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万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第九

提供:Wikisource

巻第九ここのまきにあたるまき


雑歌くさぐさのうた


泊瀬の朝倉の宮にあめの下しろしめしし天皇すめらみことのみよみませる御製歌おほみうた一首ひとつ

1664 夕されば小椋をくらの山に臥す鹿の今宵は鳴かずい寝にけらしも


崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の、紀伊国きのくにいでませる時の歌二首ふたつ

1665 妹がためが玉ひりふ沖辺なる玉寄せ持ち沖つ白波

1666 朝霧に濡れにし衣干さずして独りや君が山道やまぢ越ゆらむ

     右ノ二首フタウタ作者ヨミヒト未詳シラズ


大宝だいはう元年はじめのとし辛丑かのとうし冬十月かみなづき太上天皇おほきすめらみこと大行天皇さきのすめらみこと、紀伊国に幸ませる時の歌十三首とをまりみつ

1667 妹がためが玉求む沖辺なる白玉寄せ沖つ白波

     右ノ一首ヒトウタ、既ニ上ニ見ルコト畢ハリヌ。但歌辞

     少シク換リ、年代相違ヘリ。因テ以テ累ネ戴ス。

1668 白崎はさきくあり待て大船に真梶繁貫しじぬきまたかへり見む

1669 南部みなべの浦潮な満ちそね鹿島かじまなる釣する海人あまを見て帰り来む

1670 朝びらき榜ぎ出てあれは由良の崎釣する海人を見て帰り来む

1671 由良の崎潮干にけらし白神しらかみの磯の浦廻うらみあべて榜ぎとよ

1672 黒牛潟くろうしがた潮干の浦を紅の玉裳たまも裾引き行くは誰が妻

1673 風早かざはやの浜の白波いたづらにここに寄せ来も見る人無しに

     右ノ一首、山上臣憶良ノ類聚歌林ニ曰ク、

     長忌寸意吉麻呂、詔ニ応ヘテ此歌ヲ作メリト。

1674 我が背子が使来むかと出立いでたちのこの松原を今日か過ぎなむ

1675 藤白の御坂を越ゆと白たへの我が衣手は濡れにけるかも

1676 の山に黄葉もみち散り敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ

1677 大和には聞こえもゆくか大家野おほやぬ小竹葉ささば刈り敷き廬せりとは

1678 紀の国の昔弓雄さつを響矢かぶらもち鹿取り靡けし坂のにそある

1679 紀の国にやまず通はむ都麻つまの杜妻寄しせね妻と言ひながら

     右ノ一首、或ヒト云ク、坂上忌寸人長ガ作。

後れたる人の歌二首

1680 麻裳あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日そ雨な降りそね

1681 後れ居てが恋ひ居れば白雲の棚引く山を今日か越ゆらむ


忍壁皇子に献れる歌一首 仙人ノ形ヲ詠ム

1682 とこしへに夏冬ゆけやかはころも扇放たぬ山に住む人


舎人皇子に献れる歌二首

1683 妹が手を取りて引き攀ぢ打ち折り君が挿すべき花咲けるかも

1684 春山は散り過ぎぬれども三輪山はいまだふふめり君待ちかてに


泉河のほとりにて間人宿禰はしひとのすくねがよめる歌二首

1685 川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたるこの川門かはどかも

1686 彦星の挿頭かざしの玉の妻恋に乱れにけらしこの川の瀬に


鷺坂さぎさかにてよめる歌一首

1687 白鳥の鷺坂山の松影に宿りてゆかな夜も更けゆくを


名木河なきがはにてよめる歌二首

1688 あぶり干す人もあれやも濡れきぬを家には遣らな旅のしるしに

1689 荒磯辺ありそへにつきて榜がさね都人浜を過ぐればこほしくあるなり


高島にてよめる歌二首

1690 高島の阿渡あど川波は騒げども我は家ふ宿り悲しみ

1691 旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも


紀伊国にてよめる歌二首

1692 が恋ふる妹は逢はさず玉つ浦に衣片敷き独りかも寝む

1693 玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手れて独りかも寝む


鷺坂にてよめる歌一首

1694 細領巾ほそひれの鷺坂山の白つつじあれににほはね妹に示さむ


泉河にてよめる歌一首

1695 妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも


名木河にてよめる歌三首

1696 衣手の名木の川辺を春雨にあれ立ち濡ると家ふらむか

1697 家人の使なるらし春雨のくれどあれを濡らす思へば

1698 あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを間使まつかひにする


宇治河にてよめる歌二首

1699 巨椋おほくらの入江とよむなり射目人いめひとの伏見が田居に雁渡るらし

1700 秋風の山吹の瀬の響むなべ天雲翔り雁渡るかも


弓削皇子に献れる歌三首

1701 さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ

1702 妹があたり衣雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬともしきまでに

1703 雲隠り雁鳴く時に秋山の黄葉もみち片待つ時は過ぐれど


舎人皇子に献れる歌二首

1704 打ち手折り多武たむの山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける

1705 冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つあれ


舎人皇子の御歌一首

1706 ぬば玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上に棚引くまてに


鷺坂にてよめる歌一首

1707 山背やましろ久世くせの鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり


泉河の辺にてよめる歌一首

1708 春草を馬咋山うまくひやまよ越えなる雁が使は宿やどり過ぐなり


弓削皇子に献れる歌一首

1709 御食みけ向ふ南淵山みなふちやまいはほには降りしはだれか消え残りたる

     右、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。


題闕

1710 我妹子が赤裳湿ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無くらなしの浜

1711 百伝ももづた八十やそ島廻しまみを榜ぎけど粟の小島は見れど飽かぬかも

     右ノ二首、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。


筑波山つくはやまに登りて月を詠める歌一首

1712 天の原雲なき宵にぬば玉の夜渡る月の入らまく惜しも


芳野の離宮とつみやいでませる時の歌二首

1713 滝のの三船の山よ秋津辺に来鳴き渡るはたれ呼子鳥

1714 落ちたぎち流るる水の岩にり淀める淀に月の影見ゆ

     右ノ三首、作者未詳。


槐本ゑにすのもとが歌一首

1715 楽浪ささなみ比良山風ひらやまかぜの海吹けば釣する海人の袖返る見ゆ


山上やまのへが歌一首

1716 白波の浜松の木の手向ぐさ幾代までにか年は経ぬらむ

     右ノ一首、或ヒト云ク、河島皇子ノ御作歌。


春日かすがが歌一首

1717 三川みつがはの淵瀬もおちず小網さでさすに衣手濡れぬ干す子はなしに


高市たけちが歌一首

1718 あどもひて榜ぎにし舟は高島の安曇あど水門みなとてにけむかも


春日が歌一首

1719 照る月を雲な隠しそ島陰にが船泊てむ泊知らずも

     右ノ一首、或ル本ニ云ク、小辯ガ作ナリト。或ハ

     姓氏ヲ記シ、名字ヲ記スコト無ク、或ハ名号ヲ

     ヒテ姓氏ヲ称ハズ。然レドモ古記ニ依リテ、便チ

     次ヲ以テ載ス。凡ソ此ノ如キ類ハ、下皆コレナラヘ。


元仁が歌三首

1720 馬めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む

1721 苦しくも暮れぬる日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに

1722 吉野川川波高みたぎの裏を見ずかなりなむこほしけまくに


絹が歌一首

1723 かはづ鳴く六田むつたの川の川柳かはやぎのねもころ見れど飽かぬ君かも


島足しまたりが歌一首

1724 見まく欲りしくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしき


麻呂が歌一首

1725 いにしへさかしき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも

     右、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。


丹比真人が歌一首

1726 難波潟潮干に出でて玉藻刈る海未通女あまをとめどもが名のらさね

それ娘子をとめが和ふる歌

1727 漁りする海人とを見ませ草枕旅ゆく人に妻とは告らじ


石川のまへつきみの歌一首

1728 慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかもゆかむこよ別れなば


宇合うまかひの卿の歌三首

1729 あかときいめに見えつつ梶島の磯越す波のしきてし思ほゆ

1730 山科の石田いはたの小野の柞原ははそはら見つつや君が山道越ゆらむ

1731 山科の石田の杜に奉幣たむけせばけだし我妹にただに逢はむかも


碁師ごしが歌二首

1732 大葉山おほはやま霞たなびきさ夜更けてが舟泊てむ泊知らずも

1733 しぬひつつれどかねて三尾が崎真長の浦をまたかへり見つ


小辯すなきおほともひが歌一首

1734 高島の安曇の湊を榜ぎ過ぎて塩津菅浦今は榜がなむ


伊保麻呂いほまろが歌一首

1735 が畳三重の川原の磯の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも


式部のりのつかさ大倭おほやまとが芳野にてよめる歌一首

1736 山高み白木綿花しらゆふはなに落ちたぎつ夏身の川門かはど見れど飽かぬかも


兵部つはもののつかさ川原が歌一首

1737 大滝おほたぎを過ぎて夏身にそひ居りて清き川瀬を見るがさやけさ


上総かみつふさ周淮すゑ珠名娘子たまなをとめを詠める歌一首 、また短歌みじかうた

1738 尻長鳥しながとり 安房あはに継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は

   胸別むなわけの 広けき我妹 腰細の すがる娘子の

   その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば

   玉ほこの 道ゆく人は おのが行く 道は行かずて

   呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は

   たちまちに 己妻れて 乞はなくに 鍵さへまつ

   人の皆 かく惑へれば うちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける

反し歌

1739 金門かなどにし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける


水江みづのえの浦島の子を詠める歌一首、また短歌

1740 春の日の 霞める時に 住吉すみのえの 岸に出で居て

   釣舟の たゆたふ見れば 古の ことそ思ほゆる

   水江の 浦島の子が 堅魚かつを釣り たひ釣りほこり

   七日まで 家にも来ずて 海界うなさかを 過ぎて榜ぎゆくに

   海若わたつみの 神の娘子に たまさかに い榜ぎ向ひ

   相かたらひ こと成りしかば かき結び 常世に至り

   海若の 神の宮の 内のの 妙なる殿に

   たづさはり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして

   永世とこしへに ありけるものを 世の中の かたくな人の

   我妹子に りて語らく しましくは 家に帰りて

   父母に 事も告らひ 明日のごと あれは来なむと

   言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て

   今のごと 逢はむとならば このくしげ 開くなゆめと

   そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来たりて

   家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて

   あやしみと そこに思はく 家よ出て 三年みとせほど

   垣もなく 家失せめやも このはこを 開きて見てば

   もとのごと 家はあらむと  玉篋 少し開くに

   白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば

   立ちわしり 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ

   たちまちに 心失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ

   黒かりし 髪も白けぬ ゆりゆりは 息さへ絶えて

   のち遂に 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ

反し歌

1741 常世辺に住むべきものを剣大刀つるぎたちしが心からおそやこの君


河内かふちの大橋を独りゆく娘子を見てよめる歌一首、また短歌

1742 しなる 片足羽川かたあすはがはの さ塗りの 大橋の

   紅の 赤裳裾引き 山藍やまゐもち れるきぬ着て

   ただ独り い渡らす子は 若草の つまかあるらむ

   橿かしの実の 独りからむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく

反し歌

1743 大橋のつめに家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを


武藏むざし小埼をさきの沼の鴨を見てよめる歌一首

1744 埼玉さきたまの小埼の沼に鴨そ羽霧はねきるおのが尾に降り置ける霜を掃ふとならし


那賀の郡の曝井さらしゐの歌一首

1745 三栗みつくりの那賀にめぐれる曝井の絶えず通はむそこに妻もが


手綱たづなの浜の歌一首

1746 遠妻しそこにありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし


慶雲きやううむ三年みとせといふとし丙午ひのえうま春三月やよひもろもろ卿大夫等まへつきみたち、難波に下れる時の歌二首、また短歌

1747 白雲の 龍田の山の たぎの 小椋をくらの嶺に

   咲きををる 桜の花は 山だかみ 風しやまねば

   春雨の 継ぎて降れれば 上枝ほつえは 散り過ぎにけり

   下枝しづえに 残れる花は しまらくは 散りな乱りそ

   草枕 旅ゆく君が 帰り来むまで

反し歌

1748 が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし


1749 白雲の 龍田の山を 夕暮に うち越えゆけば

   たぎの 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり

   ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに

   見せずとも かにかくに 君のみ行きは 今にしあるべし

反し歌

1750 いとまあらばなづさひ渡り向つの桜の花も折らましものを


難波に宿りて、明くる日還来かへる時の歌一首、また短歌

1751 島山を い行きもとほる 川沿ひの 岡辺の道よ

   昨日こそ が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに

   の上の 桜の花は 滝の瀬よ たぎちて流る

   君が見む その日までには あらしの 風な吹きそと

   打ち越えて 名に負へる杜に 風祭かざまつりせな

反し歌

1752 い行き逢ひの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ子もがも


検税使けむぜいし大伴の卿の筑波山に登りたまへる時の歌一首、また短歌

1753 衣手 常陸の国 二並ぶ 筑波の山を

   見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆き

   の根取り うそむき登り の上を 君に見すれば

   男神をのかみも 許したまひ 女神めのかみも ちはひたまひて

   時となく 雲居雨降る 筑波嶺つくはねを さやに照らして

   いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば

   嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてそ遊ぶ

   打ち靡く 春見ましよは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ

反し歌

1754 今日の日にいかでかめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も


霍公鳥ほととぎすを詠める歌一首、また短歌

1755 鴬の かひこの中に 霍公鳥 独り生れて

   が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず

   卯の花の 咲きたる野辺よ 飛び翔り 来鳴きとよもし

   橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし

   まひはせむ 遠くな行きそ 我が屋戸の 花橘に 住みわたり鳴け

反し歌

1756 かきらし雨の降る夜を霍公鳥鳴きてゆくなりあはれその鳥


筑波山に登る歌一首、また短歌

1757 草枕 旅のけくを 慰むる こともあれやと

   筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付しづくの田居に

   雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治にひばりの 鳥羽とば淡海あふみ

   秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば

   長きに 思ひ積み来し 憂けくはやみぬ

反し歌

1758 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉もみち手折らな


筑波嶺に登りてかがひするときよめる歌一首、また短歌

1759 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津もはきつの その津の上に

   あどもひて 未通女をとめ壮士をとこの 行き集ひ かがふかがひに

   人妻に あれはむ が妻に 人も言問へ

   この山を うしはく神の いにしへよ いさめぬわざぞ

   今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな

   カガヒハ、東ノ俗語ニ曰ク、カガヒ。

反し歌

1760 男神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るともあれ帰らめや

     右ノ件ノ歌ハ、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


鳴鹿しかを詠める歌一首、また短歌

1761 三諸みもろの 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に

   秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ

   あしひきの 山彦響め 呼び立て鳴くも

反し歌

1762 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼び立て鳴くも

     右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。


沙彌女王さみのおほきみの歌一首

1763 倉橋の山を高みか夜ごもりに出で来る月の片待ちがたき

     右ノ一首、間人宿禰大浦ガ歌ノ中ニ既ニ見エタリ。

     但末一句相換リ、亦作歌ノ両主、正指ニ敢ズ。因

     テ以テ累ネ載ス。


七夕なぬかのよの歌一首、また短歌

1764 久かたの 天の川原がはらに 上つ瀬に 玉橋渡し

   下つ瀬に 船浮け据ゑ 雨降りて 風は吹くとも

   風吹きて 雨は降るとも 裳濡らさず やまず来ませと 玉橋渡す

反し歌

1765 天の川霧立ち渡る今日今日とが待つ君が船出すらしも

     右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、中衛大将藤原北卿宅ニテ

     作メリト。


相聞したしみうた


振田向宿禰ふるのたむけのすくねが筑紫国に退まかる時の歌一首

1766 我妹子はくしろにあらなむ左手のが奥の手に巻きてなましを


拔氣大首ぬかけのおほおびとが筑紫にけらるる時、豊前国とよくにのみちのくちの娘子紐児ひものこひてよめる歌三首

1767 豊国の香春は吾家わぎへ紐児にいつがり居れば香春は吾家

1768 石上いそのかみ布留ふる早稲田わさだの穂には出でず心のうちに恋ふるこの頃

1769 かくのみし恋ひし渡れば玉きはる命もあれは惜しけくもなし


大神おほみわ大夫まへつきみが長門守に任けらるる時、三輪河のほとりに集ひて宴する歌二首

1770 三諸みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈みをし絶えずはあれ忘れめや

1771 おくれ居てあれはや恋ひむ春霞棚引く山を君し越えなば

     右ノ二首、古歌集ノ中ニ出ヅ。


大神の大夫が筑紫国に任けらるる時、阿倍の大夫がよめる歌一首

1772 後れ居てあれはや恋ひむ印南野いなみぬの秋萩見つつなむ子故に


弓削皇子に献れる歌一首

1773 神奈備の神依せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに


舎人皇子に献れる歌二首

1774 たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼み過ぎむや

1775 泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門かなどに近づきにけり

     右ノ三首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。


石川の大夫がつかさを遷されてみやこに上る時、播磨娘子が贈れる歌二首

1776 絶等寸たゆらきの山のの桜花咲かむ春へは君し偲はむ

1777 君なくはなぞ身装はむ櫛笥くしげなる黄楊つげ小櫛をくしも取らむともはず


藤井連ふぢゐのむらじが任を遷されて京に上る時、娘子が贈れる歌一首

1778 明日よりはあれは恋ひむな名次山なすきやま岩踏み平し君が越えなば

藤井連が和ふる歌一首

1779 命をしまさきくもがも名次山岩踏み平しまたかへり来む


鹿島郡苅野橋かるぬのはしにて、大伴の卿に別るる歌一首、また短歌

1780 ことひ牛の 三宅の浦に さし向ふ 鹿島の崎に

   さ丹塗りの 小船をぶねけ 玉纏たままきの 小梶繁貫き

   夕潮の 満ちのとどみに 御船子みふなこを あどもひ立てて

   呼び立てて 御船出でなば 浜もに 後れ並み居て

   こいまろび 恋ひかも居らむ 足ずりし 音のみや泣かむ

   海上うなかみの その津を指して 君が榜ぎゆかば

反し歌

1781 海つの凪ぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや

     右ノ二首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


おくれる歌一首

1782 雪こそは春日はるひ消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ

妻が和ふる歌一首

1783 松返りしひてあれやも三栗みつぐりの中すぎて来ず待つといへや子

     右ノ二首、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


入唐使もろこしにつかはすつかひに贈れる歌一首

1784 海神わたつみのいづれの神を祈らばか行方も来方くへも船の早けむ

     右ノ一首、渡海ノ年紀、詳ラカナラズ。


神亀五年いつとせといふとし戊辰つちのえたつ秋八月はつきによめる歌一首、また短歌

1785 人となる ことはかたきを わくらばに なれるが身は

   死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に

   うつせみの 世の人なれば 大王おほきみの みことかしこ

   天ざかる ひな治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ

   むら鳥の 群立ち行けば 留まり居て あれは恋ひむな 見ず久ならば

反し歌

1786 み越道の雪降る山を越えむ日は留まれるあれを懸けてしぬはせ


天平元年はじめのとし己巳つちのとみ冬十二月しはすによめる歌一首、また短歌

1787 うつせみの 世の人なれば 大王の 命畏み

   敷島の 大和の国の 石上 布留の里に

   紐解かず 丸寝まろねをすれば せる 衣はなれぬ

   見るごとに 恋はまされど 色にでば 人知りぬべみ

   冬の夜の 明けもかねつつ も寝ずに あれはぞ恋ふる 妹が直香ただか

反し歌

1788 布留の山よ直に見渡す都にぞを寝ず恋ふる遠からなくに

1789 我妹子がひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに

     右ノ件ノ五首、笠朝臣金村ノ歌集ニ出ヅ。


天平五年癸酉みづのととり遣唐使もろこしにつかはすつかひの船、難波よりいづる時、親母ははが子に贈れる歌一首、また短歌

1790 秋萩を 妻問ふ鹿こそ 独り子を 持たりと言へ

   鹿子かこじもの が独り子の 草枕 旅にし行けば

   竹玉たかたまを しじに貫き垂り 斎瓮いはひへに 木綿ゆふ取りでて

   いはひつつ 吾子あご ま幸くありこそ

反し歌

1791 旅人の宿りせむ野に霜降らばが子羽ぐくめあめ鶴群たづむら


娘子をしぬひてよめる歌一首、また短歌

1792 白玉の 人のその名を なかなかに 言の緒延へず

   逢はぬ日の 数多まねく過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば

   思ひ遣る たどきを知らに きも向ふ 心砕けて

   玉たすき 懸けぬ時なく 口やまず が恋ふる子を

   玉釧たまくしろ 手に巻き持ちて 真澄鏡まそかがみ 直目ただめに見ねば

   したひ山 下ゆく水の 上に出でず ふ心 安からぬかも

反し歌

1793 垣ほなす人の横言よここと繁みかも逢はぬ日まねく月の経ぬらむ

1794 立ちかはる月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

     右ノ三首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。


挽歌かなしみうた


宇治若郎子うぢのわきいらつこの宮所の歌一首

1795 妹がりと今木の嶺にみ立てるつま松の木は吉き人見けむ


紀伊国にてよめる歌四首

1796 もみち葉の過ぎにし子らと携はり遊びし磯を見れば悲しも

1797 潮気立つ荒磯ありそにはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し

1798 古に妹とが見しぬば玉の黒牛潟くろうしがたを見ればさぶしも

1799 玉津島磯の浦廻の真砂まなごにもにほひて行かな妹がりけむ

     右ノ四首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。


足柄の坂を過ぐるとき、みまかれる人を見てよめる歌一首

1800 小垣内をかきつの 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ

   白妙の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ

   苦しきに 仕へ奉りて 今だにも 国に退まかりて

   父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は

   鶏が鳴く あづまの国の 畏きや 神の御坂に

   和細布にきたへの 衣寒らに ぬば玉の 髪は乱れて

   国問へど 国をもらず 家問へど 家をも言はず

   ますらをの 行きの進みに ここに臥やせる


葦屋処女あしやをとめが墓を過ぐる時よめる歌一首、また短歌

1801 古の ますら丁子をのこの 相きほひ 妻問しけむ

   葦屋あしのやの 菟原娘子うなひをとめの 奥城おくつきを が立ち見れば

   永き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと

   玉ほこの 道の辺近く 岩構へ 造れるはか

   天雲の そくへの限り この道を 行く人ごとに

   行き寄りて い立ち嘆かひ 里人さどひとは にも泣きつつ

   語り継ぎ 偲ひ継ぎ来し 娘子らが 奥城所

   あれさへに 見れば悲しも 古思へば

反し歌

1802 古の信太丁子しぬだをとこの妻問ひし菟原処女の奥城ぞこれ

1803 語り継ぐからにもここだこほしきを直目に見けむ古丁子いにしへをとこ


おと死去みまかれるを哀しみてよめる歌一首、また短歌

1804 父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟のみこと

   朝露の やすき命 神のむた 争ひかねて

   葦原の 瑞穂の国に 家無みや また帰り来ぬ

   遠つ国 黄泉よみの境に ふ蔦の おのもおのも

   天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ

   射ゆ鹿ししの 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて

   春鳥の 哭のみ泣きつつ うまさはふ 夜昼言はず

   かぎろひの 心燃えつつ 嘆きぞがする

反し歌

1805 別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れてあれ恋ひめやも

1806 あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも

     右ノ七首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。


勝鹿かづしか真間娘子ままをとめを詠める歌一首、また短歌

1807 鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと

   今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手兒名てこな

   麻衣あさきぬに 青衿あをえり着け ひたさ麻を 裳には織り着て

   髪だにも 掻きは梳らず くつをだに はかず歩けど

   錦綾にしきあやの 中にくくめる いはひ子も 妹にしかめや

   望月の 足れるおもわに 花のごと 笑みて立てれば

   夏虫の 火に入るがごと 水門みなと入りに 舟榜ぐごとく

   行きかがひ 人の言ふ時 幾許いくばくも 生けらじものを

   何すとか 身をたな知りて 波のの 騒く湊の

   奥城に 妹がやせる 遠き代に ありけることを

   昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

反し歌

1808 勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ


菟原処女うなひをとめが墓を見てよめる歌一首、また短歌

1809 葦屋あしのやの 菟原処女の 八年子やとせこの 片生ひの時よ

   小放をはなりに 髪たくまでに 並びる 家にも見えず

   虚木綿うつゆふの 籠りてせば 見てしかと いふせむ時の

   垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士ちぬをとこ 菟原壮士うなひをとこ

   臥屋ふせや焚き すすし競ひ 相よばひ しける時に

   焼太刀やきたちの かみ押しねり 白真弓 ゆき取り負ひて

   水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ きほへる時に

   我妹子が 母に語らく 倭文手纏しづたまき 賤しきが故

   ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあらめや

   宍薬ししくしろ 黄泉に待たむと 隠沼こもりぬの 下延したばへ置きて

   打ち嘆き 妹がゆければ 茅渟壮士 その夜夢に見

   取り続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い

   天仰ぎ 叫びおらび つちに伏し 噛みたけびて

   もころ男に 負けてはあらじと 懸佩かきはきの 小太刀取り佩き

   ところつら 尋ね行ければ 親族やがらどち い行き集ひ

   永き代に しるしにせむと 遠き代に 語り継がむと

   処女墓 中に造り置き 壮士墓 此方こなた彼方かなた

   造り置ける ゆゑよし聞きて 知らねども 新喪にひものごとも 哭泣きつるかも

反し歌

1810 葦屋の菟原処女の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ

1811 墓の上の木枝このえ靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも

     右ノ五首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。