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  • の足に、猪の目彫りたる鉞に八寸ばかり有りけるをぞ結ひ添へたる。天頂には四尺五寸の大太刀を真横様にぞ置きたりける。心つきも出立も、あはれ先達やとぞ見えける。総じて勢は十六人、十挺有り。一挺のには鈴、独鈷、花皿、火舎、閼伽坏、金剛童子の本尊を入れたりけり。一挺の
    482キロバイト (112,842 語) - 2023年1月24日 (火) 19:22
  •  山陽の歿後暫時の間、此関五郎は未亡人里恵と幼い嗣子復とに代つて一切の簡牘(かんどく)を作つた。曾て森田思軒の引いた十月十八日復の小野泉蔵、同寿太郎に与ふる書の如きは其一例である。文中里恵のために分疏して、「当方後室も蔵様始家内御一統へ宜申上候様被申付候、未大喪中同人よりは何方(いづかた)へも書状相控罷在候」と云つてある。…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • 十四日。師父軍醫總監及大尉カルヽの諸家を訪ひて吿別す。師父偶〻アウグスブルク Augsburg に在りて逢はず。 十五日。午前仲濱に逢ふ。別を吿ぐ。 萬里離家一輕。鄕人相遇若爲情。今朝吿別僧都酒。泣向春風落羽城。〈自注。民顯府之名。自僧字出。(monacus) 有名于麥酒。伯林古語。(perlin) 脱落羽毛之義。舊時土人牧牛羊於此。〉…
    1キロバイト (53,077 語) - 2020年6月18日 (木) 15:55
  • ・佐野修理大夫信吉〈佐野天徳寺養子富田左近知信次男なり〉・六郷兵庫頭・水谷伊勢守・多賀谷左近・山川民部、並に那須七党福原・太田原・佐久山・蘆・伊王野・黒羽・の輩、二万八千にて、宇都宮に残し置き、景勝を押へんとの御手段なり。此時、秀康は、宇都宮におはしければ、御所より松平玄蕃頭家清を、御使として、…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43
  • 敷へ御越候に、頼宣君御上下に御ゑり綿常の通りにて御越、尾張殿へ御入なされ候、義直君には皮の御羽織に御立付にて、御中門の内に牀机に御座なされ、御鎧甲もに入れ候を御中門に負はせ、中々いかめしき御様子の所へ、頼宣君御上下御ゑり綿にて御入候へば、殊の外に見えけるとなり、義直君にも、公方様御機嫌御伺なさる…
    7キロバイト (38,642 語) - 2024年5月6日 (月) 09:15
  • お前さんに三百度のミサを読ませて貰いたいそうで。 それから遺物(ゆいもつ)と云うものは何もありませんでした。     マルテ まあ。諸国を廻る職人の徒弟でも、(おい)の底に 飾の一つや、変銭(かわりせん)の一つ位は取って置いて、 縦(たと)え餓えても、乞食をしても、 2935 それは記念(かたみ)に残すのに。…
    1.06メガバイト (154,483 語) - 2023年10月22日 (日) 05:06