藪の中

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檢非違使に問はれたる木樵りの物語[編集]

 さやうでございます。あのしがいつけたのは、わたしにちがひございません。わたしはけさいつものとほり、うらやますぎりにまゐりました。するとやまかげやぶなかに、あのしがいがあつたのでございます。あつたところでございますか? それはやましなえきろからは、四五ちやうほどへだたつてりませう。たけなかすぎまじつた、ひとけのないところでございます。

 しがいはなだすゐかんに、みやこふうのさびゑばうしをかぶつたままあをむけにたふれてりました。なにしろひとかたなとはまをすものの、むなもとのきずでございますから、しがいのまはりのたけおちばは、すはうみたやうでございます。いえ、はもうながれてはりません。きずぐちかわいてつたやうでございます。おまけにそこには、うまばへが一ぴき、わたしのあしおときこえないやうに、べつたりひついてりましたつけ。

 たちなにかはえなかつたか? いえ、なにもございません。ただそのそばすぎがたに、なはひとすぢちてりました。それから、――さうさう、なはほかにもくしひとつございました。しがいのまはりにあつたものは、このふたつぎりでございます。が、くさたけおちばは、一めんあらされてりましたから、きつとあのをとこころされるまへに、よほどていたはたらきでもいたしたのにちがひございません。なにうまはゐなかつたか? あそこは一たいうまなぞには、はひれないところでございます。なにしろうまかよみちとは、やぶひとへだたつてりますから。



檢非違使に問はれたる旅法師の物語[編集]

 あのしがいをとこには、たしかにきのふつてります。きのふの、――さあ、ひるごろでございませう。ばしよせきやまからやましなへ、まゐらうととちうでございます。あのをとこうまつたをんなと一しよに、せきやまはうあるいてまゐりました。をんなむしれてりましたから、かほはわたしにはわかりません。えたのはただはぎがさねらしい、きぬいろばかりでございます。うまつきげの、――たしほふしがみうまのやうでございました。たけでございますか? たけよきもございましたか? ――なにしろしやもんことでございますから、そのへんははつきりぞんじません。をとこは、――いえ、たちびてれば、ゆみやたづさへてりました。ことくろえびらへ、二十あまりそやをさしたのは、ただいまでもはつきりおぼえてります。

 あのをとこがかやうになろうとは、ゆめにもおもはずにりましたが、まことににんげんいのちなぞは、によろやくによでんちがひございません。やれやれ、なんともまをしやうのない、どくこといたしました。



檢非違使に問はれたる放免の物語[編集]

 わたしがからつたをとこでございますか? これはたしかにたじやうまるふ、なだかぬすびとでございます。もつともわたしがからつたときには、うまからちたのでございませう、あはだぐちいしばしうへに、うんうんうなつてりました。じこくでございますか? じこくさくやしよかうごろでございます。いつぞやわたしがとらそんじたときにも、やはりこのこんすいかんに、うちだしのたちいてりました。ただいまはそのほかにもごらんとほり、ゆみやるゐさへたずさへてります。さやうでございますか? あのしがいをとこつてゐたのも、――ではひとごろしをはたらいたのは、このたじやうまるちがひございません。かはいたゆみくろぬりのえびらたかそやが十七ほん、――これはみな、あのをとこつてゐたものでございませう。はい、うまおつしやとほり、ほふしがみつきげでございます。そのちくしやうおとされるとは、なにかのいんえんちがひございません。それはいしばしすこさきに、ながはづないたままみちばたのあをすすきつてりました。

 このたじやうまるふやつは、らくちうはいくわいするぬすびとなかでも、をんなずきのやつでございます。さくねんあきとりべでらびんづるうしろやまに、ものまうでにたらしいにようぼうひとりわらはと一しよにころされてゐたのは、こいつのしわざだとかまをしてりました。そのつきげつてゐたをんなも、こいつがあのをとこころしたとなれば、どこへどうしたかわかりません。さしでがましうございますが、それもごせんぎくださいまし。



檢非違使に問はれたる媼の物語[編集]

 はい、あのしがいてまへむすめが、かたづいたをとこでございます。が、みやこのものではございません。わかさこくふさむらひでございます。かなざはたけひろとしは二十六さいでございました。いえ、やさしいきだてでございますから、ゐこんなぞけるはずはございません。

 むすめでございますか? むすめまさごとしは十九さいでございます。これはをとこにもおとらぬくらゐかちきをんなでございますが、まだ一たけひろほかには、をとこつたことはございません。かほいろあさぐろい、ひだりめじりほくろのある、ちひさいうりざねがほでございます。

 たけひろきのふむすめと一しよに、わかさつたのでございますが、こんなことになりますとは、なんいんぐわでございませう。しかしむすめはどうなりましたやら、むこことはあきらめましても、これだけはしんぱいでなりません。どうかこのうばが一しやうのおねがひでございますから、たとひくさきけましても、むすめゆくへをおたづくださいまし。なんいたにくいのは、そのたじやうまるとかなんとかまをす、ぬすびとのやつでございます。むこばかりか、むすめまでも、………(あとりてことばなし。)

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多襄丸の白状[編集]

 あのをとこころしたのはわたしです。しかしをんなころしはしません。ではどこつたのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、おちなさい。いくらがうもんにかけられても、らないことまをされますまい。そのうへわたしもかうなれば、ひけふかくてはしないつもりです。

 わたしはきのふひるすこぎ、あのふうふであひました。そのときかぜいたひやうしに、むしたれぎぬあがつたものですから、ちらりとをんなかほえたのです。ちらりと、――えたとおもしゆんかんには、もうえなくなつたのですが、ひとつにはそのためもあつたのでせう、わたしにはあのをんなかほが、によぼさつのやうにえたのです。わたしはそのとつさあひだに、たとひをとこころしても、をんなうばはうとけつしんしました。

 なにをとこころすなぞは、あなたがたおもつてゐるやうに、たいしたことではありません。どうせをんなうばふとなれば、かならずをとこころされるのです。ただわたしはころときに、こしたちつかふのですが、あなたがたたちつかはない、ただけんりよくころす、かねころす、どうかするとおためごかしのことばだけでもころすでせう。なるほどながれない、をとこりつぱきてゐる、――しかしそれでもころしたのです。つみふかさをかんがへてれば、あなたがたわるいか、わたしがわるいか、どちらがわるいかわかりません。(ひにくなるびせう

 しかしをとこころさずとも、をんなうばことできれば、べつふそくはないわけです。いや、そのときこころもちでは、できるだけをとこころさずに、をんなうばはうとけつしんしたのです。が、あのやましなえきろでは、とてもそんなことできません。そこでわたしはやまなかへ、あのふうふをつれこむくふうをしました。

 これもざうさはありません。わたしはあのふうふみちづれになると、むかうのやまにはふるづかがある、そのふるづかあばいてたら、かがみたちたくさんた、わたしはだれらないやうに、やまかげやぶなかへ、さうものうづめてある、もしのぞがあるならば、どれでもやすうりわたしたい、――とはなしをしたのです。をとこいつかわたしのはなしに、だんだんこころうごかしはじめました。それから、――どうです、よくふものは、おそろしいではありませんか? それからはんときもたたないうちに、あのふうふはわたしと一しよに、やまぢうまけてゐたのです。

 わたしはやぶまへると、たからはこのなかうづめてある、てくれとひました。をとこよくかわいてゐますから、いぞんのあるはずはありません。が、をんなうまりずに、つているとふのです。またあのやぶしげつてゐるのをては、さうふのもむりはありますまい。わたしはこれもじつへば、おもつぼにはまつたのですから、をんなひとりのこしたままをとこやぶなかへはひりました。

 やぶしばらくあひだたけばかりです。が、はんちやうほどつたところに、ややひらいたすぎむらがある、――わたしのしごとしとぐるのには、これほどつがふばしよはありません。わたしはやぶけながら、たからすぎもとうづめてあると、もつともらしいうそをつきました。をとこはわたしにさうはれると、もうすぎいてえるはうへ、一しやうけんめいすすんできます。そのうちたけまばらになると、なんぼんすぎならんでゐる、――わたしはそこるがはやいか、いきなりあひてせました。をとこたちいてゐるだけに、ちからさうたうにあつたやうですが、ふいたれてはたまりません。たちまち一ぽんすぎがたへ、くくりつけられてしまひました。なはですか? なはぬすびとありがたさに、いつへいえるかわかりませんから、ちやんとこしにつけてゐたのです。もちろんこゑさせないためにも、たけおちばほほばらせれば、ほかめんだうはありません。

 わたしはをとこかたづけてしまふと、こんどまたをんなところへ、をとこきふびやうおこしたらしいから、てくれとひにきました。これもづぼしあたつたのは、まをげるまでもありますまい。をんないちめがさいだまま、わたしにをとられながら、やぶおくへはひつてました。ところそこると、をとこすぎしばられてゐる、――をんなはそれをひとめるなり、いつふところからしてゐたか、きらりとさすがきました。わたしはまだいままでに、あのくらゐきしやうはげしいをんなは、ひとりことがありません。もしそのときでもゆだんしてゐたらば、ひとつきにひばらかれたでせう。いや、それはかはしたところが、三にてられるうちには、どんなけがしかねなかつたのです。が、わたしもたじやうまるですから、どうにかかうにかたちかずに、とうとうさすがおとしました。いくらつたをんなでも、えものがなければしかたがありません。わたしはとうとうおもどほり、をとこいのちらずとも、をんなれることできたのです。

 をとこいのちらずとも、――さうです。わたしはそのうへにも、をとこころすつもりはなかつたのです。ところしたをんなあとに、やぶそとげようとすると、をんなとつぜんわたしのうでへ、きちがひのやうにすがりつきました。しかもれにさけぶのをけば、あなたがぬかをつとぬか、どちらかひとりんでくれ、ふたりをとこはぢせるのは、ぬよりもつらいとふのです。いや、そのうちどちらにしろ、のこつたをとこにつれひたい、――さうもあへあへふのです。わたしはそのときまうぜんと、をとこころしたいになりました。(いんうつなるこうふん

 こんなことまをげると、きつとわたしはあなたがたよりざんこくにんげんえるでせう。しかしそれはあなたがたが、あのをんなかほないからです。ことにその一しゆんかんの、えるやうなひとみないからです。わたしはをんなあはせたとき、たとひかみなりころされても、このをんなつまにしたいとおもひました。つまにしたい、――わたしのねんとうにあつたのは、ただかうふ一だけです。これはあなたがたおもふやうに、いやしいしきよくではありません。もしそのときしきよくほかに、なにのぞみがなかつたとすれば、わたしはをんなけたふしても、きつとげてしまつたでせう。をとこもさうすればわたしのたちに、ことにはならなかつたのです。が、うすぐらやぶなかに、ぢつとをんなかほせつな、わたしはをとこころさないかぎり、ここるまいとかくごしました。

 しかしをとこころすにしても、ひけふころかたはしたくありません。わたしはをとこなはいたうへたちうちをしろとひました。(すぎがたにちてゐたのは、そのときて忘れたなはなのです。)をとこけつそうへたままふとたちきました。とおもふとくちかずに、ふんぜんとわたしへびかかりました。――そのたちうちがどうなつたかは、まをげるまでもありますまい。わたしのたちは二十三がふに、あひてむねつらぬきました。二十三がふに、――どうかそれをわすれずにください。わたしはいまでもこのことだけは、かんしんだとおもつてゐるのです。わたしと二十がふむすんだものは、てんかにあのをとこひとりだけですから。(くわいくわつなるびせう

 わたしはをとこたふれるとどうじに、まつたかたなげたなり、をんなほうかへりました。すると、――どうです、あのをんなどこにもゐないではありませんか? わたしはをんながどちらへげたか、すぎむらのあいださがしてました。が、たけおちばうへには、それらしいあとのこつてゐません。またみみませてても、きこえるのはただをとこのどに、だんまつまおとがするだけです。

 ことによるとあのをんなは、わたしがたちうちはじめるがはやいか、ひとたすけでもために、やぶをくぐつてげたのかもれない。――わたしはさうかんがへると、こんどはわたしのいのちですから、たちゆみやうばつたなり、すぐにまたもとのやまぢました。そこにはまだをんなうまが、しづかにくさつてゐます。そのことまをげるだけ、むようくちかずぎますまい。ただみやこへはいるまへに、たちだけはもうてばなしてゐました。――わたしのはくじやうはこれだけです。どうせ一あふちこずゑに、けるくびおもつてゐますから、どうかごくけいはせてください。(かうぜんたるたいど



清水寺に來れる女の懺悔[編集]

 ――そのこんすゐかんをとこは、わたしをごめにしてしまふと、しばられたをつとながめながら、あざけるやうにわらひました。をつとはどんなにむねんだつたでせう。が、いくらみもだえをしても、からだぢうにかかつたなわめは、一そうひしひしとるだけです。わたしはおもはずをつとそばへ、まろぶやうにはしりました。いえ、はしらうとしたのです。しかしをとことつさに、わたしをそこけたふしました。ちやうどそのとたんです。わたしはをつとなかに、なんともひやうのないかがやきが、やどつてゐるのをさとりました。なんともひやうのない、――わたしはあのおもすと、いまでもみぶるひがずにはゐられません。くちさへひとことけないをつとは、そのせつななかに、一さいこころつたへたのです。しかもそこひらめいてゐたのは、いかりでもなければかなしみでもない、――ただわたしをさげすんだ、つめたいひかりだつたではありませんか? わたしはをとこられたよりも、そのいろたれたやうに、われらずなにさけんだぎり、とうとううしなつてしまひました。

 そのうちにやつとがついてると、あのこんすゐかんをとこは、もうどこかへつてゐました。あとにはただすぎがたに、をつとしばられてゐるだけです。わたしはたけおちばうへに、やつとからだおこしたなり、をつとかほみまもりました。が、をつといろは、すこしもさつきとかはりません。やはりつめたいさげすみのそこに、にくしみのいろせてゐるのです。はづかしさ、かなしさ、はらだたしさ、――そのときのわたしのこころうちは、なんへばいかわかりません。わたしはよろよろあがりながら、をつとそばちかよりました。

「あなた。もうかうなつたうへは、あなたと一しよにはられません。わたしはひとおもひにかくごです。しかし、――しかしあなたもおになすつてください。あなたはわたしのはぢごらんになりました。わたしはこのままあなたひとり、おのこまをわけにはまゐりません。」

 わたしは一しやうけんめいに、これだけのことひました。それでもをつといまはしさうに、わたしをつめてゐるばかりなのです。わたしはけさうなむねおさへながら、をつとたちさがしました。が、あのぬすびとうばはれたのでせう、たちもちろんゆみやさへも、やぶなかにはみあたりません。しかしさいはさすがだけは、わたしのあしもとにちてゐるのです。わたしはそのさすがげると、もう一をつとにかうひました。

「ではおいのちいただかせてください。わたしもすぐにおともします。」

 をつとはこのことばいたとき、やつとくちびるうごかしました。もちろんくちにはささおちばが、一ぱいにつまつてゐますから、こゑすこしもきこえません。が、わたしはそれをると、たちまちそのことばさとりました。をつとはわたしをさげすんだまま、「ころせ」とひとことつたのです。わたしはほとんどゆめうつつのうちに、をつとはなだすゐかんむねへ、ずぶりとさすがとほしました。

 わたしはまたこのときも、うしなつてしまつたのでせう。やつとあたりをまはしたときには、をつとはもうしばられたまま、とうにいきえてゐました。そのあをざめたかほうへには、たけまじつたすぎむらのそらから、にしびひとすぢちてゐるのです。わたしはこゑみながら、しがいなはてました。さうして、――さうしてわたしがどうなつたか? それだけはもうわたしには、まをげるちからもありません。かくわたしはどうしても、ちからがなかつたのです。さすがのどたててたり、やますそいけげたり、いろいろなこともしてましたが、れずにかうしてゐるかぎり、これもじまんにはなりますまい。(さびしきびせう)わたしのやうにふがひないものは、だいじだいひくわんぜおんぼさつも、おみはなしなすつたものかもれません。しかしをつところしたわたしは、ぬすびとごめにつたわたしは、一たいどうすればいのでせう? 一たいわたしは、――わたしは、――(とつぜんはげしきすすりなき



巫女の口を借りたる死靈の物語[編集]

 ――ぬすびとつまごめにすると、そここしおろしたまま、いろいろつまなぐさした。おれはもちろんくちけない。からだすぎしばられてゐる。が、おれはそのあひだに、なんどつまくばせをした。このをとこことけるな、なにつてもうそおもへ、――おれはそんないみつたへたいとおもつた。しかしつませうぜんささおちばすわつたなり、ぢつとひざをやつてゐる。それがどうもぬすびとことばに、つてゐるやうにえるではないか? おれはねたましさにみもだえをした。が、ぬすびとはそれからそれへと、かうめうはなしすすめてゐる。一でもはだみけがしたとなれば、をつととのなかふまい。そんなをつとつてゐるより、じぶんつまになるはないか? じぶんはいとしいとおもへばこそ、だいそれたまねはたらいたのだ、――ぬすびとはとうとうだいたんにも、さうはなしさへした。

 ぬすびとにかうはれると、つまはうつとりとかほもたげた。おれはまだあのときほどうつくしいつまことがない。しかしそのうつくしいつまは、げんざいしばられたおれをまへに、なんぬすびとへんじをしたか? おれはちううまよつてゐても、つまへんじおもごとに、しんいえなかつたためしはない。つまたしかにかうつた、――「ではどこへでもつれてつてください。」(ながちんもく

 つまつみはそれだけではない。それだけならばこのやみなかに、いまほどおれもくるしみはしまい。しかしつまゆめのやうに、ぬすびとをとられながら、やぶそとかうとすると、たちまがんしよくうしなつたなり、すぎのおれをゆびさした。「あのひところしてください。わたしはあのひときてゐては、あなたと一しよにはゐられません。」――つまくるつたやうに、なんどもかうさけてた。「あのひところしてください。」――このことばあらしのやうに、いまでもとほやみそこへ、まつさかさまにおれをおとさうとする。一でもこのくらゐにくむべきことばが、にんげんくちことがあらうか? 一でもこのくらゐのろはしいことばが、にんげんみみれたことがあらうか? 一でもこのくらゐ、――(とつぜんほとばしごとてうせう)そのことばいたときは、ぬすびとさへいろうしなつてしまつた。「あのひところしてください。」――つまはさうさけびながら、ぬすびとうですがつてゐる。ぬすびとはぢつとつまままころすともころさぬともへんじをしない。――とおもふかおもはないうちに、つまたけおちばうへへ、ただひとけりにけたふされた、(ふたたびほとばしごとてうせうぬすびとしづかにりやううでむと、おれのすがたをやつた。「あのをんなはどうするつもりだ? ころすか、それともたすけてやるか? へんじただうなづけばい。ころすか?」――おれはこのことばだけでも、ぬすびとつみゆるしてやりたい。(ふたたびながちんもく

 つまはおれがためらふうちに、なにひとこえ叫ぶがはやいか、たちまやぶおくへ走りした。ぬすびととつさびかかつたが、これはそでさへとらへなかつたらしい。おれはただまぼろしのやうに、さうけしきながめてゐた。

 ぬすびとつまつたのちたちゆみやげると、一かしよだけおれのなはつた。「こんどはおれのうへだ。」――おれはぬすびとやぶそとへ、すがたかくしてしまうときに、かうつぶやいたのをおぼえてゐる。そのあとどこしづかだつた。いや、まだだれかのこゑがする。おれはなはきながら、ぢつとみみませてた。が、そのこゑがついてれば、おれじしんいてゐるこゑだつたではないか? (みたびながちんもく

 おれはやつとすぎから、つかてたからだおこした。おれのまへにはつまおとした、さすがひとひかつてゐる。おれはそれをにとると、ひとつきにおれのむねした。なになまぐさかたまりがおれのくちへこみげてる。が、くるしみはすこしもない。ただむねつめたくなると、一そうあたりがしんとしてしまつた。ああ、なんしづかさだらう。このやまかげやぶそらには、ことりさえづりにない。ただすぎたけうらに、さびしいひかげただよつてゐる。ひかげが、――それもしだいうすれてる。もうすぎたけえない。おれはそこたふれたままふかしづかさに包まれてゐる。

 そのときだれしのあしに、おれのそばたものがある。おれはそちらをようとした。が、おれのまはりには、いつうすやみちこめてゐる。たれか、――そのたれかはえないに、そつとむねさすがいた。どうじにおれのくちなかには、もう一ちしほあふれてる。おれはそれぎりえいきうに、ちううやみしづんでしまつた。………

(大正十年十二月作)

この著作物は、1927年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。