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  • 明治の年號が大正に改まる二三年前。師走の下旬の話である。 その日は殊に寒いであつた。晝さがりからは冬の陽の衰へあ薄も射さず、雪こそは降り出さなかつたが、その氣配を見せてゐる灰色の雲の下に、骨を削つた樣な榎や樫の木立は、寒い凩に物凄い叫びをあげてゐた。 霜解けの深い泥濘が、行人の下駄の齒の跡をして、たちまち氷(凍)つてしまつた。…
    12キロバイト (2,849 語) - 2023年12月26日 (火) 23:47
  • 作者:青木繁 1902年6月25 底本:『假象の創造 青木繁全文集(増補版)』中央公論美術出版、2003年、978-4-80-550444-4 註:下線が引かれている部分は、原文では右側に一本線が引かれている。    六月二十五日 久留米市    東京小石川區小日向武島町十番地 原方梅︀野滿雄樣  あつさやう〳〵相催申候…
    4キロバイト (950 語) - 2019年1月18日 (金) 14:49
  • 每にこゝに集ひ來る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟にれるは余一人のみなれば。 五年前の事なりしが、平生の望足りて、洋行の官命を蒙り、このセイゴンの港まで來し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新ならぬはなく、筆に任せて書き記しつる紀行はごとに幾千言をかなしけむ、當時の新聞に載せられて、世…
    481バイト (10,984 語) - 2020年7月11日 (土) 01:54
  • げますよ。あゝ私あなたに濟まないことをしたの。名刺を貰つたのを、つい無くして了つた。けれど住所(ところ)はちやんと憶えてゐます。……××區××町××番地雪岡京太郎といふんでせう。」 斯樣(こん)なことを言つた。私に字を書かして見て何うするつもりかあなたの心は分つてゐます、なんて自惚も强い女だつた。…
    167キロバイト (34,611 語) - 2021年8月31日 (火) 22:13
  • したものもいろ/\あつたらしいのであるが、清戰爭前の村の大火に父の藏書は燒けて、參考となる舊い記録とても吾家にはさう多くつてゐないからであつた。これなら安心して筆が執れるといふ氣をわたしに起させたのも大黒屋日記であつた。その年にわたしは一夏かゝつて大脇の隱居が
    282キロバイト (57,833 語) - 2021年5月19日 (水) 16:37
  • のみ交り居りて、忽ち鄕人の粗野なる態度をなすさまを見るときは、可笑さ堪へがたきものなりとぞ。橋本氏はわれを延きて、フオス街 Vosstrasse 七番地なる我公使舘にゆき、公使に紹介せんとせしが、公使は在らざりき。又カイゼルホオフ Kaiserhof にゆきて、陸軍卿に見えしめむとせしが、こも亦外に…
    1キロバイト (53,077 語) - 2020年6月18日 (木) 15:55
  • 印刷作戰要務令第二部第一部発昭和十三年十月二十五日發行(定價金九拾錢)東京市麴町區永田町一丁目四番地發飜行者刻小林又七陸軍省東京市麴町區永田町一丁目四番地印刷者小林又七檢閱濟東京市麴町區永田町一丁目四番地印刷所小林印刷所電話銀座(57)三〇六九番東京市麴町區永田町一丁目四番地
    442キロバイト (97,781 語) - 2023年1月24日 (火) 19:31
  •  阿閇淡路守楯籠居城山本山へ 木下藤吉郞 被差遣麓を放火可然間城中之足輕共百騎計罷出相支へ 藤吉郞見計噇と切かゝり切崩し頸數五十余討捕 信長公御褒美不斜 七月廿三日 御人數をし出越前境與語木下地藏坊中初として堂塔伽藍名所舊跡不㆑㆓一宇も㆒燒拂…
    457キロバイト (106,867 語) - 2024年5月11日 (土) 11:54