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粗忽の使者

提供:Wikisource

粗忽そこつ使者ししゃ

粗忽そこつ使者ししゃふおはなし申上まをしあげます、粗忽そこつもの使つかつて寄來よこすとふはまこと可笑をかしいようですが、むかし御大名方おだいみやうがた御本丸ごほんまる御登城ごとじやうあそばすときに、殿樣方とのさまがた種々いろ御自慢ごじまん御話おはなしさいます これ松平殿まつだひらどの御貴殿ごきでんにか面白おもしろいおはなし御座ござらぬかな 左樣さやうべつ面白おもしろいとこと御座ござらんが、拙者せつしやこめめしいたことぞんるが、如何いかゞ御座ござるな これ恐入おそれいまおした、シテこといたすとこめめしになりますな 左樣さやうづ一しょうこめみづにてぎまして、かまみづ片手かたてれて、みづ是程これほどあると一しやうめし出來できますが 紀州公しからば二しやうときれば二しやうときはエーりやうれて、れだけみづがあれば二しやうめし出來申できまをしからば三じやうになると 「三じやうときは二ほんれたうへあしかたツぽふれまする しからば四しやうとき「四しやうときは二ほんれたうへ兩足りやうあしれまする」などふてられます、みん殿樣方とのさまがた御自慢話ごじまんばなし持切もちきる、なか赤井御門守松平殿まつだひらどの御貴公ごきこう御家來ごけらいうちにか面白おもしろ人物じんぶつ御座ござるまいか 「さればべつ面白おもしろいとまをほどもの御座ござらんが、極極ごくごく粗忽そこつにて物忘ものわすれをいたもの御座ござるが 赤井それ面白おもしろい、しからば其者そのもの拙者せつしや屋敷やしき御使おつかひ御遣おつかはしになるまいか れはやすこと早速さつそく使つかひつかはしましよう」と殿樣同志とのさまどうしはなしきまつたのだが、られるひとこそつらかはだ、殿樣とのさま御城おしろから御歸おかへりになると、すぐ御家來ごけらい粗忽者そこつものじぶ田次武衛門たじぶゑもんまるうち赤井御門守樣あかゐごもんのかみさま使者しゝやけました、そんなことすこしもらない、じぶ田次武衛門たじぶゑもん御玄關おげんくわんて、モーすぐ馬丁べつとう辨當べんたう間違まちがひ次武「コリやア辨當べんたうらんか、辨當べんたうびますると馬丁べつとう旦那だんな辨當べんたうではありますまゐ、馬丁べつとうではありませんか 次武如何いかにもベツとうであつた」とわら次武拙者せつしやまるうち使者しゝやまゐる、とももの「ヘイおともぞろひは出來できります 次武左樣さやうか、うまこれへふつぱつてまゐうま最前さいぜんからります 次武「コラ斯樣かやうちいさいうまではれんではないか 馬丁旦那だんな馬鹿ばかつちやアいけません、れはいぬ次武成程なるほどうま此處こゝつたか」とうまのりましたが、これ反對あべこべつて 次武「コリヤ馬丁べつとう此馬このうまにはかしらがないぞ 馬丁冗談じようだんつちやアいけません、くびうしろにありますヨ 次武成程なるほどどくだが、そのかしらつて此方こちらへつけてれ、馬丁「そんなこと出來できません 次武うま不自由ふじいうだナ 馬丁何處どこうまだツておなじです 次武それでは拙者せつしやしりもちあげるからうままは馬丁馬鹿ばかつてはいけません」とやううまりかへてシトつてまゐりましたのが、まるうち赤井御門守あかゐごもんのかみさま御屋敷おやしき御使者おしゝやアーとみで、使者しゝやとほると當家たうけ重役ぢうやく田中たなか太夫だいふ御年輩ごねんぱい御方おかた禿はげつむり眞中まんなか蜻蛉とんぼたやうなまげをつけて、れへまゐりまして これ御使者おしゝや御苦勞ごくらうぞんじます、拙者事せつしやこと赤井御門守あかゐごもんのかみ家來けらい田中たなか太夫だいふまをもの以後いご御見知おみしおかれて御別懇ごべつこんねがはしふぞんじます 次武「コレは御叮嚀ごていねいなる御挨拶ごあいさつ自分事じぶんことはヱーソノんで御座ござる、松平まつだひらまさめのしやう家來けらい、ヱーじぶ田次武たじぶヱーソノじぶ田次武左衛門たじぶざゑもん手前てまへ舍弟しやてい御座ござる、ヱー手前事てまへことは、ヱーじぶ田次武右衛門たじぶうゑもんまをもの以後いご御見知おみしおかれて御別懇ごべつこんねがひまするで、なア 手前てまへ田中たなか太夫だいふで、御使者おしゝや御口上ごこうじやう次武「ハイ、手前事てまへこと松平まつだひらまさめのしやう家來けらいじぶ田次武右衛門たじぶうゑもんまをしまするもの御見知おみしおかれて御心安おこゝろやすねがひます 御名前おなまへりやううかゞひましたが、シテ御使者おしゝや御口上ごこうじやう次武「ハイ、これははやこまつたこと出來しゆつたいゝたして御座ござる、武士ぶしにあるまじきことで、當家たうけ御座敷おざしき拜借はいしやくして切腹せつぷくいたさんければならんこと出來しゆつたいゝたしました、ハイじつ面目次第めんもくしだい御座ござらんが、使者しゝや口上こうじやうぶちわすれたで御座ござる、切腹せつぷくいたすはやすことでは御座ござるが、それがし武士ぶしのはしくれ、イザ戰塲せんぢやうおい殿との御馬前ごばぜんにて討死うちじにいたすはのぞところなれど、使者しゝや口上こうじやうぶちわすれて切腹せつぷくいたすは殘念ざんねん至極しごく御座ござりまする」ハラなみだをこぼしました それ近頃ちかごろ御氣おきどく千萬せんばんにとかして御思おゝもしになる御工夫ごくふう御座こざりますまいか 次武「ハイ、御親切ごしんせつなる御心添おこゝろぞ有難ありがた仕合しあはせぞんずる 貴公きこうには最前さいぜんよりしきりにいしきをつめりになるやうであるが、れはんのため御座ござるな 次武「ハイ、御見出おみだしにあづか面目めんぼくなき次第しだいであるが、まア一ととほ御聞おきください、拙者せつしや幼少えうせうをり學問等がくもんとういたときに、物忘ものわすれをいたす、スルと兩親りやうしん手前てまへのこのしりをつめりれますると、いた心得こゝろえおもしたこと御座ござるテ、れがいまおい習慣ならはし相成あひなりまして、物忘ものわすれをいたたびしりをつめりますると、いた心得こゝろえおもして御座ござる、武士ぶし相身互あひみたがはなは御無禮ごぶれいでは御座ござるが、手前てまへしり一寸ちよつとつめりくださらんか んとあふせらるゝ、貴公きこう御幼少ごえうせうをり物忘ものわすれをいたされると、御兩親ごりやうしん貴殿きでんしりつめりますとか、れはなによりもやすこと御遠慮ごゑんりよなく衣類いるゐまくりください、つめりまをしませう 次武それ千萬せんばんかたじけない、何分なにぶんよろしく、はなは失禮しつれい」としりをまくる 「サアつめりました、如何いかゞ御座ござらうな 次武「おつめりくださるかぞんぜぬが一向いつかうつうじませんな 「なかかた御尻おしり御座ございますな、これでは如何いかゞ御座ござるな 次武つめりくださるかぞんぜんが、まるはいのとまりやう御座ござ「ムヽこれでもつうじませんかな 次武如何いかゞ御座ござらふ、御當家ごたうけゆびさきちからのある御家來ごけらいがありませうならば、御撰おえらしをねがひたいもので、なくば此處こゝ拜借はいしやくして切腹せつぷくいたたく此儀このぎ御許おゆるしをねがひまする 「イヤけつして御短慮ごたんりよなされてはなりませんぞ、短慮たんりよこうさずとまをこと御座ござれば、只今たゞいま同役共どうやくども相談さうだんつかまつり、早速さつそくゆびさきちからのあるものこれまゐりますればすこしおひかくだされたい 次武何分なにぶんよろしくねがたてまつる 委細ゐさい承知しようちつかまつる」とすぐつぎ退さがり、種々いろ相談さうだんいたしてりました、御話おはなしかはりまして、最前さいぜん御使者おしゝやまゐりまするとき使者しゝや此方こなた大工だいく仕事しごとをしてりましたが、御使者おしゝやのでみなにげましたが、其中そのうち大工だいくとめ人物じんぶつげそこねて、委細ゐさい樣子やうすきまして、やうにはまゐりまして、一人ひとりでゲタわらつてりますから友達ともだちが、 「ヲイとめなにわらつてやアがるのだ、面白おもしろくもねエ ところがなみんきねヱ、おれ可笑をかしくつてたまらねヱよ んだ ほかじやアねヱが、今日けふ屋敷やしき使者しゝやたらふ、その使者しゝやがヨ、此方こつちからは田中たなか太夫だいふさんで、拙者事せつしやことなんてヱもので御座ございとやツつけるとな、その使者しゝやめうつらをして田舍ゐなか言葉ことばヨ、手前事てまへことはヱーとつてしばらかんがえてて、やう松平まつだひらまさめの家來けらいまたヱーと呻吟うなつて、じぶ田次武左衛門たじぶざゑもん舍弟しやていで、ヱーと呻吟うなりやアがつて、またやうおもして、じぶ田次武右衛門たじぶゑもんまをもの御座ござる、とやう挨拶あいさつをするとな、田中たなか旦那だんな使者しゝや口上こうじやうはとくとな、使者しゝや口上こうじやうわすれたとつて、切腹せつぷくをするから座敷ざしきせとふのだ、 「ソイツは大變たいへん「マアけツてヱば、田中たなかさんも大變たいへん心配しんぱいをして、うかおも工夫くふうはないかとくとな、へんてこなかほながらけつ自分じぶんでつめツてるから、わけだとくと、使者しゝやふには、子供こどもとき手習てならひかなんかするに、物忘ものわすいたし、其時そのとき親父おやぢやおふくろけつをつめツてれた、スルといたおもつて、おもしたこと御座ござるから、どくだが三太夫だいふさんにけつをつめツてれとたのんだのだ、三太夫だいふさんよろしい遠慮ゑんりよなくけつをまくれと、けつをまくらして一しやう懸命けんめいでつめると、當人たうにん一向いつかうつうじませんとるのだ、しまひには田中たなかさんもひたひ靑筋あをすぢして、土手どてをかじつてつめつたが一かうつうじませんだ 「オイ留公とめこう土手どてふのはんだ 「三太夫だいふさんはいから土手どてじやアないか、れだからなあんま可哀想かあいさうだからおれこれからつて、一ばんけつをつめつてやらうとおもふのだ せよ、れだからてめへことをお煙草盆たばこぼんふのだ、んてふとひとよりさきたがる だまつてろ、ベラぼう此方こつちこれでも江戶子えどつこだ、ひとこまるのをられるかイ、一ばんつめつてたすけてるのだ、けつかたくつてつかなければ、釘拔くぎぬきでつめつてるのだ、 「オイ無暗むやみことをするな ひつてことよ」とヅカ御中おなかくちつてまゐまして 「ヘイ御免ごめんねヱ 「コラ其方そのはう職人體しよくにんていだがくちちがやアせんか、此處こゝ御中おなかくちだぞ 「ヘイ、ちがやアしません、一寸ちよいと田中たなか旦那だんなよん御吳おくんなさいまし 田中樣たなかさまを、オー只今たゞいま恰當てうどこれ御出おいでになつた 「ヤア田中たなか旦那だんな只今たゞいま御骨折おほねをりでアノけつ餘程よつぽどかたいかな これしからんやつじや、さて其方そのはう御使者おしゝや立寄たちよつたナ 「イヱ旦那だんなじつみんながにげましたが、わつちばかげそくなつてな、きくともなしにきました、まことどくさむらひだ、わつち孩兒がきときからゆびさき馬鹿ばかちからがあるのですから、わつちに一ばんけつをつめらしておくんなさいましな 馬鹿ばかへ、當家たうけ武士ぶしちからのあるものがないとつて、職人しよくにんたのんでつめらしたなど他人ひときかれると御當家ごたうけ外聞ぐわいぶんになる、左樣さやうこといか「そんなことはずにつめらして御吳おくんなせヱ、うそだとおもふならいままへさんのけつをつめつてやう 「コレなにいたす、しからんやつだ、しか一寸ちよつと此方こちらあがれ、少々せう相談さうだんいたすから かしこまりました、乄々しめ」と一とあがこんまゐりました、田中たなかさんは同役どうやく種々いろ御相談ごさうだんをなされて、れでは一ツものけてやう、と留公とめこうむか「コレ職人しよくにん 「ヘイ 只今たゞいま相談さうだんいたしたところが、きふことゆへ一寸ちよつと差支さしつかへるから、其方そのはう一ツつめつてくれ、當家たうけ家來けらいのつもりで、何分なにぶんたのひか 「ヘイ、やツつけますとも有難ありがてのやツつけるなどとぞんざいなくちをきいてはならぬ、言葉ことばさむらひらしくいたせヨ 「ヘイよろしふ御座ござゐ、んでもうへおんつけて、したたてまつるをけたらよからふ、今日こんにちよい御天氣おてんき御座ござたてまつるとはうだイ だいさむらひになるにはそのあたまではいかぬ、御同役ごどうやく一寸ちよつとかみゆつてもらヘ、れから印半纒しるしはんてんぎコラ腹掛はらがけれ、その紋付もんつき着物きものて、おびしめろ、ヱーしたはうしめてはいかぬ、モツとうへはうへ、れからそのはかま穿はくのだが、はかま穿はいことがあるか 馬鹿ばかにしちやアいけねヱ、れで二度目どめだ、一ぺん親分おやぶん葬式さうしきとき穿はきましたヨ んとふがさつなやつだ、シテ其方そのはう名前なまへなんふのだ わつち留公とめこうひます たゞ留公とめこうではあるまい、留吉とめきちとか留次郞とめじらうとか、とめなんとかふのだらう れがな、子供こどもうち留坊とめばうで、いまでは大槪たいがい留公とめこうまたひとにおごつてでもると、留兄とめあにんてひますぜ 「シテ名字みやうじんとふな んだイ、名字みやうじなんて こまるなア、中村なかむらとかまた田中ゝなかとかんとか名字みやうじがあるだらう れがネ、名字みやうじたし大工でえく馬鹿ばか大工でえく名字みやうじがあるか、れではよろしい、中村氏なかむらうぢ御名前おなまへ拜借はいしやくして中村留太夫なかむらとめだいふになれ れではわつち留太夫とめだいふでおまへさんが三太夫だいふまる伊勢いせのおしが二人ふたり出來上できあがつた 拙者せつしや只今たゞいま彼方あちらまゐり、其方そのはうつぎひかへてれ、かなら失禮しつれいがあつてはならんぞ 「ヘイよろしふ御座ございます」とこれから三太夫だいふさん、使者しゝやまゐりますると、使者しゝやたゞ茫然ぼんやりしてります 御免ごめん如何いかゞ御座ござるな、すこしはおもしになりましたかナ 次武「ハイ、これ拙者事せつしやこと松平正目まつだひらまさめしやう家來けらいじぶ田次武右衛門たじぶゑもんまをもの以後いご御見知おみしおかれまして御別懇ごべつこんねがはしうぞんじます、テハアー これおどろきました、拙者せつしや最前さいぜんより度々たび御目通おめどほりをいたしたる田中たなか太夫だいふでお見忘みわすれはおそります 次武「ヤアこれんとも失禮しつれい御見忘おみわすまをした 如何いかゞ御座ござるナ、おもしになりましたかナ 次武んで御座ござらふナ 「イヱ御使者おしゝや口上こうじやう次武ほどつひ失念しつねんいたした 益々ますおどろきりました、小身者せうしんものでは御座ござりますが、中村留太夫なかむらとめだいふまをもの、アレにひかりますが、如何いかゞいたしませうや 次武千萬せんばんかたじけないことで、何分なにぶんよろしく御願おねがたてまつること委細ゐさい承知しようちいたした、御次おつぎひかへし中村留太夫なかむらとめだいふ早々さうこれへ、中村留太夫なかむらとめだいふ留太夫とめだいふびましたが 留公とめこうから無官むくわんうだイおれ服裝なりは、黑紋付くろもんつき袴穿はかまはきわれながらをとこが十だんもあがりやアがつた、一ばん服裝なり町內ちやうない步行あるひてイものだ、んてやアがるだらふ、アラとめさん一寸ちよいと御覽ごらんなさいヨ、眞實ほんとう立派りつぱことだ、アーひとを一ぺん亭主ていしゆにしてたいは、とるに相違さうゐない、有難ありがた御次おつぎひかへし留太夫とめだいふ、コレ 「オイ 「コレ留太夫殿とめだいふどのこれ」とはれて留公とめこう 眞平まつぴら御免ごめんなせエ、 「コレ失禮しつれいがあつてはならん、叮嚀ていねいいたよろしう御座ござたてまつる 只今たゞいま申上ゝをしあげました中村留太夫なかむらとめだいふ御座ござりまする 次武これはじめて御面會ごめんくわいつかまつる、手前事てまへこと松平正目まつだひらまさめしやう家來けらいじぶ田次武右衛門たじぶゑもんまをし、いたつて不骨者ぶこつもの御見知おみしおかれて御別ごべつこんねがひまするで、はい 留太夫とめだいふ御挨拶ごあいさつをせんか んだイ、ゑへさつなんて、ヘイ御座ござたてまつるヨ、御私事おわたしこと御中村御留太夫樣おなかむらおとめだいふさままおたてまつるもので、御私樣おわたくしさま御指おゆびさき御力おちから御座ござたてまつるから、御前樣おまへさま尻樣けつさまつめりたてまつるやうわけ御座ごさたてまつる、恐惶謹言きようくわうきんげん 「コラなにまをす」と留公とめこうそで引張ひつぱつると 「オイそで引張ひつぱつてはいけねヱ、んぼ借物かりものでききれるといけねヱ 「コラらせますると、留公とめこうキヨロしながら 御田中おたなか太夫だいふさん、これ御出奉おいでたてまつては御私樣おわたくしさまが、御口おくち御聞おきたてまつらねエからはやくあちらへ御引込おひきこたてまつれ しからば失禮しつれいやうよろしふ御座ござたてまつる」と三太夫だいふさんはつぎ引退ひきさがりました 「オイ御前おめへさん、しりはやまくりたてまつれ、オイまくりたてまつれヨ 次武んとあふせられるか、何分なにぶんわかかねまするテ んでもよろしふ御座ござたてまつるから、けつまくりたてまつれヨ、オイだれ其處そこ御覗おのぞたてまつて御笑おわらたてまつるナ、御覗おのぞたてまつてこまたてまつるヨ 次武しからば失禮しつれい」としりをまくると んだイむくじやらな御尻樣おしりさま御座ござたてまつるな」とゆびにて使者しゝやいしきをつめつて 如何いかゞ御座ござたてまつるな 次武御親切ごしんせつつめりくださるかはらんが、一かうつうじませんな うだイ、これでは 次武まるはいがとまりやう御座ござんだツてはいがとまりやうたてまつるか、よし今度こんどは一けんだぞ」と懷中ふところから釘拔くぎぬき「オイ此方こつち御向おむたてまつてはこまたてまつるヨ、ソラうで御座ござたてまつるな」と釘拔くぎぬきにてしりをつめると 次武これ餘程よほどこたへますわイ んだ餘程よほどこたたてまつるとたナ、おもたてまつ次武これがたのふ御座ござたてまつる たてまつるとたな、ヤレ、ヱンヤラヤアー 次武「オー痛々いた………「ウントコラアー 次武「オーイタヽヽヽ 「ヨイトコラアー 次武「オーイタヽヽヽ 「ヤレ閻魔えんまのこイ 次武おもして御座ござる、おもして御座ござる」田中たなか太夫だいふあはひ唐紙からかみあけ「してお使者しゝや御口上ごこうじやうはナ 次武「ハイ、屋敷やしきをりきかずにまゐりました。

この著作物は、1940年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、1929年1月1日より前に発行された(もしくはアメリカ合衆国著作権局に登録された)ため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。