阪神見聞録

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本文[編集]

 大阪の人は電車の中で、平氣で子供に小便をさせる人種である、――と、かう云つたらば東京人は驚くだらうが、此れは嘘でも何でもない。事實私はさう云ふ光景を二度も見てゐる。尤も市内電車ではなく、二度とも阪急電車であつたが、此の阪急が大阪附近の電車の中で一番客種がいいと云ふに至つては、更に吃驚せざるを得ない。

 一度は何でも、寶塚で菊五郎の道成寺を見た歸り途の、滿員の電車の中だった。車臺の中央の吊り革にぶら下つてゐると、何處かでシヤアシヤアと放尿する音が聞える。そのうちに足もとへ水が流れて來る。變だなと思ふと、眞つ黒な人ごみの、ぎつしり詰つた二三人の頭越しに、一人の女親が三つ四つの幼兒を抱いて蹲踞まつてゐるのが眼に留まつた。此の女親の不作法は素より論外であるとして、私の不思議に思つたのは、此れを見てゐる車掌もお客も、別に咎め立てをしないばかりか、不愉快な顏つきをするのでもない。何しろ立錐の餘地もない中で、蹲踞まつてゐるのさへが不都合であるのに、近所の人はシヤアシヤアの飛ばツ散りぐらゐ受けるだらうが、誰も平氣で、全く無感覺な樣子をしてゐる。寶塚のお客が斯う云ふ人種の集まりだとすると、菊五郎がイヤ氣を起しても尤も至極と云ふべきである。
 二度目の時も矢張り滿員の電車だつたと覺えてゐるが、それも女親が幼い子供に、小便でなく糞をさせてゐた。念入りにも車臺の床へ新聞紙を敷き、その上へさせてしまつてから、今度は新聞紙を手で摘まみ上げ、お客の鼻先へ高々と翳して、雜沓の間を辛うじて分けながら、窓の外へ捨てるのである。甚だ尾籠なお話で、東京人には恐縮であるが、此方の人はこんな事を何とも思つてゐないらしい。

 大阪から汽車で京都へ行つた時、二等室に若い夫婦が乘つてゐた。そして生後一年ぐらゐの乳呑み兒を頭の上の網棚へ乘つけて、下から笑ひながら見上げてゐた。「鹽梅やう乘つとる」とか何とか云ひながら。――此れなんぞは無邪氣でいいが、前の尾籠な事件と共に、東京の電車や汽車の中では見られない圖である。東京人の常識では、かう云ふ人の心持ちは判斷が出來ない。ちよつと外國の風俗習慣を見るやうな氣がする。

 大阪の人――それも相當教養のあるらしい、サラリー・メン階級の人々――は、電車の中で見知らぬ人の新聞を借りて讀むことを、少しも不作法とは考へてゐないやうである。それも長い汽車の道中とか、つい隣席にゐる人の物なら分つた話だが、大阪人のはその借り方がいかにも不躾で、づうづうしい。たとへば私が大朝と大毎の夕刊を買つて乘り込むとすると、孰方か一つ、私の手に取らない方の新聞を、ちやんと眼をつけて直ぐ借りに來る。而も遠くから、人ごみを分けてやつて來て、煙草の火でも借りるやうな風で、「ちよいと拜借」と、譯なく借りて持つて行つてしまふ。さうして雜沓の中であるから、もうその人は何處へ行つたか姿が見えず、貸したが最後向うから返しに來てくれる迄ポカンと待つより仕方がない。マゴマゴすれば自分の降りるべき停留場へ來て、とうとうそれは取られツ放しになることもあり得る。僅か一枚の新聞であるが、貸す方の身では自分が買つてまだ眼を通さないものなのである。私が人から借りるとすれば、相手がすつかり讀み終つて、次ぎの新聞に移る迄は差し控へる。然るに大阪では、馬鹿なのかづうづうしいのか、そんな遠慮をしてゐる者は一人もない。
 ヒドイ奴になると、一度私はこんな目に遭つた。或る晩梅田で大朝と大毎の夕刊を買つて、阪急に乘つたが、少し酒を飮んでゐたので、乘り込むと直ぐ好い心持ちに居睡つてしまつた。すると暫く立つてから、「もしもし、もしもし」と、ガンガン云ふ聲で耳元で怒鳴る奴がある。――多分私は肩を持つて搖すられたやうに記憶してゐる。――ふと眼を覺ますと、一人の紳士が傍に立つて、「ちよつと夕刊を拜借します」と云つてゐる。私は眠い眼を擦りながら、「はア」と夢現で返辭をしたが、さァそれからは眼が冴えてしまつて、どうしても寢られない。仕方がないから新聞を讀まうとすると、さつきの紳士が二枚とも持つて行つてしまつた。が、何分眼惚けてゐたものだから、それがどんな男だつたか、キヨロキヨロ見廻してもよく分らない。そのうちに夙川へ來る、蘆屋川へ來る、いよいよ次ぎの岡本で降りようと思つて立ち上ると、やつとその男が返しに来た、見れば四十恰好の、髯を生やした紳士だつたが、此奴の方では恐らく私が眼を覺ましたのを知つてゐたのだ、さうして平氣で讀んでゐたのに違ひないのだ。
 それがあんまり忌ま忌ましかつたから、以來私は時々意地の惡いことをして、腹癒せをしてやる。一枚を讀んで、一枚の方を特にれいれいしく膝の上に載せて置く。すると必ず「拜借」と來るが、「此れから讀むのですから」とキツパリ斷る。既に讀んでしまつた方でも「まだ讀むところがありますから」と云つてやる。或る時私は、わざと一枚貸してやつて、ちやうど續き物のまん中あたりを讀みかけた時分に、「何卒お返しを願ひます」と云つてやつたら、相手は實にイヤな顏をして、澁々返した。私は胸がすツとして、日頃の恨みを晴らした氣がした。此の時ぐらゐ痛快だつたことはなかつた。
 阪急の梅田では、電車の中へ夕刊を賣りに來るのだから、買ふ機會はいくらもある。それを買はずに、人から借りて讀むことに極めてゐるやうな連中には、此のくらゐ手きびしくしてやつて丁度いいのである。

 電車でもう一つ氣がつくのは、滿員の場合に大勢の人が立つてゐながら、座席の方はいつも大概餘裕がある。融通すればまだ一人二人かけられるのに、誰も席を空けてやらない。甚しきは「もう少し孰れかへ寄つてくれ」と云ふと、怒る奴さへゐる。荷物を脇へ置いてゐる者が、決してそれを自分の膝へ上げようとしない。いよいよ鮨詰めになつて來ると仕方がなしに、ただその荷物を傍へ寄せつけるばかりである。かう云ふ事は、此れを默つて許して置く方も惡いと思ふ。要するに東京に比べて、市民全體の公徳心が薄いのではあるまいか。

 一體に、東京人は見ず知らずの人に向つて話しかけることはめつたにない。それは不作法な事であり、田舍者のする事だとしてゐる。大阪人は此の點に於いて東京人ほど屋でなく、人をしない。或る場合には却てフランクでいいこともあり、寧ろ美點であるのかも知れぬが、此れがやつぱり東京人にはづうづうしく見え、不愉快でない迄も「非常識な」と云ふ感じを與へる。
 六甲の苦樂園にゐた時、或る朝ラジウム温泉の共同風呂へ這入りに行くと、私より先に這入つてゐた商人風の若い男が、やがて私と入れ代りに湯から上つて、戸外へ出て行つたかと思ふと、直ぐ又それとよく似た男が這入つて來て、着物を脱いで、素ツ裸になつて、私の漬つてゐる湯槽の中へ飛び込んだので、「オヤ、此れは今の男と違ふのか知らん?」と思つてゐると、その男はニヤニヤしながら、「失禮ですが、あなたが谷崎さんですか」と云ふ。さうだと答へると、「ははア、左樣で。――實は何です、今門口で谷崎さんは此の温泉へおいでにならんかと聞いてみましたら、今お這入りになつてゐるのが谷崎さんだと伺ひましたんで、ちよつとお目に懸りたくつて、もう一度風呂へ這入りに來ました」と云ふのであつた。
 しかし此れなどは非常識でも愛ママのある部だが、これも矢張り同じ風呂場で、或る朝私が湯槽の縁にしやがみながら、湯を浴びてゐると、中に漬つてゐる二人連れの男が、つい鼻の先で、此方を無遠慮にヂロヂロ見つめては話をしてゐる。「ホレ、此の方が谷崎さんや」「ふーん、さうだつか、此れが谷崎さんだつか、偉いお方やな」と、まるで品物の値蹈みでもするやうに、人の顏を見ては感心してゐる。そのくらゐなら「あなたは谷崎さんですか」と呼びかけてくれる方がまだいいのだが、決して直接には話しかけない。何とも氣味の惡い次第であつた。
 私はいつぞや上方の食ひ物のことを書いたから、今度は人間のことを書いてみた。が、斯うして見ると、人間の方はどうも食ひ物ほど上等ではないやうである。

(大正十四年十月号)


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