詩学/本書の『詩学』和訳と其解説註釈とに就いて (松浦嘉一)
本書の和訳は、全然、一九〇九年、牛津〔オックスフォード〕版バイウオータア著『アリストートルの詩学』の本文《テクスト》と、其練達したる英訳並びに註釈とに其因したものである。訳者は、先づ其本文《テクスト》を能ふ限り精査し、次に其英訳に向ひ、さうして、これにどこまでも、因りながら尚、措辞に於いて、出来るだけ希臘〔ギリシャ〕語の持味を出すことに努力した。和訳の此処彼処に出る[ ]を附した割註は原文に無い字句で、而も読んで分る文章として必要と訳者が認めた補挿句である。之等の補挿句を容れ、また、バイウオータアの英訳に於いて、希臘〔ギリシャ〕語のままに出てゐる引用句などを和訳するに就いて、一九一三年頃亜米利加〔アメリカ〕で出たクーパアの『詩学』敷衍〔ふえん〕訳が参考になつた。
Ac が現存の他のすべての稿本の基本たることを信ずるバイウオータアの『詩学』の特色は、従来、他の多くの『詩学』学者が Ac の難解なる個処に出会う毎に、無造作に直ちに、或はルネッサンス稿本に向ひ、或は亜剌比亜〔アラビア〕訳に向ひ、其等の有する読方を採用したに反し、彼は明正なる考察の下に、従来の修正の非を唱へ、 Ac にあるままを採用し、而かも見事に解釈し去つた点に存する。
訳者は、バイウオータア及びブチアの本文《テクスト》の下に掲げられた異読表で、僅かにティリィト、スペンゲル、フアーレン、リッタア、ゴムペルツその他の『詩学』学者の別様の読方に接した。さうしてまた両氏の本文《テクスト》を比較して見た。この可也煩瑣〔はんさ〕な仕事が訳者に齎〔もたら〕した果実は、本書の和訳が一層正確になつたことと、今一つ、さうしてそれは最も重要なことであるがブチアの本文《テクスト》を通して『詩学』稿本に対し、バイウオータアと丁度正反対の見解を有する『詩学』修正者の読方をほぼ窺ひ知つた事である。ブチアは Ac が他の稿本よりも優れてゐるとは信ずるが、其れが他のすべての稿本の基本であることを信じない。其理由は、結局、前述の、ルネッサンス稿本の優れた読方のあるものは、単に筆耕者の修正としては、あまりに優れたものであるといふ点に帰する。両者を比較すると、バイウオータアが Ac のままを採用してゐる個処で、ブチアがルネッサンス稿本を採用してゐる例は十を下らない。またブチアは、亜剌比亜〔アラビア〕訳を非常に信頼してゐる点に於いて、バイウオータアと際立つた対照をしてゐる。バイウオータアが Ac のままを採用してゐる個処で、ブチァが亜剌比亜〔アラビア〕訳を採用してゐる例は五を下らない(本書附録異読表参照)。
本書の註釈は、主として、バイウオータアの示唆に依つて出来たものであるが、尚これを補ふに、バトゥ著『四つの詩学』ツウアイニングの美しく、さうして、珍しい挿話的註釈、並びに一八八七年独逸〔ドイツ〕に出たステッヒ著『アリストテレスの詩学』註釈等の採録を以てした。また必要に応じて、註釈の部に於いて、各章の冒頭に冠した解説はバイウオータア同上の書、ブチア著『アリストートルの詩論』四版並びに、深田康算博士著『芸文』掲載『アリストテレスの芸術論』に負ふ所多大であつた。
本書の解説註釈に引説したプラトン対話編はジョウェットの英訳に拠つた。アリストテレスの『政治学』はジョウェットの英訳並びに、ニユーマンの註釈に、『倫理学』はチエイズ及びギリスなどの英訳並びにスチユウアトの簡訳と註釈とに、『修辞学』はジェップの英訳並びにコープの註釈に拠つた。註釈中、希臘〔ギリシャ〕演劇に関してはヘイグ著『希臘〔ギリシャ〕悲劇』並びに同人著『希臘劇場《アテツクシアタア》』(三版)並びにモールトン著『古代古典劇』二版などに拠つた。また、希臘〔ギリシャ〕悲劇の梗概に関しては、アイスキュロスはスウオニクの散文訳(ボーンス叢書)に、ソフオクレスはストーの英訳(ハイネマン社)コウルリッヂの散文訳(ボーンス叢書)などに、エウリピデスはウエイの英訳(ハイネマン社)に拠つた。最後に、ホメロスに関しては、主として『イリアス』はダービイ卿の英訳(エブリイマンス叢書)に『オデュセイア』はマリの散文訳(ハイネマン社)に拠つた。
■編注
旧字体⇒新字体へ変換。《》は底本のルビ、〔〕はWikisource入力者による補注(主として常用+人名用の範囲に含まれない漢字等へのルビ振り)。