癩者の父

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の父󠄁


東條耿一


 わたしらいせんこくけたのは十六さいときである。しかしもうれより二三ねんまへらいせいはんもんわたしかほてゐたし、みぎあしにはこたついたすゐほうきずがあつた。ちゝわたしかほはんもんにして、わたしかほさへれば、むつつりと、しげしげつめる。わたしがくかうからかへつて、まだかばんおろさないうちに、わたしひなたれてつて、はんもんてゐるところしてみたり、つねつてみたりする。ときにははりつゝついていたくはないかといたりする。きやくてゐるときでも、しよくじときでも、ちゝなにげなささうにちういふかわたしかほしせんそゝぐ。とこについてからでも、ふとましたときなど、じつとのぞんでゐるちゝにぶつかつて、ぞつとしたことたびであつた。はゝは、わたしはんもんゐしきはううつるやうにとかみだのみをして、わたしにもしんじんおこやうにとすゝめた。このかんとふやくもちゐたりしやうがゆあんぽふしたりしてゐたが、なんかうくわもなかつた。わたしいへから二ばかりはなれたやしろに、さむころであつたが二十一にちかんらぬうちに二みちわうふくはじめ、さむほしかゞやしやとうしもこほりついたつちりやうてをつかへ、はんもんくわいゆいてきぐわんしたのであつた。がかうとうせうがくかうそつげふしたときわたしらいせんこくされたのである。

 そのころちゝは五十なんさいかのしよくこうであつた。わたしかうとうせうがくしうれうさせるのはなみたいていことではなかつたにちがいない。けんりつびやうゐんしんだんませてかへると、ちゝこゑふるはせてどうこくした。わたしはゝいた。ちゝわたしつてじぶんはらるとつてきかなかつた。はゝあねゐあはせてくれなかつたら、どういふはめになつてゐたであらうか。

   ふたりめのらいとわれのりしときこゑにいだしてきしひとはも

   ちゝてしかたなつめたくかへともしびをぐらたゝみうへ


 じなんあにはつびやうしたのは、わたしがまだようせうころであつたらしい。わたしが七八さいの頃には、あにびやうせいだいぶしんかうして、とうはつまゆげほとんだつらくし、そのうへくわいやうしきつたかほは、どすぐろひかつてゐた。てあしにもほうたいいてゐた。しうじつかくれてんでゐたやうである。それもながやずまゐふたましかないいへのことである。あにはいつも三でふまほうた。いたに、うすべりいたきりのほそながへやで、ちゝあにためまうけたちひさなつてあつた。おくに一けんとだながあり、きやくのあるばあひには、まなつでもあにしゆびんかはりのとくりかゝんで、このとだななかにひそんでゐた。ながゐきやくや、めしどきになつてもかへらないきやくがあると、あにはよくとだななかせきばらひをしたり、はめいたをどんあしつたりした。はゝはおろして、わざとせきふたつ三つしては、もうすこしんぼうママしてくれとあひづをするのであつた。ときには、どうもねずみさわいでこまるんですよと、などゝたちあがり、とだなあにこごえなだめすかすのであつた。

 はゝが一ばんをつかふのはあにべんことであつた。べんじよりんかきようどうなので、はゝがまづさきつて、ひとないのをたしかべんじよいりぐちはゝみはりにつ。それでもはゝるすあひだべんじよつて、うつかりりんかこどもに見つかつたこともあつたのであらう、あるときりんかこどもわたしに、おめえンちにはへんひとるんだなア、あれやだれだい? とくのであつた。そのときわたしまつかになつてひていしたことだけはおぼえてゐる。たうじわたしあにがどんなわけかくれてゐるのかわからなかつた。もちろんらいなどわからうはずもない。あには十に一くらひぎやうずゐをした。うらにはいたむしろかこつたこややうなかで、はゝあねひとめはゞかりながら、あにたらひれてあらつてやるのをおりかけた。あにからだいやうしうきがし、からだにはいつもしらみがわいてゐた。うつかりあねほかあにたちが、うちなかくさくてやりきれないなどゝぐちをこぼさうものなら、あにはすさまじいけんまくどならした。そんなときはゝいてあににあやまるのであつた。またあにはよくわたしないみつかひものたのんだ。わたしはこのあにあはれおもつてゐたらしく、あにことなんでもよくいてやつた。わたしくわしつてると、あにうちいくつかを、にやわらひながらわたしれた。わたしへいきでそれらのくわしひ、またあにあひてにもなつてあそんだ。そのころいへではどろぼうつてやうなもんだ、そこいらにうつかりものけやしないと、あねちいさいあにたちさわいだ。わたしは、やうあにとのかうせふのうちに、あにびやうきかんせんしてゐたのであらう。

 そのころちゝはよくさけんだ。しごとかへりにきまつてゐざかやんでる。あにあねしごとからかへつてても、みんながゆふはんませても、ちゝぜんだけがいつもそばゑられてあつた。七になり、八になつてもちゝすがたえないと、はゝはぶつながかどぐちまでなんどつたりたりする。あにたちはさつさとあそびにでかけてしまひ、のこるのははゝあねわたし、それにちひさいいもうとかくれてゐるあにの五にんだけである。こんなばんわたしはゝちゝむかへにでかけると、ちゝりつけのゐざかやにゐるか、みちばたんだくれてたふれてゐるか、だれかにれられてとちうであつたりして、ちひさいわたしはゝりやうわきから五たいじいううしなつてゐるちゝせおふやうにしてかへつてるのである。ちゝいへかへると、ぐまたさけしよもうするので、はゝがたしなめると、ちゝはげしいごきおこりだすのである。はてはつかひとなり、わかころからくらうばかりのはゝは、ぎやくじやうしてヒイヒイとさわぎに、ちひさいわたしいもうとが、きながらひつしになつて、ちゝあしはゝそでとりすがつて、みぎにもまれ、ひだりころがされながら、なんとかしてふたりあらそひをやめさせやうとする。これはほとんまいよのやうにつゞいた。となりどうしひとたちも、はじめのうちこそ、んでちうさいもしたが・・・・。こんなさわぎのあとで、ちゝきまつて三でふのまあにどくぜついた。

「おまへみたいなごふさらしがるから、うちぢうしてこんなくらうをせにやならん、さつさとはやんでしまはんかい」


 あにだまつてあたまれてゐるだけであつた。


 あるとしあきせいけつはふしかうんでもないころことであつた。おほさうぢには、あにいへひそんではゐられないので、むすびつてまだけぬうちに、四五おくみやまかくれる。そしてさうぢみ、とつぷりれてからかへつてくるのである。あるひがくかうからかへつてると、ちゝちひさなうらにはにせつせとあなつてゐる。あなはかなりおほきくふかいもので、スコツプでつちげてゐるちゝあたまが、ぢめんとすれのところにうごいてゐる。こんなおほきなあなつてどうするの? とわたしあなふちからのぞんでたづねると、ちゝわたしみあげ、一しゆんおそろしいをしてにらんだ。

「がきのつたこつちやない。あつちへつてゐろ!」

 わたしおどろいてこそはなれた。このあなは四五にちあひだそのまゝにしてあつた。

 あるよものおとわたしはふつとをさました。しうゐなんとなくさわがしい。ふとんなかからそつとのぞくと、ほのぐらい十しよくとうひかりなかに、ちゝろばたこぶしをつくつてもくざしてゐる。そばはゝをまるめ、そでんでしのいてゐる。そしてそのむかがはの三でふはうではちひさいはうあにあねが、びやうきあにのどすぐろうでほうたいいてやつてゐる。わたしすぢがぞくしてふとんなかにそつともぐりんだ。

 よくじつわたしがくかうからかへつてくると、うらあなはきれいにうづめられ、あたらしいつちにほひがしてゐた。のちになつてふぼはなしぬすきしたところからさうざうすると、あのちゝあにがふいうへかなぼうあにさつがいし、したいうらあなにこつそりまいさうするだんどりになつてゐたらしい。ところがちゝの一げきけると、あにきふひめいげたので、りんかひとけつけてた。この一けんがあつてから、ちゝおしだまつてくらおほくなり、一そうさけりやうしていつた。

 これにるゐしたじけんは、これだけではなかつた。あるときあにくびいしむすびつけてやり、さんちうぬまとうじさせようとした。みなげはしたがにきれず、ほかあにたちかねてぬまはひり、おぼれかけてゐるあにたすげたのださうである。あるときくびをくゝらうとし、あるときにはてつろとびこんだがねとばされてもくてきたつしなかつた。

 ちゝせうさうおうなうひごとしてきた。わたしが十さいころあるひあにとつぜんすがたをくらました。そのあにからのせうそくで、みのぶさんれうやうじよるのがわかつた。わたしいへにかすかなひかりがさしそめたのは、それから四五ねんあいだであらうか。しかわたしはつびやうとなつた。ちゝは十六さいわたしによくママつた。にんげんうまれてひとなみからだてずひとなみせいくわつできないものは、きてゐてもほんたうつまらぬ、きてゐるしかくがない、ながいきはぢさらすよりは、ひとおもひにんだはうがましだ。ぬには一ふんとはいらない、かみそりちよつとのどればばんじかいけつされる、おまへにやるゆうきがなければ、ちゝのどつててほんしめさう。さういふときちゝは、しづかなくてうで、しげわたしみつめながらふのである。わたしはらそこまでどうふるひするほどおそろしかつた。よるもゆつくりおちついててゐられなかつた。

 わたしにはなんきばうはりもなかつた。といつてじさつをするほどつきつめない。わたしゆゐいつすくひては、まちべつきよしてえいぐわくわんおんがくしゆをしてゐたうへあにで、ときまちれてつてはごちせうはせ、えいぐわせてくれた。ときにはやまれてつてなぐさめてくれた。わたしわかれとなると、いつもきながら、はやうちかへつててとたのんだ。

 このやうひゞみつきはんとしつゞあひだに、みのぶからかうやまふくせいびやうゐんうつつてゐたあにからたよりがあつて、びやうきならすぐやうにとつてた。そのとしあきわたしちゝにつれられてふくせいびやうゐんにふゐんしたのである。とちうちゝけついし、わたしみちづれにしようとしたが、おもあまつてあきらめた、とあとたいゐんして、はゝからかされたときわたしはひやりとした。ごてんばふくせいびやうゐんあひだみちのりがもつとながいか、わたしたちかうやまきがやかんでゞもあつたら、どうであつたらう。

 ふくせいびやうゐんけるわたしせいくわつについては、わたしがドルワル・ド・レゼーからじゆせんしたことにちじやうせいくわつわたししやうがいえぬいんしやうあたへたことだけをしるしてかう。しかわたしは、はんもんのすつかりれたかほぜひたいといふふぼねがひで、一ねんらずでふくせいびやうゐんらなければならなかつた。かほはんもんさへえればもうらいはなほつたつもりでよろこんでゐるたんじゆんふぼわたしないしんさびしくひとなみらうどうしごとじうじすることになつた。それにわたしにとつてもつとくつうであつたのは、しごとんでくたつかつてゐるからだだいふうしゆちうしやことであつた。にちやうとくべつさしつかへのないかぎり、きまつてたねばならぬことは、よほどつよいしちからひつえうであつた。ましてながやずまゐちひつぽけないへに、ひとめけてやるのである。だいふうしゆかしてゐるところへふいにきやくがあつたりちうしやをしてゐるさいちうりんかひとはひつてたりして、ずゐぶんとあわてふためくこともあつた。またしごとさいちうに、ちうしやのしこりがいたかつたり、ときにはくわのうしたりして、どうれうものたちにもへんおもはれたことすくなくなかつた。それでも三ねんほどはどうやらつゞけたが、びやうきべつかはりはなかつたし、それにじぶんひとりだけがいたおもひをしてちうしやながきることいてた。けうくわいにもかなくなつた。こんなつかれたきもちわたしやけにし、せつなてききようらくしゆぎしやしたてていつた。わたしさけみ、おんなあそことおぼえた。

 そして二三ねんばかりけいくわした。わたしかほにはまたはんもんいてた。わたしおそれてゐたきたるべきときつひたのであつた。わたしひそかにけつしてゐた。ふくせいびやうゐんおもも、せんれいかんげきも、わたしなかからいつかせ、うとじてうするこゝろがそれらにかはつてゐた。

 そのころいもうとはつびやうしたのであつた。またしてもちゝくもんはゝひたんわたしはたゞさけもとめてちまたをさまよつた。そしてちようへいけんさんだはるだれにもだまつてじさつかうたのである。


 わたしいもうとげんざいれうやうじよおちついてはや八ねんちかい。しゆはいついかなるばあひにも、いとふかつみびとをもたまふことはない。しゆわたしうちにもひとなみかうしんといふあたゝかいものをはぐくたまママた。

 わたしはかつてちゝかいしうすすめたことがある。ふくせいびやうゐんからかへつたたうじにもをりにふれてはきうれいのことを、キリストのこと、けうくわいのことなどについて、わかりやすくいたが、うんあのヤソのことか、といつたきりだつたし、はゝまたわたしつてゐる十じかやメダイユをて、うちにはせんぞからのかみほとけまつつてあるのに、といふしまつであつた。そのわたしじしんけうくわいはなれてしまつた。

 こちらに來て、わたしもカトリツクにふくきしてみると、またいたちゝはゝのことがになつてならない。めぐまれなかつたしやうがいだけに、きうれいはうはふぜひかうじてやらなければならぬとおもつた。わたしはまたちゝたいしてちやうぶんでがみをかいた。ちゝからはなんへんしんもなかつた。わたしかさねててがみいた。そのちゝゐがんいまおもゆめない。いしすでよめいいくはくもないとせんしてゐる。かみそんざいかんがへられずえいせいふものがわれやくそくされてゐないとしたら、わたしちゝおもふにしのママないであらう。わたししゆみまへぬかづいていのるばかりである。それだけがわたしあたへられたたゞひとつのみちでありかうしんである。


 かみしんじつにてましませば、なんぢらちからいじやうこゝろみられることをゆるたまはず、かへつて、ふることさせんために、こゝろみとともつべきはうはふをもたまふべし。(コリント前󠄁・十ノ十三)


  三にんらいしやちゝれましてこゝろむなしくみたまひけむ

  ふたゝびはうままれることなしうつしつかへるときよつひにあらぬかも

この著作物は、1942年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。