別れたる妻に送る手紙

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  • 底本:1953(昭和46)年1月5日岩波書店発行『別れたる妻に送る手紙他二篇

本文[編集]

拝啓
お前――別れて了つたから、もう私がお前と呼び掛ける權利はない。それのみならず、風の音信(たより)に聞けば、おまえはもう疾(とつく)に嫁(かたづ)いてゐるらしくもある。もしさうだとすれば、お前はもう取返しの付かぬ人の妻だ。その人にこんな手紙を上げるのは、道理(すぢみち)から言つても私が間違つてゐる。けれど、私は、まだお前と呼ばずにはゐられない。どうぞ此の手紙だけではお前と呼ばしてくれ。また斯樣(こん)な手紙を送つたと知れたなら大變だ。私はもう何でも可(い)いが、お前が、さぞ迷惑するであらうから申すまでもないが、讀んで了つたら、直ぐ燒くなり、何うなりしてくれ。――お前が、私とは、つい眼と鼻の間の同じ小石川區内にゐるとは知つてゐるけれど、丁度今頃は何處に何うしてゐるやら少しも分らない。けれども私は斯うして其の後(ご)のことをお前に知らせたい。いや聞いて貰ひたい。お前の顔を見なくなつてから、やがて七月(ななつき)になる。その間には、私は種種(いろん)なことがあつた。
一緒にゐる時分は、ほんの些(ちよい)とした可笑(おかし)いことでも、悔しいことでも即座に打(ぶ)ちまけて何とか彼(かん)とか言つては貰はねば氣が濟まなかつたものだ。またその頃はお前の知つてゐる通り、別段に變つたことさへなければ、國の母や兄とは、近年ほんの一月(ひとつき)に一度か、二月(ふたつき)に三度ぐらゐしか手紙を往復(やりとり)をしなかつたものだが、去年の秋私一人になつた當座は殆ど二日置きくらゐ母と兄とに交る手紙を遣つた。
けれども今、此處に打明けようと思ふやうなことは、母や兄には話されない。誰れにも話すことが出來ない。唯せめてお前にだけは聞いて貰ひたい。――私は最後の半歳ほどは正直お前を恨んでゐる。けれどもそれまでの私の仕打に就いては随分自分が好くなかつた、といふことを、十分に自分でも承知しいてゐる。だから今話すことを聞いてくれたなら、お前の胸も幾許(いくら)か晴れよう。また私は、お前にそれを心のありつたけ話し盡したならば、私の此の胸も透くだらうと思ふ、さうでもしなければ私は本當に氣でも狂(ふ)れるかも知れない。出來るならば、手紙でなく、お前に直(ぢか)に會つて話したい。けれどもそれは出來ないことだ。それゆゑ斯うして手紙を書いて送る。
お前は大方忘れたらうが、私はよく覺えてゐる。あれは去年の八月の末――二百十日の朝であつた。お前は、
「もう話の着いてゐるのに、あなたが、さう何時までも、のんべんぐらりと、ずるにしてゐては、皆(みんな)に、私が矢張(やつぱ)しあなたに未練があつて、一緒にずるになつてゐるやうに思はれるのが辛い。少しは、あなただつて人の迷惑といふことも考へて下さい。いよ別れて了へば私は明日の日から自分で食ふことを考へねばならぬ。……それを思へば、あなたは獨身(ひとりみ)になれば、何うしようと、足纏ひがなくなつて結句氣樂ぢやありませんか。さうしてゐる内にあなたはまた好きな奥さんなり、女なりありますよ。兎に角今日中に何處か下宿へ行つて下さい。さうでなければ私が柳町の人達に何とも言ひやうがないから。」
と言つて催促するから、私は探しに行つた。
二百十日の蒸暑い風が口の中までジヤリすりゃうに砂塵埃(すなぼこり)を吹き捲つて夏劣(なつま)けのした身體は、唯歩くのさへ怠儀であつた。矢來に一處あつたが、私は、主婦(おかみ)を案内に空間を見たけれど、暇令(たとい)何樣(どん)な暮しをしようとも、これまで六年も七年も下宿屋の飯は食べないで來てゐるのに、これからまた以前(もと)の下宿生活に戾のかと思つたら、私は、其の座敷の、夏季(なつ)の間(ま)に裏返したらしい疊のモジヤを見て今更に自分の身が淺間しくなつた。それで、
「多分明日(あす)から來るかも知れぬから。」
と言つて歸りは歸つたが、どう思うても急に他(ほか)へは行きたくなかつた。といふのは强ちお前のお母(つか)さんの住んでゐる家(うち)――お前の傍を去りたくなかつたといふのではない。それよりも斯うしてゐて自然に、心が變つて行く日が來るまでは身體を動かすのが怠儀であつたのだ。加之(それに)錢(かね)だつて差當り入るだけ無いぢやないか。歸つて來て、
「どうも可い宿(うち)はない。」といふと、
「急にさう思ふやうな宿(うち)は何うせ見付からない。松林館に行つたら屹度あるかも知れぬ。彼處(あすこ)ならば知つた宿(うち)だから可い。今晩一緒に行つて見ませう。」
と言つて、二人で聞きに行つた。けれども其處には何樣(どん)な室(へや)もなかつた。其の途中で步きながら私は最後に本氣になつて種々(いろ)言つて見たけれど、お前は、
「そりや、あの時分あの時分のことだ。……私は先の時分にも四年も貧乏の苦勞して、またあなたで七年も貧乏の苦勞をした。私も最早(もう)貧乏には本當に飽きした。……暇令月給の仕事があつたつて私は、文學者は嫌ひ。文學者なんて偉い人は私風情にはもつたいない。私もよもや引(ひか)されて、今にあなたが良くなるだらう、今に良くなるだらうと思つてゐても、何時まで經つてもよくならないのだもの。それにあなぐらゐ猫の眼のやうに心の變る人は無い。一生當てにならない……。」
斯う言つた。そりや私も自分でも、さう偉い人間だと思つてゐないけれども、お前に斯う言はれて見れば、丁度色の黑い女が、お前は色が黑い、と言つて一口にへこまされたやうな氣がした。屢(よ)く以前、
「あなたは何彼(なにか)に就けて私をへこます。」と言ひした。私は「あゝ濟まぬ。」と思ひながらも随分言ひにくいことを屢々言つてお前をこき下(おろ)した。それを能く覺えてゐる私には、あの時お前にさう言はれても、何と言ひ返す言葉もなかつた。それのみならず全く私はお前に滿六年間、
「今日(けふ)は。」
といふ想ひを唯の一日だつてさせなかつた。それゆゑさうなくつてさへ何につけ自信の無い私は、その時から一層自分ほど詰らない人間は無いと思はれた。何を考へても、何を見ても、何をしても白湯(さゆ)を飲むやうな氣持もしなかつた。……けれどお、斯樣(こん)なことを言ふと、お前に何だか愚癡を言ふやうに當る。私は此の手紙でお前に愚癡をいふつもりではなかつた。愚癡は、もう止さう。
兎に角、あの一緒に私の下宿を探しに行つた晩、
「あなたがどうでも家(うち)にゐれば、今日から私の方で、あなたのゐる間、親類へでも何處へでも行つてゐる。……奉公にでも行く。……好い緣(くち)があれば、明日(あす)でも嫁(かたづ)かねばならぬ。……同じ歳だつて、女の三十四では今の内早く何うかせねば拾つてくれ手が無くなる。」と言ふから、
「ぢや今夜だけは家(うち)にゐて明日(あす)からいよさうしたら好いぢやないか。さうしてくれ。」と私が賴むやうに言ふと、
「さうすると、またあなたが因緣を付けるから……厭だ。」
「だつて今夜だけ好いぢやないか。」
「ぢやあなた、一足前(さき)に歸つていらつしやい。私柳町に一寸寄つて行くから。」
私は言ふがまゝに、獨り自家(うち)に戾つて、遲くまで待つてゐたけれど、お前は遂に歸つて來なかつた。あれッきりお前は私の眼から姿を隱して了つたのだ。
それから九月、十月、十一月と、三月の間、繰返さなくつても、後で聞いて知つてもゐるだらうが、私はお前のお母(つか)さんに御飯を炊いて貰つた。お前も私の癖は好く知つてゐる。お前の洗つてくれた茶碗でなければ、私は立つて、わざ自分で洗ひ直しに行つたものだ。分けてもお前のお母(つか)さんと來たら不精で汚(きたな)らしい、そのお母(つか)さんの炊いた御飯を、私は三月――三月といへば百日だ、私は百日の間辛抱して食つてゐた。
お前達の方では、これまでの私の性分を好く知り拔いてゐるから、あゝして置けば遂に堪らなくなつて出て行くであらう、という量見(かんがへ)もあつたのだらう。が私はまた、前(さき)にも言つたやうに、自然(ひとりで)に心が移つて行くまで待たなければ、何うする氣にもなれなかつたのだ。
それは老母(としより)の身體で、朝起きて見れば、遠い井戸から、雨が降らうが何うせうが、水も手桶に一杯は汲んで、ちやんと緣側に置いてあつた。顏を洗つて座敷に戾れば、机の前に膳も据ゑてくれ、火鉢に火も入れて貰つた。
段々寒くなつてからは、お前がした通りに、朝の焚き落しを安火(あんくわ)に入れて、寢てゐる裾から靜(そつ)と入れてくれた。――私にはお前の居先きは判らぬ。またお母さんに聞いたつて金輪際それを明す譯はないと思つてゐるから、此方(こつち)から聞かうともしなかつたけれど、お母(つか)さんがお前の處に一寸々々(ちよい)會ひに行つてゐるくらゐは分つてゐた。それゆゑ安火を入れるのだけは、「あの人は寒がり性だから、朝寢起きに安火を入れてあげておくれ。」とでもお前から言つたのだらうと思つた。
それでも何うも夜も落々眠られないし、朝だつて習慣(くせ)になつてゐることが、がらりと樣子が變つて來たから寢覺めが好くない。以前屢(よ)くお前に話ししたことだが、朝熟(よ)く寢入つてゐて知らぬ間(ま)に靜(そつ)と音の立たぬやうに新聞を胸の上に載せて貰つて、その何とも言へない朝らしい新らしい匂ひで、何時とはなく眼の覺めた日ほど心持の好いことはない。まだ幼い時分に、母が目覺しを枕頭(まくらもと)に置いてゐて、「これッ。」と呼び覺してゐたと同じやうな氣がしてゐた。それが最早(もう)、まさか新聞まで寢入つてゐる間(ま)に持つて來て下さい、とは言はれないし、假令さうして貰つたからとて、お前にして貰つたやうに、甘(うま)くしつくりと行かないと思つたから賴みもしなかつた。が、時々其樣(そん)なことを思つて一つさうして貰つて見ようかなどと寢床の中で考へては、ハツと私は何といふ馬鹿らだうと思つて獨りで可笑しくなつて笑つたこともあつたよ。
で、新聞だけは自分で起きて取つて來て、また寢ながら見たが、さうしたのでは唯字が眼に入(はひ)るだけで、もう面白くも何ともありやしない。……本當に新聞さへ澤山取つてゐるばかりで碌々讀む氣はしなかつた。
それに、あの不愛想な人のことだから、何一つ私と世間話をしようぢやなし。――尤も新聞も面白くないくらゐだから、そんなら誰れと世間話をしようといふ興も湧かなかつたが――米だつて惡い米だ。私はその、朝無闇に早く炊いて、私の起きる頃にはもう可い加減冷めてボロになつた御飯に茶をかけて流し込むやうにして朝飯(あさめし)を濟ました。――間食をしない私が、何様(どん)なに三度の食事を樂みにしてゐたか、お前がよく知つてゐる。さうして獨りでつくねんとして御飯を食べてゐるのだと思つて來るとむらと逆上(こみあ)げて來て果ては、膳も茶碗も霞んで了ふ。
寢床だつて暫時は起きたまゝで放つて置く。床を疊む元氣もないぢやないか。枕當の汚れたのだつて、私が一々口いを利いて何とかせねばならぬ。
秋になつてから始終(しよつちう)雨が降り續いた。あの古い家(うち)のことだから二所(ふたところ)も三所(みところ)も雨が漏つて、其處ら中にバケツや盥を竝べる。家賃はそれでも、十日ぐらゐ遲れることがあつても拂つたが、幾許直してくれと言つて催促してもなか職人を寄越さない。寒いから障子を入れようと思へば、それも破れてゐる。それでも入れようと思つて種々(いと)にして見たが、建て付けが惡くなつて何(ど)れ一つ滿足なのが無い。
私はもう「えゝ何うなりとなれ!」と、パタリ雨滴(あまだれ)の落ちる音を聞きながら、障子もしめない座敷に靜(ぢつ)として、何を爲ようでもなく、何を考へようでもなく、四時間も五時間も唯呆然(ぼんやり)となつて坐つたなり日を暮すことがあつた。
何日(いつ)であつたか寢床を出て鉢前の庭の雨戸を繰ると、あの眞正面(まとも)に北を受けた緣側に落葉交りの雨が顏をも出されないほど吹付けてゐる。それでも私は寐卷の濡れるのを忘れて、其處に立つたまゝ凝乎(ぢつ)と、向の方を眺めると、雨の中に遠く久世山の高臺が見える。そこらは私には何時までも忘れることの出來ぬ處だ。それから左の方に銀杏の樹が高く見える。それがつい四五日(しごんち)氣の付かなかつた間(あひだ)に黄色い葉が見違へるばかりにまばらに痩せてゐる。私達はその下にも住んでゐたことがあつたのだ。
そんなことを思つては、私は方々、目的(あて)もなく步き廻つた。天氣が好ければよくつて戸外(そと)に出るし、雨が降れば降つて家内(うち)にぢつとしてゐられないで出て步いた。破れた傘(かさ)を翳(さ)して出步いた。
さうしてお前と一緒に借りてゐた家(うち)あ、古いのから古いのから見て廻つた。けれども何(ど)の家(うち)の前に立つて見たつて、皆(みん)な知らぬ人が住んでゐる。中には取拂はれて、以前(まへ)の跡形もない家(うち)もあつた。
でも九月中ぐらゐは、若しかお前のゐる氣配(けはい)はせぬかと雨が降つてゐれば、傘で姿が隱せるから、雨の降る日を待つて、柳町の家(うち)の前を行つたり來たりして見た。
家内(うち)にゐる鬨は、もう書籍(ほん)なんか讀む氣にはなれない。大抵猫と遊んでゐた。あの猫が面白い猫で、あれと追駈(おつかけ)ツこをして見たり、樹に逐ひ登らして、それを竿でつゝいたり、弱つた秋蟬を捕つてやつたり、ほうせん花の實(みの)つて彈(はじ)けるのを自分でも面白くつて、むしつて見たり、それを打(ぶつ)つけて吃驚させてみたり、そんなことばかりしてゐた。處がその猫も、一度二日も續いて土砂降りのした前の晩、些(ちよつ)との間(ま)に何處へ行つたか、ゐなくなつて了つた。お母(つか)さんと二人で種々(いろ)探して見たが遂に分らなかつた。
そんな寂(さび)しい思ひをしてゐるからつて、これが他(ほか)の事と違つて他人(ひと)に話の出來ることぢやなし、また誰れにも話したくなかつた。唯獨りの心に閉ぢ籠つて思ひ耽つてゐた。けれどもあの矢來の婆さんの家(うち)へは始終(しよつちう)行つてゐた。後には「また想ひ遣りですか。……あなたがあんまりお雪さんを虐めたから。……またあなたもみつちりお働(かせ)ぎなさい。さうしたらお雪さんが、此度は向から頭を下げて謝つて來るから。……」などと言つて笑ひながら話すこともあつたが、あの婆(ひと)は、丁度お前のお母(つか)さんと違つて口の上手な人でもあるし、また若い時から随分種々(いろ)な目にも會つてゐる女だから、
「本當にお雪さんの氣の强いのにも呆れる。……私だつて、あゝして四十年連れ添うた老爺(ぢい)さまと別れは分れたが、あゝ今頃は何うしてゐるだらうかと思つて時々呼び寄せては、私が狀袋を張つたお錢(あし)で好きな酒の一口も飮まして、小遣ひを遣つて歸すんです。……私には到底(とても)お雪さんの眞似は出來ない。……思ひ切りの好い女(ひと)だ。それを思ふと雪岡さん、私はあなたがお氣の毒になりますよ……」
と言つて、襦袢の袖口で眼を拭いてくれるから、私のことと婆さんのこととは理由(わけ)が全然(すつかり)違つてゐるとは知つてゐながら、
「ナニお雪の奴、そんな人間であるもんですか。……それに最早(もう)、何うも嫁(かたづ)いてゐるらしい。屹度それに違ひない。」と言ふと、婆さんは此度は思はせ振りに笑ひながら、
「へ……奴なんて、まあ大層お雪さんが憎いと思はれますね。まさか其樣(そん)なことはないでせう。……私には分らないが、……お雪さんだつて、あれであなたの事は色々と思つてゐるんですよ。……あの自家(うち)の押入れに預かつてある茶碗なんか御覽なさいな。壊れないやうに丹念に一つ一つ紙で包んで仕舞つてある。矢張(やつぱ)しまたあなたと所帶を持つ下心があるからだ。……あんたに細かいことまでしやんとよく氣の利く人はありませんよ。」と、斯う言ひした。
私は、私とお前との間は、私とお前とが誰れよりもよく知つてゐると知つてゐたから婆さんがそんなことを言つたつて決して本當にはしやしない。随分度々、お前には引越の手數を掛けたものだが、その度毎に、茶碗だつて何だつて丁寧に始末をしたのは、私も知つてゐる――尤も後(あと)になつては、段々お前も、「もう茶碗なんか、丁寧に包まない。」と言ひ出した。それも私はよく知つてゐる。また其れがいよ別れねばならぬことになつて、一層丁寧に、私の所帶道具(もちもの)の始末をしてくれたのも知つてゐる。
それでゐて、私は柳町の人達よりも一層深い事情(わけ)を知らぬ婆さんが、さう言つてくれるのを自分でも氣休めだ、と承知しながら、聞いてゐるのが何よりも樂みであつた。私は寄席にでも行くやうなつもりで、何(なん)か買つて懐中(ふところ)に入れて婆さんの六十何年の人情の節を付けた調子で、「お雪さんだつて、あれであなたのことは思つてゐるんですよ。」を聞きに行つた。
さうしながら心は種々(いろ)に迷うた。何うせ他(ほか)へ行かねばならぬのだから家(うち)を持たうかと思つて探しにも行つた。出步きながら眼に着く貸家(うち)には入つても見た。が、婆さんを置くにしても、小女(こをんな)を置くにしても私の性分として矢張(やつぱ)り自分の心を使はねばならぬ。それに敷金なんかは出來やうがない。少し纏つた錢(かね)の取れる書き物なかする氣には何うしてもなれない。それなら何うしようといふのではないが、唯何(なん)にでも魂魄(こゝろ)が奪(と)られ易くなつてゐるから、道を步きながら、フト眼に留つた見知らぬ女があると、浮々(うか)と何處までも其の後(あと)を追うても見た。
長く男一人でゐれば、女性(をんな)も欲しくなるから、矢張(やっぱ)し遊びにも行つた。さうかと言つて錢(かね)が無いのだから、好っくつて面白い處には行けない。それゆゑ錢(かね)の入らない珍らしい處をと漁つて步いた。ならうならば、何(なんに)もしたくないのだから、家賃とか米代とか、お母(つか)さんに酷しく言はれるものは、據(よんんどころ)なく書き物をして五圓、八圓取つて來たが、其樣(そん)な處へ遊びに行く錢(かね)は、「あゝ、行きたい。」と思へば段々段々と大切にしてゐる書籍(ほん)を凝乎(ぢつ)と、披いて見たり、捻(ひねく)つて見たりして、「あゝこれを賣らうか遊びに行かうか。」と思案をし盡して、最後(しまひ)にはさて何うしても賣つて遊びに行つた。矢來の婆さんの處にも度々古本屋を連れ込んだ。さうすれば、でも二三日は少しは心が落着いた。
その時分のことだらう。居先きは明さないが、一度お前が後始末の用ながらに婆さんの處へ寄つて、私の本箱を明けて見たり、抽斗を引出して見たりして、
「まあ本當に本も大方賣つて了つてゐる。あの人は何日(いつ)まで、あゝなんらだう。」と言つて、それから私の夜具を戸棚から取出して、黴を拂つて、緣側の日の當る處に乾して、婆さんに晩に取入れてくれるやうに賴んで行つたことをも聞いた。
まあさういふやうにして、ちよび書籍(ほん)を賣つては、錢(かね)を拵えて遊びにも行つた。けれども、それでも矢張(やつぱ)し物足りなくつて、私の足は一處にとまらなかつた。唯女を買つただけでは氣の濟む譯がないのだ。私には一人樂みが出來なければ寂しいのも間切(まぎ)れない。
處がさうしてゐる内に、遂々(とう)一人の女に出會(でつくは)した。
それが何ういふ種類の女であるか、商賣人ではあるが、藝者ではない、といへばお前には判斷出來よう。一口に藝者でないと言つたつて――笑つては可けない。――さう馬鹿には出來ないよ。遊びやうによつては随分錢(かね)も掛かる。加之(それに)女だつて銘々性格(たち)があるから、藝者だから面白いのばかしとは限らない。
その時は、多少(いくらか)纏まつた錢(かね)骨折れずに入つた時であつたから、何時もちよび本を賣つては可笑な處ばかしを彷徨(うろつ)いてゐたが、今日は少し氣樂な贅澤が爲て見たくなつて、一度長田(をさだ)の友達といふので行つた待合に行つて、その時知つた女(の)を呼んだ。さうするとそれがゐなくなつて、他(ほか)な女(の)が來た。それが初め入つて來て挨拶をした時にちらと見たのでは、それほどとも思はなかつたが、別の間(ま)に入つてからよく見ると些(ちよつ)と男好きのする女だ。――お前が知つてゐる通り私はよく斯樣(こん)なことに氣が付いて困るんだが、――脱いだ着物を、一寸觸つて見ると、着物も、羽織も、ゴリするやうな好いお召の新らしいのを着てゐる。此の社會のことには私も大抵目が利いゐるから、それを見て直ぐ「此女(これ)は、なか賣れる女だな。」と思つた。
よく似合つた極くハイカラな束髪に結つて小肥(こぶとり)な、色の白い、肌理(きめ)の細かい、それでゐて血氣(ちのけ)のある女で、――これは段々後(あと)になつて分つたことだが、――氣分もよく變つたが、顔が始終(しよつちう)變る女だつた。――心もち平面(ひらおもて)の、鼻が少し低いが私の好きな口の小さい――尤も笑ふと少し崩れるが、――眼は平常(いつも)はさう好くなかつた。でもさう馬鹿に濃くなくつて、柔か味のある眉毛の恰好から額にかけて、何處か氣高いやうな處があつて、泣くか何うかして憂ひに沈んだ時に一寸(ちょい)一寸(ちよい)品の好い顏をして見せた。そんな時には顏が小さく見えて、眼もしをらしい眼になつた。後には種々(いろん)なことから自暴酒を飮んだらしかつたが、酒を飮むと溜らない大きな顏になつて、三つ四つも古(ふ)けて見えた。私も「どうして斯樣な女が、さう好いのだらう?」と少し自分でも不思議になつて、終(しまひ)には淺間しく思ふことさへもあつた。肉體(からだ)も、厚味のある、幅の狹い、さう大きくなくつて、私とはつりあひが取れてゐた。
で、その女をよく見ると、「あゝ斯ういふ女がゐたか。」と思つた。それが、その女が私の氣に染(し)み付いたそもだつた。さうすると、私の心は最早(もう)今までと違つて何となく、自然(ひとりで)に優(やさ)あしくなつた。
靜(ぢつ)と女の指――その指がまた可愛い指であつた、指輪の好いのをはめてゐた――を握つたり、もんだりしながら、
「君は大變綺麗な手をしてゐるねえ。さうして斯う見た處、こんな社會に身を落すやうな人柄でもなささうだ。それには何れ種々(いろん)な理由(わけ)もあるのだらうが出來ることなら、少しも早く斯樣な商賣は止して堅氣になつた方が好いよ。君は何となしまだ此の社會の灰汁(あく)が骨まで侵込んでゐないやうだ。惜しいものだ。」
人間といふものは勝手なものだ。其樣な境涯に身を置く人に同情があるならば、私は何(ど)の女に向つても、同じことを言ふ理由(はず)だが、私は其の女にだけそれを言つた。さう言ふと、女は指を私に任せながら、默つて聞いてゐた。
「名は何といふの?」
「宮。」
「それが本當の名?」
「えゝ本當は下田しまといふんですけれど、此處では宮と言つてゐるんです。」
「宮とは可愛い名だねえ。……お宮さん。」
「えッ。」
「私はお前が氣に入つたよ。」
「さうオ……あなたは何をなさる方?」
「さあ何をする人間のやうに思はれるかね。言ひ當てゝ御覽。」
さういふと、女は、しをした眼で、まじと私の顏を見ながら、
「さう……學生ぢやなし、商人ぢやなし、會社員ぢやなし、……判りませんわ。」
「さう……判らないだらう。まあ何かする人だらう。」
「でも氣になるわ。」
「さう氣にしなくつても心配ない。これでも惡いことをする人間ぢやないから。」
「さうぢやないけれど……本當を言つて御覽なさい。」
「これでも學者見たやうなものだ。」
「學者!……何學者?……私、學者は好き。」
本當に學者が好きらしう聞くから、
「さうか。お宮さん學者が好きか。此の土地にや、お客の好みに叶ふやうに、頭だけ束髪の外見(みかけ)だけのハイカラが多いんだが、お宮さんは、ぢや何處か學校にでも行つてゐたことでもあるの?」
學生とか、ハイカラ女を好む客などに對しては、その客の氣風を察した上で、女學生上りを看板にするのが多い。――それも商賣をしてゐれば無理の無いことだ。――その女も果して女學校に行つて居つたか、何うかは遂には分らなかつたが所謂學者が好きといふことは、後(のち)になるに從つて本當になつて來た。
斯う言つて先方(さき)の意に投ずるやうに聞くと、
「本郷の××女學校に二年まで行つてゐましたけれど、都合があつて廢したんです。」と言ふから、ぢや何うして斯樣な處に來てゐる……と訊いたら、斯うしてお母(つか)さんを養つてゐると畏怖。お母(つか)さんは何處にゐるんだ?と聞くと、下谷にゐて、他家(よそ)の間を借りて、裁縫(しごと)をしてゐるんです、と言ふ。
私は、全然(まる)直ぐそれを本當とは思はなかつたけれど、女の口に乘つて、紙屋治兵衛の小春の「私一人を賴みの母樣(はゝさま)。南邊(みなみへん)の賃仕事して裏家住み……」といふ文句は思ひ起して、お宮の母親のことを本當と思ひたかつた。――否(いや)、或は本當と思込んだのかも知れぬ。
お前が斯樣なことをしてお母(つか)さんを養はなくつてもほかに養ふ人はないのか?と訊くと、姉が一人あるんですけれど、それは深川のある會社に勤める人に嫁(かたづ)いてゐて先方(さき)に人數が多いから、お母(つか)さんは私が養はなければならぬ、としをらしく言ふ。
「さうか。……ぢや宮といふ名は、小説で名高い名だが、宮ちやん、君は小説のお宮を知つてゐるかね?」
「えゝ、あの寛一のお宮でせう?知つてゐます。」
「さうか。まあ彼樣(あん)なものを讀む學者だ。私は。」
「ぢやあなたは文學者?小説家?」
「まあ其處等あたりと思つてゐれば可い。」
私もさうかと思つてゐましたわ。……私、文學者とか法學者だとか、そんな人が好き。あなたの名は何といふんです?」
「雪岡といふんだ。」
「雪岡さん。」と、獨り飮込むやうに言つてゐた。
「宮ちやん、年は幾歳(いくつ)?」
「十九。」
十九にしては、まだ二つ三つも若く見えるやうな、派手な薄紅葉色の、シツポウ形の友禪縮緬と水色繻子の狹い腹合せ帶を其處に解き捨ててゐたのが、未だに、私は眼に殘つてゐる。
暫時(しばらく)そんな話をしてゐた。


それから抱占めた手を、長いこと緩めなかつた。痙攣が驚くばかりに何時までも續いてゐた。私はその時は、本當に嬉しくつて、腹の中で笑ひ靜(ぢつ)として、先方に自分の全身を任してゐた。漸(やつ)と私を許してから三四分間經つて此度は俯伏しになつて、靜(そつ)と他(ひと)の枕の上に、顏を以て來て載せて、半ば夢中のやうになつて、苦しい呼吸をしてゐた。私は、さうしてゐる束髪の何とも言へない、後部(うしろ)の、少し潰れたやうな黑々とした形を引入れられるやうに見入つてゐた。
さうして長襦袢と肌襦袢との襟が小さい頸の形に聞く二つ重なつてゐる處が堪らなくなつて、そつと指先で突く眞似をして、
「おい何うかしたの?……何處か惡いの?」と言つて、掌で背(せなか)をサアツと撫でてやつた。
すると、女は、
「いえ。」と、輕く頭振(かぶり)を掉つて、口を壓されたやうな疲れた聲を出して、「極りが惡いから……」と潰したやうに言ひ足した。さうして二分間ほどして魂魄の脱けたものゝやうに、小震ひをさせながら、揺々(ゆら)と、半分に眼を瞑(ねむ)つた顏を上げて、それを此方に向けて、頰を擦り付けるやうにして、他(ひと)の口の近くまで自分の口を、自然に寄せて來た。さうして復(ま)た枕に顏を斜に伏せた。
私は、最初(はじめ)から斯樣な嬉しい目に逢つたのは、生れて初めてであつた。
水の中を泳いでゐる魚ではあるが、私は急に、そのまゝにして置くのが惜しいやうな氣がして來て、
「宮ちやん、君には、もう好い情人(ひと)が幾人(いくたり)もあるんだらう。」と言つて見た。
すると、お宮は、眼を瞑(つむ)つた顏を口許だけ微笑(ゑ)みながら、
「そんなに他人(ひと)の性格なんか直ぐ分るもんですか。」甘えるやうに言つた。私は性格といふ言葉を使つたのに、また少し興を催して、
「性格!……性格なんて、君には面白い言葉を知つてゐるねえ。」と世辭を言つた。――兎に角漢語をよく用ひる女だつた。
さうして私は唯柔かい可愛らしい精神(こゝろ)になつて、蒲團を疊む手傳ひまでしてやつた。
他(ほか)の室(へや)に戾つてから、
「また來るよ。君の家(うち)は何といふ家(うち)?」
「家(うち)は澤村といへば分ります。……あゝ、それから電話もあります。電話は浪花のね三四の十二でせう。それに五つ多くなつて、三四十七、三千四百十七番と覺えていれば好いんです。」と立ちながら言つて疲れて、顳顬(こめかみ)の邊(ところ)を蒼くして歸つて行つた。
私は、何だが俄かに枯木に芽が吹いて來たやうな心持がし出して、――忘れもせう十一月の七日の雨のバラ降つてゐた晩であつたが、私も一足後から其家(そこ)を出て番傘を下げながら――不思議なものだ、その時ふと傘の破れてゐるのが、氣になつたよ。種々(いろん)な屋臺店の幾個(いくつ)も竝んでゐる人形町の通りに出た。濕とりとした小春らしい夜であつたが、私は自然(ひとりで)にふい口浄瑠璃を唸りたいやうな氣になつて、すしを摘まうか、やきとりにしようか、と考へながら頭でのれんを分けて露店の前に立つた。
その錢(かね)は入つたら――例の箱根から酷(きび)しくも言つて來るし、自分でも是非そのまゝにしてゐる荷物を取つて來たり、勘定の仕殘りだのして二三日遊んで來ようと思つてゐたのだが、私はもう箱根に行くのは厭になつた。で、種々(いろ)考へて見て箱根へは爲替で錢(かね)を送ることにして、明日(あす)の晩早くからまた行つた。さうして此度は泊つた。――斯ういふ處へ來て泊るなんといふことは、お前がよく知つてゐる、私には殆ど無いと言つて可い。
續けて行つたものだから、お宮は、入つて來て私と見ると、「さては……」とでも思つたか「いらッしやい。」と離れた處で尋常に挨拶をして、此度上げた顏を見ると嬉しさを、キユツと紅(べに)をさした脣で小さく食ひ締めて、誰れが來てゐるのか、といつたやうな風に空とぼけて、眼を遠くの壁に遣りながら、少し、頸を斜(はす)にして、默つてゐた。その顏は今に忘れることが出來ない。好い色に白い、意地の强さうな顏であつた。二十歳(はたち)頃(ごろ)の女の意地の强さうな顏だから、私には唯美しいと見えた。
私は可笑しくなつて此方(こちら)も暫く默つてゐた。けれども、私はそんなにして默つてゐるのが嫌ひだから、
「そんな風をしないでもつと此方(こつち)においで。」と言つた。
待つてゐる間、机の上に置いてあつた硯箱を明けて、卷紙に徒ら書きをしてゐた處であつたから机の向に來ると、
「宮ちやん、之れに字を書いて御覽。」
「えゝ書きます。何を?」
「何とでも可いから。」
「何かあなたさう言つて下さい。」
「私が言はないつたつて、君が考へて何か書いたら可いだらう。」
「でもあなた言つて下さい。」
「ぢや宮とでも何とでも。」
「……私書けない。」
「書けないことはなからう、書いてごらん。」
「あなた神經質ねえ。私そんな神經質の人嫌ひ!」
「…………。」
「分つているから、……あなたのお考へは。あなた私に字を書かして見て何うするつもりか、ちやんと分つてゐるわ。ですから、後で手紙を上げますよ。あゝ私あなたに濟まないことをしたの。名刺を貰つたのを、つい無くして了つた。けれど住所(ところ)はちやんと憶えてゐます。……××區××町××番地雪岡京太郎といふんでせう。」
斯樣(こん)なことを言つた。私に字を書かして見て何うするつもりかあなたの心は分つてゐます、なんて自惚も强い女だつた。
その晩、待合(うち)の湯に入つた。「お前、前(さき)に入つておいで。」と言つて置いて可い加減な時分に後(あと)から行つた。緋縮緬の長い蹴出しであつた。
尚ほ他(ほか)の室(へや)に行つてから、
「宮ちやん、お前斯ういふ處へ來る前に何處か嫁(かたづ)いてゐたことでもあるの?」
と、具合よく聞いて見た。
「えゝ、一度行つてゐたことがあるの。」と問ひに應ずるやうに返事をした。
日毎、夜毎に種々(いろん)な男に會ふ女と知りながら、また何れ前世のあることとは察してゐながら、私が自分で勝手に尋ねて置いて、それに就いて返事を聞いて少し嫉ましくなつて來た。
「何ういふ人の處へ行つてゐたの?」
「大學生の處へ行つてゐたの。……卒業前の法科大學生の處へ行つてゐたんです。」
私は腹の中で、「へッ!甘いことを言つてゐる。成程本郷の女學校に行つてゐた、といふから、もしさうだとすれば野合者(くつつきもの)だ。さうでなければ生計(くら)しかねて、母子(おやこ)相談での内職か。」と思つたが、何處かさう思はせない品の高い處もある。
「へえ。大學生!大學生とは好い人の處へ行つてゐたものだねえ。どういふやうな理由(わけ)から、それがまた斯樣な處へ來るやうになつたの?」
「行つて見たら他に細君があつたの。」
「他に細君があつた!それはまた非道い處へ行つたものだねえ。欺されたの?」大學生には、なか女たらしがゐる、また女の方で随分たらされもするから、私は本當かとも思つた。
「えゝ。」と問ふやうに返事をした。
「だつて、公然(おもてむき)、仲に立つて世話でもする人はなかつたの?お母(つか)さんが付いて居ながら、大事な娘の身で、そんな、もう細君のある男の處へ行くなんて。」
「そりや、その時は口を利く人はあつたの。ですけれど此方(こつち)がお母(つか)さんと二人きりだつたから甘く皆(みん)なに欺されたの。」
私は、女が口から出任せに譃八百を言つてゐると思ひながら、聞いてゐれば、聞いてゐるほど、段々先方(さき)の言ふことが眞實(ほんたう)のやうにも思はれて來た。さうして憐れな女、母子(おやこ)の爲に、話の大學生が憎いやうな、また羨ましいやうな氣がした。
「ひどい大學生だねえ。お母(つか)さんが――さぞ腹を立てたらう。」
「そりや怒りましたさ。」
「無理もない、ねえ。……が一體如何な人間だつた?本當の名を言つて御覽。」
女は枕に顏を伏せながら、それには答へず、「はあ……」と、さも術なさうな深い太息(ためいき)をして、「だから、私、男はもう厭!」傍を構はず思ひ入つたやうに言つた。「私もその人は好きであつたし、その人私を好きであつたんですけれど、細君があるから、何うすることも出來ないの……溫順しい、それは深切な人なんですけれど、男といふものは、あゝ見えても皆(みん)な道樂をするものですかねえ。……下宿屋の娘か何かと夫婦(いつしよ)になつて、それにもう兒があるんですもの。」
「フム。……ぢや別れる時には二人とも泣いたらう。」
「えゝ、そりや泣いたわ。」女は悲しい甘い涙を憶ひ起したやうな少し浮いた聲を出した。
「自分でも私はお前の方が好いんだけれど、一時の無分別から、もう兒まで出來てゐるから、何うすることも出來ない、と言つて男泣きに泣いて、私の手を取つて散々あやまるんですもの。――その女の方で何處までも付いてゐて離れないんでせう――私の方だつて、ですから怒らうたつて怒られやしない。氣の毒で可哀さうになつたわ。――でも細君があると知れてから、随分捫(も)んで苛めてやつた。」
人を傍に置いてゐて、さう言つて獨りで忘れられない、樂い追憶(おもひで)に耽つてゐるやうであつた。私は靜(ぢつ)と聞いてゐて、馬鹿にされてゐるやうな氣がしたが、自分もその大學生のやうに想はれて、さうして苛められるだけ、苛められて見たくなつた。
その男は高等官になつて、名古屋に行つてゐると言つた。江馬と言つて段々遠慮がなくなるにつれて、何につけて「江馬さん。」と言つてゐた。
それのみならず、大學生に馴染があるとか、あつたとかいふのが女の誇で、後(あと)になつても屢(よ)く「角帽姿はまた好いんだもの。」と口に水の溜まるやうな調子で言ひした。
すると、お宮は暫時(しばらく)して、フッと顏を此方(こつち)に向けて、
「あなた、本當に奧樣(おくさん)は無いの?」
「あゝ。」
「本當に無いの?」
「本當に無いんだよ。」
「男といふものは眞個(ほんたう)に可笑いよ。細君があれば、あると言つて了つたら好ささうなものに此方(こつち)で、『あなた、奥様があつて?』と聞くと、大抵の人があつても無いといふよ。
「ぢや私も有つても無いと言つてゐるやうに思はれるかい?」
「何うだか分らない。」人の顏を探るやうに見て言つた。
「僕、本當はねえ、あつたんだけれど、今は無いの。」
「そうら……本當に?」女はにや笑ひながら、油斷なく私の顏を見戌つた。
「本當だとも。有つたんだけれど、別れたのさ。……薄情に別れられたのさ。……一人で氣樂だよ。……同情してくれ給へ!衣類(きもの)だって、あれ、あの通り綻びだらけぢやないか。」
「それで今、その女(ひと)は何うしてゐるの?」お宮の瞳(め)が冴えて、兩頰に少し熱を潮(さ)して來た。
「さあ、別れたッきり、自家(うち)にゐるか何うしてゐるか。行先なんか知らないさ。」
「本當に?……何時別れたんです?……ちやんと分るやうに仰しやい!法學者の處にゐたから、曖昧な事を言ふと、すぐ弱點を抑へるから。……何うして別れたんです?」氣味惡さうに聞いた。
「種々(いろ)一緒にゐられない理由(わけ)があつて別れたんだが、最早(もう)半歳も前の事さ。」
「へッ、今だつてあなたその女(ひと)に會つてゐるんでせう。」擽るやうに疑つて言つた。
「馬鹿な。別れた細君に何處に會ふ奴があるものかね。
「さう……でも其の女(ひと)のことは矢張し思つてゐるでせう。」
「そりや、何年か連添うた女房だもの、少しは思ひもするさ。斯うしてゐても忘れられないこともある。けれども最早(もう)いくら思つたつて仕樣がないぢやないか。宮ちやんの、その人のことだつて同(おんな)じことだ。」
「……私、あなたの家(ところ)に遊びに行くわ。」
本當に遊びに來て貰ひたかつた。けれども今來られては都合が惡い。
「あゝ、遊びにお出で。……けれども今は一寸家(うち)の都合が惡いから、その内私家(うち)を變らうと思つてゐるから、さうしたら是非來ておくれ。」
私は、その時初めて、お前のお母(つか)さんの家を出ようといふ氣が起つた。自然(ひとりで)に心の移る日を待つてゐたらお宮を遊びに來さす爲には早く他(ほか)へ行きたくもなつた。
さう言ふと、お宮はまた少し胡散(うさん)さうに、
「都合が惡い!……へツ、矢張しあるんだ。」と微笑(ほゝゑ)んだ。
「ある處(どころ)かね。あれば仕合せなんだが。」
「ぢや遊びに行く。」
「…………。」
「奥樣がなくつて、ぢやあなた何様(どん)な處にゐるの?」
「年取つた婆さんに御飯を炊いて貰つて二人でゐるんだから面白くもないぢやないか。宮ちやんに遊びに來て貰ひたいのは山々だけれど、その婆さんは私が細君と別れた時分のことから、知つてゐるんだから、少しは私も年寄りの手前を愼まなければならぬのに、幾許(いくら)半歳經つと言つたつて、宮ちやんのやうな綺麗な若い女に訪ねて來られると、一寸具合が惡いからねえ。屹度變るから變つたらお出で。」
すると、「宮ちやん。」と、女中の低聲(こごゑ)がして、階段の方で急(いそが)しさうに呼んでゐる。
二人は少しはつとなつた。
「何うしたんだらう?」
「何うしたんだらう?……」二三秒して、「えッ?」と女中に聞えるやうに言つた。「一寸(ちよいと)行つて見て來る。」
お宮は、そのまゝ出て行つた。
四五分間して戾つて來た。「此の頃、警察がやかましいんですつて、戸外(そと)に變な者が、ウロしているやうだから何時(いつ)遣つて來るかも知れないから、若し來たら階下(した)から『宮ちやん。』ツて声をかけるから、さうした脱衣(きもの)を抱へて直ぐ降りてお出でッて。……ちやんと隱れる處が出來てゐるの。……今燈(ひ)を點して見せて貰つたら、ずうつと奧の方の物置室(ものおき)の座敷の下に疊を敷いて座敷があるの……」
さう言つて大して驚いてる氣色も見えぬ。また私も驚きもしなかつた。
やがて廊下を隔てた隣の間でも、ドシと男の足音がしたり、靜かな話聲がしたり、衣擦れの音がしたりして段々客があるらしい。
自家(うち)に歸れば猫の子もゐない座敷を、手索(てさぐ)りにマッチを擦って、汚れ放題汚れた煎餅蒲團に一人柏葉餅(かしはもち)のやうになつて寢ねばならぬのに斯うして電燈のついた室(へや)に、湯上りで差向ひで何か食つて、しかも、女を相手にして寢るのだから、私はもう一生待合(こゝ)で斯うして暮したくなつた。
「…………。」私は何か言つた。
廊下の足音が偶(たま)に枕に響いた。
「……誰れか來やしないか。……一寸(ちよいと)お待ちなさい。……そら誰れか其處にゐるよ……」手眞似で制した。警察のやかましいぐらゐ平氣でゐるかと思つたら、また存外神經質で處女(きむすめ)のやうに臆病な性質(ところ)もあつた。
夜が更ければ、更けるほど、朝になればなつても不思議に寢顏の美しい女であつた。
きぬの別れ、といふ言葉は、想ひ出されないほど前から聞いて知つてはゐたが、元來堅仁(かたじん)の私は恥づべきことか、それとも恥とすべからざることか、それが果して、何ういふ心持のすうるものか、此歳になるまで、自分ではついぞ覺えがなかつたが、その朝は生れて初めて成程これが「朝の別れ」といふものかと懐かしいやうな殘り惜しいやうな想像ひがした。
女が「ぢや切りがないから、もう歸りますよ。」と言つて歸つて行つた後で、女中の持つて來た櫻湯に涸いた咽喉を濕(うるほ)して、十時を過ぎて、其家(そこ)を出た。
午前(ひるまえ)の市街(まち)は騒々しい電車や忙がしさうな人力車(くるま)や大勢の人間や、眼の廻るやうに動いてゐた。
十一月初旬(はじめ)の日は、好く晴れてゐても、弱く、靜かに暖かであつたが、私には、それでもまだ光線が稍强過ぎるやうで、脊筋に何とも言ひやうのない好い心地の怠(だる)さを覺えて、少しは肉體(にくたい)の處々に冷たい感じをしながら、何といふ目的(あて)もなく、唯、も少し永く此の心持を續けてゐたいやうな氣がして浮々(うか)と來合せた電車に乘つて遊びに行きつけた新聞社へ行つて見た。
長田(をさだ)は旅行(たび)に出てゐなかつたが、上田や村田と一しきり話をして、自家(うち)に戾つた。お宮が昨夜(ゆうべ)あなたの處へ遊びに行くと言つた。それには自家(うち)を變らねばならぬ。變るには錢(かね)が入る。何うして錢(ぜに)を拵へようかと、そんなことを考ねながら戾つた。
それから二三日して長田(をさだ)の家(ところ)に遊びに行くと、長田が――よく子供が齒を出してイーといふことをする、丁度そのイーをしたやうな心持のする險しい顏を一寸して、
「此間櫻木に行つたら、『此の頃屢(よ)くいらつしやいます。泊つたりしていらつしやいます。』……お宮といふのを呼んだと言つてゐた。……僕は泊るつたりすることはないが、……お宮といfのは何様(どん)な女(の)か、僕は知らないが、……」
その言葉が、私の胸には自分が泊らないのに、何うして泊つた?自分がまだ知らない女を何うして呼んだ?と言つてゐるやうに響いた。私は苦笑しながら默つてゐた。長田は言葉を續けて、
「此間(こなひだ)社に來て、昨夜(ゆうべ)耽溺をして來た、と言つてゐたと聞いたから、はあ此奴(こいつ)は屹度櫻木に行つたなと思つたから、直ぐに行つて聞いて見てやつた。」笑ひながら嘲弄するやうに言つた。
私は、返事の仕樣がないやうな氣がして、
「うむ……お宮といふんだが、君は知らないのか……。」と下手(したで)に出た。
他(ほか)の女ならば何でもないが、此のお宮とのことだけは誰れにも知られたくなかつた。尤も平常(ふだん)から聞いて知つてゐる長田の遊び振りでは或は夙(とつく)にお宮といふ女のゐることは知つてゐるんだが、長田のこととてつい何でもなく通り過ぎて了つたのかとも思つてゐた。……初めてお宮に會つた時にはもう其樣(そん)なことが胸に浮んでゐた。それが今、長田の言ふのを聞けば、長田は知つてゐなかつた。知つてゐなかつたとすれば尚ほのこと、知られたくなかつたのだが、既う斯う突き止められた上に、惡戲(いたづら)で岡如きの强い人間と來てゐるから、此の形勢では早晩(いづれ)何とか爲(せ)ずにはゐまい。もしさうされたつて「賣り物、買ひ物」それを差止める權利は毛頭無い。また多寡があゝいふ商賣の女を長田(をさだ)と張合つたとあつては、自分でも野暮臭くつて厭だ。もし他人(ひと)に聞かれでもすると一層外聞(ざま)が惡い。此處は一つ觀念の眼を瞑(つむ)つて、長田の心で、ならうやうにならして置くより他(ほか)はないと思つた。
が、さうは思つたものの、自分の今の場合、折角探しあてた寶をむざ他人(ひと)に遊ばれるのは身を斬られるやうに痛(つら)い。と言つて、「後生だ、何うもしないで置いてくれ。」と口を出して賴まれもしないし、賴めば、長田のことだから、一層悪く出て惡戯をしながら、默つてゐるくらゐのことだ。
と、私はお宮ゆゑに種々(いろいろ)心を碎きながら、自家(うち)に戾つた。此の心をお宮に知らす術(すべ)はないかと思つた。
取留めもなく、唯自家(うち)で沈みこんでゐた時分には、何うかして心の間切(まぎ)れるやうな好きな女でも見付かつたならば、意氣も揚るであらう。さうしたら自然に讀み書きする氣にもなるだらう。讀み書きをするのが、何うでも自分の職業とあれば、それを勉強せねば身が立たぬ、と思つてゐた。すると女は兎も角も見付かつた。けれども見付かると同時に、此度はまた新らしい不安心が湧いて來た。しばらく寂しく沈んでゐた心が一方に向つて强く動き出したと思つたら、それが樂しいながらも苦しくなつて來た。
女からは初めて、心を惹くやうな、悲しんで訴へるやうな、氣取つた手紙を寄越した。私の心は何も彼も忘れて了つて、唯其方(そつち)の方に迷うてゐた。
錢(かね)がなければ女の顏を見ることが出來ない。が、その錢を拵へる心の努力(はげみ)は決して容易ではなかつた。――辛抱して錢(かね)を拵へる間(あひだ)が待たれなかつたのだ。
さうする内に箱根から荷物が屆いた。長く彼方(あちら)にゐるつもりであつたから、その中には、私に取つて何よりも大切な書籍(ほん)もあつた。之ばかりは何樣(どん)なことがあつても賣るまいと思つてゐたが、お宮の顏を見る爲に、それを賣つても惜しくないやうになつた。
厭味のない紺靑の、サンタヤナのライフ・オブ・リーゾンは五册揃つてゐた。此の夏それを丸善から買つて抱へて歸る時には、電車の中でも紙包(つゝみ)を披いて見た。オリーブ表紙のサイモンヅの「伊太利紀行」の三册は、十幾年來憧れてゐて、それも此の春漸く手に入つたものであつた。座右に放さなかつた「アミイルの日記」と、サイモンヅの譯したベンベニユトオ・チエリニーの自叙傳とは西洋(むかう)に誂へて取つたものであつた。アーサア・シモンスの「七藝術論」、サント・ブーブの「名士と賢婦の畫像」などもあつた。
私は其等をきちんと前に竝べて、獨り熟々(つく)と見惚れていた。さうしてゐると、その中に哲人文士の精神が籠つてゐて、何とか言つてゐるやうにも思はれる。或はまた今まで其等が私に譃(うそ)を吐いてゐたやうにも思はれる。
私がそんな書籍(ほん)を買つてゐる間、お前はお勝手口で、三十日(みそか)に借金取の斷りばかりしてゐた。私もまさかそんな書籍(ほん)を買つて來て、書箱(ほんばこ)の中に竝べ立てゝ、それを靜(ぢつ)と眺めてさへゐれば、それでお前が、私に言つて責めるやうに、「今に良くなるだらう。」と安心してゐられるほどの分らず屋ではなかつたが、けれども唯お前と差向つてばかりゐたのでは何を目的(あて)に生きてゐるのか、といふやうな氣がして、心が寂しい。けれどもさうして書箱(ほんばこ)に、そんな種々(いろん)な書籍(ほん)があつて、それを時々出して見てゐれば、其處に生き効もあれば、また目的(あて)もあるやうに思へた。私だとても米代を拂ふ胸算(あて)もなしに、書籍(ほん)を買ふのでもないが、でもそれを讀んで、何か書いてゐれば、「今に良くなるのだらう。」くらゐには思はないこともなかつた。
これはお宮の髪容姿(かみかたち)と、その厭味のない、知識らしい氣高い「ライフ・オブ・リーゾン」や「アミイルの日記」などと比べて見て初めて氣の付いたことでもない。
いや、お前に「私もよもやに引かされて、今にあなたが良くなるだらう、今に良くなるだらうと思つてゐても、何時まで經つてもよくならないのだもの。」と口に出して言はれる以前から自分にも分つてゐた。「良くなる。」といふのは、何が良くなるのだらう?私には「良くなる。」といふことが、よく分つてゐるやうで、考へて見れば見るほど分らなくなつて來た。
私は一度手を振上げて其の本に「何だ、馬鹿野郎!」と、拳固を入れた。けれども果して書籍(ほん)に入れたのやら、それとも私自身に入れたのやら、分らなくなつた。
私は、ハツとなつて、振返つて、四邊(あたり)を見廻した。けれども幸ひ誰れもゐなかつた。固より誰もゐやう筈はない。
身體は自家(うち)にゐながら、魂魄(こゝろ)は宙に迷うてゐた。お宮を遊びに來す爲には家を變りたいと思つたが、お前のこと、過去(これまで)のことを思へば、無慘(むざ)と、此處を餘處(わき)へ行く事も出來ない。お母(つか)さんの顏には日の經つごとに「何時までもゐるつもりだ。さッと出て行け!」といふ色が、一日一日と濃く讀めた。またそれを口に出して言ひもした。私も無理はないと知つてゐた。さうでなくてさへ況して年を取つた親心には、可愛い生(うみ)の娘に長い間、苦勞をさした男は、譯もなく唯、仇敵(かたき)よりも憎い。お母(つか)さんで見れば、私と別れたからと言つて、そんならお前を何うしようといふのではない。唯暫時(しばらく)でも傍(そば)へ置いときさへすれば好い。それが仇敵(かたき)がさうしてゐる爲に、娘を傍に置くことが出來ないばかりではない。自分で仇敵に朝晩の世話までしてやらなければならぬ。老母(としより)に取つては、それほど逆さまなことはない。
けれども、私の腹では、假令お前はゐなくつても、此家(こゝ)に斯うしてゐれば、また何處か緣が繫がつてゐるやうにも思はれる。出て了へば、此度こそ最早(もう)それきりの緣だ。それゆゑイザとなつては、思い切つて出ることも出來ない。さうしてゐて、たゞ一寸逃れにお宮の處に行つてゐたかつた。
四度目であつたか――火影(ほかげ)の暗い座敷に、獨り机によつてゐたら、引入れられるやうに自分のこと、お前のこと、またお宮のことが思はれて、堪へられなくなつた。お宮には、錢(かね)さへあれば直ぐにも逢へる。逢つてゐる間(ま)は他(ほか)の事は何も彼も忘れてゐる。私は何うしようかと思つて、立上つた。立上つて考へてみると、もうそのまゝ坐るのも怠儀になる。私は少し遲れてから出掛けた。
櫻木に行くと、女中が例(いつも)の通り愛想よく出迎へたが、上ると、氣の毒さうな顏をして、
「先刻(さつき)、澤村から、電話でねえ。あなたがいらつしやるといふ電話でしたけれど、他(ほか)の者の知らない間(ま)に主婦(おかみ)さんが、もう一昨日(をとゝひ)から斷られないお客樣にお約束を受けてゐて、つい今、お酉さまに連れられて行つたから、今晩は遲くなりませうツて。あなたがいらしつたら、一寸(ちよいと)電話口まで出て戴きたいつて、さう言つて來てゐるんですが。……」
私は、sあうかと言つて電話に出たが、固より「えゝ。」と言ふより仕方がなかつた。
女中は、商賣柄、「まことにお氣の毒さまねえ。今晩だけ他(ほか)な女(の)をお遊びになつては如何(いかが)です。他(ほか)にまだ好いのもありますよ。」と言つてくれたが、私はお宮を見付けてから、もう他(ほか)の女は扭(ね)ぢ向いて見る氣にもならなかつた。
まだ淺い馴染とはいひながら、それまでは行く度に機會(をり)好く思ふやうに呼べたが、逢ひたいと思うふ女が、さうして他(ほか)の客に連れられてお酉さまに行つた、と聞いては、固よりも有りうちのこと承知してゐながらも、流石に好い氣持はしなかつた。さういふ女を思う自分の心を哀れと思うた。
「いや!また來ませう。」と其家(そこ)を出て、そのまゝ戾つたが、私は女中達に心を見透かされたやうで、獨りで恥かしかつた。さぞ悄然(すご)として見えたことであらう。
戸外(そと)は寒い風が、道路(みち)に、時々輕い砂塵埃(すなぼこり)を捲ゐてゐた。その晩は分けて電車の音も冴えて響いた。ましてお酉さまと、女中などの言ふのを聞けば、何となく冬も急がれる心地がする。
「あゝ詰らない。斯うして、浮々(うかうか)としてゐて、自分の行末は何うなるといふのであらう?」と、そんなことを取留めもなく考へ込んで、もちつとで電車の乘換へ場を行き過ぎる處であつた。心柄とはいひながら、夜風に吹き曝されて、私は眼頭に涙を潤(にじ)ませて歸つた。
それでも少しは、何かせねばならぬこともあつて、二三日間(ま)を置いてまた行つた。私は電車に乘つてゐる間が毎時(いつ)も待遠しかつた。さういふ時には時間の經つのを忘れてゐるやうに面白い雜誌か何か持つて乘つた。
その時は三四時間も待たされた。――此間(こなひだ)の晩もあるのに、あんまり來やうが遲いから、來たら些(ちよい)と口説を言つてやらう、それでも最う來るだらうから、一つ寢入つた風をしてゐてやれ、と夜着の襟に顏を隱して自分から寢た氣になつても見る。するとそれも、ものの十分間とは我慢しきれないで、またしても顏を出して何度見直したか知れない雜誌を繰披いて見たり、好きもせぬ煙草を無闇に吹かしたり、獨りで焦れたり、嬉しがつたり、浮かれたりしてゐた。
火鉢の佐倉炭が、段々眞赤に圓くなつて、冬の夜ながらも、室(へや)の中は濕とりとしてゐる。煙草の烟で上の方はぼんやりと淡靑くなつて、黑の勝つた新らしい模樣の友禪メリンスの小さい幕を被(き)せた電燈が朧ろに霞んで見える。
階下(した)では女中の聲も更けた。もう大分前に表の木戸を降したらしい。時々低く電話を鳴してお宮を催促してゐるやうであつた。
やがてすうつと襖が開(あ)いて、衣擦れの音がして、枕頭(まくらもと)の火鉢の傍に默つて坐つた。私は獨で擽られるやうな氣持になつて凝乎(ぢつ)と堪へて蒲團を被つたまゝでゐた。
女は矢張し默つて輕い太息(ためいき)を洩らしてゐる。
私は遂々(とう)負けて襟から顏を出した。
女は雲のやうな束髪(かみ)をしてゐる。何時か西洋の演劇雜誌で見たことのある、西洋(あちら)の女俳優(をんなやくしや)のやうな頭髪(かみ)をしてゐる、と思つて私は仰けに寢ながら顏だけ少し橫にして、凝乎(ぢつ)と微笑(わら)ひ女の姿態(やうす)に見惚れてゐた。
壁鼠とでもいふのか、くすんだ地に薄く茶絲(ちや)で七實繫ぎを織り出した例(いつも)のお召の羽織に矢張(やつぱ)り之もお召の沈んだ小豆色の派手な矢絣の薄綿を着てゐた。
深夜(よふけ)の、朧に霞んだ電燈の微光(うすあかり)の下(もと)に、私は、それを、何も彼も美しいと見た。
女は、矢張り默つてゐる。
「おい!どうしたの?」私は矢張り負けて靜かに斯う口を切つた。
「どうも遲くなつて濟みませんでした。」優しく口を利いて、輕く嬌態(しな)をした。
さう言つたまゝ、後は復た默(だま)あつて此度は一度强い太息(ためいき)を洩らしながら、それまでは火鉢の緣(ふち)に翳してゐた両手を懐中(ふところ)に入れて、傍の一貫張りの机にぐツたりと身を凭せかけた。さうして右の掌だけ半分ほど胸の處から覗(のぞか)して、襦袢の襟を抑へた。その指に指輪が光つてゐた。崩れた膝の間から派手な長襦袢が溢(こぼ)れてゐる。
女と逢ひそめてから、これでまだ四度(よたび)にしかならぬ。それが、其樣な惱んだ風情を見せられるのが初めてなので、それをも、私は嬉しく美しいと自分も默(だま)あつて飽かずに眺めてゐた。
けれども遂々(とう)辛抱しきれないで、復た、
「どうしたの?」と重ねて柔しく問うた。すると、女は、
「はあツ」と絕え入るやうに更に强い太息(ためいき)を吐いて片袖に顏を隱して机の上に俯伏して了つた。束髪(かみ)は袖に緩く亂れた。
私は哀れに嬉しく心元なくなつて來た。
戸外(そと)に更けた新内の流しが通つて行つた。
「おい!本當に何うかしたの?」私は三度(みたび)問うた。
すると尚ほ暫時(しばらく)經つて、女は、
「ほうツ」と、一つ深(ふか)あい呼吸(いき)をして、疲れたやうにそうツと顏を上げて、此度はさも思ひ餘つたやうに胸元(むね)をがつくり落して、頸を肩の上に投げたまゝ味氣(あじけ)なささうに、目的(あて)もなく疊の方を見詰めて居た。矢張り兩手を懐中にして。
私は何處までも凝乎(ぢつ)とそれを見てゐた。
平常(いつも)はあまり眼にも立たぬほどの切れの淺い二重瞼が少し逆上(ぽつ)となつて赤く際だつてしをれて見えた。睫毛が長く眸(め)を霞めてゐる。
「何うしたい!」四度目(よたびめ)には氣輕く訊ねた。「散々私(ひと)を待たして置いて來る早々沈んで了つて。何で其樣(そん)な氣の揉めることがあるの?好い情人(ひと)でも何うかしたの?」
「遲くなつたつて私が故意に遲くしたのぢやないし。ですから、濟みませんでした、と謝(あやま)つてゐるぢやありませんか。早く來ないと言つたつて、方々都合が好いやうに行きやしない。……はあツ、私もう斯樣(こん)な商賣するのが厭になつた。……」うるささうに言つた。
それまでは、機會(をり)に依つては、何處かつんと思ひ揚つて、取澄ましてゐるかと思へば、また甚く愼(つゝまし)やかで、愛想もさう惡くなかったが、今夜は餘程思ひ餘つたことがあるらしく、心が惱めば惱ほど、放埓(わがまま)な感情がぴりと苛立つて、人を人臭いとも思はぬやうな、自暴自棄(すてばち)な氣性を見せて來た。
その時私はます「こりや好い女を見付けた。此の先きどうか自分の持物にして、モデルにもしたい。」と腹で考へた。さう思ふと尚ほ女が愛(を)しくなつて、一層聲を和げて賺すやうに、
「……何を言つてる?君が早く來ないと言つてそれを何とも言つてやしないぢやないか。見給へ!斯うして溫順しく書籍(ほん)を讀んで待つてゐたぢやないか。……戸外(そと)はさぞ寒かつたらう。さツ、入つてお寢!」
「本當に濟みませんでしたねえ、随分待つたでせう。」此方(こちら)に願を見せて微笑(ゑ)んだ。
「さあそんなことは何うでも好いわ……。」けれどもそれは女の耳に入らぬやうであつた。
「はあツ……私、困ったことが出來たの。」聲も絕えに言つた。「困つた。……何うしよう?……言つて了はうか。」と一寸(ちよいと)小首を傾けたが、「言はかなあ……言はないで置かうかツ。」と一つ舌打ちをして、「言つたら、さぞあなたが愛想を盡かすだらなあ!」と獨りで思案にくれて、とつおいつしている。私は、やゝ心元なくなつて來た。
「何うしたの?……私が愛想を盡かすやうなことツて。何か知らぬが、差支へなければ言つて見たら好いぢやないか。」私はその時些(ちよつ)と胸に浮んだので、「はあ!ぢや分つた!私の知つた人でも遊びに來たの?」と續けて訊いた。
「否(う)む!」と頭振(かぶり)を振った。私も幾許何でもまさか其樣なことは無いであらうと思つてゐたが、あんまり心配さうに言ふので、もし其樣なことででもあるのかと思つたがさうでなくつて、先づそれは安心した。
「ぢや何だね?待たして焦らしてさ!尚ほその上に唯困つたことがある、困つたことがある。……と言つてゐたのでは私も斯うしてゐれば氣に掛かるぢやないか。役に立つやうだつたら、私も一緒に心配しようぢやないか。……何樣(どん)なこと?」
「はあツ」と、まだ太息(ためいき)を吐いてゐる。「ぢや思ひ切つて言つて了はうかなあ!あなたが屹度愛想を盡かすよ。……盡かさない?」うるさく訊く。
「何様(どん)なことか知らぬが盡しやしないよ、僕は君といふものが好いんだから假令これまでに如何なことをしてゐようとも何様(どん)な素姓であらうとも差支えないぢやないか。それより早く言つて聞かしてくれ。宵からさう何や彼に焦らされてゐては私の身も耐らない。」と言ひは言つたが、腹では本當に據(たよ)りない心持がして來た。
「ぢや屹度愛想盡かさない?」
「大丈夫!」
「ぢや言ふ!……私には情夫(をとこ)があるの!」
「へえツ……今?」
「今……」
「何時から?」
「以前(もと)から!」
「以前(もと)から?ぢや法科大學の學生(ひと)の處に行つてゐたといふのはあれは譃?」私もまさかとは思つてゐたが、それでも少しは本當もあると思つてゐた。
「それもさうなの。けれども其の前からあつたの。」
「その前からあつた!それは何様な人?」
先刻(さつき)から一人で浮かれてゐた私は、眞面目に心細くなつて來た。さうして腹の中で、斯ういふ境涯の女にはよくあり勝ちな、惡足であることと直ぐ察したから、
「遊人か何か?」續けさまに訊いた。
「いや、さうぢやないの。……それも矢張學生は學生なの。……それもなか出來ることは出來る人なの……」低い聲で獨り恥辱(はぢ)を辯解するやうに言つた。其男(それ)を惡く言ふのは、自分の古傷に觸られる心地がするので、成るたけ靜(そつ)として置きたいやうである。
「ふむ。矢張し學生で……大學生の前から……。」私は獨語のやうに言つて考へた。
女も、それは耳にも入らぬらしく、再び机に體を凭(もた)して考へ込んでゐる。
「それでその人とは今何ういふ關係なの?――ぢや大學生の處に、欺されてお嫁に行つたといふのも譃だつたね。……さうか……。」私は輕く復た獨語のやうに言つた。さうして自分から、美しう信じてゐた女の箔が急に剝げて安ッぽく思はれた。溫順らしいと思つた女が、惡擦れのやにも思はれて唯聞いただけでは少し恐くもなつて來た。
「えゝ誰なの。……私にはその前から男があるの。……はあツ!」また一つ深い、太息(ためいき)をして、更に言葉を續けた。「私は、その男に去年の十二月から、つい此間まで隱れてゐたの。……もう分らないだらうと思つて、一と月ほど前から此地(こゝ)に來てゐると、一昨日(をとゝひ)また、それが、私のゐる處を探り當てゝ出て來たの。……私、明後日(あさつて)までにまた何處へか姿を隱さねばならぬ。……ですから最早(もう)今晩きりあなたにも逢へないの。……あなたこれを上げますから、これを記念に持つて行つて下さい。」と言葉は落着いて溫順しいが、仕舞をてきぱきと言ひつゝ腰に締めた、茶と小豆の辨慶格子の、もう可い加減古くなった、短い縮緬の下じめを解いて前に出した。
「へえツ!」と、ばかり、私は寢心よく夢みてゐた樂しい夢を、無理に搖り起されたやうで、暫く呆れた口が塞がらなかつた。けれども、しごきをやるから、これを記念に持つて行つてくれ、といふのは、子供らしいが、嬉しい。何といふ懐かしい想ひをさす女だらう!惡い男があればあつても面白い!と、吾れ識らず棄て難い心持がして、私は、
「だつて、何うかならないものかねえ?さう急に隱れなくたつて、……私は君と今これツきりになりたくないよ。も少し私を棄てないで置いてくれないか。……何日かも話した通り、此の土地で初めてお蓮(れん)を呼んで、あまり好くもなかつたから、二十日ばかりも足踏みしなかつたが、また、ひよツと來て見たくなつて、お蓮でも可いから呼べと思つて、呼ぶと、蓮ちやんがゐなくなつて、宮ちやんが來た。それから後は君の知つてゐる通りだ。宮ちやんのやうな女(ひと)は、また容易に目付からないもの。」
さう言つて、私は、仰けになつてゐた身體を跳ね起きて、女の方に向いて、蒲團の上に胡坐をかいた。
お宮は、沈んだ頭振(かぶり)を掉(ふ)つて、
「いけない!何うしても隱れなくツちやならない!」堅く自分に決心したやうに底力のある聲で言つて、後は「ですからあなたにはお氣の毒なの……。私の代りにまたお蓮さんを呼んであげて下さい。」と言葉尻を優しく愛想を言つた。さうしてまた獨りで思案に暮れてゐるらしい。
私は喪然(がつかり)して了つた。
「何うでも隱れなくつてはならない!……君には、其樣(そん)な逃げ隱れをせねばならぬやうな人があつたのか。……それには何れ一と通りならぬ理由(わけ)のあることだらうが、何うしてまあ其樣(そん)なことになつたの?……そんなこととは知らず、僕は真實(ほんたう)に君を想つてゐた。――尤も君を想つてゐる人は、まだ他(ほか)にも澤山あるのだらうが――けれども、さういふ男があると知れては、幾許(いくら)思つたつて仕方がない。……ねえ!宮ちやん!……ぢや、せめてお前と、その人との身の上でも話して聞かしてくれないか。……もう大分遲いやうだが、今晩寢ないでも聞くよ。私には扱帶(しごき)なんかよりもその方が好いよ。……私もさういふことのまんざら分らないこともない。同情するよ。……それを聞かして貰はうぢやないか。……えツ?宮ちやん!……お前の國は本當何處なの?」私は、わざと陽氣になつて言つた。
何處かで、ボーンと、高く二時が鳴つた。
すると、お宮は沈み込んでゐた顏を、ついと興奮したやうに上げて、私の問ひに應じて口數少くその來歷を語つた。
一體お宮は、一口に言つて見れば、單(ひと)へに譃を商賣にしてゐるからばかりではない、その言つてゐることでも、その所作にも、何處までが眞個で何處までが譃なのか譃と眞個との見界の付かないやうな氣持をさする女性(をんな)だつた。年も初め十九と言つたが、二十一か二にはなつてゐたらう。心の恐ろしく複雜(いりく)んで、人の口裏を察したり、眼顏を讀むことの驚くほどはしこい、それでゐてあどけないやうな、何處までも情け深さうな、たより無氣(なげ)で人に憐れを催さすやうな、譃を言つてゐるかと思ふと、また思ひ詰めれば、至つて正直な處もあつた。それ故その身の上ばなしも、前後(あとさき)辻褄の合はぬことも多くつて、私には何處まで眞個なのか分らない。
お宮といふ名前も、また初めての時、下田しまと言つた本當の名も、皆その他(ほか)にまだ幾通かある變名(かへな)の中の一つであつた。
「だから故郷(くに)は栃木と言つてるぢやないか。」お宮はうるささうに言つた。
「さうかい。……だつて僕はさう聞かなかつた。何時か、熊本と言つたのは譃か、福岡と言つてゐたこともあつたよ。……それらは皆知つた男の故郷(くに)だらう。」
「そんなことは一々覺えてゐない。……宇都宮が本當さ!」
「何時東京に出て來たの?」
「丁度、あれは日比谷で燒討のあつた時であつたから、私は十五の時だ。下谷に親類があつて、其處に來てゐる頃、そのすぐ近くの家に其男(それ)もゐて、遊びに行つたり來たりしてゐる間に次第にさういふ關係になつたの。」
「その人も學校に行つてゐたんだらうが、その時分何處の學校に行つてゐたんだ?」
「さあ、よく知らないけれど、師範學校とか言つてゐたよ。」
「師範學校?師範學校とは少し變だな。」私は、女がまた出鱈目を云つてゐるのか、それとも、さう思つてゐるのか、と、眞個に敎育の有無(あるなし)をも考へて見た。
「でも師範學校の免狀を見せたよ。」
「免狀を見せた。ぢや高等であつたか尋常であつたか。」
「さあ、そんなことは何方(どちら)であつたか、知らない。」
「その人の國は何處なんだ。年は幾つ?何と言ふの?」
「熊本。……今二十九になるかな。名は吉村定太郎といふの。……それはなか才子なの。」
「ふむ。江馬といふ人と何うだ?」
「さうだなあ、才子といふ點から言へば、それや吉村の方が才子だ。」
「男振は?」
「男は何方(どちら)も好いの。」と、普通(あたりまへ)に言つた。私は、それを聞いて、腹では一寸妬けた。
「何うも御馳走さま!……宮ちやん男を拵へるのが上手と思はれるナ。……そりやまあ、學生と娘と關係するなんか、ザラに世間にあることだから、惡ばかしは言へない。が、其吉村といふ人とそんな仲になつて、それから何ういふ理由(わけ)で、その男を逃げ隱れするやうになつたり、またお前が斯樣(こん)な處に來るやうな破目(はめ)になつたんだ?」私は何處までも優しく尋ねた。
「吉村(それ)も道樂者なの。」と、言ひにくさうに言つた。「あなたさぞ私に愛想が盡きたでせう。」
「ふむ……江馬さんも溫順しい、深切な人であつたが、下宿屋の娘と食付いたし、吉村さんも道樂者。……成程お前が、何時か『男はもう厭!』と言つたのに無理はないかも知れぬ。……私にしたつて、斯うして斯樣(こん)な處に來るのだから矢張り道樂者に違ひない。……が、併しその人は何ういふ道樂者か知らないが、途樂者なら道樂者として置いて、君が斯樣(こん)な處に來た理由(わけ)が分らないな。私には、私だつて、つき合つて見れば、此の土地のゐる女達(ひとたち)も大凡何様(どん)な人柄のくらゐは見當が付く。先達て私の處に初めて寄越した手紙だつて『……多くの人は、妾等の悲境をも知らで、侮蔑を以て能事とする中(うち)に、同情を持つて、その天職とせる文學者に初めて接したる、その刹那の感想は……』――ねえ、ちやんと斯う私は君の手紙を諳記してゐるよ。――その刹那の感想はなんて、あんな手紙を書くのを見ると、何うしても女學生あがりといふ處だ。何うも君の實家(うち)だつて、さう惡い家だとは思はれない、加之(それに)宮ちやんは非常に氣位が高い。随分大勢女もゐるが、皆(みん)な平氣で商賣してゐるのに君は自分が悲境にゐることをよく知つてゐて、それほど侮蔑を苦痛に感じるほど高慢な人が、何うして斯樣な處に來たの?……可笑しぢやないか。えツ宮ちやん?」
けれどもお宮は、それに就いては、唯、人に饒舌らして置くばかりで、默つてゐた。さうして此度は其の男を辯するかのやうに、
「そりや初めはその人の世話にも随分なるにはなつたの。……あなたの處に遣つた、その手紙に書いてゐるやうなことも、私がよく漢語を使ふのも皆其の人が先生のやうに敎育してくれたの。……けれど、學資が來てゐる間はよかつたけれど、その内學校を卒業するでせう。卒業してから學資がぴつたり來なくなつてから困つて了つて、それから何することも出來なくなつたの。」
「だつて可笑しなあ。君がいふやうに、本當に師範學校に行つてゐて卒業したのなら、高等の方だとすると、立派なものだ。そんな人が、何故自分の手を付けた若い娘を終(しまひ)に斯樣な處に來なければならぬやうにするか。……十五で出て來て間もなくといふんだから、男を知つたのもその人が屹度初めだらう?
「えゝ、そりや其の人に處女膜を破られたの。」と、それを取返しの付かぬことに思つてゐるらしい。
「はゝゝゝ。面白いことを言ふねえ。もし尋常師範ならっば、成程國で卒業して、東京に出てから、ぐれるといふこともあるかも知れぬが、今二十九で、五年も前からだといふから、年を積つても可笑しい。師範學校ぢやなからう。……お前の言ふことは何うも分らない。……けれど、まあ其樣(そん)な根掘り葉掘り聞く必要はないわねえ。……で、一昨日(をとゝひ)は何うして此處に來てゐることが分つたの?」
「下谷に知つた家(うち)があつて、其處から一昨日(をとゝひ)は電話が掛かつて、一寸(ちょいと)私に來てくれと言ふから、何かと思つて行くと、其處に吉村が、ちやんと來てゐるの。それを見ると、私ははあツと思つて本當にぞつと了つた。」
「ふむ。それで何うした?」
「私は默(だま)あツてゐてやつた。さうすると、『何うして默つてゐる?お前は非道い奴だ。俺を一體何と思つてゐる?殺して了ふぞ。』と、恐ろしい權幕で言ふから、『何と思つてゐるツて、あなたこそ私を何と思つてゐる?』と私も强く言つてやつた。此方(こちら)でさう言ふと、此度は向から優しく出るの。さうして何卒(どうぞ)これまでのやうになつてくれといふの。……私は、『厭だ!』と言つてやつた。其樣(そん)なことを言ふんなら、私は今此處で本當に殺してくれと言つてやつた。……惡い奴なの。」と、さも惡者のやうに言ふ。
「さういふと、何う言つた?」
「けれども、何うもすることは出來ないの、……元は屢(よ)く私を撲つたもんだが、それでも、此度は餘程弱つてゐると思はれて、何うもしなかつた。」お宮は終(しまひ)を獨語のやうに言つた。
「何うして分つたらうねえ?お前が此處にゐるのが。」
「其處が才子なの。私本當に恐ろしくなるわ。方々探しても、何うしても分らなかつたから、口髭(ひげ)なんか剃つて了つて、一寸(ちょいと)見たくらゐでは見違へるやうにして、私の故郷(くに)に行つたの。さうすると、家の者が、皆口ぢや何處にゐるか知らない、と甘く言つたけれど、田舎者のことだから間が拔けてゐるでせう。すると、誰れも一寸(ちよいと)居ない間に、吉村が狀差しを探し見て、その中に私が此處から遣つた手紙が見付かつたの。よくさう言つてあるのに、本當に田舎者は仕樣がない。」
「ふむ、お前の故郷(くに)まで行つて探した!ぢゃ餘程(よほど)深い仲だなあ。……さうして其の人、今何處にゐるんだ?何をしてゐるの?」
「さあ、何處にゐるか。其樣なこと聞きやしないさ。……それでも私、後で可哀さうになつたから、持つてゐたお錢(あし)を二三圓あつたのを、銀貨入れのまゝそつくり遣つたよ。煙草なんかだつて、惡い煙草を吸つてゐるんだもの。……くれて遣つたよ。私。」と、ホツと息を吐いて、後は萎れて、しばらく默つてゐる。
「身裝(なり)なんか、何樣な風をしてゐる?」
「そりや汚い身裝(なり)をしてゐるさ。」
「どうも私には、まだ十分解らない處があるが、餘程(よつぽど)深い理由(わけ)があるらしい。宮ちやんも少し何うかして上げれば好い。」
「何うかしてあげれば好いつて、何うすることも出來やしない。際限(きり)がないんだもの。」と、お宮は、怒るように言つたが、「私もその人の爲にはこれまで盡せるだけは盡してゐるの。初め此方(こつち)が世話になつたのは、既う夙(とつく)に恩は返してゐる。何倍此方(こつち)が盡してゐるか知れやしない。……つまり自分でも此の頃漸く、私くらゐの女は、何處を探しても無いといふことが分つて來たんでせうと思ふんだ。斯う見えても、私は、本當の心は好いんですから、そりや私くらゐ盡す女は滅多にありやしないもの。……ですから其の人の心も、他(ほか)の者には知れなくつても、私にだけは分ることは、よく分つてゐるの。」と、しんみりとなつた。
「うむ。さうだ。お前の言ふことも、私にはよく分つてゐる。……ぢや二人で餘程(よつぽど)苦勞もしたんだらう。」
「そりや苦勞も随分した。米の一升買ひもするし、私、終(しまひ)には月給取つて働きに出たよ。」
「へえ、そりやえらい。何處に?」
「上野に博覽會のあつた時に、あの日本橋に山本といふ葉茶屋があるでせう。彼處(あすこ)の出店に會計係になつて出るし、それから神保町の東京堂の店員になつて出てゐたこともある。……博覽會に出てゐた時なんか、暑うい時分に、私は朝早くから起きて、時分で御飯を炊いて、私が一日(いちんち)居なくつても好いやうにして出て行く。その後で、晩に遲くなつて歸つて見ると、家では、朝から酒ばツかり飮んで、何(なん)にもしないでゐるんですもの。……」
「酒飮みぢや仕樣がない。……酒亂だな。」
「えゝ酒亂なの、だから私、斯樣(こん)な處にゐても、酒を飮む人は嫌ひ。……湯島天神に家を持つてゐたんですが、和肢、一と頃生傷が絕えたことがなかつた。……そんな風だから、私の方でも、終(しまひ)には、『あゝもう厭だ。』と思つて、何か氣に入らぬことがあると此方(こつち)でも負けずに言ふでせう。さうすると『貴樣俺に向つて何言ふんだ。』と言つて、煙管で撲つ、ビールの空瓶で打(ぶ)つ、煙草盆を投げ付ける。……その煙草盆を投げ付けた時であつた。その時の傷がまだ殘つてゐるんです。此處に小(いさ)い痣が出來てゐるでせう。痣なんか、私にやありやしなかつた。』と、言つて、白い顏の柔和な眉毛の下を遺恨(うらみ)のあるやうに、輕く指尖で抑へて見せた。それは、あるか、無いかの淡靑い痣の痕であつた。
私は默つてお宮の言ふのを聞きながら、靜(ぢつ)と其の姿態(ようす)を見戌つて、成程段々聞いてゐれば、何うも賢い女だ。標致だつて、他人(ひと)には何うだか、自分にはまづ氣に入つた。これが、まだそんな十七や八の若い身で元は皆心がらとはいひながら、男の爲に、眞實(ほんたう)にさういふ所帶の苦勞をしたかと思へば、唯いぢらしくもある。自分で氣にするほどでもないが、痣の痕を見れば、寧(いつ)そ其れがしをらしくも見える。私は「おゝ」と言つて抱いてやりたい氣になつて、
「ふむ……それは感心なことだが、併しそれほど心掛の好い人が何うして、とゞの詰り斯ういふ處へ來るやうになつたんだらうねえ?」
と、またころりと橫になりながら、心からさう思つて、餘りうるさく訊くのも、却つて女の痛心(こゝろ)に對して察しの無いことだから、さも餘處(よそ)の女のことのやうに言つてまたしても斯う尋ねて見た。さうして、つい身につまされて、先刻(さつき)からお宮の話を聞きながらも、私は自分とお前とのことに、また熟々(つく)と思入つてゐた。「お雪の奴、いま頃は何處に何うしてゐるだらう?本當に既(も)う嫁(かたづ)いてゐるか。嫁いてゐなければ好いが、嫁いて居ると思へば心元なくてならぬ。最後(のち)には自分から私(ひと)を振切つて了つたのだ。それを思へば憎い。が、元を思へば、皆(みん)な此方(こちら)が苦勞をさしたからだ。あゝ、惡いことをした。彼女(あれ)も行末は何うなる身の上だらう?淺間しくなつて果てるのではなからうか?」としみと哀れになつて、斯うして靜(ぢつ)としてゐられないやうな氣がして來て、しばらくは、私達が丁度お宮等二人のやうに思はれてゐたが、「いやお雪が、お宮と同じであらう道理が無い。自分がまた吉村であらう筈もない。私に、何うして斯ういふ女を、終(しまひ)に斯樣な處に來なければならぬやうにするやうな、そんな無慘なことが出來よう!」と、私は少しく我れに返つて、
「けれども其の人間も随分非道いねえ。そんなにして何處までも、今まで通りに夫婦(いつしよ)になつてゐてくれといふほどならば、何故、宮ちやんが其樣なにして盡してゐる間(あひだ)に、少しはお前を可愛いとは思はなかつたらうねえ?お前が可愛ければ、自分でも確乎(しつかり)せねばならぬ筈だ。況して自分が初めて手を付けた若い女ぢやないか!」と、人の事を全然(まるで)自分を責めるやうに、さう言つた。
お宮はお宮で、先刻(さつき)から默つて、獨りで自分の事を考へ沈んでゐたやうであつたが、
「ですから私、何度逃げ出したか知れやしない。……その度毎に追掛(おつか)けて來て捉(つかま)へて放さないんだもの……はあツ!一昨日(をとゝひ)からまた其の事で、彼方(あつち)此方(こつち)してゐた。」と、またしても太息(ためいき)ばかり吐いて、屈託し切つてゐる。私には其大學生の江馬と吉村と女との顚末などに就いても、屹度面白い筋があるに違ひない、と、それを探るのを一つは樂しくも思ひながら、種々(いろ)と腹の中で考へて見たが、お宮に對つてはその上强ひては聞かうともしなかつた。唯、「で、一昨日(をとゝひ)は何と言つて別れたの?」と訊ねると、
「まあ二三日(にさんち)考へさしてくれと、可い加減なことを言つて歸つて來た。……ですから、何うしたら好いか、あなたに智慧を借りれば好いの。……」と、其の事に種々(いろ)心を碎いてゐる所為(せゐ)かそれとも、唯私に對してさう言つて見ただけなのか、腹から出たとも口前(くちさき)から出たとも分らないやうな調子で言ふから、
「……智慧を借りるツたつて、別に好い智慧もないが、ぢや私が何処かへ隱して上げようか。」
と、女の思惑を察して私も唯一口さう言つて見たが、此方(こちら)からさう言ふと、女は、
「否(いや)!何うしても駄目!」と頭振(かぶり)を掉つた。
「ぢや仕樣がな。よく自分で考へるさ。……あゝ遲くなつた。もう寢よう。君も寢たまへ。」と、言ひながら、私は欠伸を嚙み殺した。
「えゝ。」と、お宮は氣の拔けたやうな返事をして、それから五分間ばかりして、
「あなたねえ。濟みませんが、今晩私を此のまゝ靜(そう)ツと寢かして下さい。一昨日(をとゝひ)から何處の座敷に行つても、私身體の鹽梅が惡いからツて、皆(みん)な、さう言つて斷つてゐるの……明日の朝ねえ……はあツ神經衰弱になつて了ふ。」と萎(な)えたやうに言つて、橫になつたかと、思ふと、此方(こちら)に背を向けて、襟に顏を隱して了つた。さうして夜具の中から「あゝ、あなた本當に濟みませんが、電燈を一寸(ちよいと)捻つて下さい。」
「あゝ。よくお寢!」
と、私は立つて電燈を消したが、頭の心(しん)が冴えて了つて眠られない。
また立つて明るくして見た。お宮は眠つた眼を眩しさうに細く可愛く開(あ)いて見て、口の中(うち)で何かむにや言ひながら、一旦上に向けた顏を、またくるりと枕に伏せた。私は此度は幕で火影(ほかげ)を包んで置いて、それから腹這ひになつて、煙草を一本摘んだ。それが盡きると、また立ち上つて暗くした。お宮は軈てぐつすり寢入つたらしい。……私は夜明けまで遂々(とう)熟睡しなかつた。翌朝(あくるあさ)、お宮は、
「精神的に接するわ。」と、一つは神經の疲れてゐた所為(せゐ)もあつたらうが、ひどく身體を使つた。
「ぢや、これツ切り最う會へないねえ。何だか殘り惜しいなあ。お別れに飯でも食べよう。……何が好いか?……かしはにしようか。」と、私は手を鳴して朝飯(めし)を誂へた。
お宮は所在なささうに、
「あなた、私に詩を敎へて下さい。私詩が好きよツ。」と、言つて自分で賴山陽の「雲乎山乎」を低聲で興の無ささうに口ずさんでゐる。
その顏を、凝乎(ぢつ)と見ると、種々(いろん)な苦勞をするか、今朝はひどく面窶れがして、先刻(さつき)洗つて來た、昨夕(ゆうべ)の白粉の痕が靑く斑點(ぶち)になつて見える。「……萬里泊舟天草灘(ばんりふねをはくすあまくさのなだ)……」と唯口の前(さき)だけ聲を出して、大きく動かしてゐる下腮の骨が角張つて突き出てゐる。斯うして見れば年も三つ四つ老けて案外、さう標致も好くないなあ!と思つた。
「ねえ!敎へて下さい。」
と、いふから、「ぢや好のを敎へよう。」と氣は進まないながら、自分の好きな張若虚の「春江花月夜(しゆんかうくわげつのよ」を敎へて遣つた。「これに書いて意味を敎へて下さい。」といふから卷紙に記して、講釋をして聞かせて遣つた。「……昨夜間潭夢落花(さくやかんたんらくくわをゆめむ)。可憐春半不還家(あはれむべししゆんぱんいへにかへらず)。江水流春去欲盡(かうすゐりうしゆんさつてつきんとほつす)。……」といふ邊(あたり)は私だけは大いに心遣りのつもりがあつた。
飯は濟んだが、私はまだ女を歸したくなかつた。
お宮は、心は何處を彷徨(うろつ)いてゐるのか分らないやうに、懷手をして、呆然(ぼんやり)窓の處に立つて、つま先きで足拍子を取りながら、何かフイ口の中で言つて、目的(あて)もなく戸外(そと)を眺めなどしてゐる。
「あなた。一寸々々(ちよいと)。」
と、いふから、「えツ何?」と、立つて、其處に行つて見ると、
「あれ、子供が體操の眞似をしてゐる。……見てゐると面白いよ。」と、水天宮の裏門で子供の遊んでゐるのを面白がつてゐる。
私は、「何だ!昨夜(ゆうべ)はあんな思ひ詰めたやうなことを言つて、今朝の此のフハとした風は?……」と元の座に戾りながら、不思議に思つて、またしても女の態度(やうす)を見戍つた。
すると、女は、フツと此方(こちら)を振向いて、窓の處から傍に寄つて來ながら、
「あなた、妾を棄てない?……棄てないで下さり!」と、言葉に力は入つてゐるが、それもまた口の前(さき)から出るのやら、腹の底から出たのやら分らぬやうな調子で言つた。
「あゝ。」と、私もそれに應ずるやうに返事した。
「ぢや屹度棄てない?……屹度?」重ねて言つた。
さう言はれると、此方(こつち)もつい釣込まれて、
「あゝ屹度棄てやしないよ。…・・・僕より君の方が棄てないか?」と、言つたが、眞實(ほんたう)に腹から「棄てないで下さい!」と言ふのならば、思ひ切つて、何うかして下さい、とでも、も少し打明けて相談をし掛けないのであらうと、それを効なく思つてゐた。
さういふと、女は默つてゐた。また以前(もと)の通り何處に心があるのやら分らなかつた。するとまた暫く經つて、「定つたらあなたに手紙を上げますから、さうしたら何うかして下さいな。」とさう言ふ。此度は此方(こつち)で「うむ!」と氣のない返事をした。
戸外(そと)は日が明るく照つて、近所から、チーンチーンと鍛冶の槌の音が强く耳に響いて來る。何處か少し遠い處で地(ち)を搖(ゆす)るやうな機械の音がする。今朝は何だか濕りつ氣がない。
勘定が大分嵩んだらう。……斯う長く居るつもりではなかつたから、固より持合せは少かつた。私は突然(だしぬけ)に好い夢を破られた失望の感と共に、少しでも勘定が不足になるのが氣になつて、さうしてゐながらも、些とも面白くなかつた。私にはまだ自分で待合で勘定を借りた經験がなかつた。お宮を早く歸せば錢(かね)も嵩まないと分つてゐたが、それは出來なかつた。又假令これ限(き)りお宮を見なくなるにしてもお宮のゐる前で勘定の不足をするのは尚ほ堪へられなかつた。さう思つて先刻(さつき)から、一人で神經を惱ましてゐたが、ふつと、今日は、長田(をさだ)が社に出る日だ、彼處(あすこ)に使ひを遣つて、今日は最う十七日だから、今月書いた今までの分を借りよう。――それはお前も知つてゐる通りに、始終(しよつちう)行(や)つてゐたことだ。――と、さう氣が付いて、手紙の裏には「牛込區喜久井町、雪岡」と書いて車夫(つかひ)に、彼方(あちら)に行つてから、若しも何處から來たと聞かれても、牛込から來た、と言はしてくれと女中に賴んだ。
暫時(しばらく)して車夫(つかひ)は歸つて來たが、急いで封を切つて見ると、錢(かね)は入つてゐなくつて唯、
「主筆も編輯長もまだ出社せねば、その金は渡すこと相成りがたく候。」
と、長田の例(いつも)の亂筆で、汚い新聞社の原稿紙に、いかにも素氣(そつけ)なく書いてある。私は、それを見ると、錢(かね)の入つてゐない失望と同時に「はつ」と胸を打たれた。成程使者(つかひ)が丁度向に行つた頃が十二時時分であつたらうから、主筆も編輯長もまだ出社せぬといふのは、さうであらう。が、「その金は渡すこと相成り難く候。」とあるのは可怪(をかし)い。長田の編輯してゐる日曜附錄に、つまらぬことを書かして貰つて僅かばかりの原稿料を、併も錢(かね)に困つて、一度に、月末まで待てないで、二度に割いたりなどして受取つてゐるのだが、分けても此の頃は種々(いろん)なことが心の面白くないことばかりで、それすら碌々に書いてもゐない。けれども前借(ぜんしやく)をと言へば、假(よ)し自分が出社せぬ日であつても、これまで何時も主筆か編輯長に當てゝ幾許(いくら)の錢(かね)を雪岡に渡すやうに、と、長田(をさだ)の手紙を持つさへ行けば、私に直ぐ受取れるやうに、兎に角氣輕にしてくれてゐる。然るに、假令錢(かね)は渡せない分とも、その錢(かね)は渡すことならぬ、といふその錢(かね)は、何ういふつもりで書いたのだらう?自分は平常(ふだん)懶惰者(なまけもの)で通つてゐる。お雪を初めその母親(おや)や兄すらも、最初こそ二足も三足も讓つてゐたのもだが、それすら後には向からあの通り遂々(とう)愛想を盡かして了つた。幾許自分にしても傍(はた)で見てゐるやうに理由(わけ)もなく、只々懶けるのでもないが、成程懶けてゐるに違ひない。長田は國も同じければ、學校長も同時に出、また爲てゐる職業も略ぼ似てゐる。それ故此の東京にゐる知人の仲でも長田は最も古い知人で、自分の古い頃のことから、つい近頃のことまで、長田が自分で觀、また此方(こちら)から一寸々々(ちよい)話しただけのことは知つてゐる。長田の心では雪岡はまた女に凝つてゐる、あの通り、長い間一緒にゐたんなとも有耶無耶に別れて了つて、段々詰らん坊になり下つてゐる癖に、またしても、女道樂でもあるまい、と、少しは見せしめの爲にその錢(かね)は渡すこと相ならぬ、といふ積りなのであらうか。それならば難有い譯だ。が、否(いな)!あの人間の平常(ふだん)から考へて見ても、他人(ひと)の事に立入つた忠告がましいことや、口を利いたりなどする長田ではない。して見れば、此の、その錢(かね)は渡されぬといふ簡單な文句には、あの先達ての樣子といひ、長田の性質が歷然(あり)とでてゐる。これまでとても、随分向側に廻つて、小蔭から種々(いろん)な事を、ちびりちびり邪魔をされたのが、あれにあれに、あれと眼に見えるやうに心に殘つてゐる。此度はまた淫賣のことで祟られるかな、と平常(ふだん)は忘れてゐる、其樣(そん)なことが一時に念頭に上つて自分をば取着く島もなく突き離されたその上に、まだ石を打付(ぶツつ)けられるかと、犇々と感じながら、
「ふむ。」と、獨り肯き唯それだけの手紙を私はお宮が、
「それは何?」
と、終(しまひ)に怪しんで問ふまで、長い間、默つて凝視(みつ)めてゐた。それ故文句も、一字一句覺えてゐる。
お宮にさう言はれて、漸と我れに返つて、「うむ。何でもないさ!」と言つて置いて、早速降りて行つて、女中を小蔭に呼んで譯を離すと、女中は忽ち厭(いや)あな顏をして、
「そりや困りますねえ。手前共では、もう何方(どなた)にも、一切さういふことは、しないやうにして居るんですが、萬一さういふことがあつた場合には、私共女中がお立て換へをせねばならぬことになつて居るんですから。ですから其の時は時計か何か持つてお出になる品物でも一時お預りして置くやうにして居りますが。」と、言ひにくさうに言ふ。ぢや、古い外套(とんび)だが、あれでも置いとかう、と、私が座敷に戾つて來ると、神經質のお宮は、もう感付いたか、些(ちよい)と顏を靑くして、心配さうに、
「何事(なに)?……何うしたの?……何うしたの?」と、氣にして聞く。私は失敗(しくじ)つた!と、穴にも入りたい心地を力めて隱して、
「否(う)む!ナニ。何でもないよ。」と言つてゐると、階下(した)から、
「宮ちやん!宮ちやん!」と口早に呼ぶ。
お宮は「えツ?」と降りて行つたが、直ぐ上つて來て、默つて坐つた。
「ぢや、もうお歸り。」と、いふと、
「さうですか。ぢやもう歸りますから……種々(いろ)御迷惑を掛けました。」と、尋常に挨拶をして歸つて行つた。
その後(あと)から、直ぐ此度は、若い三十七八の他(ほか)の女中が、入り交(かは)りに上つて來て、
「本當にお氣の毒さまですねえ。手前共では、もう一切さういふことはしないことにして居りますから、どうぞ惡からず思召してねえ。……あの長田(をさだ)さんにも随分長い間、御贔屓にして戴いて居りますけれど、あの方も本當にお堅い方で。長田さんにすら、もう一度も其樣なことはございませんのですから。……況してあなたは長田さんのお友達とは承知して居りますけれどついまだ昨今のことでございますし。」
と、さも氣の毒さうな顏をして、黄色い聲で口先で世辭とも何とも付かぬことを言ひながら追立てるやうに、其處等のものを片端(かたつぱし)からさつさつと形付け始めた。
「えゝ、ナニ。そりやさうですとも。私の方が濟まないんです。私は今まで其樣な處で借りを拵へた覺えがないもんですから、それが極り惡いんです。」と、心の千分の一を言葉に出して恥辱を自分で間切らした。
「あれ!極りが惡いなんて。些(ちつ)ともそんな御心配はありませんわ。ナニ、斯樣(こん)な失體なことを申すのぢやございませんのですけれどねえ。」と、少し低聲(こごゑ)になつた眞似をして、「帳場が、また惡く八ヶ間敷いんですから、私なんか全く困るんですよ。……時々斯うして、お客樣に、女中がお氣の毒な目をお掛け申して。」
「全く貴女(あなた)方にはお氣の毒ですよ。……いや、何うも長居をして濟みませんでした。」と、私はそんなことを言ひながらも、
「あの女は、もうゐなくなるさうですねえ。……自分ぢや、つい此の間出たばかりだ、と言つてゐたが、そんなことはないでせう。」と聞くと、
「えゝ居なくなるなんて、ことは、まだ聞きませんが、随分前からですよ。此度戾つて來たのは、つい此間ですけれど、初めて出てから、もう餘程になりますよ。」
と、言ふ。私は、「彼女(あいつ)め!何處まで譃を吐くか。」と思つて、ます心に描(か)いた女の箔が褪めた思ひがした。
私は、あの古い外套(とんび)を形(かた)に置いて、櫻木の入口を出たが、それでも、其れも着てゐれば目に立たぬが、下には、あの、もう袖口も何處も切れた、剝げちよろけの古い米澤琉球の羽織に、着物は例の、燒けて焦茶色になつた秩父銘仙の綿入れを着て、堅く腕組みをしながら玄關を下りた時の心持は、吾ながら、自分の見下げ果てた狀態(ざま)が、歷々(あり)と映るやうで、思ひ做しばかりではない、女中の「左様なら!どうぞお近い内に!」といふ送り出す聲は、背後(うしろ)から冷水(ひやみづ)を浴せ掛けられてゐるやうであつた。
昨夜(ゆうべ)は、お宮の來るのが、遲いので、女中が氣にして時々顏を出しては、「……いえ。あの娘(こ)のゐる家は、恐ろしい慾張りなもんですから、一寸でも時間があると、御座敷へ出さすものですから、それで斯う遲くなるのです。……本當にお氣の毒さまねえ。でも、もう追付け參りませうから。」と詫びながら柔かいお召のどてらなどを持つて來て貸してくれた。私はそれを、悠然と着込んで待つゐたのだが、用事(よう)のある者は、皆(みん)な、それ忙(いそが)しさうにしてゐる時分に、日の射してゐる中を、昨夜(ゆうべ)に變る、今朝の此の姿は、色男の器量を瞬く間(ま)に下げて了つたやうで、音も響も耳に入らず、眼に付くものも眼に入らず、消え入るやうに、勢(せい)も力もなく電車に乘つたが、私は切符を買ふのも氣が進まなかつた。
喜久井町の自家(うち)に戾ると、もう彼れ是れ二時を過ぎてゐた。さて詰らなささうに戾つて見れば、家(うち)の中は今更に、水の退(ひ)いた跡のやうで、何(なん)の氣(け)もしない。何處か、其處らに執り着く物でもゐるのではないかと思はれるやうに、またぞつと寂しさが募る。私は、落ちるやうに机の前に尻を置いて、「ほうツ」と、一つ太息(ためいき)を吐いて、見るともなく眼を遣ると、もう幾日(いくか)も形付けをせぬ机の上は、塵埃(ほこり)だらけな種々(いろん)なものが、重なり放題重なつて、何處から手の付けやうもない。それを見ると、また續けて太息(ためいき)が出る。「あゝ!」と思ひながら、脇を向いて、此度は、背を凹ますやうに捻じぢまげて何氣なく、奥の六疊の方を振返ると、あの薄暗い壁際に、矢張り前の簞笥がある。其れには平常(いつも)の通り、用簞笥だの、針箱などが重ねてあつて、その上には、何時からか長いこと、桃色甲斐絹の裏の付いた絲織の、古うい前掛に包んだ火熨斗が吊してある。「あの前掛は大方十年も前に締めたのであらう!」と思ひながら私は、あの暗い天井の隅々を、一遍ぐるりツと見廻した。さうして、また簞笥の方に氣が付くと、あの抽斗も、下の方の、お前の僅ばかりの物で、重(おも)なるものの入つてゐさうな處は、最初(はじめ)から錠を下してあつたが、でも上の二つは、――私の物も少しは入つてゐるし、――何か知ら、種々(いろん)なものがあつて、錠も下さないのであつたが、婆さんがしたのか、誰れがしたのか、何時の間にかお前の物は、餘處々々(よそ)しく、他(ほか)へ入れ換へて了つて、今では唯(たつた)上の一つが、抽(ぬ)き差し出來るだけで、それには私の單衣(ひとへ)が二三枚あるばかりだ。……「一體何處に何うしてゐるんだらう?」と、また暫時(しばら)く其樣(そん)なことを思ひ沈んでゐたが、……お宮も何處かへ行つて了ふと、言ふ。加之(それに)今朝のことを思うひ出せば、遠く離れた此處に斯うしてゐても、何と言ふに言へない失態(ぶざま)が未だに身に付き纏うてゐるやうで、唯あの土地を、思つても厭な心持がする。ナニ糞!と思つて了へば好いのだが、さう思へないのは矢張りお宮には心が殘るのであらう。と、ふつと自分が可笑くもなつて、獨り笑ひをした。
後はまた、それからそれへと種々(いろん)なことを取留めもなく考へながら、呆然(ぼんやり)緣側に立つて、遠くの方を見ると、晩秋(あき)の空は見上げるやうに高く、清浄(きれい)に晴れ渡つて、世間が靜かで、冷(ひい)やりと、自然(ひとりで)に好い氣持がして來る。向の高臺の上の方に、何處かの工場(こうぢよう)の烟であらう?緩く立迷つてゐる。
それ等を見るともなく見ると、私は、あゝ、自分は秋が好きであつた。誰れに向つても、自分は秋が好きだ、と言つて、秋をば自分の時節が囘(めぐ)つて來たやうに、その靜かなのを却つて樂しく賑かなものに思つてゐたのだが、此の四五年らいといふもの、年一年と何(ど)の年を考へ出して見ても樂しい筈であつた其の秋の樂しかつたことがない。毎年(いつ)も唯そはと、心ばかり急がしさうにしてゐる間(ま)に經つて了ふ。分けて此の秋くらゐ、斯うして斯樣(こん)なに寂しい思ひのするのは、初めて覺えることだ。何よりも一つは年齡(とし)の所爲(せゐ)かも知れぬ。白髪(しらが)さへ頻りに眼に付いて事物(もの)が、何も彼も大抵興が醒めたやうな心持がする。――昨夕(ゆうべ)のお宮の丁度それだ。ああいふ境遇にゐる女性(をんな)だから、何うせ清浄(きれい)なものであらう筈も無いのだが、何につけ事物(もの)を善く美しう、眞個(ほんと)のやうに思ひ込み勝ちな自分は、あのお宮が最初からさう思はれてならなかつた。すると昨夕(ゆうべ)から今朝にかけて美しいお宮が普通(あたりまへ)な淫賣(をんな)になつて了つた。口の利きやうからして次第に粗末(ぞんざい)な口を利いた。自分の思つてゐたお宮が今更に懐かしい――。が、あのお宮は眞實(ほんたう)に去(い)つて了ふか知らん?――自分は何うも夢を眞實(ほんたう)と思ひ込む性癖(くせ)がある。それをお雪は屢々言つて、「あなたは空想家だ。小栗風葉の書いた欽哉にそつくりだ。」と、戯談(からか)ふやうに「欽哉々々。」と言つては、「そんな目算(あて)も無いことばかり考へてゐないで、もつと手近なことを、さつと爲(な)さいな!」と、たしなめたしなめした。本當に、自分は、今に、もつと良いことがある、今に、もつと良いことがある、と夢ばかり見てゐた。けれども、私を空想家だ空想家だと言つた、あのお雪が矢張り空想勝ちな人間であつた。「今にあなたが良くなるだらう、今に良くなるだらう、と思つてゐても何時まで經つても良くならないんだもの。」と、あの晩彼女(あれ)が言つたことは、自分でも熟々(つく)とさう思つたからであらうが、私には、あゝ言つたあの調子が悲哀(みじめ)なやうに思はれて、何時までも忘れられない。彼女(あれ)も私と一緒に、自分の福運(うん)を只夢見てゐたのだ。私は遂々(とう)其の夢を本當にしてやることが出來なかつた。七年の長い間のことを、今では、さも、詰らない夢を見て年齢ばかり取つて了つた、と、恨んで居るであらう。年々(ねん)ひどく顏の皺を氣にしては、
「私の眼の下の此の皺は、あなたが拵へたのだ。私は此の皺だけは恨みがある。……これは、あの音羽にゐた時分に、あんまり貧乏の苦勞をさせられたお蔭で出來たんだ。」
と、二三年來、鏡を見ると、時々それを言つてゐた。……そんなことを思ひながら、フツと庭に目を遣ると、杉垣の傍の、笹混りの草の葉が、既(も)う紅葉(もみぢ)するのは、して、何時か末枯(すが)れて了つてゐる中に、ひよろツと、身長(せい)ばかり伸びて、勢(せい)の無いコスモスが三四本わびしさうに咲き遲れてゐる。
これは此の六月の初めに、遂々(とう)話が着いて、彼女(あれ)が後(あと)の女中の心配までして置いて、あの關口臺町から此家(こゝ)へ歸つて來る時分に、彼家(あすこ)の庭によく育つてゐたのを、
「あなた、あのコスモスを少し持つて行きますよ。自家(うち)の庭に植ゑるんですから。」と、それでも樂しさうに言つて、簞笥や蒲團の包みと一緒に荷車に載せて持つて戾つたのだが、誰れが植ゑたか、投げ植ゑるやうにしてあるのが、今時分になつて、漸(や)う數へるほどの花が白く開いてゐる。
あゝ、さう思へば、あの戸袋の下の、壁際のある秋海宲も、あの時持つて來たのであつた。先達て中(ぢう)始終(しよつちう)秋雨(あめ)の降り朽ちてゐるのに、後から後からと蕾を付けて、根(こん)好く咲いてゐるな、と思つて、折々眼に付く度に、さう思つてゐたが、其れは既(も)う咲き止んだ。
六月、七月、八月、九月、十月、十一月と、丁度半歳になる。あの後(あと)、何うも不自由で仕方が無い。夏は何うせ東京には居られないのだから、旅行(たび)をするまでと、言つて、また後を追うて此家(ここ)に暫時(しばらく)一緒になつて、それから、七月の十八日であつた。いよ箱根に二月ばかし行く。それが最後の別れだ、と言つて、立つ前の朝、一緒に出て、二人の白單衣(しろかたびら)を買つた。それを着て行かれるやうに、丁度盆時分からかけて暑い中を、私は早く寢て了つたが、獨り徹夜をして縫ひ上げて、自分の敷蒲團の下に敷いて寢て、敷伸(しきの)しをしてくれた。朝、眼を覺して見ると、もう自分は起きてゐて、まだ寢衣のまゝ、詰らなさうに、考へ込んだ顏をして、靜(ぢつ)と默つて煙草を吸つてゐた。もう年が年でもあるし、小柄な、痩せた、標致(きりやう)も、よくない女であつたが、あゝ、それを思ふと、一層みじめなやうな氣がする。それから新橋まで私を送つて、暫時汽車の窓の外に立つてゐたが、別に話すこともなかつた。私の方でも口を利くのも怠儀であつた。
「斯うしてゐても際限(きり)がないから、……私、最早(もう)歸りますよ。ぢやこれで一生會ひません。」と、傍(あたり)を憚るやうに、低聲(こごゑ)で强ひて笑ふやうにして言つた。
私は「うむ!」と、唯一口、酒肴くのやら、頭振(かぶり)を掉(ふ)るのやら自分でも分らないやうに言つた。
それから汽車に乘つてゐる間、窓の枠に頭を凭して、乘客(ひと)の顏の見えない方ばかりに眼をやつて靜(ぢつ)と思ひに耽つてゐた。――彼地(あちら)に行つても面白くないから、それで、またしても戾つて來たのだが、斯うしてゐても、あの年齢(とし)を取つた、血氣(ちのけ)のない、悧巧さうな顏が、明白(あり)と眼に見える。……あれから、あゝして、あゝしてゐる間(ま)に秋海宲も咲き、コスモスも咲いて、日は流れるやうに經つて了つた。……
それにしても、胸に納まらぬのは、あの長田(をさだ)の手紙の文句だ。歸途(かへり)に電車の中でも、勢ひその事ばかりが考へられたが、此度のお宮に就いては、惡戯ぢやない嫉妬(やきもち)だ。洒落た唯の悪戯は長田のしさうなことではない。……碌に錢(かね)も持たないで長居をするなどは、誰れに話したつて、自分が惡い。それに就いて人は怨まれぬ。が、あの手紙を書いた長田の心持は、忌々しさに、打壊(ぶちこは)しをやるに違ひない。何ういふ心であるか、餘處ながら見て置かねばならぬ。もし間違つて、此方(こちら)の察した通りでなかつたならば、其れこそ幸ひだが。それにしても、他人(ひと)との間に些(ちよつ)とでも荒立つた氣持でゐるのは、自分には斯う靜(ぢつ)と獨りでゐても、耐(こら)へられない。兎に角行つて樣子を見よう。自家(うち)にゐても何だか心が落着かぬ。
と、また出て長田の處へ行つた。
長田は、もう一と月も前(さき)から、目白坂の、あの、水田の居たあとの、二階のある家(うち)に越して來てゐたから、行くには近かつた。――長田と言ふに及ばず、その水田でも前に言つた△△新聞社の上田でも、村田でも、其の他(ほか)これから後で名をいふ人達も、凡てお前の一寸でも知つてゐる人ばかりだ。――
長田は、丁度居たが、二階に上つて行くと、平常(いつも)は大抵此方(こちら)から何か知ら、初め口を利くのが、その時は、長田(をさだ)に似ず、何か自分で氣の濟まぬことでも、私に仕向けたのを笑ひで間切らすやうに、些(ちよつ)と顏に愛嬌をして、
「今日も少し使者(つかひ)の來るのが遲かつたら、好かつたんだが……明日(あす)でも自分で社に行くと可い。」と言ふ。
「うむ。なに、一寸相變らずまた小遣が無くなつたもんだから。」と、私は、何時も屢(よ)くいふ通りに言つて、何氣なく笑つてゐた。すると、長田は、意地惡さうな顏をして、
「他人(ひと)が使ふ錢(かね)だから、そりや何に使つても可い理由(わけ)なんだ。……何に使つても可い理由(わけ)なんだ。」と、私に向つて言ふよりも、自分の何か、胸に潜んでゐることに向つて言つてゐるやうに、輕く首肯きながら言つた。
私は、「妙なことを言ふ。ぢや確適(てつきり)と此方(こちら)で想像した通りであつた。」と腹で肯いた。が、それにしても、彼樣(あん)なことをいふ處を見れば、今朝の使者(つかひ)が何處から行つたといふことを長田のことだから、最う見拔いてゐるのではなからうか、とも思ひながら、俺が道樂に錢(かね)を遣ふことに就いて言つてゐるのだらう。それは飮み込んでゐる、といふやうに、
「はゝゝ。」と私は抑へた笑ひ方をして、それに無言の答へをしてゐた。けれども何處から使者(つかひ)が行つたかは氣が付いてゐないらしい。
けれども、お宮はあの通り隱れると言つたから、本當にゐなくなるかも知れぬ。若し矢張りゐるにしても、ゐなくなると言つて置いた方が事がなくつて好い。無殘々々(むざ)と人に話すには、惜(おし)いやうな昨夕(ゆうべ)であつたが、寧(いつ)そ長田(をさだ)に話して了つて、岡嫉きの氣持を和がした方が可い。と私は即座に決心して、
「例のは、もう居なくなるよ。二三日(にさんち)あと一寸(ちょいと)行つたが、彼女(あれ)には惡い情夫(をとこ)が付いてゐる。初め大學生の處に嫁に行つてゐたなんて言つてゐたが、まさか其樣な事は無いだらうと思つうてゐたが、その通りだつた。その男を去年の十二月から、つい此間(こなひだ)まで隱れてゐたんだが、其奴(そいつ)がまた探しあてて來たから二三日(にさんち)中(ちう)にまた何處かへ隱れねばならぬ、と言つて記念に持つてゐてくれつて僕に古臭いしごきなんかをくれたりした。……少しの間面白い夢を見たが、最早(もう)覺めた。あゝ!あゝ!もう行かない。」
笑ひ、さう言ふと、長田は興ありさうに聞いてゐたが、居なくなると言つたので初めて、稍同情したらしい笑顏(ゑがほ)になつて、私の顏を珍らしく優しく見戍りながら、
「本當に、一寸(ちよいと)だつたなあ。……さういふやうなのが果敢(はかな)き緣(えにし)といふのだなあ!」
と、私の心を咏歎するやうに言つた。私もそれにつれて、少しじめした心地になつて、唯、「うむ!」と言つてゐると、
「本當にゐなくなるか知らん?さういふやうな奴は屢(よ)くあるんだが、其樣なことを言つても、なか急に何處へも行きやしないつて。……さうかと思つてゐると、まだ居ると思つた奴が、此度行つて見ると、もうゐなくなつてゐる、なんて言ふことは屢(よ)くあることなんだから。」と、長田は自分の從來(これまで)の經驗から割り出したことは確だと、いふやうに一寸首を傾けて、キツとした顏をしながら半分は獨言のやうに言つた。
私は、凝乎(ぢつ)と、その言葉を聞きながら顏色を見てゐると、
「その内是非一つ行つて見てやらう。」といふ心が歷々(あり)と見える。
「或はさうかも知れない。」と私はそれに應じて答へた。
暫時そんなことを話してゐたが、長田は忙(いそが)しさうであつたから、早く出て戾つた。
自家(うち)に戾ると、日の短い最中だから、四時頃からもう暗くなつたが、何をする氣にもなれず、また矢張り机に凭つて掌に額を支へたまゝ靜(ぢつ)としてゐると、段々氣が滅入り込むやうで、何か確乎(しつかり)としたものにでも執り付いてゐなければ、何處かへ奪(さら)はれて行きさうだ。さうして薄暗くなつて行く室(へや)の中では、頭の中に、お宮の、初めて逢つた晩のあの驚くやうに長く續いた痙攣。深夜(よふけ)の朧に霞んだ電燈の微光(うすあかり)の下(もと)に惜氣もなく露出して、任せた柔い眞白な胸もと。それから今朝「精神的に接するわ」と言つた、あの時のこと、その他(ほか)折によつて、種々(いろ)に變つて、此方(こちら)の眼に映つた眉毛、目元口付、むつちりとした白い掌先(てさき)、くゝれの出來た手首などが明歷(あり)と浮き上つて忘れられない。……それが最早(もう)居なくなつて了ふのだと思ふと、尚ほ明らかに眼に殘る。
私は、何うかして、此の寂しく廢れたやうな心持を、少しでも陽氣に引立てる工夫はないものか、と考へながら何の氣なく、其處にあつた新聞を取上げて見てゐると、有樂座で今晩丁度呂昇の「新口村(にのくちむら)」がある。これは好いものがある。これなりと聞きに行かう、と、八時を過ぎてから出掛けた。
さういふやうにして、お宮に夢中になつてゐたから、勝手に付けては、殆ど毎日のやうに行つてゐた矢來の婆さんの家(ところ)へは此の十日ばかりといふもの、パツタリと忘れたやうに、足踏みしなかつたが、お宮がゐなくなつて見ると、また矢張り婆さんの家(ところ)が戀しくなつて、久振りに行つて見た。婆さんは何時も根好く狀袋を張つてゐたが、例(いつも)の優しい聲で、
「おや、雪岡さん、何うなさいました?此の頃はチツトもお顏をお見せなさいませんなあ。何處かお加減でも惡いのかと思つて、をばさんは心配してゐましたよ。」と言ひながら、眼鏡越しに私を見戍つて、「雪岡さん、頭髪(かみ)なんかつんで、大層綺麗におめかしして。」と、尚ほ私の方を見て微笑(わら)つてゐる。
「えゝ暫時御無沙汰をしてゐました。」
と言つてゐると、
「雪岡さん。あなた既う好い情婦(をんな)が出來たんですつてねえ。大層早く拵へてねえ。」と、あの婆さんのことだから、言葉に情愛を付けて面白く言ふ。私は、ハテ不思議だ、屹度お宮のことを言ふのだらうが、何うしてそれが瞬く間に此の婆さんの家(ところ)にまで分つたらうか、と思つて、首を傾けながら、
「えゝ、少しやそれに似たこともあつたんですが、何うして、それがをばさんに分つて?」
「ですから惡いことは出來ませんよ。……チヤンと私には分つてますよ。」
「へえ!不思議ですねえ。」
「不思議でせう。……此の間お雪さんが柳町へ來た序に、また一寸寄つた、と言つて、私の家(ところ)へ來て、『まあ、をばさん。聞いて下さい。雪岡は何うでせう、既う情婦(をんな)を拵へてよ。矢張りまた前年(いつか)のやうに濵町から蠣殻町らしいの。……あの人は三十を過ぎてから覺えた道樂だから、もう一生止まない。だから愛想が盡きて了ふ。』ツて、お雪さんが自分でさう言つてゐました。……雪岡さん、本當に惡いことは言はないから淫賣婦(いんばい)なんかお止しなさい。あなたの男が下るばかりだから」と思ひ掛けもないことを言ふ。
「へーえツ……驚いたねえ!お雪が、さう言つた。不思議だ!譃だらう。をばさん可い加減なことを言つてゐるんでせう。お雪が其樣なことを知つてゐる理由(わけ)がないもの。」
「不思議でせう!……あなた此の頃、頭髪(あたま)に付ける香油(あぶら)かなんか買つて來たでせう。ちやんと机の上に瓶が置いてあるといふではありまえんか。さうして鏡を見ては頭髪を梳(と)いてゐるでせう。」婆さんは、若い者と違つて、別段冷かすなどといふ風もなく、さういふことにも言ひ馴れた、といふ風に、初めから終(しまひ)まで同じやうな句調で、落着き拂つて、柔らかに言ふ。
「へーえツ!其樣なことまで!何うしてそれが分つたでせう?」
「それから女の處から屢(よ)く手紙が來るといふではありませんか。」
「へツ!手紙の來ることまで!」
私は本當に呆れて了つた。さうして自然(ひとりで)に頭部(あたま)に手を遣りながら、「氣味が惡いなあ!お雪の奴、來て見てゐたんだらうか。……彼奴(あいつ)屹度來て見たに違ひ無い。」
「否(いや)、お雪さんは行きやしないが、お母(つか)さんが、お雪さんの處へ行つて、さう言つたんでせう。……さうして此の頃何だか、ひどくソハして、一寸々々(ちょい)泊つても來るつて。歸ると思つて、戸を締めないで置くもんだから不用心で仕樣が無いつて。」
「へーえツ!あの婆さんが、さう言つた。譃だ!年寄に其樣なことが、一々分る道理(わけ)が無いもの。」
「それでも、お母(つか)さんが、さう言つたつて。お母(つか)さんですよ。違やあしませんよ。……あれで矢張し吾が娘(こ)が關したことだから、幾許(いくら)年を取つてゐても、氣に掛けてゐるんでせうよ、……何うしても雪岡といふ人は駄目だから、お前も、もう其の積りでゐるが好いつて、お雪さんに、さう言つてゐたさうですよ。」
「へーえツ!さうですかなあ!本當に濟まないなあ!」私は眞(しん)から濟まないと思つた。
「ですからお雪さんだつて、あなたの動靜(やうす)を遠くから、あゝして見てゐるんですよ。嫁いてなんかゐやしませんよ。」
「さうでせうか?」
「さうですよ。それに違ひありませんよ……此の間も私の話を聞いて、お雪さん、獨りで大層笑つてゐましたつけ……私が、『お雪さん、雪岡がねえ。時々私の家(ところ)へ來ては、婆やのやうに、をばさんと、くさやで、お茶漬を一杯呼んで下さいと言つて、自家(うち)に無ければ、自分で買つて來て、それを私には出來ないから、をばさんに燒いて、むしつてくれつて、箸を持つてちやんと待つてゐるのよ』と言つたら、お雪さんが、『まあ?其樣なことまでいふの?本當に雪岡には呆れて了ふ。をばさんを捉(つかま)へて私に言ふ通りに言つてゐるのよ。』と獨りではあはあ言つて笑つてゐましたよ。」と婆さんは、言葉に甘味(うまみ)を付けて、靜かに微笑(わら)ひながら、さう言つた。
私も「へーえ、お雪公、其樣なことを言つてゐましたか。」と言ひながら笑つた。
淫賣婦(いんばい)と思へば汚いけれどお宮は、ひどく氣に入つた女だつたが、彼女(あれ)がゐなくなつても、お前が時々、矢來(こゝ)へ來て其樣なことを言つて、婆さんと、蔭ながらでも私の噂をしてゐrかと思へば、思ひ做しにも自分の世界が賑かになつたやうで、お宮のことも諦められさな氣持がして、
「矢張り何處に居るとも言ひませんでしたか。」
と訊ねて見たが、婆さんも、
「言はないツ!何處にゐるか、それだけは私が何と言つて聞いても、『まあそれだけは。』と言つて何うしても明さない。」
と、さも其れだけは、力に及ばぬやうに言ふ。
さうなると、矢張り私の心元なさは少しも減じない。それからそれへと、種々(いろん)なことが思はれて、相變らず心の遣りはに迷ひながら、氣拔けがしたやうになつて、またしても、以前のやうに何處といふ目的(あて)もなく方々を歩き廻つた。けれどもお宮といふ者を知らない時分に歩き廻つたのとはまた氣持が大分違ふ。寂しくつて物足りないのは同じだが、その有樂座の新口村(にのくちむら)を聽いてから、あの「……薄尾花も冬枯れて……」と、呂昇の透き徹るやうな、高い聲を張り上げて語つた處が、何時までも耳に殘つてゐて、それがお宮を懐かしいと思ふ情(こゝろ)を誘(そゝ)つて、自分でも時々可笑いと思ふくらゐ心が浮(うは)ついて、世間が何となく陽氣に思はれる。私は湯に入つても、便所に行つても其處を口ずんで、お宮を思つてゐた。
明後日(あさつて)までに何とか定(き)めて了はなければならぬ、と、言つてゐたから、二日ばかりは其樣な取留もないことばかりを思つてゐたが、丁度その日になつて、日本橋の邊を彷徨(うろ)しながら、有り合せた自動電話に入つて、そのお宮のゐる澤村といふ家へ聞くと、お宮は居なくて、主婦(おかみ)が出て、
「えゝ、宮ちやん。さういふことを言ふにや言つてゐたやうですけれど、まだ急に何處へも行きやしないでせう。荷物もまだ自家(うち)に置いてゐるくらゐですもの。……ですから、御安心なさい、また何うか來てやつて下さい。」と、流石に商賣柄、此方(こちら)から正直に女から聞いた通りを口に出して訊ねて見ても、其樣な惡い情夫(をとこ)の付いてゐることなんか、少しも知らぬことのやうに、何でもなく言ふ。
兎に角、さう言ふから、ぢやお宮という女奴(め)、何を言つてゐるのか、知れたものぢやない、と思ひもしたが、まだ何処へも行きやしないといふので安心した。斯うしてブラとしてゐても、まだ心の目的(あて)の樂しみがあるやうな氣がする。けれども其處にゐるとすれば、何れ長田(をさだ)のことだから、此の間も、あの「本當に何處かへ行くか知らん?」と言つてゐた處を見ると、遣つて行くに相違ない。その他(ほか)固より種々(いろん)な嫖客(きやく)に出る。これまでは其樣なことが、さう氣にならなかつたが、しごきをくれた心が忘れられないばかりではない、あれからは女が自分の物のやうに思はれてならぬ、と思ひ詰めれば其樣な氣がするが、よく考へれば、その吉村といふ切つても切れぬらしい情夫(をとこ)がある。……自分でも「いけない!」といふし、情夫(をとこ)のある者は何うすることも出來な。と言つて、あゝして、あのまゝ置くのも惜しくつて心元ない。錢(かね)がうんと有れば十日でも二十日でも居續けてゐたい。
「あゝ錢(かね)が欲しいなあ!」と、私は盗坊といふものは、斯ういふ時分にするのかも知れぬ、と其樣なことまで下らなく思ひあぐんで、日を暮してゐた。
そんなにして自家(うち)で獨りでゐても何事(なん)にも手に付かないし、さうかと言つて出步いても心は少しも落着かない。それで、またしても自動電話に入つてお宮の處に電話を掛けて見る。
「宮ちやん、お前あんなことを言つてゐたから、私は本當かと思つてゐたのに、主婦(おかみ)さんに聞くと、何處にも行かないといふぢやないか。君は譃ばつかり言つてゐるよ。君がゐてくれれば僕には好いんだが、あの時は喪然(がつかり)して了つたよ。」と恨むやうに言ふと、
「えゝ、さう思ふには思つたんですけれど、種々(いろ()都合があつてねえ。……それに自家(うち)の姉さんも、まあ、も少し考へたが好いといふしねえ。……あなたまた入らしつて下さい。」
「あゝ、行くよ。」
と、言ふやうなことを言つて、何時まででも電話で話をしてゐた。行く錢(かね)が無い時には、私は五錢の白銅一つで、せめて電話でお宮と話をして蟲を堪へてゐた。電話を掛けると、大抵は女中が、主婦(おかみ)かが初め電話口に出て、「今日、宮ちやんゐるかね?」と聞くと、「えゝ、ゐますよ。」と言つて、それからお宮が出て來るのだが、その出て來る間の、たつた一分間の、たつた一分間ほどが、私にはぞくぞくとして待たれた。お宮が出て來ると、毎時(いつ)も、眼を瞑(つぶ)つたやうな靜かな、優しい聲で、
「えゝ、あなた、雪岡さん?わたし宮ですよ。」と、定つてさう言ふ。その「わたし宮ですよ。」といふ、何とも言うに言へない句調が、私の心を溶かして了ふやうで、それを聞いてゐると、少し細長い笑窪の出來た、物を言ふ口元が歷々(あり)と眼に見える。
「ぢやその内行くからねえ。」と、言つて、「左様なら、切るよ。」と、言ふと、「あゝ、もしもし。あゝ、もし。雪岡さん!」と呼び掛けて、切らせない。此度は、「さよなら!ぢや、いらつしやいな!切りますよ。」と、向から言ふと、私が、「あゝもし、もし。宮ちやん、一寸々々(ちよいと)。まだ話すことがあるんだよ。」と何か話すことがありさうに言つて追掛(おつか)ける。終(しまひ)にはわざと、兩方で、
「左様なら!」
「さよなら!」
を言つて、後を默あつてゐて見せる。私は、お宮の方でも、さうだらうと思つてゐた。
さうして交換手に「もう五分間來ましたよ。」と、催促をせられて、そのまゝ惜しいが切つて了ふこともあつたが、後(のち)には、あとからまた一つ落して、續けることもあつた。白銅を三つ入れたこともあれば、十錢銅貨を入れたこともあつた。私は、氣にして、始終(しよつちう)白銅を絕yさないやうにしてゐた。
珍らしく一週間も經て、櫻木では、此の間のやうなこともあつたし、元々其家(そこ)は長田(をさだ)の定宿のやうになつてゐる處だから、また何様なことで、何が分るかも知れないと思つて、お宮に電話で、櫻木は何だか厭だから、是非何處か、お前の知つた他(ほか)の待合(うち)にしてといふと、それではこれこれの處に菊水といふ、櫻木ほどに清潔(きれい)ではないが、私の氣の置けない小(ちさ)い家(うち)があるから、と、約束をして、私は、ものの一と月も顏を見なかつたやうな、急々(せか)した心持をしながら、電話で聞いただけでは、其の菊水といふ家もよく分らないし、一つは澤村といふ家は何様な家か見て置きたいとも思つて、人形町の停留場で降りて、行つて見ると、成程蠣殻町二丁目十四番地に、澤村ヒサと女名前の小(ちさ)い表札を打つた家がある。古ぼけた二階建の棟割り長屋で、狹い間口の硝子戸をぴつたり締め切つて、店前(みせさき)に、言ひ譯のやうに、數へられるほど「敷島」だの「大和」だのを竝べて、他(ほか)に半紙とか、狀袋のやうなものを少しばかり置いてゐる。ぐつと差し出した軒燈に、通りすがりにも、よく眼に付くやうに、向つて行く方に向けて赤く大きな煙草の葉を印(しるし)に描(か)いてゐる。「斯ういふ處にゐて働(かせ)ぎに出るのかなあ!」と、私は、穢いやうな、淺間しいやうな氣がして、暫時戸外(そと)に立つたまゝ靜(そつ)と内の樣子を見てゐた。
「御免!」
と言つて、私は出て來た女に、身を隱やうにして、低聲(こごゑ)で、「私、雪岡ですが、宮ちやんゐますか。」と、言ひながら、愛想に「敷島」を一つ買つた。「あゝ、さうですか。ぢや一寸お待ちなさい!」と、次の間に入つて行つたが、また出て來て、「宮ちやん、其方(そつち)の戸外(そと)の方から行きますから。」と、密々(ひそ)と言ふ。
私は何處から出て來るのだらう?と思つて、戸外(そと)に突立つてゐると、直ぐ壁隣の洋食屋の先きの、廂合ひのやうな薄闇(うすくらが)りの中から、ふいと、眞白に塗つた顏を出して、お宮が、
「ほゝ、あはゝゝゝ。……雪岡さん?」と懐かしさうに言ふ。
變な處から出て來たと思ひながら、「おや!其樣な處から!」と言ひながら、傍に寄つて行くと、「あはゝゝゝ暫くねえ!何うしてゐて?」と、向から寄り添うて來る。
其處(そこら)の火灯(あかり)で、夜眼にも、今宵は、紅をさした脣をだらしなく開けて、此方(こちら)を仰(あをの)くやうにして笑つてゐるのが分る。私は外套(とんび)の胸を、女の胸を押付けるやうにして、
「何うしてゐたかツて?……電話で話した通りぢやないかツ……人に入らぬ心配さして!」
女は「あはゝゝゝ」と笑つてばかしゐる。
「おい!菊水といふのは何處だい?」
「あなたあんなに言つても分らないの?直ぐ其處を突き當つて、一寸右を向くと、左手に狹い横町があるから、それを入つて行くと直き分つてよ。……その横町の入口に、幾個(いくつ)も軒燈が出てゐるから、その内に菊水と書いたのもありますよ。よく目を明けて御覽なさい!……先刻(さつき)、私、お湯から歸りに寄つて、あなたが來るから、座敷を空けて置くやうに、よくさう言つて置いたから……二疊の小さい好い室(へや)があるから、早く其室へ行つて待つていらつしやい。私、直ぐ後から行くから。」と嬉し々(いそ)としてゐる。
「さうか。ぢや直ぐお出で!……畜生!直ぐ來ないと承知しないぞツ!」と、私は一つ睨んで置いて、菊水に行つた。
お宮は直ぐ後から來て、今晩はまだ早いから、何處か其處らの寄席にでも行きませう、といふ。それは好からうと、菊水の老婢(ばあさん)を連れて、薬師の宮松に呂淸を聽きに行つた。
私は、もうぐつと色男になつたつもりになつて、蟇口をお宮に渡して了つて、二階の先きの方に上つて、二人を前に坐らせて、自分はその背後(うしろ)に橫になつて、心を遊ばせてゐた。
此間(こなひだ)、有樂座に行つた時には、此座(こゝ)へお宮を連れて來たら、さぞ見素(みす)ぼらしいであらう、と思つたが、此席(こゝ)では何うであらうか、と、思ひながら、便所に行つた時、向側の階下(した)の處から、一寸お宮の方を見ると、色だけは人竝より優れて白い。
その晩、
「吉村といふ人、それから何うした?」と聞くと、
「矢張りそのまゝゐるわ。」と、言ふ。
「そのまゝツて何處にゐるの?」
「何處か、柳島の方にゐるとか言つてゐた。……私、本當に何處かへ行つて了ふかも知れないよ。」と、萎れたやうに言ふ。
私は、居るのだと思つてゐれば、また其樣なことをいふ、と思つて、はつと落膽しながら、
「君の言ふことは、始終(しよつちう)變つてゐるねえ。も少し居たら好いぢやないか。」と、私は、斯うしてゐる内に何うか出來るであらうと思つて、引留るやうに言つた。けれども女は、それには答へないで、
「……私また吉村が可哀さうになつて了つた。……昨日、手紙を讀んで私眞個(ほんたう)に泣いたよ。」と、率直に、此の間と打つて變つて今晩は、染々(しみ)と吉村を可哀さうな者に言ふ。
さう言ふと、妙なもので、此度は吉村とお宮との仲が、いくらか小憎いやうに思はれた。
「へツ!此の間、彼樣なに惡い人間のやうに言つてゐたものが、何うしてまた、さう遽かに可哀さうになつた?」私は輕く冷かすやうに言つた。
「……手紙の文句がまた甘(うま)いんだもの。そりや文章なんか實に甘いの。才子だなあ!私感心して了つた。斯う人に同情を起さすやうに、同情を起さすやうに書いてあるの。」と、獨りで感心してゐる。
「へーえ。さうかなあ。」と、私はあまり好い心持はしないで、氣のない返事をしながらも、腹では、フン、文章が甘いツて、何れほど甘いんであらう?馬鹿にされたやうな氣もして、
「お前なんか、何を言つてゐるか分りやしない。ぢや向の言ふやうに、一緒になつてゐたら好いぢやないか。何も斯樣な處にゐないでも。」
さういふと女は、
「其樣なことが出來るものか。」と、一口にけなして了ふ。
私は、これは、愈々聞いて見たいと思つたが、その上に强ひては聞かなかつた。
お宮のことに就いて、長田(をさだ)の心がよく分つてから、以後その事に就いては、斷じて此方(こちら)から口にせぬ方が可いと思つたが、誰れの處といふことなう寂しいと思へば、遊びに行く私のことだから、……先達てから二週間ばかりも經つて久振りに遊びに行くと、丁度其處へ饗󠄀庭(あへば)――これもお前の、よく知つた人だ。――が來てゐたが、何かの話が途切れた機會(はすみ)に、長田が、
「お宮其の後何うした?」と訊く。
私は、なるたけ避けて靜(そつ)として置きたいが、腹一杯であつたから、
「もう、お宮のことに就いては、何も言はないで置いてくれ。」と、一寸左の掌(て)を出して、拜む眞似をして笑つて、言ふと、長田は唯じろと、笑つてゐたが、暫時して、
「あの寢顏の好い女だ。」
と、一口言つて私の顏を見た。
私は、その時、はつとなつて、「ぢや愈々」と思つたが强ひて何氣ない體を裝うて、
「ぢや、買つたのかい?」と輕く笑つて訊いた。
「うむ!一生君には言ふまいと思つてゐたけれど、……此間(こなひだ)行つて見た。ふゝん!」と嘲笑(あざわら)ふやうに、私の顏を見て言つた。
「まあ可いさ。何うせ種々(いろ)の奴が買つてゐるんだからね……支那人にも出たと言つてゐたよ。」私は固より好い氣持のする理由(わけ)はないが、何うせ斯うなると承知してゐたから、案外平氣で居られた。すると、長田(をさだ)は、
「ふゝん、そりや其樣なこともあるだらうが、知らない者なら幾許買つても可いが、併し吾々の内の知つた人間が買つたことが分ると、最早連れて來ることも何うすることも出來ないだらう!……變な氣がするだらう。」と、ざまを見ろ!好い氣味だといふやうに、段々恐(こは)い顏をして、鼻の先で「ふゝん!」と言つてゐる。
「變な氣は、しやしないよ。」と避けようとすると、
「ふゝん!それでも少しは變な氣がする筈だ。……變な氣がするだらう!」負け吝みを言ふな、譃だらう、といふやうに冷笑する。
それでも私は却つて此方(こちら)から長田を宥めるやうに、
「可いぢゃないか。支那人や癩病(かつたい)と違つて君だと清浄(きれい)に素性が分つてゐるから。……まあ構はないさ!」と苦笑に間切らして、見て見ぬ振りをしながら、一寸長田の顏を見ると、何とも言へない、執念深い眼で此方(こちら)を見てゐる。私は、慄然(ぞつ)とするやうな氣がして、これはなるたけ障らぬやうにして置くが好いと思つて、後を默つてゐると、先は、反對(あべこべ)に、何處までも、それを追掛(おつか)けるやうに、
「此の頃は吾々の知つた者が、多勢彼處(あすこ)に行くさうだが、僕は、最早あんな處に餘り行かないやうにしなければならん。安井なんかも、屢(よ)く行くさうだ。それから生田(うぶた)なんかも時々行くさうだから、屹度安井や生田なんかも買つてゐるに違ひない。生田が買つてゐると、一番面白いんだが。あはゝゝゝ。だから知つた者は多い。あはゝゝゝ。」と、何處までも引絡んで厭がらせを存分に言はうとする。生田(うぶた)といふのは、自家(うち)に長田(をさだ)の弟と時々遊びに來た、あの眼の片眼惡い人間のことだ。……あんまり執拗いから、私も次第に胸に据ゑかねて、此方(こちら)が初め惡いことでもしはしまいし、何といふ無理な厭味を言ふ、と、今更に呆れたが、長田の面と向つた、無遠慮な厭味は年來耳に馴れてゐるので尚ほ靜(ぢつ)と耐(こら)へて、
「君と靑山とは、一生岡燒をして暮す人間だね。」と、矢張り笑つて居らうとして、ふツと長田と私との間に坐つてゐる右手の饗󠄀庭の願を見ると、饗󠄀庭が、何とも言へない獨り居り場に困つてゐるといふやうな顏をして私の顏を凝乎(ぢつ)と見てゐる。その顏を見ると自分は泣き顏をしてゐるのではないか、と思つて、悄氣(しよげ)た風を見せまいと一層心を勵まして顏に笑ひを出さうとしてゐると、長田は、ます癖の白い齒を、イーンと露して嬲り殺しの止(とど)めでも刺すかのやうに、荒い鼻呼吸をしながら、
「雪岡が買つた奴だと思つたらいやな氣がしたが、ちえツ!此奴(こいつ)姦通するつもりで遊んでやれと思つて汚(よご)す積りで呼んでやつた。はゝゝゝゝ。君とお宮とを侮辱するつもりで遊んでやつた。」とせゝら笑ひをして、惡毒(あくど)く厭味を言つた。
けれども私は、「何ふしてそんなことを言ふのか?」と言つた處が詰まらないし、立上つて喧嘩をすれば野暮になる。それに忌々しさの嫉妬心から打壊しを遣つたのだ、といふことは十分に飮込めてゐるから、何事(なに)に就けても嫉妬心が强くつて、直ぐまたそれを表に出す人間だが其樣なにもお宮のことが燒けたかなあ、と思ひながら、私は長田の嫉妬心の强いのを今更に恐れてゐた。
それと共に、また自分知つた女をそれまでに羨まれたと思へば却つて長田(をさだ)の心が氣の毒なやうな氣も少しは、して、それから、さういふ毒々しい侮辱の心持でしたと思へば、何だかお宮も可哀さうな、自分も可哀さうな氣分になつて來た。私はそんなことを思つて打壊された痛(つら)い心と、面と向つて突掛(つゝかゝ)られる荒立つ心とを凝乎(ぢつ)と取鎭めようとしてゐた。他(ほか)の二人も暫時默つて座が變になつてゐた。すると饗󠄀庭が、
「あゝ、今日會ひましたよ。」と、微笑(にこ)としながら、私の顏を見て言ふ。
「誰れに?」と、聞くと、
「奥さんに。つい、其處の山吹町の通りで。」
すると長田が、橫合から口を出して、「僕が會へば好かつたのに。……さうすれば面白かつた。ふゝん。」といふ、私は、それには素知らぬ顏をして、
「何とか言つてゐましたか。」
「いえ、別に何とも。……唯皆樣に宜(よ)く言つて下さいつて。」
すると、長田が橫から口を出して、
「ふゝん。彼奴(あいつ)も一つ俺れが口説いたら何うだらう。はゝツ。」と、毒々しく當り散す。
それを聞いて、假令くっちさきの戯談話にもせよ、ひどいことを言ふと思つて、私は、ぐつと癪に障つた。今まで散々種々(いろん)なことを、言ひ放題言はして置いたといふのはお宮は何うせ賣り物買ひ物の淫賣婦(いんばい)だ。長田が買あないたつて誰れか買つてゐるのか分りやしない。先刻から默つて聞いてゐれば、随分人を嘲弄したことを言つてゐる。それでも此方(こちら)が强ひて笑つて聞き流して居ようとするのは、其樣な詰まらないことで、男同志が物を言ひ合つたりなどするのが見つともないからだ。
お雪は今立派な商人(あきんど)の娘と、いふぢやない。またあゝいふ處にも手傳つてもゐたし以前嫁いてゐた處もあんまり人聞きの好い處ぢやなかつた。あれから七年此の方の、自分と、彼(あゝ)なつて斯うなつたといふ筋道を知つてゐるが爲に、人を卑(さげす)んでそんなことを言ふが、假令見る影もない貧乏な生計(くらし)をして來ようとも、また其間が何ういふ關係であつたらうとも、苟(かりそ)めにも人の妻でゐたものを捉(つかま)へて、「彼奴も、一つ俺が口説いたら何うだらう。」とは何だ。此方(こちら)で何處までも溫順しく苦笑で、濟してゐれば付け上つて蟲けらかなんぞのやうに思つてゐる。いつて自分の損になるやうな人間に向つては、其樣なことは、おくびにも出し得ない癖に、一文もたそくにならないやくざな人間だと思つて、人を馬鹿にしやがるないツ。
と、忽ちさう感じて湧々(わく)する胸を撫でるやうに堪へながら、向の顏を凝乎(ぢつ)と見ると、長田(をさだ)は、その淺黒い、意地の惡い顏を此方(こちら)に向けて、じろと視てゐる。
「彼奴も俺が口説いたら何うだらう。」と、いふその自暴糞な出放題な言ひ草の口裏には、自分の始終(しよつちう)行つてゐる蠣殻町で、此方が案外好い女と知つて、しごきなどを貰つた、といふことが嫉けて、嫉けて、焦(じ)れして、それで其樣なことを口走つたのだといふことが、明歷(まざ)と見え透いてゐる。
さう思つて、また凝乎(ぢつ)と長田の顏色を讀みながら、自分の波のやうに騒ぐ心を落着けしてゐたが、饗󠄀庭は先刻その長田の言つた言葉を聞くと、同時にまた氣の毒な顏をして私を見てゐたが、二人が後を默つてゐるので、暫時經つてから何と思つたか、
「あの人可いぢやありませんか。……私なんか本當に感服してゐたんですよ。感服してゐたんですよ。……」と、誰にも柔かな饗󠄀庭のことだから、平常(ふだん)略ぼ知つてゐる私の離別に事寄せてその場の私を輕く慰めるやうに言ふ。
「えゝ、何うもさう行かない理由(わけ)があるもんですから。」と詳しく事情を知らぬ饗󠄀庭に答へてゐると、また長田(をさだ)が口に出して、
「ありや、細君にするなんて、初めから其樣な氣はなかつたんだらう。一寸(ちよいと)家を持つから來てくれつて、それから、ずるにあゝなつたんだらう。」
と、にげも艶もなく、人を馬鹿にしたやうに、鼻の先で言つた。
私は、成程、男と女と一緒になるには、種々(いろん)な風で一緒になるのだから、長田が、さう思へば、それで可いのだが、饗󠄀庭が、假令その場限りのことにしても、折角さう言つて、面白くも無い、氣持を惡くするやうな話を和げようとしてゐるのに、また面と向つて、そんなことを言ふ、何といふ言葉遣ひをする人間だらう!と思つて、返答の仕樣もないから、それには答へず、默つてまた長田の顏を見たが、お宮のことが忌々しさに氣が荒立つてゐるのは分り切つてゐる。さう思ふと、後(のち)には腹の中で可笑くもなつて、怒られもしないといふ氣になつた。で、それよりも寧(いつ)そ悄氣(しよげ)た照れ隱しに、先達ての、あのしごきをくれた時のことを、面白く詳しく話して、陽氣に浮かれてゐる方が好い、他人(ひと)に話すに惜しい晩であつた、と、これまでは、其の事をちびり、ちびり思ひ出しては獨り嬉しい、甘い思秀を歡(たの)しんでゐたが、斯う打(ぶ)ち壊されて、荒されて見ると大事に藏つてゐたとて詰らぬことだ。――あゝそれを思へば殘念だが、何うせ斯うなると、ずつと以前「直ぐ行つて聞いて見てやつた。」と言つた時から分つてゐたことだ、と種々(いろん)なことが逆上(こみあが9つて、咽喉の奥では咽(むせ)ぶやうな氣がするのを靜(ぢつ)と堪(こら)へながら、表面(うはべ)は陽氣に面白可笑く、二人のゐる前で、前(さつき)言つた、しごきをくれた夜(よ)の樣を女の身振や聲色まで眞似をして話した。

この著作物は、1944年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。