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  • 後相従つて臣たらんのみといひて、始めて君臣の義を結び、これより忠義を尽し、謀略秘術を摧(くだ)き、軍事を勤めて夙夜に怠る事なし。蜀の先主、孔明を尊びて、我に孔明ある事は、魚の水を得たるに同じと宣ひしに異ならず。景虎と良勝、君臣合体の有様、当時類なき事なるべし。 【良勝先祖并家伝武経要略神武の大道噂の事】…
    3キロバイト (30,964 語) - 2024年3月24日 (日) 13:39
  • NDLJP:144】立て死しけり。乗つたる馬耐へず馳廻れば、義弘又駈出づるはとて、多くの兵、蜘の子を散らすが如し。見苦しかりし事共なり。死せる孔明、生ける仲達を走らしむといふは、異国の物語、諸人目に見る事は、古往今来義弘に過ぐる武士あらじとぞいへり。然るに杉豊後守は、南の陣にありけるが、十方に…
    4キロバイト (28,537 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • 共を召連れ、蒔田を守護す。軽部豊前守、折節蒔田にありしかば、各吉良殿屋敷の前なる山に上り、鉄炮をしかけ待ちければ、敵是へも来らず、藤沢にかゝり、かうすまへ河迄働く。藤沢には、大谷居住したりしかども、小田原に在城しければ、悉く追捕す。小田原勢、多く以て駿州へ分遣すといへども、残る人衆多勢なれば、北条…
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  •  十五日。一行は三島を発し、「小田原駅三河屋」に宿した。  十六日。母春、妹安は小田原に駐(とゞま)つて、磐等は藤沢に至り、相生屋(あひおひや)に宿した。  十七日。磐等は藤沢を発し、東京鳥居坂の宗家に抵(いた)つた。  二十二日。磐は全家(ぜんか)の塩田真の許に寄留せむことを、「第一大区十一小区扱所」に稟請した。…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  •  庄吉は、眼を輝かして、膝を叩いた。  戸塚より藤沢へ二里、本駄賃、百五十文。藤沢より平塚へ三里、二百八十文、平塚より大磯へ二十町、六十文。箱根路へかかると、流石に高くなって、小田原から、箱根町へが四里という計数で、七百文であった。 「駕屋、急ぎだぞ」  五人の侍風の者と、商人風の者とが、藤沢の立場(たてば)の前で、乗継ぎの催促をしていた。…
    1.47メガバイト (284,070 語) - 2023年11月2日 (木) 05:59