詩学/『詩学』の異本に就いて (松浦嘉一)

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  Ac と前に述べた所の『詩学』の亜剌比亜〔アラビア〕訳と今一種の稿本で数多あるルネッサンス稿本との価値上の比較問題に関しては、バイウオータア『アリストートルの詩学』序文二七 - 四七頁に亘って明細に論術されてゐる。その大要は下の如くである。

 亜剌比亜《アラビア》訳が、処処にて、 Ac よりも優れた読方をし居、 Ac に顕はれたる筆耕上の大なる誤謬を訂正してゐるけれども、尚ほ Ac は『詩学』の原文として第一位を要求する。其の一理由は、 Ac 稿本は、元来『修辞学』及び後期アリストテレス派の修辞学上の論文をも含んだ一巻の一部分であるが、之等の『詩学』以外の稿本がすべて優れ、各自第一位の典拠たる性質を備へてゐることである。第二の理由は、 Ac は五世紀四世紀、もしくは其れよりも古い書体の稿本に溯る誤字を持ち、また、処処に古代の字綴りの痕跡を止めてゐるなどの点である。

 マルゴリウスが初めて世に出した亜剌比亜〔アラビア〕本は、八世紀に、或る一つの希臘〔ギリシャ〕稿本からシリア語に訳されたのを、十一世紀に亜剌比亜〔アラビア〕語に重訳されたものである。それ故、吾吾は此の亜剌比亜〔アラビア〕文字の裏面を眺めて、 Ac 稿本より、少なくとも三百年だけ古い一つの希臘〔ギリシャ〕稿本(通常Σと記号される)を編み出さうとするのである。然してシリア訳は、今日、只、僅かな断片以外に現存しない、従つて、吾吾は、亜剌比亜〔アラビア〕本から先づシリア文字を推定し、更らに、それから希臘〔ギリシャ〕テクストの姿を見極めようとするのである。玆〔ここ〕に吾吾が注意すべきは『詩学』の如き性質の書が東洋語に訳される場合、正確は到底望み難いことである。吾吾は『詩学』が説く悲劇なぞに全然門外漢たる東洋人が誤謬なく之れを訳したとは信ずることは出来ない。且つまた、亜剌比亜〔アラビア〕の訳者がシリア本を誤訳しないとも言へない。尚ほ、今日現存するただ一個の亜剌比亜〔アラビア〕本の本文《テクスト》そのものが、誤写その他で大部分痛んでゐることも推測され得る。それ故、吾吾は、単に、シリア本の原本たる希臘〔ギリシャ〕稿本が Ac よりも三百年も古いといふ理由のみにて、其れが、全体を通じて、 Ac よりも優れた典拠であるとは言へない。吾吾は、只、其部分部分の価値のみを取らなければならない。今の所、亜剌比亜〔アラビア〕訳の価値は、ルネッサンス時代、もしくは、近世の諸学者の頭脳から出た、本文《テクスト》の字句上の想像的修正のあるものを確証するやうなところがあるといふ点に存する。

 今一種類現存する『詩学』の稿本はルネッサンス稿本で Ac に非ざるすべての希臘〔ギリシャ〕稿本がこれである。通常 Apographa《アポグラフア》(略してapogr.)と称せられ、スペンゲルやフアーレンに依り、結局 Ac の写本であると叫ばれたものである。然しながら、之等のルネッサンス稿本の処処に点在する、 Ac よりも優れたる読方は、一部の学者をして、 Ac と全然別な、さうして Ac の有する誤謬より脱した、或る希臘〔ギリシャ〕稿本で、今は世に無きものが十五世紀まで残存したと主張せしめた。さうして、一八八七年亜剌比亜〔アラビア〕本と其のある部分の羅典〔ラテン〕訳とが世に出、それがルネッサンス稿本の有する優れた読方を肯定するや、この主張は益々権威を加へた。然しながら、 Ac より独立したある古い稿本が十五世紀に残存したと証拠立てようとする之等の点は、其事実を反証する諸点に比較するならば取るに足らないものである。

 数多あるルネッサンス稿本に就いて、先づ、吾吾の眼に迫る要点は、之等の本文《テクスト》が各自に違つてゐる点である。ある稿本は、 Ac より、只一歩のみ逸れてゐるに反し、他の稿本は Ac から著しく変化してゐる。ルネッサンス稿本の中、ウルビナス四七並びにパリシヌス二〇四〇は Ac との差異の軽微な部類を代表するものと言へよう。またパリシヌス二〇三八並びにアルダイン版は Ac との差異の大なる部類を代表するものと言へよう。前者に於いては、吾吾は Ac に対する誠に単純なる、而も必然的な修正を相当に発見する。同時に之等の稿本は Ac の有する誤謬と誤写とをそのまま継承してゐる。かやうな事実が因つて起る源は只一つである。即ち、彼等は Ac そのもの、乃至は、 Ac の写本を写したものでなければならない。後者の稿本の基本が前者の系統のものであつたことは明白である。何んとならば、吾吾は両者の間に、省略その他 Ac と違ふ読方の点に、可也、一致を発見するからである。尤も両者の間に相違が無いではない。パリシヌス二〇三八とアルダイン版はテクストの伝統を全然破壊してゐる。筆耕者は勝手極まる省略、増補、悪化を行ひ、 Ac の難解の個処を読易くしてゐるのである。之等の稿本の有する多数の修正中、吾吾が採用し得るものは甚だ僅少である。単に、三、四の正しい修正を有するといふ事実は決して、修正者が之等の修正を、常時残存してゐた或る稿本中に発見したといふ理由にはならない。それに、当時の筆耕者は一般に立派な学者であり、同時に、機に臨み鮮やかな工夫の出来る人達であつたことに思ひ至るならば、彼等の多数の修正中の三、四が的中したことは、左程、怪むに足らないことである。

 以上に挙げた之等代表的稿本から見たルネッサンス稿本の諸相は、之等の稿本が持つ優れたる読方すべてが、筆耕者の想像憶説であつたことを明示してゐる。さうして、数多のルネッサンス稿本は、結局、何れも Ac を基本としたものと認められる。所が、一八八七年、マルゴリウスに依り亜剌比亜〔アラビア〕訳の有する読方が発表され、其れがルネサンス稿本の有する優れた読方のあるものを確証するや、この結論に対する疑問がとみに台頭した。然し、優れた憶説が、後に新しく発見された文献に依つて確証される例は珍らしくない。『詩学』に於いてさへも、亜剌比亜〔アラビア〕訳はフアーレンの修正、或は遠くマヂ、ヴエトーリ、ヘンシウスその他の修正のあるものを確証している。さうしてまたルネサンス稿本の有する優れた修正も、細密に調べる時には、それほど天啓的な修正ではない。修正者に批判的創意と、これを自由に発揮する勇気と、さうして、古典文学に対する相当の造詣とがあるならば、左程困難な修正ではない。最後に指摘すべきは、彼等の優れた読方が一本に纏つて見出されるのでなく、諸種の稿本に散見される点である。もしも、其等の優れた読方が、ある古代の、さうして、優れた一つの稿本に存在してゐたのであるなら、何故に、其等の優れた読方は、かやうに、其のあるものは或る稿本に、他のものは他の稿本にと散在的に保有されるに至つたか解釈に苦しむ所であると。



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