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鐵道震害調査書/第一編/第二章/第一節

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第二章 線路別被害󠄂槪況

第一節 東海道󠄁本線(東京御殿場間70.3哩)

本線の區域はその延󠄂長約70哩に亘るを以て,被害󠄂程󠄁度も區間によりて大差を生じ,東京横濱地方に於けるが如き火災に因る被害󠄂を除き,直接震災に因るものは東京より西下するに從ひ漸次󠄁その度を增し,淸水谷戶隧道󠄁を越え戶塚驛附近󠄁より一層甚しく,國府津下曾我附近󠄁最も劇しく,これより西するに從ひ被害󠄂の度を減少し,足柄信號󠄂所󠄁近󠄁に於て再びその度を增し,御殿場驛に至りて減少せり,依て本區域を地震直接の被害󠄂程󠄁度より大別すれば,戶塚足柄間,六郷󠄁川戶塚間,足柄御殿場間,東京六郷󠄁川間の順序にして,戶塚足柄間の如きは熱海線と大差なき程󠄁度の損害󠄂を蒙りたり。

切取 東京程󠄁ヶ谷間に於ては切取の崩󠄁壞せるものなく,程󠄁ケ谷戶塚間に於ては淸水谷戶隧道󠄁の東京方坑門附近󠄁約1,000坪󠄁崩󠄁壞を最大とし,同隧道󠄁沼津方坑門附近󠄁の約500坪󠄁これに次󠄁ぎ,その他3,4箇所󠄁崩󠄁壞あり,松󠄁田足柄間は箱根山間を通󠄁ずるを以て從て切取の被害󠄂多く,箱根第三號󠄂及び第四號󠄂道󠄁間を閉塞したる數萬立坪󠄁崩󠄁壞を最も大なるものとし線路開通󠄁のため取除たる土積約10,000立坪󠄁達󠄁す(附圖第十及び寫眞第一參照)これに次󠄁ぐは山北驛構內の約900坪󠄁,汐留起󠄁點66哩13鎖󠄁近󠄁(以下哩程󠄁は汐留起󠄁點とす),の約700坪󠄁,65哩78鎖󠄁近󠄁の約600坪󠄁等にして,その他500坪󠄁以下の崩󠄁壞數十箇所󠄁あり(寫眞第二及び第三參照),足柄御殿場間に於ては大なる崩󠄁壞箇所󠄁なく,只切取法面空󠄁積石垣の崩󠄁壞箇所󠄁に被害󠄂ありしに過󠄁ぎず。

築堤 東京六郷󠄁川間に於ては田町驛附近󠄁汽車線の延󠄂長約66呎に亘り築堤約3呎沈下せるを最大なるものとし(寫眞第四參照),その他品川蒲田間に於て3,4箇所󠄁の小沈下ありしに過󠄁ぎず,六郷󠄁川戶塚間に於ては23哩29鎖󠄁近󠄁延󠄂長約200呎に亘り約8呎沈下せるを最も大なるものとし,その他7呎以下の沈下十數箇所󠄁あり,戶塚足柄間は東海道󠄁線中に於ける最大被害󠄂區間にして,國府津下曾我附近󠄁延󠄂長約2 1/2哩に亘りて殊に甚しく全󠄁部潰滅して堤形を存せず,その最大沈下約25呎に達󠄁せり(第五表並に寫眞第九及び第十參照),これに次󠄁ぐは二宮驛東京方の最大沈下20呎,47哩25鎖󠄁近󠄁延󠄂長1,320呎に亘る最大沈下約12呎,53哩25鎖󠄁より延󠄂長約2哩間の沈下最大約20呎,55哩73鎖󠄁近󠄁の沈下最大約15呎,56哩12鎖󠄁近󠄁の沈下最大約25呎,67哩27鎖󠄁より同哩48鎖󠄁に至る最大沈下約15呎等にして,この外10呎以下の沈下各所󠄁に在り(寫眞第十一乃至第十七參照),尙本區間に於ける築堤の罅裂亦甚しく,茅ヶ崎平󠄁塚間茅ヶ崎川附近󠄁(38哩20鎖󠄁乃至38哩55鎖󠄁)に於ては幅8呎,深5呎,延󠄂長40呎に達󠄁するもの,及び幅6呎,深6呎,延󠄂長330呎に達󠄁するものありたり(寫眞第五乃至第八參照),足柄御殿場間に於ては68哩37鎖󠄁より同哩71鎖󠄁に至る沈下約7呎を最大なるものとし,この外6呎以下の沈下數箇所󠄁ありたり。

土留壁 東京六郷󠄁川間に於ては大森驛構內に於ける築堤土留石垣(間知石空󠄁積)の小被害󠄂ありしのみにして,六郷󠄁川戶塚間に於ては築堤土留石垣(間知石空󠄁積)の崩󠄁壞6箇所󠄁,孕出6箇所󠄁,切取法留石垣の小崩󠄁壞1箇所󠄁あり,戶塚松󠄁田間に於ては築堤土留石垣の空󠄁又󠄂は練積にして崩󠄁壞せしもの12箇所󠄁,切取法留空󠄁積石垣の崩󠄁壞3箇所󠄁あり,(寫眞第十八參照),松󠄁田足柄間に於ては築堤土留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁又󠄂は練積にして崩󠄁壞せしもの18箇所󠄁,切取法留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁又󠄂は練積にして崩󠄁壞せしもの60箇所󠄁の多きに達󠄁し,(寫眞第十九參照),足柄御殿場間に於ては築堤土留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁積にして崩󠄁壞せしもの4箇所󠄁,切取法留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁積にして崩󠄁壞せしもの15箇所󠄁ありたり。

橋梁 東京六郷󠄁川間に於ては高架線有樂町新橋間の拱橋火災のため煉化石の表面剝落(附圖第十一,第十二及び寫眞第二十參照)せる外,直接地震に因る被害󠄂は橋臺の中央部に縱罅裂1條を生ぜしもの3箇所󠄁,橋臺の前󠄁方に僅傾斜󠄁せしと認めらるるもの4,5箇所󠄁,及び袖石垣の沈下せしもの數箇所󠄁ありしのみ,六郷󠄁川戶塚間に於て被害󠄂の大なるは六郷󠄁川橋梁(徑間約40呎鈑桁24連4列,110呎構桁5連2列)にして兩橋臺とも縱に龜裂を生じ前󠄁進󠄁し,橋脚の內1基は縱に龜裂3條を生じ,1基は平󠄁水位附近󠄁にて切斷し,6基は地盤附近󠄁にて切斷して,沈下移動を生じたり,この外鶴見戶塚間に於ける各橋梁の多くは橋臺多少前󠄁進󠄁又󠄂は傾斜󠄁し,これがため徑間短縮せり(寫眞第二十一參照),尙橋臺橋脚の切斷せしもの1箇所󠄁,バラス止に罅裂を生ぜしもの,橋臺に罅裂を生ぜしもの各2箇所󠄁あり,又󠄂神奈川横濱間帷子川橋梁は猛火のため鈑桁3連使󠄁用に堪へざる程󠄁度に彎曲せり,戶塚松󠄁田間に於て最大の被害󠄂ありしは馬入川橋梁(徑間70呎鈑桁28連,單線2列)にして,橋臺は何れも前󠄁進󠄁し,橋脚54基中48基は切斷し,その內44基は倒壞し,鈑桁も亦56連中47連は河中に墜󠄁落せり,その他の各橋梁は橋臺傾斜󠄁又󠄂前󠄁進󠄁して徑間を短縮せしもの多く,又󠄂軀體工の切斷,崩󠄁壞せしもの,或はバラス止の破壞せしもの等甚多し(寫眞第二十二乃至第二十六參照),獨り下曾我松󠄁田間川音󠄁川橋梁(徑間60呎鈑桁6連)のみは袖石垣の崩󠄁壞せし外被害󠄂認󠄁めざりき,松󠄁田御殿場間に於て被害󠄂最大なるは第五相澤川橋梁(徑間70呎鈑桁2連,單線2列)にして,東京方橋臺は一部,沼津方橋臺は大部分󠄁崩󠄁壞し,橋脚亦切斷して鈑桁2連墜󠄁落せり,尙第一酒匂川橋梁(徑間200呎構桁1連,70呎鈑桁1連)は橋脚1呎餘沈下し,又󠄂その他の橋梁に於ても橋臺の切斷,バラス止の破壞せるもの等多く,拱渠は何れも著しき損傷を受けたり。(寫眞第二十七乃至第三十九參照)

隧󠄁道󠄁 道󠄁の被害󠄂の最も大なるは箱根第七號󠄂上り線隧道󠄁にして,拱部延󠄂長約48呎間崩󠄁壞して上部の土砂陷落し,尙兩坑門及び拱に罅裂を生じたり,次󠄁に同第三號󠄂上り線隧道󠄁は內部拱及び側壁を通󠄁じて切斷し,その幅1呎餘に達󠄁して上部より土砂崩󠄁壞し,沼津方坑門口は切取土砂崩󠄁壞のため約10呎間破壞して隧道󠄁を閉塞し,東京方坑門口及びその附近󠄁の內部は各所󠄁に罅裂を生じ,下り線隧道󠄁は內部拱及び側壁を通󠄁じて切斷し,その幅1呎6吋に及び上部より土砂崩󠄁壞せり。沼津方坑門口は切取土砂崩󠄁壞のため閉塞され東京方坑門及びその附近󠄁は內部各所󠄁に罅裂を生じ,又󠄂第二號󠄂上り線隧道󠄁は內部拱に煉化石の剝脫2箇所󠄁あり,尙兩坑門及び內部所󠄁々に罅裂を生じ(寫眞第四十及び第四十一參照),第一號󠄂上り線も亦兩坑門及び內部各所󠄁に罅裂を生ぜり。その他の箱根山間に於ける隧道󠄁及び程󠄁ヶ谷戶塚間淸水谷戶隧道󠄁に在りても兩坑門口及び內部に多少の罅裂を生じたり。

停車場本屋 停車場本屋の火災に罹りしは有樂町,新橋,汐留,濱松󠄁町及び横濱の各驛にして(寫眞第四十五參照),直接地震に因る被害󠄂は東京蒲田間に於ては極めて輕微にして,川崎戶塚間に於ては沈下傾斜󠄁せしものあるも大なる被害󠄂なく,大船󠄂松󠄁田間に於ては傾斜󠄁大破したる國府津驛本屋を除くの外何れも倒潰せり(寫眞第四十九,第五十一,第五十二乃至第五十五參照)。又󠄂山北御殿場間に於ては足柄信號󠄂所󠄁倒潰し,山北驛は傾斜󠄁大破し,谷峨駿河兩驛は傾斜󠄁沈下せしが御殿場驛は被害󠄂輕微なりき。

乘降場上家 乘降場上家の燒失せしは有樂町,新橋,濱松󠄁町,橫濱の各驛及び神奈川驛下り線のものにして(寫眞第四十四,第四十六乃至第四十八參照),直接地震に因る被害󠄂は東京蒲田間に於て東京驛の汽車線用2棟(梁行各28呎)は孰れも鑄鐵柱折損屋根墜󠄁落し(寫眞第四十二及び第四十三參照),電車線用2棟(1棟は梁行18呎,1棟は梁行28呎)は大半󠄁切斷せしも倒壞を免れ,又󠄂田町驛山手線上家は地盤陷落のため一部倒壞せしもその外は被害󠄂輕微なりき。次󠄁に川崎戶塚間に於て倒壞せしは東神奈川第二乘降場及び程󠄁ケ谷驛のものにして,戶塚驛のものは古軌條の柱を用ひありしを以て地盤沈下せしも倒潰を免れたり,その他各驛に於て沈下傾斜󠄁したるもの多し。又󠄂船󠄂松󠄁田間に於ては二宮驛のもの傾斜󠄁大破し,國府津驛のものは小傾斜󠄁したる外全󠄁部倒潰し(寫眞第五十及び第五十二乃至第五十五參照),山北御殿場間に於ては山北驛下り線のもの倒潰し,駿河驛のもの傾斜󠄁せしが,御殿場驛のものは被害󠄂輕微なりき。

貨物積卸場上家 貨物積卸場上家は東京蒲田間に於ては被害󠄂極めて輕微にして,川崎戶塚間に於ては程󠄁ケ谷驛のもの沈下傾斜󠄁せし外被害󠄂少く,大船󠄂松󠄁田間に於ては國府津驛のもの小傾斜󠄁,下曾我松󠄁田兩驛のもの半󠄁潰大破せる外全󠄁部倒潰し,山北御殿場間に於ては被害󠄂輕微なりき。

乘降場擁壁 乘降場擁壁は東京蒲田間に於ては笠石目地の一部罅裂を生じ又󠄂は擁壁小傾斜󠄁せしのみにして被害󠄂大ならず。川崎戶塚間に於ては笠石の墜󠄁落し擁壁の一部崩󠄁又󠄂は傾斜󠄁をなせしもの多く,戶塚松󠄁田間に於ては大部分󠄁崩󠄁又󠄂は大傾斜󠄁沈下屈曲等大破せるもの多し(寫眞第五十三乃至第五十五參照)。尙山北御殿場間に於ても罅裂傾斜󠄁等の被害󠄂ありたり。

積卸場擁壁 積卸場擁壁は東京蒲田間に於ては小罅裂を生ぜし箇所󠄁あるも大部分󠄁は殆ど被害󠄂なく,又󠄂川崎戶塚間に於ても大なる被害󠄂認󠄁めず,戶塚松󠄁田間に於ては大磯,二ノ宮,下曾我各驛のもの罅裂崩󠄁壞大傾斜󠄁をなし,大船󠄂藤󠄇澤,國府津のものは沈下小破し,辻堂,茅ケ崎,平󠄁塚のものは被害󠄂殆どなし,又󠄂松󠄁田御殿場間に於ては松󠄁田驛のもの一部分󠄁崩󠄁壞し,山北驛のもの龜裂沈下せり。

建󠄁 停車場本屋及び附屬建󠄁物を除きたる諸建󠄁物に於ては鐵道󠄁省本廳舍,鐵道󠄁省敎習󠄁所󠄁,東京第一改良事務所󠄁,東京第二改良事務所󠄁,新橋運󠄁輸事務所󠄁,新橋保線事務所󠄁,新橋電力事務所󠄁,東京建󠄁設事務所󠄁,鐵道󠄁病院,汐留倉庫,東京,汐留及び橫濱等の官舍,被服󠄁工場,公󠄁報印刷所󠄁,永樂町變電所󠄁等は孰れも全󠄁燒し,横濱倉庫,矢口發電所󠄁,川崎,大井,大船󠄂,二ノ宮の各變電所󠄁,大井工場及び品川,高島,山北の各機關車庫等は傾斜󠄁破損等の部分󠄁的損害󠄂を蒙りたるもの多し(寫眞第五十六及び第五十七參照)。尙沿線各驛の官舍は前󠄁記󠄂燒失せしものゝ外倒潰,傾斜󠄁,破損等の被害󠄂ありたるもの多し。

跨線橋 跨線橋は何れも大なる被害󠄂なく,多くは乘降場面の沈下に伴󠄁ひて脚柱基礎と土臺石との目地の切斷及び階段全󠄁體移動せしに過󠄁ぎず,震動の劇しかりし大船󠄂松󠄁田間に於ては脚柱基礎と土臺石との喰違󠄄ひ2呎餘に及び,階段も移動甚しく,從て橋體取付部の弛緩󠄁せるもの多し。尙橋脚用鑄鐵柱の切斷せられしもの,及び鑄鐵柱の間の筋違󠄄の取付部缺損せしもの多かりしも著しき傾斜󠄁をなせしものなし。その他の區間に於ける被害󠄂は輕微なり。(寫眞第五十八參照)

地下道󠄁 東京附近󠄁の地下道󠄁は殆ど被害󠄂なかりしも,下曾我驛のものは(盛土內に設けらる)全󠄁く舊形を止めざる程󠄁度の大崩󠄁壞をなせり。(第十三表並に寫眞第五十九及び第六十參照)

給水設備 給水槽臺は大船󠄂,國府津,山北3驛の煉化石造󠄁又󠄂は石造󠄁のもの,東神奈川驛の鐵製のもの,及び國府津驛に於ける木造󠄁のもの各1個破壞し,給水槽は孰れも鐵製にして墜󠄁落破損せり。(寫眞第六十二及び第六十三參照)

信號機 號󠄂機の被害󠄂にして最も多數なるは基礎の沈下又󠄂は鐵塔傾斜󠄁のため信號󠄂機の傾斜󠄁せしものにしてその數96基あり,次󠄁に柱の折損せしもの32基,柱又󠄂は附屬品の破損せしもの25基,倒壞せしもの14基あり。この外東京橫濱間に於て沿線火災のため燒損せしもの8基を算す。(寫眞第六十四參照)

道󠄁 有樂町濱松󠄁町間及び汐留驛構內並に神奈川橫濱間の各軌道󠄁は猛火に襲󠄂はれて枕木大部分󠄁燒失せしが,地震に因る被害󠄂は築堤沈下のために軌道󠄁の沈下彎曲せしもの,切取崩󠄁壞のため埋沒屈曲せしもの,橋桁墜󠄁落のため墜󠄁落屈折せしものとにして,その最も甚しく沈下彎曲したるは國府津下曾我間約2 1/2哩に亘る區間にして,戶塚足柄間に於ても各所󠄁に大被害󠄂あり,而して東京六郷󠄁川間に於ては田町驛附近󠄁約10鎖󠄁間,及び品川蒲田間に數箇所󠄁の小被害󠄂ありしのみなり。

列車 地震發生當時被害󠄂區域內の本線に運󠄁轉中の列車は旅客列車5,貨物列車13,電車12,合計30箇列車にしてこの內事故の生じたるもの16個列車あり,これを大別すれば,沿線火災のため類燒したるもの有樂町新橋間,新橋濱松󠄁町間,濱松󠄁町驛及び橫濱程󠄁ヶ谷間に於て各1個列車(機關車1輛脫線,1輛燒損,客車20輛,電車8輛燒損),築堤崩󠄁又󠄂は沈下のため脫線又󠄂は顚覆したるもの戶塚大船󠄂間,國府津下曾我間及び下曾我松󠄁田間に於て各1個列車(機關車2輛顚覆,1輛脫線,客車9輛傾斜󠄁,1輛顚覆,貨車23輛顚覆,16輛脫線),切取法面崩󠄁壞のため事故の生じたるもの山北谷峨間に於て1個列車(機關車1輛傾斜󠄁,貨車11輛顚覆,6輛脫線,2輛1軸脫線),震動のため脫線顚覆したるもの大船󠄂藤󠄇澤,山北,御殿場の各驛構內,及び藤󠄇澤辻堂間,平󠄁塚大磯間に於て各1個列車茅ヶ崎驛構內に於て2個列車(機關車4輛顚覆,客車2輛脫線,5輛顚覆,貨車20輛脫線,56輛顚覆,2輛傾斜󠄁)にして,尙これがため旅客の即死8人,重傷39人,輕傷5人,及び乘務員の即死1人,重傷2人を生じたり)。(第十七表並に附圖󠄃第三及び寫眞第六十五乃至第七十三參照)