巻第九
雑歌
泊瀬の朝倉の宮に天の下しろしめしし天皇のみよみませる御製歌一首
1664 夕されば小椋の山に臥す鹿の今宵は鳴かずい寝にけらしも
崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の、紀伊国に幸せる時の歌二首
1665 妹がため吾が玉拾ふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波
1666 朝霧に濡れにし衣干さずして独りや君が山道越ゆらむ
右ノ二首、作者未詳。
大宝の元年辛丑冬十月、太上天皇、大行天皇、紀伊国に幸ませる時の歌十三首
1667 妹がため吾が玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
右ノ一首、既ニ上ニ見ルコト畢ハリヌ。但歌辞
少シク換リ、年代相違ヘリ。因テ以テ累ネ戴ス。
1668 白崎は幸くあり待て大船に真梶繁貫きまたかへり見む
1669 南部の浦潮な満ちそね鹿島なる釣する海人を見て帰り来む
1670 朝開き榜ぎ出て吾は由良の崎釣する海人を見て帰り来む
1671 由良の崎潮干にけらし白神の磯の浦廻を喘て榜ぎ響む
1672 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
1673 風早の浜の白波いたづらにここに寄せ来も見る人無しに
右ノ一首、山上臣憶良ノ類聚歌林ニ曰ク、
長忌寸意吉麻呂、詔ニ応ヘテ此歌ヲ作メリト。
1674 我が背子が使来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ
1675 藤白の御坂を越ゆと白たへの我が衣手は濡れにけるかも
1676 勢の山に黄葉散り敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
1677 大和には聞こえもゆくか大家野の小竹葉刈り敷き廬せりとは
1678 紀の国の昔弓雄の響矢もち鹿取り靡けし坂の上にそある
1679 紀の国にやまず通はむ都麻の杜妻寄し来せね妻と言ひながら
右ノ一首、或ヒト云ク、坂上忌寸人長ガ作。
後れたる人の歌二首
1680 麻裳よし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日そ雨な降りそね
1681 後れ居て吾が恋ひ居れば白雲の棚引く山を今日か越ゆらむ
忍壁皇子に献れる歌一首 仙人ノ形ヲ詠ム
1682 とこしへに夏冬ゆけや裘扇放たぬ山に住む人
舎人皇子に献れる歌二首
1683 妹が手を取りて引き攀ぢ打ち手折り君が挿すべき花咲けるかも
1684 春山は散り過ぎぬれども三輪山はいまだ含めり君待ちかてに
泉河の辺にて間人宿禰がよめる歌二首
1685 川の瀬の激つを見れば玉藻かも散り乱れたるこの川門かも
1686 彦星の挿頭の玉の妻恋に乱れにけらしこの川の瀬に
鷺坂にてよめる歌一首
1687 白鳥の鷺坂山の松影に宿りてゆかな夜も更けゆくを
名木河にてよめる歌二首
1688 あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
1689 荒磯辺につきて榜がさね都人浜を過ぐれば恋しくあるなり
高島にてよめる歌二首
1690 高島の阿渡川波は騒げども我は家思ふ宿り悲しみ
1691 旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも
紀伊国にてよめる歌二首
1692 吾が恋ふる妹は逢はさず玉つ浦に衣片敷き独りかも寝む
1693 玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
鷺坂にてよめる歌一首
1694 細領巾の鷺坂山の白つつじ吾ににほはね妹に示さむ
泉河にてよめる歌一首
1695 妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも
名木河にてよめる歌三首
1696 衣手の名木の川辺を春雨に吾立ち濡ると家思ふらむか
1697 家人の使なるらし春雨の避くれど吾を濡らす思へば
1698 あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを間使にする
宇治河にてよめる歌二首
1699 巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
1700 秋風の山吹の瀬の響むなべ天雲翔り雁渡るかも
弓削皇子に献れる歌三首
1701 さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ
1702 妹があたり衣雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬともしきまでに
1703 雲隠り雁鳴く時に秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
舎人皇子に献れる歌二首
1704 打ち手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
1705 冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ吾ぞ
舎人皇子の御歌一首
1706 ぬば玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上に棚引くまてに
鷺坂にてよめる歌一首
1707 山背の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり
泉河の辺にてよめる歌一首
1708 春草を馬咋山よ越え来なる雁が使は宿過ぐなり
弓削皇子に献れる歌一首
1709 御食向ふ南淵山の巌には降りしはだれか消え残りたる
右、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。
題闕
1710 我妹子が赤裳湿ちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜
1711 百伝ふ八十の島廻を榜ぎ来けど粟の小島は見れど飽かぬかも
右ノ二首、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。
筑波山に登りて月を詠める歌一首
1712 天の原雲なき宵にぬば玉の夜渡る月の入らまく惜しも
芳野の離宮に幸せる時の歌二首
1713 滝の上の三船の山よ秋津辺に来鳴き渡るは誰呼子鳥
1714 落ちたぎち流るる水の岩に触り淀める淀に月の影見ゆ
右ノ三首、作者未詳。
槐本が歌一首
1715 楽浪の比良山風の海吹けば釣する海人の袖返る見ゆ
山上が歌一首
1716 白波の浜松の木の手向ぐさ幾代までにか年は経ぬらむ
右ノ一首、或ヒト云ク、河島皇子ノ御作歌。
春日が歌一首
1717 三川の淵瀬もおちず小網さすに衣手濡れぬ干す子はなしに
高市が歌一首
1718 率ひて榜ぎにし舟は高島の安曇の水門に泊てにけむかも
春日が歌一首
1719 照る月を雲な隠しそ島陰に吾が船泊てむ泊知らずも
右ノ一首、或ル本ニ云ク、小辯ガ作ナリト。或ハ
姓氏ヲ記シ、名字ヲ記スコト無ク、或ハ名号ヲ称
ヒテ姓氏ヲ称ハズ。然レドモ古記ニ依リテ、便チ
次ヲ以テ載ス。凡ソ此ノ如キ類ハ、下皆焉ニ効ヘ。
元仁が歌三首
1720 馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
1721 苦しくも暮れぬる日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに
1722 吉野川川波高み滝の裏を見ずかなりなむ恋しけまくに
絹が歌一首
1723 かはづ鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ君かも
島足が歌一首
1724 見まく欲り来しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしき
麻呂が歌一首
1725 古の賢しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも
右、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
丹比真人が歌一首
1726 難波潟潮干に出でて玉藻刈る海未通女ども汝が名のらさね
某の娘子が和ふる歌
1727 漁りする海人とを見ませ草枕旅ゆく人に妻とは告らじ
石川の卿の歌一首
1728 慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかもゆかむこよ別れなば
宇合の卿の歌三首
1729 暁の夢に見えつつ梶島の磯越す波のしきてし思ほゆ
1730 山科の石田の小野の柞原見つつや君が山道越ゆらむ
1731 山科の石田の杜に奉幣せばけだし我妹に直に逢はむかも
碁師が歌二首
1732 大葉山霞たなびきさ夜更けて吾が舟泊てむ泊知らずも
1733 思ひつつ来れど来かねて三尾が崎真長の浦をまたかへり見つ
小辯が歌一首
1734 高島の安曇の湊を榜ぎ過ぎて塩津菅浦今は榜がなむ
伊保麻呂が歌一首
1735 吾が畳三重の川原の磯の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも
式部大倭が芳野にてよめる歌一首
1736 山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも
兵部川原が歌一首
1737 大滝を過ぎて夏身にそひ居りて清き川瀬を見るがさやけさ
上総の周淮の珠名娘子を詠める歌一首 、また短歌
1738 尻長鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は
胸別の 広けき我妹 腰細の すがる娘子の
その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば
玉ほこの 道ゆく人は おのが行く 道は行かずて
呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は
たちまちに 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る
人の皆 かく惑へれば うちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける
反し歌
1739 金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける
水江の浦島の子を詠める歌一首、また短歌
1740 春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て
釣舟の たゆたふ見れば 古の ことそ思ほゆる
水江の 浦島の子が 堅魚釣り 鯛釣りほこり
七日まで 家にも来ずて 海界を 過ぎて榜ぎゆくに
海若の 神の娘子に たまさかに い榜ぎ向ひ
相かたらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り
海若の 神の宮の 内の重の 妙なる殿に
たづさはり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして
永世に ありけるものを 世の中の 愚人の
我妹子に 告りて語らく 暫しくは 家に帰りて
父母に 事も告らひ 明日のごと 吾は来なむと
言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て
今のごと 逢はむとならば この篋 開くなゆめと
そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来たりて
家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて
あやしみと そこに思はく 家よ出て 三年の間に
垣もなく 家失せめやも この筥を 開きて見てば
もとのごと 家はあらむと 玉篋 少し開くに
白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば
立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ
たちまちに 心消失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ
黒かりし 髪も白けぬ ゆりゆりは 息さへ絶えて
のち遂に 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ
反し歌
1741 常世辺に住むべきものを剣大刀しが心から鈍やこの君
河内の大橋を独りゆく娘子を見てよめる歌一首、また短歌
1742 しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上よ
紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て
ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ
橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく
反し歌
1743 大橋の頭に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを
武藏の小埼の沼の鴨を見てよめる歌一首
1744 埼玉の小埼の沼に鴨そ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとならし
那賀の郡の曝井の歌一首
1745 三栗の那賀に回れる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
手綱の浜の歌一首
1746 遠妻しそこにありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
慶雲三年丙午春三月、諸の卿大夫等、難波に下れる時の歌二首、また短歌
1747 白雲の 龍田の山の 滝の上の 小椋の嶺に
咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば
春雨の 継ぎて降れれば 上枝は 散り過ぎにけり
下枝に 残れる花は しまらくは 散りな乱りそ
草枕 旅ゆく君が 帰り来むまで
反し歌
1748 吾が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
1749 白雲の 龍田の山を 夕暮に うち越えゆけば
滝の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり
含めるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに
見せずとも かにかくに 君のみ行きは 今にしあるべし
反し歌
1750 暇あらばなづさひ渡り向つ峯の桜の花も折らましものを
難波に宿りて、明くる日還来る時の歌一首、また短歌
1751 島山を い行き廻る 川沿ひの 岡辺の道よ
昨日こそ 吾が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに
峯の上の 桜の花は 滝の瀬よ たぎちて流る
君が見む その日までには あらしの 風な吹きそと
打ち越えて 名に負へる杜に 風祭せな
反し歌
1752 い行き逢ひの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ子もがも
検税使大伴の卿の筑波山に登りたまへる時の歌一首、また短歌
1753 衣手 常陸の国 二並ぶ 筑波の山を
見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆き
木の根取り 嘯き登り 峯の上を 君に見すれば
男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて
時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして
いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば
嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてそ遊ぶ
打ち靡く 春見ましよは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
反し歌
1754 今日の日にいかで及かめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も
霍公鳥を詠める歌一首、また短歌
1755 鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて
己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
卯の花の 咲きたる野辺よ 飛び翔り 来鳴き響もし
橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし
幣はせむ 遠くな行きそ 我が屋戸の 花橘に 住みわたり鳴け
反し歌
1756 かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きてゆくなりあはれその鳥
筑波山に登る歌一首、また短歌
1757 草枕 旅の憂けくを 慰むる こともあれやと
筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に
雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も
秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば
長き日に 思ひ積み来し 憂けくはやみぬ
反し歌
1758 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
筑波嶺に登りてかがひする日よめる歌一首、また短歌
1759 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に
率ひて 未通女壮士の 行き集ひ かがふかがひに
人妻に 吾も交はむ 吾が妻に 人も言問へ
この山を うしはく神の 古よ 禁めぬわざぞ
今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな
カガヒハ、東ノ俗語ニ曰ク、カガヒ。
反し歌
1760 男神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るとも吾帰らめや
右ノ件ノ歌ハ、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。
鳴鹿を詠める歌一首、また短歌
1761 三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に
秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ
あしひきの 山彦響め 呼び立て鳴くも
反し歌
1762 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼び立て鳴くも
右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。
沙彌女王の歌一首
1763 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちがたき
右ノ一首、間人宿禰大浦ガ歌ノ中ニ既ニ見エタリ。
但末一句相換リ、亦作歌ノ両主、正指ニ敢ズ。因
テ以テ累ネ載ス。
七夕の歌一首、また短歌
1764 久かたの 天の川原に 上つ瀬に 玉橋渡し
下つ瀬に 船浮け据ゑ 雨降りて 風は吹くとも
風吹きて 雨は降るとも 裳濡らさず やまず来ませと 玉橋渡す
反し歌
1765 天の川霧立ち渡る今日今日と吾が待つ君が船出すらしも
右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、中衛大将藤原北卿宅ニテ
作メリト。
相聞
振田向宿禰が筑紫国に退る時の歌一首
1766 我妹子は釧にあらなむ左手の吾が奥の手に巻きて去なましを
拔氣大首が筑紫に任けらるる時、豊前国の娘子紐児に娶ひてよめる歌三首
1767 豊国の香春は吾家紐児にいつがり居れば香春は吾家
1768 石上布留の早稲田の穂には出でず心のうちに恋ふるこの頃
1769 かくのみし恋ひし渡れば玉きはる命も吾は惜しけくもなし
大神の大夫が長門守に任けらるる時、三輪河の辺に集ひて宴する歌二首
1770 三諸の神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは吾忘れめや
1771 後れ居て吾はや恋ひむ春霞棚引く山を君し越えなば
右ノ二首、古歌集ノ中ニ出ヅ。
大神の大夫が筑紫国に任けらるる時、阿倍の大夫がよめる歌一首
1772 後れ居て吾はや恋ひむ印南野の秋萩見つつ去なむ子故に
弓削皇子に献れる歌一首
1773 神奈備の神依せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに
舎人皇子に献れる歌二首
1774 たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼み過ぎむや
1775 泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門に近づきにけり
右ノ三首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
石川の大夫が任を遷されて京に上る時、播磨娘子が贈れる歌二首
1776 絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
1777 君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず
藤井連が任を遷されて京に上る時、娘子が贈れる歌一首
1778 明日よりは吾は恋ひむな名次山岩踏み平し君が越えなば
藤井連が和ふる歌一首
1779 命をしま幸くもがも名次山岩踏み平しまたかへり来む
鹿島郡苅野橋にて、大伴の卿に別るる歌一首、また短歌
1780 ことひ牛の 三宅の浦に さし向ふ 鹿島の崎に
さ丹塗りの 小船を設け 玉纏の 小梶繁貫き
夕潮の 満ちの湛みに 御船子を 率ひ立てて
呼び立てて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て
こいまろび 恋ひかも居らむ 足ずりし 音のみや泣かむ
海上の その津を指して 君が榜ぎゆかば
反し歌
1781 海つ道の凪ぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや
右ノ二首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。
妻に与れる歌一首
1782 雪こそは春日消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ
妻が和ふる歌一首
1783 松返りしひてあれやも三栗の中すぎて来ず待つといへや子
右ノ二首、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。
入唐使に贈れる歌一首
1784 海神のいづれの神を祈らばか行方も来方も船の早けむ
右ノ一首、渡海ノ年紀、詳ラカナラズ。
神亀五年戊辰秋八月によめる歌一首、また短歌
1785 人となる ことは難きを わくらばに なれる吾が身は
死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に
うつせみの 世の人なれば 大王の 命畏み
天ざかる 夷治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ
むら鳥の 群立ち行けば 留まり居て 吾は恋ひむな 見ず久ならば
反し歌
1786 み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる吾を懸けて偲はせ
天平元年己巳冬十二月によめる歌一首、また短歌
1787 うつせみの 世の人なれば 大王の 命畏み
敷島の 大和の国の 石上 布留の里に
紐解かず 丸寝をすれば 吾が着せる 衣はなれぬ
見るごとに 恋はまされど 色に出でば 人知りぬべみ
冬の夜の 明けもかねつつ 寝も寝ずに 吾はぞ恋ふる 妹が直香に
反し歌
1788 布留の山よ直に見渡す都にぞ寝を寝ず恋ふる遠からなくに
1789 我妹子が結ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに
右ノ件ノ五首、笠朝臣金村ノ歌集ニ出ヅ。
天平五年癸酉遣唐使の船、難波よりいづる時、親母が子に贈れる歌一首、また短歌
1790 秋萩を 妻問ふ鹿こそ 独り子を 持たりと言へ
鹿子じもの 吾が独り子の 草枕 旅にし行けば
竹玉を 繁に貫き垂り 斎瓮に 木綿取り垂でて
斎ひつつ 吾が思ふ吾子 ま幸くありこそ
反し歌
1791 旅人の宿りせむ野に霜降らば吾が子羽ぐくめ天の鶴群
娘子を思ひてよめる歌一首、また短歌
1792 白玉の 人のその名を なかなかに 言の緒延へず
逢はぬ日の 数多く過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば
思ひ遣る たどきを知らに 肝向ふ 心砕けて
玉たすき 懸けぬ時なく 口やまず 吾が恋ふる子を
玉釧 手に巻き持ちて 真澄鏡 直目に見ねば
したひ山 下ゆく水の 上に出でず 吾が思ふ心 安からぬかも
反し歌
1793 垣ほなす人の横言繁みかも逢はぬ日まねく月の経ぬらむ
1794 立ち易る月重なりて逢はねども実忘らえず面影にして
右ノ三首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。
挽歌
宇治若郎子の宮所の歌一首
1795 妹がりと今木の嶺に茂み立てる嬬松の木は吉き人見けむ
紀伊国にてよめる歌四首
1796 もみち葉の過ぎにし子らと携はり遊びし磯を見れば悲しも
1797 潮気立つ荒磯にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し
1798 古に妹と吾が見しぬば玉の黒牛潟を見れば寂しも
1799 玉津島磯の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹が触りけむ
右ノ四首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
足柄の坂を過ぐるとき、死れる人を見てよめる歌一首
1800 小垣内の 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ
白妙の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ
苦しきに 仕へ奉りて 今だにも 国に退りて
父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は
鶏が鳴く 東の国の 畏きや 神の御坂に
和細布の 衣寒らに ぬば玉の 髪は乱れて
国問へど 国をも告らず 家問へど 家をも言はず
ますらをの 行きの進みに ここに臥やせる
葦屋処女が墓を過ぐる時よめる歌一首、また短歌
1801 古の ますら丁子の 相競ひ 妻問しけむ
葦屋の 菟原娘子の 奥城を 吾が立ち見れば
永き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと
玉ほこの 道の辺近く 岩構へ 造れる塚を
天雲の そくへの限り この道を 行く人ごとに
行き寄りて い立ち嘆かひ 里人は 哭にも泣きつつ
語り継ぎ 偲ひ継ぎ来し 娘子らが 奥城所
吾さへに 見れば悲しも 古思へば
反し歌
1802 古の信太丁子の妻問ひし菟原処女の奥城ぞこれ
1803 語り継ぐからにもここだ恋しきを直目に見けむ古丁子
弟の死去れるを哀しみてよめる歌一首、また短歌
1804 父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の命は
朝露の 消やすき命 神の共 争ひかねて
葦原の 瑞穂の国に 家無みや また帰り来ぬ
遠つ国 黄泉の境に 延ふ蔦の おのもおのも
天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ
射ゆ鹿の 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて
春鳥の 哭のみ泣きつつ 味さはふ 夜昼言はず
かぎろひの 心燃えつつ 嘆きぞ吾がする
反し歌
1805 別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて吾恋ひめやも
1806 あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも
右ノ七首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。
勝鹿の真間娘子を詠める歌一首、また短歌
1807 鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと
今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手兒名が
麻衣に 青衿着け 直さ麻を 裳には織り着て
髪だにも 掻きは梳らず 履をだに はかず歩けど
錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや
望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば
夏虫の 火に入るがごと 水門入りに 舟榜ぐごとく
行きかがひ 人の言ふ時 幾許も 生けらじものを
何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く湊の
奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを
昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
反し歌
1808 勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ
菟原処女が墓を見てよめる歌一首、また短歌
1809 葦屋の 菟原処女の 八年子の 片生ひの時よ
小放に 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず
虚木綿の 籠りて座せば 見てしかと 鬱せむ時の
垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士 菟原壮士の
臥屋焚き すすし競ひ 相よばひ しける時に
焼太刀の 手かみ押しねり 白真弓 靫取り負ひて
水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競へる時に
我妹子が 母に語らく 倭文手纏 賤しき吾が故
ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあらめや
宍薬 黄泉に待たむと 隠沼の 下延へ置きて
打ち嘆き 妹がゆければ 茅渟壮士 その夜夢に見
取り続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い
天仰ぎ 叫びおらび 地に伏し 牙噛み猛びて
如男に 負けてはあらじと 懸佩の 小太刀取り佩き
ところつら 尋ね行ければ 親族どち い行き集ひ
永き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと
処女墓 中に造り置き 壮士墓 此方彼方に
造り置ける ゆゑよし聞きて 知らねども 新喪のごとも 哭泣きつるかも
反し歌
1810 葦屋の菟原処女の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
1811 墓の上の木枝靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも
右ノ五首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。