことは極めて明らかであり、のみならず、被告人はかたくなに反省や謝罪を拒否しているとすら認められるのであって、要するに、被告人はこの期に及んでも、自分のことしか考えておらず、本件に対する真摯な反省悔悟の情などまったくないというほかない。 (3)前記両鑑定によると、被告人は人格障害の影響により本件犯行時の行動制御能力が相当低下していたというのである。また、公判における被告人の不遜な言動にもこの影響がないとはいいきれないであろう。  しかし、被告人の人格障害は、素因の影響が大きいとは認められるものの、疾病と同視しうるものではなく、人格障害との評価を受ける被告人の人格というのは、被告人のこれまでの全生活史の所産でもあるところ、被告人のその人格形成の過程をみると、被告人自身の知的能力等には特段の問題がない上、生育環境がことさら劣悪であったとも認められず、家庭教育や学校教育、さらには刑務所での矯正教育も受け、転職を繰り返しながらも就労自体は続け、なかば強引にではあっても結婚するなど,人並みの社会生活や家庭生活も送っていたのであって、しかも被告人は自己の人格の偏りに気づいていたとも認められるのであるから、人格をいくらかでも矯正し、あるいは矯正は困難なまでも、せめて社会に害をなさずに生きていくように心掛ける機会はあったのではないかと思われるのに、そのようにする努力すらしようとはせず、逆にそのような人格に凝り固まり、その偏りを強めてきたことが窺われるのであるから、結局のところ、被告人自身が主体的に今日ある人格を築いてきたものと認めるほかはない。そして、そのような人格傾向の発露として三番目の妻に対する傷害事件や薬物混入事件、あるいは本件傷害、暴行、器物損壊事件(これらも被告人の偏った人格傾向の発露として軽視できないものである。)等の犯罪行為を重ね、ついには犯罪史上未曾有の凶行である附属池田小学校事件に至ったのである。  このように見てくると、先に検討したようにこの人格障害が責任能力に影響するものでないことはもちろん、本件被告人に限っていえば、人格障害があることやそれによって行動制御能力が幾分か低下していることを情状として有利に斟酌すべきともいい難いのである。   さらに、上記のように、被告人は刑務所での相当期間の矯正教育を経ているにもかかわらず、その後より一層人格の偏りを強めたことが窺われ、現時点においては、その偏りの程度はおよそ類例を見ないほどに極端かつ強固なものとなっていると認められるのであるから、もはやいかなる矯正教育によってもその改善など到底期待できないというほかはない。 六 以上検討したとおり、附属池田小学校事件の結果の重大性、犯行の残虐性、遺族の被害感情、社会的影響、犯行動機、犯行後の情状等々本件にあらわれたありとあらゆる事情が、いずれも、被告人の刑事責任がこの上なく重大であることを示しており、罪刑の均衡、一般予防、特別予防等々いかなる見地からも、被告人に対しては、法が定める最も重い刑をもって処断する以外の選択肢はないというべきである。  いうまでもなく、死刑は究極の刑罰であって、その適用には慎重の上にも慎重でなければならず、いささかでもその適用に躊躇を覚える事情があるときには、その適用を差し控えるのでなければならない。本件についても、当裁判所は、そのような姿勢で量刑に当たって考慮すべき事情について慎重に検討を尽くした。そして、その結果、我が国の法が最も重い刑罰として死刑を定めている以上、被告人に科すべき刑は死刑以外にはあり得ないとの結論に達したのである。 七 なお、異例ではあるが、最後に当裁判所の所感を述べたい。  附属池田小学校事件はまことに悲惨な事件である。もとより、本件は被告人が自らの意思によって惹起したものであり、本件の刑事上の責はすべて被告人が負うべきものである。ただ、被告人の刑事責任の有無と程度を判断するのが当裁判所に課せられた責務とはいえ、本件の審理に当たって、当裁判所は、子どもたちの被害を防ぐ手だてはなかったものか、子どもたちの被害が不可避であった筈はない、との思いを禁じ得なかった。せめて、二度とこのような悲しい出来事が起きないよう、再発防止のための真剣な取組みが社会全体でなされることを願ってやまない。  よって、主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第二刑事部 裁判長裁判官 川合昌幸 裁判官 畑口泰成 裁判官 渡邊英夫

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