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鐵道震害調査書/第一編/第二章/第十六節

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第十六節 北條線(蘇我江見間69.3哩)

切取 切取の被害󠄂は比較󠄁的大にして崩󠄁壞總土坪󠄁約7,200立坪󠄁達󠄁し,その內約6,900立坪󠄁は上總湊濱金谷間の軟砂岩又󠄂は凝灰󠄁質頁岩より成れる山腹切取法面の崩󠄁壞にして,蘇我起󠄁點35哩2鎖󠄁近󠄁の約1,500立坪󠄁,35哩21鎖󠄁近󠄁の約2,000立坪󠄁,38哩50鎖󠄁近󠄁の約3,000立坪󠄁崩󠄁壞を大なるものとす(寫眞第二百四乃至第二百七參照)。その他大貫佐貫町間に1箇所󠄁,南三原和田浦間に2箇所󠄁崩󠄁壞あり。

築堤 築堤の被害󠄂崩󠄁壞沈下最も多く,罅裂亦少からず。崩󠄁壞の最も甚しきは那󠄁船󠄂形千倉間にして千倉和田浦間之に次󠄁ぐ,就中那󠄁船󠄂形驛江見方の築堤(高19呎)の如きは本線中沈下の最も大なるものにして,延󠄂長約1,000呎に亘り沈下約13呎に及べり(寫眞第二百八及び第二百九參照)。而してこれ等の被害󠄂は橋臺裏に生じたるもの多く,周西以南の橋臺裏の築堤にして被害󠄂なきもの少し。又󠄂罅裂は周西靑堀間の築堤沈下箇所󠄁に於ける幅1呎,深2呎,長270呎のもの最も大にして,木更󠄁津以北には築堤の被害󠄂殆どなし。

  土留壁  佐貫町上總湊間に築堤土留布石空󠄁積石垣1箇所󠄁,岩井富浦間に築堤練積間知石垣1箇所󠄁那󠄁船󠄂形北條間に築堤土留空󠄁積間知石垣3箇所󠄁,九重千倉間に切取練張野面石垣1箇所󠄁崩󠄁壞し,又󠄂九重千倉間築堤混凝土擁壁2箇所󠄁,南三原和田浦間切取練積間知石垣1箇所󠄁罅裂を生じたり。

  橋梁  橋臺の被害󠄂は變位最も多く,バラス止の罅裂切斷及び軀體工の切斷これに次󠄁ぐ。橋脚の被害󠄂は軀體工の切斷最も多く,變位罅裂亦尠からず。橋桁の被害󠄂は九重千倉間第一瀨戶川橋梁に於て墜󠄁落せるもの2連,その他の橋梁に於ては移動せるもの相當に多し。尙袖石垣の被害󠄂は最も甚しくして崩󠄁壞せるもの極めて多し。而してそれ等被害󠄂の最も大なりしは九重千倉間第一瀨戶川橋梁(徑間40呎鈑桁3連)にして,橋脚1基折損轉落し,他の1基は水平󠄁に切斷され,橋臺は東西共にバラス止切斷して1基は傾斜󠄁,1基は切斷し,鈑桁2連墜󠄁落せり。これに次󠄁ぐを湊川橋梁(徑間40呎鈑桁,徑間60呎鈑桁各9連)とし,橋脚總計17基の內13基は水平󠄁に切斷し,且切斷部に於ける上下兩部は多きは1呎6吋の喰違󠄄を生じ,橋臺も亦1基切斷したれども鈑桁には損傷を認󠄁めず。又󠄂小磯川橋梁,合磯川橋梁,岡本川橋梁,大和田川橋梁,第二瀨戶川橋梁及び丸山川橋梁の如きは各橋脚何れも切斷し,その上部傾斜󠄁或は移動せり(寫眞第二百十乃至第二百十五參照)。この外上總湊以南の橋梁には何れも相當大なる被害󠄂あり。尙混凝土拱は營業線に屬するものには被害󠄂なかりしも安房󠄁線鴨川工區に於けるもの1箇所󠄁拱頂に罅裂を生じたり。(寫眞第二百十六參照)

 道󠄁  隧道󠄁の被害󠄂最も大なるは岩井富浦間南無谷隧道󠄁(延󠄂長2,429呎)にして,穹拱2箇所󠄁に於て崩󠄁壞し,土砂陷落のため隧道󠄁中央部約800呎を閉塞し,崩󠄁壞直上部山丘の地表亦陷落し,隧道󠄁全󠄁長に亘り穹拱及び側壁に大小無數の縱橫罅裂及び變形を生じたり。これに次󠄁ぐは濱金谷保田間鋸山隧道󠄁(延󠄂長4,106呎),及び岩井富浦間小浦隧道󠄁(延󠄂長661呎)にして,鋸山隧道󠄁は側壁及び拱の一部分󠄁崩󠄁壞せる外,兩坑門口より各約120呎の間覆󠄁工に多數の罅裂を生じ(寫眞第二百十七參照)。又󠄂小浦隧道󠄁崩󠄁壞せる箇所󠄁なきも,殆ど全󠄁長に亘りて覆󠄁工に多數の縱橫罅裂を生じたり。その他の隧道󠄁に於ても坑門口附近󠄁に罅裂を生じたるもの多數あり。尙安房󠄁線に於て建󠄁設工事中なりし嶺岡隧道󠄁崩󠄁壞せり。

  停車場  停車場の被害󠄂は蘇我楢葉間に在りては輕微なりしも,木更󠄁津南三原間に於て著しく,和田浦江見兩驛に於ては殆どなし。

 本屋の倒潰せるものは木更󠄁津南三原間16驛中周西,佐貫町,保田,岩井,那󠄁船󠄂形,安房󠄁北條,九重,千倉及び南三原の9驛の多きに達󠄁し,その他木更󠄁津,靑堀,大貫,上總湊,安房󠄁勝󠄁山及び富浦の6驛の如きも使󠄁用に堪へざる程󠄁度に破損し,濱金谷驛のもの亦傾斜󠄁せり(寫眞第二百十八乃至第二百二十參照)。又󠄂蘇我楢葉間の各驛本屋は幾分󠄁の傾斜󠄁を生じ,壁の一部剝落せるものあり。

 本屋附屬上家は本屋の倒潰せし驛に於ては槪ね共に倒潰し,上總湊安房󠄁勝󠄁山兩驛に於ては上家のみ倒潰せり。尙その他の驛に在りても上家の被害󠄂は本屋より甚し。

 貨物積卸場上家は佐貫町上總湊及び岩井の3驛に於て倒潰せしも,他は傾斜󠄁したるのみにて甚しき震害󠄂を受けたるものなし。

  乘降場及び積卸場  乘降場及び積卸場擁壁は木更󠄁津南三原間に於ては倒潰沈下せざるものなく,その他に於ても沈下又󠄂は罅裂を生じたり。

 建󠄁 驛附屬物置,燈室,便󠄁所󠄁等の被害󠄂は本屋の被害󠄂に比し遙かに小にして,傾斜󠄁又󠄂は罅裂等の損傷を生じたるも倒潰せるもの少く,官舍は北條驛本屋の北に在りたるもの5棟中4棟は全󠄁潰し,1棟は半󠄁潰せしが,その他には大なる被害󠄂なし。

  跨線橋  跨線橋は木更󠄁津及び安房󠄁北條の兩驛に設けられたるのみなりしが何れも殆ど被害󠄂認󠄁めず。

  給水器  木更󠄁津,安房󠄁北條兩驛の給水臺は何れも小傾斜󠄁をなせしが,槽及び臺には移動又󠄂は罅裂等の被害󠄂なし。

 道󠄁  本線に於ける軌道󠄁の被害󠄂は總延󠄂長約17哩に達󠄁して東海道󠄁線の次󠄁位に在り,被害󠄂は沈下最も多く,上總湊濱金谷間,岩井富浦間,那󠄁船󠄂形北條間等殊に甚しく築堤の沈下4呎乃至10呎に及び,軌道󠄁亦これに伴󠄁ひて沈下せり(寫眞第二百二十一乃至第二百二十三參照)。この外南三原和田浦間に於て13呎の沈下を生じたる箇所󠄁あり。移動は安房󠄁北條九重間,千倉南三原間最も多くして最大2呎に達󠄁せり。而して埋沒の被害󠄂多かりしは上總湊濱金谷間の如き切取箇所󠄁なり。

  列事及び車輛  安房󠄁勝󠄁山岩井間に於て進󠄁行中なりし貨物列車の貨車8輛脫線し,又󠄂房󠄁北條九重間に於て上り單行機關車の1輛1軸脫線せり。尙北條機關庫內に在りし機關車5輛の內4輛橫顚せり。