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  • 代相模守義業、其子佐竹冠者昌義、其子佐竹常陸介隆義、其子佐竹太郎義政、其子佐竹美濃別当秀義なり。則ち秀義は、右大将頼朝公に随ひ、武功之あるの故に、文治三年二月、始めて当郷を賜はり、此鷺山の要害を構へて、秀義一代是に住す。秀義の長男は、佐竹太郎蔵人義繁といふ。二男又丸次郎義晴といふ。同郡の内、又丸の郷…
    177バイト (9,597 語) - 2024年2月13日 (火) 16:19
  • るひ、文武至剛(ぶんぶしがう)の名将たり。其比氏康(うぢやす)に敵対(てきたい)の人々、安房に里見左馬頭義弘(さとみさまのかみよしひろ)、当陸に佐竹太郎信重(さたけたらうのぶしげ)、下野宇都宮弥(しもつけうつのみやゝ)三郎国綱(らうくにつな)、越後に長尾平景虎(ながをたひらのかげとら)、甲斐に武田…
    438バイト (15,356 語) - 2024年2月1日 (木) 14:11
  • 将を置き、猶も越前へ攻入らんと、軍用意をぞなしにける。此時富樫介植泰舎弟小次郎晴貞・嫡子次郎植春・二男天易待者并一族の衆中、且又黒瀬藤兵衛尉・福田村竹太夫・能美郡の松永平左衛門・隅田六郎左衛門・湯浅九郎兵衛・金子・小杉・小松の道秀・藤塚の二ッ木・出口の斎藤・安宅の今井藤左衛門・野々市の照庵寺等は、朝…
    4キロバイト (33,938 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09