聖使徒行実07

提供:Wikisource

聖使徒行實

第七章[編集]

 とき司祭長しさいちやうへり、はたしてくのごときか。

 かれへり、兄弟けいていおよ諸父しょふよ、これけ、光榮くわうえいかみアウラアムに、そのいまだハルランにうつらざるさきに、メソポタミヤにあらはれて、

 かれへり、なんぢで、なんぢ親族しんぞくおよなんぢちゝいへはなれて、なんぢしめさんとするけ。

 其時そのときかれはハルデヤのよりでゝ、ハルランにりたり、其父そのちゝせしのちかみかれ彼處かしこより、なんぢいまめる、うつせり。

 しかるにこゝにはあしつるばかりの嗣業しげふだにかれあたへざりき、たゞかれに、いまあらざりしときげふとして、かれおよかれすゑあたへんことをやくせり。

 かみへり、かれすゑ移住民いぢゅうみんり、彼處かしこにはこれ奴隷どれいし、これくるしめて、四百年しひゃくねんん。

 かみまたへり、彼等かれら奴隷どれいとせんたみは、われこれ審判しんぱんせん、厥後そののち彼等かれらでゝ、われところ奉事ほうじせんと。

 またかれ割禮かつれいやくあたへたり。其後そののちアウラアムはイサアクをみ、第八日だいはちじつおいこれ割禮かつれいおこなヘり、イサアクはイアコフをみ、イアコフは十二じふに族祖ぞくそめり。

 族祖ぞくそはイオシフをねたみて、これをエギペトにれり、しかれどもかみかれともりて、

一〇 かれそのことごとくの患難くわんなんよりすくひ、かれにエギペトのわうファラオンのまへ恩寵おんちょう智慧ちゑとをあたへたり、わうかれてて、エギペトおよおのれ全家ぜんかつかさせり。

一一 饑饉ききんおほいなる患難くわんなんとはエギペトならびにハナアンの全地ぜんちおよびて、先祖せんぞかてざりき。

一二 イアコフはエギペトに穀物こくもつありときて、はじめて先祖せんぞかしこつかはせり。

一三 ふたゝびつかはしゝとき、イオシフはおのれ其兄弟そのけいていらしめ、かつイオシフのぞくはファラオンのところれり。

一四 イオシフつかはして、其父そのちゝイアコフおよその全族ぜんぞく七十五人しちじふごにんむかへたり。

一五 イアコフ エギペトにくだりて、おのれ先祖せんぞをはれり、

一六 すなはちシヘムにたづさへられて、アウラアムが、ぎんあたひもつて、シヘムのエムモルの諸子しょしよりひたるはかをさめられたり。

一七 かみちかひて、アウラアムに許約きょやくせしときちかづくにしたがひ、たみはエギペトに繁殖はんしょくして、いよいよおほくなり、

一八 イオシフをらざるわうのエギペトにおこるにおよべり。

一九 かれあくぞくはかりて、先祖せんぞくるしめ、其嬰そのをさなごてゝ、かさざらんことをめいぜり。

二〇 ときモイセイうまれて、かみまへうるはしかりき。三月間さんげつかん其父そのちゝいへそだてられたり。

二一 てらるゝにおよびて、ファラオンのむすめかれり、やしなひておのれせり。

二二 モイセイはことごとくエギペトの學術がくじゅつをしへられて、ことばおこなひとにちからありき。

二三 かれとし四十しじふいたりて、其兄弟そのけいていなるイズライリの諸子しょしかへりみんとするこゝろおこれり。

二四 其中そのうち一人ひとりしへたげらるゝをて、これ保護はうごし、くつせらるゝものためあだむくいて、エギペトじんころせり。

二五 おもへらく、其兄弟そのけいていは、かみかれもつて、彼等かれらすくひあたふるをさとるならんと、しかれども彼等かれらさとらざりき。

二六 つぎ彼等かれらあひたゝかへるをて、すゝめてへり、なんぢ兄弟けいていなるに、なんたがひ不義ふぎす。

二七 しかれどもそのとなり不義ふぎものかれしりぞけてへり、たれなんぢてゝ、我等われら有司つかさおよ裁判官さいばんくわんしたる。

二八 あになんぢ昨日きのふエギペトじんころしゝごとく、われころさんとほつするか。

二九 モイセイことばりて、はしりてマディアムの移往いぢゅうし、彼處かしこりて二人ふたりめり。

三〇 四十年しじふねんえてのち、シナイざんおいて、しゅ使つかひかれゆるいばら火熖ほのほあらはれたり。

三一 モイセイて、異象いしやうあやしみ、これつまびらかためちかづげるときしゅこゑかれりてへり、

三二 われなんぢ列祖れつそかみ、アウラアムのかみ、イサアクのかみ、イアコフのかみなり。モイセイふるをのゝきて、あへざりき。

三三 しゅかれヘり、なんぢあしくつけ、けだしなんぢてるところ聖地せいちなり。

三四 われはエギペトにたみくるしみ其歎息そのなげきき、かれすくはんためくだれり、いまけ、われなんぢをエギペトにつかはさん。

三五 のモイセイ、彼等かれらこばみて、たれなんぢてて、有司つかさおよ裁判官さいばんくわんしたると、ひしものは、かみかれを、いばらなかあらはれたる天使てんしもつて、有司つかさおよ救主すくひぬしとしてつかはせり。

三六 ひと彼等かれらいだし、奇蹟きせき休徴きうちょうをエギペトのに、紅海こうかいに、およに、四十年間しじふねんかんおこなへり。

三七 のモイセイは、すなはちイズライリの諸子しょしげて、しゅなんぢかみは、なんぢ兄弟けいていうちより、なんぢわれごと預言者よげんしゃおこさん、かれけと、ひしものなり。

三八 ひとは、すなはちくわいおいて、シナイざんかれかたりし天使てんしおよ我等われら先祖せんぞともりて、我等われらさづけんためけることばけしものなり。

三九 我等われら先祖せんぞかれしたがふをほつせざりき、すなはちかれこばみ、おのれこゝろをエギペトにてんじて、

四〇 アアロンにへり、我等われらさきだちてくべき諸神しょしん我等われらためつくれ、けだし我等われらをエギペトのよりいだしゝのモイセイに、何事なにごとのありしかを我等われららざるなり。

四一 當日そのひ彼等かれらこうしざうつくり、ざうまつりけんじ、おのれわざまへたのしめり。

四二 こゝおいかみおもてけて、彼等かれら天上てんじやうぐんつかふるにまかせたり、しょ預言者よげんしゃしょしるされしがごとし、いはく、イズライリのいへよ、なんぢ四十年間しじふねんかんおい犠牲いけにへ祭祀まつりとをわれさゝげしか。

四三 なんぢはモロフのまくおよなんぢかみレムファンのほしすなはちなんぢはいせんためつくりしかたちげたり、われなんぢをワワィロンよリとほうつさんと。

四四 我等われら先祖せんぞには、おい證詞しょうしまくありき、モイセイにかたりしものが、そのところしきしたがひて、これつくらんことめいぜしがごとし。

四五 我等われら先祖せんぞはイイススとともこれほうじて、かみ我等われら先祖せんぞ面前めんぜんよりひし異邦民いはうみん領地りやうちたづされり。くのごとくにしてダワィドのいたれり。

四六 かれかみまへ恩寵おんちょうて、イアコフのかみため居所すまひまうけんことをねがへり。

四七 ソロモンはかれためいへてたり。

四八 しかれども至上者しじやうしゃにてつくられたる殿でんらず、預言者よげんしゃところごとし、

四九 しゅいはく、てんわれ寶座はうざわれあしだいなり。なんぢためなにいへてんか、あるひ安息あんそくためなにところあらんか、

五〇 みなこれつくりしにあらずやと。

五一 強項かたくなにして、こゝろみゝとに割禮かつれいけざるものよ、なんぢつね聖神せいしんさかふ、なんぢ先祖せんぞごとく、なんぢまたくのごとし。

五二 なんぢ先祖せんぞいづれ預言者よげんしゃ窘逐きんちくせざりしか、彼等かれら義者ぎしゃきたるを預言よげんせしものころせり、なんぢいま義者ぎしゃわたし、かつころものれり。

五三 なんぢは、すなはち天使てんし捧持ほうじりて、律法りつぱふけて、これまもらざりしものなり。

五四 彼等かれらこれきて、其心そのこゝろいかりヘず、切齒はがみしてかれむかへり。

五五 ときにステファン聖神せいしん滿てられ、てんあふぎて、かみ光榮くわうえいおよびイイススがかみみぎてるを

五六 へり、よ、われてんひらけて、ひとかみみぎてるをる。

五七 しかれども彼等かれらおほいなるこゑもつさけびて、みゝおほひ、こゝろおなじくしてかれせまり、

五八 まちそといだして、いしもつかれてり。證者等しょうしゃらおのれころもひとり少年せうねん、サウルとづくるもの足下そくかき、

五九 いしもつてステファンをてり。かれいのりてへり、しゅイイススよ、たましひけよ、

六〇 すなはちひざかゞめ、おほいなるこゑもつびてへり、しゅよ、つみ彼等かれらするなかれ。これひてねむれり。